2015年6月6日(土)
自転車仲間のWさんから,甲武信岳のシャクナゲを見に行かないか,と誘われた。昨年も仙丈ヶ岳に誘われたのだが,こちらの予定が合わなくて実現しなかった。Wさんとの自転車でのつき合いは1994年のツール・ド・のと400あたりからと長い。登山での付き合いには2010年の常念岳がある。あの時はバスの時刻に間に合わせるために徳沢から上高地までを早足,駆け足したという体験をさせてもらった。
今回の甲武信岳登山の出発前には登山グループの間で電子メールが飛び交い,メンバーのモティベーションはかなり高いことが分かった。そのグループのメンバーはWさんの大学時代のゼミ仲間だ。Wさんがそこに我々を招待してくれたのだ。当初のWさんの計画では毛木平から千曲川源流を訪ねて甲武信小屋に泊まり,翌日は十文字峠を経て毛木平にもどる周回コースだった。しかし,バスの便の都合で,毛木平から十文字峠のシャクナゲを見て十文字小屋に泊まり,翌日に甲武信岳に登って西沢渓谷に降りるコースに変更された。
青春時代に流行った歌の文句ではないが,8時ちょうどのスーパーあずさ5号で新宿を発った。携帯でWさんに連絡してみると,前の車両に乗っている,という。小淵沢で10人のメンバーが勢揃いして小海線のワンマンカーに乗り換えた。小海線の途中駅の野辺山は東大の天文台でも有名だが,JR路線での最高駅としても鉄道ファンには知られている。車窓からのスナップはおばさん達の記念写真になってしまった。降車駅の信濃川上は無人駅だったので運転士に切符を渡さなければならなかった。ここでメンバーの何人かがモタついたり,トイレに行っている間に…。
10時43分発のバスの運転士は職務を忠実に果たし,定刻に出発した。それで,メンバー3人が置き去りにされてしまった。バスは,白いマルチに植えられたレタスやキャベツ畑を抜けて走り,梓山に着いた。後続メンバーに連絡したところ,駅に迎えに来たどこかのホテルのバスに乗せてもらって梓山バス停の手前まで送ってもらっている,とのことだ。先発の我々はショータイム(トイレ休憩)を取ったり,コンビニで宴会のつまみを買ったりしながら後続メンバーの到着を待った。
30分ほど待った頃に後続メンバーが追いついてきた。再び10人のメンバーが勢ぞろいした。クルーには我々の他にもニューカマーがいたので相互に自己紹介をしあった。梓山バス停から毛木平への道は一般舗装道路を歩いた。小一時間で,鮮やかにヤマツツジやベニバナイチヤクソウが咲き乱れる,毛木平駐車場に着いた。ここで昼食を摂ることになった。
お腹を満たし,荷物を軽くしたメンバーは13時20分に毛木平をスタートして登山道に分け入った。道の木々にはサルオガセが真綿のように巻き付いている。甲武信岳に源を発する,まだ小川の,千曲川の脇を登っていく。シロバナノヘビイチゴが咲く林間の小道は気持ち良いものだ。千曲川源流への登山道を右に分けて十文字峠を目指す。丸木橋で千曲川を渡る。この小川がやがては日本一の信濃川となるとは,ちょっと実感が湧かない。千曲川を渡って直ぐのところに五里観音があったとWさんが教えてくれたが,自分は見逃してしまった。
八丁坂の頭の急登を控えて一息入れた。先導するN林さん,N村さんも立ち止まっては息を整える。M夫妻はチョット辛そう。N藤さんは大汗をかいて登る。飛行船の大家と紹介されたOさんはキリマンジャロ,アコンカグアも登頂したというベテランだが,膝の調子が今一つという。熊野古道で脚を鍛えたカミさんがN林さんに付いて元気に登っていく。
毛木平から登ること2時間ほどで十文字小屋に着いた。が,期待したシャクナゲはちょっと盛りが過ぎてるそうだ。小屋の人の話では,今年は昨年よりも一週間早く盛りを迎えたが,三分の一ほどの花の数だった,という。ちょっと残念だ。それでも辺りを捜してみると,まだ咲き残ったシャクナゲがいくつかあった。シャクナゲの根元にはツバメオモトやミヤマエンレイソウが網で保護されて咲いていた。
