ドナウ川自転車道の旅(2017ドイツ・オーストリア・チェコ自転車旅行−1)
はじめに
今回(2017)のドイツ自転車旅行では,前回の自転車旅行から2年のブランクを埋めようという屁理屈から,オーストリアとチェコにも轍を残すことにした。2013年に初めてのドイツ自転車旅行を計画した時のアイデアだったドナウ川自転車道の旅に加えてエルベ川自転車道を,欲張って,旅することにした。ドナウ川は源流のドナウエッシンゲン Donaueschingenからウィーン Wienまで,エルベ川はプラハ Prag(Praha)からハンブルク Hamburgまでを走ることにした。ドイツ以外の「外国」を走る計画はカミさんにとっても魅力的なようだ。bikelineの地図はドナウ川自転車道にDonau-Radweg 1とDonau-Radweg 2を,エルベ川自転車道にElbe-Radweg 1とElbe-rRadweg 2の4冊を準備した。それぞれの自転車道の旅はおよそ1,000kmで合計2,000kmほどの距離になりそうだ。これを一日50kmの旅程で計算してさらに移動日を加えて7週間の日程で計画を練った。今年はマルチン・ルターの宗教改革から500年の節目だし,かつての東ドイツを旅するのも楽しみだ。カミさんと共同あるいは喧嘩しながらの非日常を体験してこよう。
出発を前にして自転車仲間から自分に明治神宮のお守りを,孫2号からカミさんに鎌倉長谷寺のお守りをいただいた。これらが長い道中の無事を守ってくれるだろう。
拙ブログでは第一部のドナウ川と第二部のエルベ川に分けて投稿する。なお地名,施設名などの日本語表記はGoogleマップ,「地球の歩き方A14 ドイツ 2017-2018」,「地球の歩き方 A26 チェコ/ポーランド/スロバキア 2017-2018」,「地球の歩き方A17 ウィーンとオーストリア 2017-2018」を参考にしてドイツ語とチェコ語を併記した。
6月17日(1日目) 成田 〜 ドーハ Doha(飛行機)
過去のドイツ自転車旅ではルフトハンザ航空の成田ーフランクフルト直行便を使っていたが,羽田国際空港が整備されて,成田からの直行便がなくなっていた。おまけに料金も高くなっていたのでカタール航空を利用することにした。南回りだと2日かかってしまうが料金の安さと無料手荷物の魅力には勝てない。カタール航空では前輪を外した自転車はサイズ(L + W + H)3m以内と重さ30kgの規程に十分あてはまる。しかし,出がけの情報ではカタールが周りのサウジアラビア,UAEなどから国交断絶されたとのことだ。ドーハ空港乗り換えに支障をきたさなければ良いが。
成田国際空港のカタール航空のカウンターでの手続きはこれまでとチョット違った。バイクを預ける時に別の場所の大型荷物セキュリティーチェックカウンターに案内され,そこでX線検査,寸法,重さなどを細かくチェックされた。成田からドーハまでのQR807便は予定が20分早まって22時に離陸した。
6月18日(2日目) ドーハ Doha 〜 フランクフルト Frankfurt am Main(飛行機)
現地時間(日本との時差はマイナス6時間)の3時25分にドーハに到着した。乗り継ぎのセキュリティーチェックもスムースに進んでさまざまなオブジェが彩っている超近代的なハマド国際空港 Hamad International Airportをしばらくぶらついた。洗顔と歯磨きをしたらサッパリした。しかし,まだフランクフルトまでは9時間かかる。空港内にはターミナル移動のためのモノレールが屋内を走っているのには驚きだ。
ドーハの朝日を翼に受けて,7時45分にQR67便はフランクフルトに向けて出発した。現地時間の13時05分(日本との時差は,サマータイムがあるので,マイナス7時間)にA350-900の機体はフランクフルト国際空港 Flughafen Frankfurt Mainに着陸した。
