日本サイクルスポーツセンター(CSC)の伊豆ベロドロームでのCSCトラック自転車競技大会2023(2023年7月22日,23日)に参加した。修善寺に居を構える姪のお見舞いと金婚式記念イベント第2弾を兼ねてカミさんと一緒に出かけた。早朝の4時45分に自宅を出て常磐道を経て,相変わらず首都高を走るのは嫌なものだが渋滞にも会わずに,東名・厚木小田原道路・箱根新道・伊豆スカイラインを走り抜き3時間ほどで無事にベロドロームに到着した。
この大会は全国小中学校室内板張りトラック競技大会とも銘打っていてキッズからマスターズまでの幅広い年齢層の参加を募っている。マスターズカテゴリーはMM30-39,MM40-44,MM45-49,MM50-54,MM55-59,MM60-64,MM65-69,MM70-と細かく設定されている。自分が所属するMM70-カテゴリーは最終年齢が天井知らずだ。ライバルの中村仁さんが6月生まれだから9月生まれの自分は2番目の長老ということになる。2人ともに喜寿での出場だ。
今年の検車は昨年ほどには厳しくなかった。ボディーナンバーも指示通りに取り付けたし,ヘルメットのJCFの承認ステッカーも確認してもらった。その足でバンク走行にトライしてみる。一年振りではあるがブルーのステイヤーラインくらいまでの傾斜では大丈夫のようだ。バンクの頂上に駆け上がるのはぶっつけ本番にしよう。それにしても今年のバンクは昨年に比べて荒れているなぁ。あちこちに落車の傷跡が残っている。とにかく落車しないように怪我しないようにしよう。
最初のトライアルの200mフライングタイムトライアル(200mFTT)に向けてハイブリッドローラーでウォームアップをしているところに姪からの連絡があった。カミさんが駐車場に向かえに行ってもらい,インフィールドの我らの陣地で会えた。難病を抱えているとはいうが気丈夫な姿を見て少しばかり安心した。姪はベロドロームは初めての体験ということで最大傾斜45°のバンクには驚いたようだ。
さぁ,200mFTTの始まりだ。このトライアルはスプリントの予選でもあるので上位2位のタイムの選手は二人で対決するスプリント決勝に進めるのだ。トライアルは申告タイムの遅い順にバックからスタートして250mの走路を3周半走って,最後の200mのタイムを競うことになる。計測地点の手前では45°のバンクのてっぺんから駆けおろしてトップスピードに持っていくのがキモだ。プロの教えでは周回ごとにバンクの頂上まで上がるということだが自分はこれをやると駆け上がりで脚を使ってしまって最後の駆け下ろしの時には疲れてしまいそうだ。で,最後の周回ではバンクの頂上に上がるがそれまでの周回はせいぜいブルーのステイヤーステイヤーラインの上までを走行することにした。
今日のギア比は3.43 (48 x 14T) と昨年よりも大きくしている。最終回を知らせるジャンを聞きながら思い切り踏み出してゴールラインを目指してペダルを踏む。が,頭と脚がどうも一致しない。
結果は14秒323と女子高校生にも敵わない。それでも3週間前の400バンクでの14秒442よりも優っている。苦手の250バンクの記録としては悪くないぞ,と一人ゴチる。
カミさんと姪の話は尽きないようだ。果たして写真やビデオはちゃんと撮ってもらえただろうか? 午前中のレースはこれで終わりだ。姪が準備してきてくれたお弁当をありがたくいただくことにする。ちょっと量が多すぎるようだが次の500mタイムトライアルまでには十分な時間があるので消化できるだろう。
午後のトライアルは500mタイムトライアルだ。自分はホーム側からスタートして2周でゴールとなる。バック側からスタートするはずの対戦相手はDNS(Do Not Start)なので独走となった。