灯油ランプが灯された丸太づくりの十文字小屋にチェックインした。寝床は蚕棚のベッドで,そこに二人づつで寝ろとの指示だ。今日はこの小屋に70人が泊まることになっているそうだ。荷物の片づけ,整理をして,ヘッドランプなどの支度を済ませた。
まだ4時と明るい時刻だがパーティーを始めた。先ずは缶ビールで乾杯して一日目の労をお互いにねぎらった。N村さん,Sさん,N藤さん,お疲れさまでした,明日も楽しく行きましょう。缶ビールの後はN藤さんのペットボトルに入った白ワインとN林さんがPlatypus社のワインボトルに入れた赤ワインを空けた。山小屋で持参したワインで乾杯とは初体験だ。これがWさん達の山行スタイルか。
うかつなことにカップを持参してこなかった我々はビールの缶をナイフで切って即席ワインカップを作った。心地よい酔いがまわってきた頃に,食事の支度をするからその間は部屋に戻ってくれ,と小屋のスタッフに言われてひとまずパーティーはお開きに。
夕食は5時とこれまた早い時刻だ。メニューはポトフ,筑前煮,みそ汁,お新香だ。優しく照らす灯油ランプの元で摂る山小屋でのディナーという貴重な体験をした。部屋に戻り,陽が落ちる夜になると次第に寒くなるのを体感した。小屋のスタッフも登山者もダウンジャケットを羽織っている。それに手も冷たい。寒くなったら雨具を着れば良いだろうと上着を持ってこなかったのは失敗だった。次回は忘れずにダウンジャケット,手袋そしてコップを持参しよう。
食事の後は外のベンチで各自のアウトドアウォッチの精度比べだ。標高やら気温やら比べる様は新しいおもちゃを買ってもらって自慢し合う子供のようだ。
あれこれ話をしていると8時の消灯時間がきて電気が消された。自分の鼾がうるさいと,家では別の部屋で寝ている我々だが,同衾するのは昨年のドイツ自転車旅行以来だ。酔っていて面倒なので,着の身着のままに寝入ってしまった。
2015年6月7日(日)
夜中に屋外のトイレに立つ客で何回か目が覚めた。寝るのが早かったので自分も2時ごろにトイレに立った。真っ暗なベッドからトイレに通うのに,買ってから初めてヘッドランプを使った。
4時にはクルーも他の部屋の登山客もガタガタと起き出して,早くも朝食をとりに食堂に集まる。いたってシンプルなメニューだ。これで今日の長丁場を乗り切れるだろうか。
着の身着のままで寝入ったので出発の支度は簡単だ。まだ身体は十分に目覚めてないがトイレに座ってみる。山小屋のトイレは建て直された新しい,快適な水洗式のバイオトイレだ。ウンチだけを流して紙は別のバケツに入れるシステムだ。
寒暖計が外気温4℃を示す中で集合し,十文字小屋を6時15分にスタートした。一週間前だったらシャクナゲのトンネルだっただろうが,咲き残るシャクナゲが見送ってくれた。朝日がまぶしい道を意気揚々と登り始めた。Wさんの予定では8時間半の長丁場の道程だ。
まず目指したのは大山だ。さっそく鎖場の急登に出くわした。木の根っこや枝にしがみついたりしながら登り詰める。鎖場をクリヤーしたかと思ったら,またまた鎖場だ。鎖に掴まったり岩をホールドしながら登った。
大山の頂上についたクルーはそこの展望に思わず歓声をあげた。南アルプスの山々はもちろん,眼の利くカミさんは北アルプスの山々も見えるという。2ヶ所もの鎖場を登ってきた苦労はこの眺めで十分に報われた。ここまで50分,順調に来ている。
次の目標は武信白岩山だ。山頂の西側基部を巻いて登り降りして通過した。降り立ったところが尻岩だった。お尻の割れ目に見立てた名前だろう。苔むしたシラビソの林の中に平地を見つけて一休みした。さぁ,お次は甲武信岳よりも高い三宝山ですよ,とWリーダーが激を飛ばす。
そこから急登すると開けた頂上に三角点を持った標高2,483mの三宝山に着いた。このあたりで,それまでは陽が出ていた天候がが曇天に変わってきていた。一休みして最後の登りを攻めて進んだ。
