昨年の12月上旬に自転車仲間から「CSCトラックは2月中旬の開催で,すでに募集が始まっている」とのメッセージが入った。昨年はこの大会に向けて7月のスケジュールは,カミさんと大喧嘩してまで,空けておいたのになぜか開催されなかった。ともあれCSC(サイクルスポーツセンター)のホームページを見てみると2025年2月22,23日の連休の前半に開催されるとあった。さっそくF200mTT(フライング200メートルタイムトライアル),50mTT(500メートルタイムトライアル)と2kmIP(2キロメートル個人追い抜き)に申し込んだ。
申し込んでしばらくしてから困ったことに気がついた。いつものCSCの大会は7月の海の日の連休に開催されていたので早朝に自宅を出て常磐道->首都高速->東名道->厚木小田原道->->箱根新道->伊豆スカイラインと走って修善寺(伊豆市)の伊豆ベロドロームに行っていた。しかし2月の開催時期には降雪や道路凍結で特に箱根新道がノーマルタイヤでは通れなくなるかもしれない。一昨年の大会に応援に来てくれた修善寺に住む姪に問い合わせてみると「たぶん大丈夫」ということだった。が,スタッドレスタイヤをわざわざ買うのもどうかと思い,とにかく布製のタイヤチェーンを用意した。その後あれこれと思案したり他からの情報を仕入れたりした結果,一番危ない箱根新道は通らずに前日の昼間に東名道で富士まで行き,姉のところに泊めてもらうことに決めた。そこからなら1時間ほどでCSCに行けるので安全・安心だ。
2月になって4月並みの暖かな日々が続いたと思ったら大会前後の天候は日本中が大荒れで連休の箱根あたりには出かけない方がいいとの予報も出た。なんてこった,伊豆中央道の三福ICからCSC入口を経由して伊豆スカイラインの亀石峠(いつもはここからCSCに行っている)へ登り道は大丈夫かいな。ともかく,大会の前日の10時半に自宅を単独で出発した。空いていたのは常磐道だけで首都高・東名道は渋滞また渋滞の悲惨な目に遭った。でも,都内は平日でもこんな調子なんだろうと諦めてのんびりと焦らずに運転する。それでも3時のおやつ時間には間に合って姉の家に無事に到着した。間近に眺める富士山には思ったよりも雪が少なかった。これなら道路凍結もないだろう。姉夫婦には一昨年の7月の大会の帰りに寄って以来だったが両人ともに元気であった。
大会1日目は7時前に姉の家を出発した。東に向かうので朝日が目にいっぱいに入ってくる。カーナビは国道1号線を三島まで走り国道136号を行けと行っている。三島の街中の電光交通表示板には箱根峠が交通不可とあった。やはり今日の早朝の出発ではダメだったな。心配した三福ICからCSCまでの上りも凍結していなくて問題なかった。
伊豆ベロドロームに入ってみるとすでに仲間は場所をセットし終わっていた。どうやら彼らは厚木小田原道路から箱根新道は通らずに熱海の海岸線を走り亀石峠を越えて来たようだ。通行には問題はなかったという。そんなことを話しながら自分も隣の空きスペースに機材を置いてタイヤにエァーをいつものように14バールまで目一杯に入れた。その後に受付を済ませてバディーナンバーを受け取りユニフォームに着替えた。決められたグループの30分のバンク走行時間帯でウォーミングアップを済ませたが期待したほどにカラダは軽くない。
最初のトライアルはF200mTTだ。出走順番は7番目だ。順番は申告タイムの遅い順からのようだ。始めの方には70歳以上のMM70–カテゴリーの選手で占められている。自分とライバルの中村仁さんが参加選手の最年長(79歳)だ。
トライアルは250mのバンクを3周半走って最後の200mのタイムを計測するというものだ。競馬と同じようにハロン(Far Longの訛りか)とも言っている。第2センターのてっぺんからダンシングしながら駆けおろしてスピードに乗せて200mを走り切る,とのつもりだが今日のギア51 x 15Tでのギアをつけた車輪はどうにも思ったほどには回ってくれない。湾岸サイクリング・ユナイテッドの飯塚さんが撮ってくれた動画を見ても我ながら呆れるほどに歯痒い走りだ。なんとかゴールしたがタイムは14秒883で時速48.38kmだった。またしても50km/hを上回ることは叶わなかった。100mごとのラップタイムで見ると,0-100mは7.349秒,100-200mは7.534秒であった。なんとか15秒が切れたが200mという短い距離でも後半にはスピードが落ちているのがわかる。出場33人中の28位であった。70歳以上のMM70-カテゴリ-5人中の3位であった。結果のコミュニケをみるとカテゴリー3位だった。残念ながらスプリント決勝には進めない。
午後の500mTTのタイムは45秒123だった。スピードは時速39.9kmをと40km/hには達しなかった。ラップタイムを1周(250m)ごとにみると,0-125mラップタイム:16秒249,125-250mラップタイム:9秒917,250-375mラップタイム:9秒412,375-500mラップタイム:9秒545であった。出場28人中の17位であった。MM70-カテゴリ-6人中の2位であった。課題はスタートダッシュだな。そう思ってコロナ禍の頃からジムで筋トレを積んできたのだが。
競技終了後の表彰式では2位の台に上がることができた。メダルを授与されたので急いで帰路についた。ドームの外に出てみると雪が舞っているではないか。果たしてここからの下りの路面には積もっていないだろうか,凍結はしてないだろうかを恐る恐る乗り出した。幸いにも積雪も凍結のしておらず下界に降りてみると夕日が射すような天気であった。というわけでいただけるはずのスプリント3位の銅メダルは受け取らなかった。
大会2日目は2km個人追い抜き(Indivibual Pursuit)だ。ホームとバックに選手が別れてスタートして125mの差を詰めて追い抜いた方が勝ちというのが正式なレースだ。しかし,この大会のルールでは追い越されてもゴールしてタイムによって順位を決めるというものだ。ホームからスタートした自分のタイムは3分12秒755(時速37.35km)だった。1周(250m)ごとのラップタイムは,0-250m:28秒943,250-500m:22秒057,500-750m:22秒635,750-10000m:24秒001,1000-1250m:24秒381,1250-1500m:23秒860,1500-1750m:23秒842,1750-2000m:23秒036であった。この成績は出場19人中の13位でMM70-カテゴリ-4人中の2位であった。3年前のタイムと同じように中盤で楽をし過ぎたペースだった。もっともこのために最後がエバラ黄金のタレにならずに済んだとも言えるか。
2km個人追い抜きで自分が出場する種目は終わったので,表彰式はパスして,帰路の渋滞を避けるべく早々に伊豆ベロドドームを後にした。ちょうど正午に出発したら,なんと,3時間ちょっとで往路のような渋滞もなく3時間少々で自宅に帰り着いた。とは言え,首都高速の箱崎ICではノロノロ渋滞にハマってしまった。