カウントダウンのブザーを数えて息を吐き出してソレッとばかりにスタートした。しかし,カミさんの撮ったビデオを見るとヘニャヘニャの出だしだ。それにこともあろうかコーナーでは膨らんでスプリンターラインを外してしまっているブザマではないか。
結果は45秒755という不甲斐ない記録だ。昨年のこの大会の47秒台よりも良いとは言え12月のTIPSTAR DOME CHIBAの250バンクでのトライアルに比べると少しはマシだが44秒台に遠い成績だ。3週間前の県民総体で記録した43秒703はまぐれだったのか。ともあれ250バンクはどうもうまく走れないなぁ。250バンクで45秒を切ることを次の250バンクでの目標としよう。
本大会の1日目の最終種目はMM70-カテゴリーのスプリント決勝だ。3周での先着を競うものだ。かつてはスクラッチと呼ばれて競輪界のレジェンド中野浩一が世界自転車選手権で1986年までに10連覇を達成している。
対戦相手は中村仁さんだ。4半世紀前はロードレースで全く歯が立たなかったスーパーヒーローだ。握手を交わしてスタートを待機する。2人ともピースサインを出して勝利を宣言するが勝者はどちらか1人だ。
トランプカードをめくるクジを引いて自分がスタートポジションの選択権を得た。昨年はイン(先行)スタートだったので今回はアウト(後行)スタートを選んだ。仁さんを追い抜ける自信はないがアウトスタートでのレースを経験してみたかった。というか,ゴール前で刺される醜態がイヤというか…。
スタート前の話し合いで1周はブルーバンド走行しようということだった。でも,レレレ,半周でスプリンターレーンに上がって予想よりも早いスピードだよ。
ラスト1周半でスピードがぐんと上がるがこの速さでは追い抜きは到底無理だと悟った。しかしとにかくもゴールまでは頑張ってみようとペダルを踏む。しかし大差で勝負は終わってしまった。
1日目の全てのレースが終わって表彰式になった。500mタイムトライアルは金メダル,スプリントは銀メダルが贈呈された。
参加者全員が勢揃いしての記念撮影の後はそれぞれのカテゴリーの対戦相手と来年の再会を期してエールを送り合った。自分は明日の2km個人追い抜きのギアを変更する作業に取り掛かった。
今宵の宿は長岡のKKR千歳荘にとった。露天風呂に浸かって早朝の出発と1日目のレースの疲れで硬くなったカラダをほぐした。久しぶりに聴いたクマゼミのシャンシャンシャーンの鳴き声が心地よく感じた。夕食のメニューは金目鯛の煮付けと鮑の陶板焼きだ。しかし,金目鯛煮付けは丸々1匹ではなくてチョット寂しい切り身だった。鮑の方はまずまずでビールと梅酒と共にカミさんの胃を満足させたようだった。
千歳荘での朝食は満足できるものだった。今日のレースの開始は10時30分だから朝風呂に浸かりゆったりと朝食が取れた。コーヒーも飲めて頭もカラダのシャッキっとなった(はずだ?)。
ベロドロームに着いて昨日のうちにギアを交換しておいたバイクのホィールを増し締めしてチェックする。2km個人追い抜き(2kmIP,インディヴィデュアル パーシュート)レースはホームとバックから同時にスタートする形式だ。本来のレースはこのスタート形式で半周の差を縮めて抜き去ればそこでレースは終了となる。 しかし今日のレース形式は抜かれてもゴールまで走り切り2kmのタイムを計測するというものだ。
自分はバックからのスタートで対戦相手の中村仁さんはホームからのスタートだ。
カウントダウンが終わって少し緩やかにスタートする。徐々にスピードを上げていって2周までは快調に進んだ。しかし半分の1kmで「ヤバイ,これでは最後まで持ちそうもない」とスピードをセーブする。しかしその後もダラダラとスピードは落ちていって最後の2周で「アカン」悟った。仁さんの最終回を知らせるジャンを聞いた地点はまだ第1センターあたりだったろうか。自分のジャンを聞いて最終回を必死でペダルを回していく。息はゼイゼイハァハァで今にも事切れそうだ。ようやくゴールラインを越えた。「もう二度と2kmは走りたくない」と毎回の呪いの言葉が口をついて出る。