大勢の登山者でごった返す標高2,475mの甲武信岳の頂上に立った。残念ながら頂上は雲に包まれたようで,辺りの景色は全く見ることが出来ない。日本百名山とは言うものの,先ほどの三宝山よりも低く,三角点も置かれていない。Wさんは,晴れていれば富士山を始めとして,南アルプス,北アルプス,奥秩父の山々が見渡せる,という。時刻は10時45分だが,朝食が早かったので,ここでお昼を摂ることにした。我々のランチは,十文字小屋を出るときに水を入れておいたアルファ米のドライカレーと五目ご飯だ。暖かくはないが,意外にイケる味だった。お昼を食べ終わって出発する前に記念写真を撮ってもらったが,グレイの背景が恨めしい。Wさんの予定より,まだ,25分遅れているだけだ。
15分ほど下ると甲武信小屋だ。ここで有料トイレを使わせてもらう。ここの先代管理人がこれから下る徳ちゃん新道を開拓した,と2代目管理人が話してくれた。N林リーダーはこの先の木賊山(とくさやま)の巻き道を進もうとしたが,管理人の助言で木賊山頂上を通過する近道をとることにした。
標高2,469mの木賊山も三角点を持っている。ここから長〜い尾根を下ることになるというのに,すでに皆さんお疲れの様子。
雁坂峠への道を左に分け戸渡尾根の道を進むと,この時期というのに小さな雪渓が現れた。戸渡尾根の最上地点の岩場からは晴れていれば富士山が望めるはずだ。ここから長〜い下りが始まった。針葉樹の根っこに座って休憩を取る。やがて,かつての本道であった近丸新道を左に分けて徳ちゃん新道が始まった。徳ちゃん新道にも所々にまだシャクナゲが残っていた。土の道を下ったかと思うと岩だらけの下り坂が,何時になったら終わるのだろうとばかりに,続く。
木賊山から下ること3時間で右手に鶏冠谷が見える頃になると,さらに急な下りとなった。M夫妻はかなり疲れてしまったようで,何回も立ち止まってはサロンパススプレーを使う。後になって聞けば,最後尾を守るWさんも数回スッテンコロリンを体験したそうだ。自分も,はからずも,転んでしまった。誰をみてもかなり疲れが出てきているのがわかる。連続する長い下り坂で膝がガクガクになっているのだ。標識に示された距離の数字で西沢渓谷には予定通りに到着できないことが分かった。次の塩山行きのバス便にも間に合いそうもない。
もうイヤダ〜,叫びたくなった頃にようやくのことに西沢山荘(休業中だった)に到着した。時刻はちょうど16時だから急がないと,西沢渓谷入り口のバス停を16時25分に出る最終バスで,山梨市駅に辿り着けない。2010年8月に散策した西沢渓谷を横目に眺めてカミさんと先頭を切ってスタスタと歩いて,出発5分前にバス停に到着した。やれやれこれで帰れそうだ。
バスは1時間ほどで山梨市駅に着いた。山梨市には2012年の第41回と2013年の第42回東京ー糸魚川ファーストランのスタート地点だったので2度訪れている。二度共に駅前の「のんきばーば」という飲み屋で前夜祭を催していた地だ。N藤さんにそのことを話して,のんきばーばで打ち上げを催すことになった。まずは生ビールで乾杯だ。10時間もの長丁場を何とかクリヤーしたクルーの顔は,ここにいたって童顔の美青年,美少女そのものだ。
やがて,ドリンクメニューは巨砲サワーから生ワインと進み,ついには一人一鍋のほうとうを平らげてしまった。とても爺さん,婆さんの食欲なんてもんじゃない。Wさんが企画した山行に感謝して,何回も乾杯が続いた。
20時12分のかいじ124号に乗って帰途についた。今日の道程は14kmを10時間かけて歩いた。2日間のトータルでは23.7km,13時間55分の山行だった。Wさん始め,皆さん暖かく迎えていただいてありがとうございました。苦しかったけど楽しい山行でした。機会があればまた誘ってくださいな。