結果は仁さんに8秒あまりも遅れる3分17秒965だった。昨年よりも10秒も,そして,先日の県民総体よりも4秒も遅い記録だ。これまでに18回の2kmIPを走っている中でもワースト記録を作ってしまった。ロード練習でそれなりに2kmへの練習はしてきたつもりだが…。
2km個人タイムトライアル(2kmIP)が終わって,慌ただしく友人・知人に挨拶してベロドロームを後にした。これから富士に住む姉夫婦に挨拶をしにいくのだ。2kmIPの順位は2位だということが分かったが表彰式をエスケープするために銀メダルは放棄せざるを得ないな。
ベロドロームを後にして途中の大仁まごごろ市場に立ち寄ってお昼の天ぷら蕎麦を食べた。たくさんの天ぷらとこぢんまりしたセイロの蕎麦が出てきた。「野菜天ぷらがメインで蕎麦はお口直しだね」と蕎麦を惜しむように食べた。と,店の女将と亭主が出てきて「言い忘れましたがセイロの下にもう一枚の蕎麦が入っていますから」と宣う。開けてみればなるほど蕎麦が出てきた。ようやく安心して蕎麦を盛大に啜った。
お隣さんとの会話で,先だっての東京オリンピックではベロドロームの板張りの工事を担当したことを知った。1周張るのに一日がかりだったことや止め釘が真っ直ぐではなく湾曲していて打つのに苦労した話などが聞けた。
ナビの言う通りに狩野川に沿って走り,1時間ほどで富士の姉夫婦宅に到着した。カミさんの記憶も合わせた甲斐があって昨年のように迷子になることはなかった。姉は相変わらずの口達者でカミさんとのお喋りで時を過ごした。義兄はカミさんに何度も「ねぇ,足を崩して楽にして」を繰り返した。義兄は自動車運転免許を返納したこともあり,買い物に1時間もかけて徒歩で出かける生活ということだ。孫(姪の息子)を下宿させていてるが休日はアウトドア活動や修善寺の実家に帰ったりとなかなか忙しいらしい。彼と彼の弟とはもう10年以上も会ってないなぁ。
姉夫婦のところを辞して今日の泊まり先の時之栖の御殿場高原ホテルに向かった。時之栖に泊まるのはホテル時之栖,スローハウスヴィラとブルーベリーロッジと今回の御殿場高原ホテルで4回目かな。
お目当てはバイキングレストラン麦畑での地ビール(クラフトビール)の飲み放題だ。自分はなんと言ってもドイツ風の正統ビールが飲めるのを楽しみにしている。
チェックインでクラフトビールを2缶とたっぷりのおつまみをいただいた。どうやら申し込んだ宿泊のコースがそのように設定されていたらしい。とりあえずそれらのお土産は部屋の冷蔵庫にストックしてまずは露天風呂を目指した。露天風呂には死海を模した塩風呂が設られていた。試しに舐めてみると吐き出したくなるほどの苦味だった。風呂に浸かると濃い塩分濃度のためにカラダがプカプカ浮いてしまう。あとで聞けばカミさんもその浮遊体験を楽しんだという。
予約した食事の時刻になったのでレストラン麦畑にチェックインした。小麦のヴァイツェン(Weizen)とシュヴァルツ(Schwalz 黒)のそれぞれをハーフジョッキに注ぎ鉄板(サイコロ)ステーキと50アイテムのビュフェからお好みの料理を皿に取り分けた。ヴァイツェンの軽やかな味は3回ドイツ自転車旅でのそれと比べるとかなり軽い。今日はWeizen Bockというもっと芳醇な銘柄は残念ながら出てなかった。ドイツ各地で飲んだシュヴァルツはもっと苦味とコク・香りが効いていたが。しかしここのビールもなかなか美味い。
カミさんと何回か料理を取り分けにいってついでにピルス(Pils)と御殿場コシヒカリラガーなるビールとベビーワインなる熟成前の若いワインも堪能した。このあたりはハーフジョッキであるがそろそろ足元がおぼつかなくなっているようだ。カミさんも自分も歳を経てビールも弱くなっているようだ。カミさんはデザートにフルーツもたっぷりと食べたようだ。自分は耳が痒くなくアレルギー持ちなのでライチに留めた。90分の持ちタイムをフルに過ごして大満足だ。以前はラテン系のバンドが座席を巡りながら南米の音楽などを楽しませてくれたのだが今回はなかった。これもコロナ後遺症かな。
場内では夏の銀河(銀河イルミネーション)のイベントが催されていた。本来ならカミさんと腕を組んで,カミさんの頬を肩に載せてうっとりしながらのラブラブ散歩だが。なにせ二人ともビールとワインに料理をしっかりとお腹に入れているのでそんなラブラブムードには成りきれない。 イルミネーション展示を見終わってホテルの部屋に戻るとカミさんはホテル内の風呂に行くというが自分はやめておいた。レースの疲れと飲酒で風呂に入るには脳貧血で何回かひっくり返った経験を持つ自分には危険だろうと。
いつものように4時半に目覚めた。カーテンを開けると朝日が登りつつあり,雲ひとつない空に富士山が屹立している姿を見えた。カミさんも起きてきて散歩に出かけた。小高い丘の上に見える禅堂を目指した。途中に蛍の栖なる散歩道を経由するよ小さな滝に出会った。さすがにこの明るさでは蛍もお休みのようだ。
禅堂に向かう小道には夥しい地蔵さまの石仏が鎮座している。それらの脇の銘板には「〇〇したらありがとう」,「△△ならばありがとう」などなどありがとうの文句が書かれている。この禅堂があるこの寺はありがとう寺というらしい。ありがとう寺は特定の宗派に属さない前衛的寺院,とある。境内にはヤギが飼われていたり不二の岩なるものもある。説明板に書かれてるように自分はこの岩を抱いて額を押し付けて「カミさんありがとう」と呟いた。ここからの富士山の眺めも天下一品クラスだ。冠雪の富士山だったらなお良いだろうなぁ。
朝食をとりにホテルに戻る途中の太鼓橋をぐるっと回ってみるとワイヤーフレームオブジェは鷹のようだった。そうか,この初夢橋は向こうに見える富士山と共に「一富士,二鷹,三ナスビ」を現しているのか。それにしてもどこにもナスビが見当たらないゾ。
ホテルの朝食はバイキングスタイルだった。和食と洋食をミックスした料理を取り分けていただいた。食事の後はこれから立ち寄る観光施設のオープンまでの時間潰しにホテルの風呂に入った。カミさんは「窓も何もない風呂だよ」と言っていたが,男風呂からは外の景色が望める大きな窓があった。
風呂でスッキリした後は三島スカイウォークを訪れた。ここは400mと日本最長の歩行者用の吊り橋で富士山を遠くに望みながら渡れるのだ。遠くの富士山は頂上に少し雲がかかっているが,この季節には珍しいほどというほどクッキリと見えた。橋を渡っていると何やら嬌声やらゴーッという音が下から聞こえてきた。観ればワイヤーロープを滑車で滑り渡るロングジップスライド(Long Zip Slide)というアクティビティーを楽しむ人の声だった。
カミさんと「冥土の土産にやってみよう」とこのアクティビティを申し込んだ。ヘルメットとハーネスは主催者が用意するが手袋は自前だ。車には自転車のグローブが2双おいてあるが取りに戻るのも面倒なので軍手を買うことにした。装備をつけてもらって係員の説明を聞いてVTRを見ながら要領を学習する。橋の出口から入り口方向へのコースは300mで帰りのコースは260mの急勾配のコースだという。自分で動画撮影しようと思ったが,スリルを味わいながら周りの景色を見ることのほうが忙しくて,叶わなかった。スタートするとあっという間にスピードに乗ってゴールに着地してしまった。聞けばこのアクティビティの最高齢参加者は92歳ということだった。「まだまだ我らは時間があるね」とカミさん。
かくして自分の自転車トラックレースとそのおまけの金婚式第2弾イベントの旅行はお仕舞いとなった。