バイクを組み立てて地下ホームからのSバーン(近郊連絡電車)に乗った。この時間帯ではバイクをSバーンに置くのも楽々だった。ところが,時差ボケでぼんやりしていたためか,フランクフルト中央駅では危うく乗り過ごすところだった。親切なドイツ人がバイクを下ろそうとする我々のためにドアー開のボタンを押していてくれた。15時すぎにフランクフルト中央駅 Frankfurt Hbfにたどりついた。予想していたよりも気候は暑く,はやくもビールを求めて喉が鳴る。
3回目の投宿となる駅前ホテルのHotel Topasにチェックインして明日のドナウエッシンゲンまでの列車の切符を求めに駅に戻った。自動券売機でクレジットカードを使おうとしたがなぜか2社のカードともに使えなかった。おまけに自動券売機で使える小額紙幣も十分でなかったのでドイツ鉄道 DBのカウンターに並んだ。請求された料金にはカウンター手数料が含まれていた。次に利用する前には小額紙幣(10,20ユーロ)をたくさん準備しておこう。明日からの旅に必要な小物を買おうと街に買い出しに出かけた。が,スーパーもデパートもどこもお休み。そうだ,今日は日曜日だった。駅中のスーパーでようやく洗剤とシャンプーが買えた。
一旦ホテルに戻り,出直して,マイン川まで散歩してお腹を空かせることにした。2014年に訪れたときは工事中だったレーマー広場 Römerの歴史博物館 Historisches Museumも立派な姿を見せていた。ホテルにもどる道すがら,駅前で開いていたお馴染みのスーパー REWEに入ったら日本人女性に出会った。聞けば駅の近くにオープンした東横インの手伝いに来ている社員さんだった。朝食は味噌汁のご飯を出すと言うので次回には利用してみようかとカミさんと話しながらホテルに戻った。
ホテルの部屋で買ってきた食材で夕食を取った。成田からのフライトで機内食が3回出たが,機内での運動不足でお腹がパンパンに膨れてしまったがビールは欠かせなかった。
旅の始まりで驚いたことがある。それはカミさんの積極的な姿勢だ。3回目のドイツ自転車旅で慣れたのだろか,片言のドイツ語と英語で買い物もスムースに進めてくれる。聞いてみると「あなたが歳とって,耳の聞こえが悪くなって聞き返すことが度々あるのでバックアップしているのだ」とのこと。今回の旅は楽ができそうだ。
6月19日(3日目) フランクフルト Frankfurt am Main 〜 ドナウエッシンゲン Donaueschingen(電車)
やはり時差の関係で3時半頃に目覚めてしまった。7時半に朝食をとる。相変わらずチーズもハムも美味い。道中で食べられるようにサンドイッチを,そっと,作って持参することにした。9時過ぎにホテルを発った。その際にフロントでお願いしたらコーヒーをポットに入れてくれた。ダンケシェーン Danke schönである。快速電車 REは定刻の10時10分にフランクフルト中央駅を出発した。これからマンハイム中央駅 Manheim Hbf,カールスルーエ中央駅 Karlsruhe Hbfと乗り継ぐ5時間の旅だ。カミさんも期待に胸を膨らませてフランクフルト中央駅のスケッチにコメントを記した。
カールスルーエを出ると列車は登りに差し掛かり,岩山とトンネルを抜けて鬱蒼とした森を縫って走る。このあたりが黒い森 Schwartzwaltだろうか? アウトドアー腕時計でみると標高は650mを示していた。
15時14分に電車はドナウエッシンゲン Donaueschingen駅に到着した。予約しておいたホテル Zum Hirschenに投宿して,ドナウの泉と明日のスタート地点を見に行くことにした。
ドナウ川自転車道 Donau Radwegのスタート地点の近くのビアレストラン Fürstenberg-Bräustübeの前にある泉はドナウの泉とは違うようだ。屋外で美味そうに客がビールを飲んでいる。ドナウ川自転車道のスタートを示す標識の下に立って明日からの自転車旅に想いを馳せて気合いを入れる。
市教会 Stadtkirche St. Johannから階段を降りるとドナウの泉 Donauquelleだ。標高678mと黒海までの距離2840kmの案内板がある。泉からは水が水泡とともに湧き出ていた。観光的にはここからドナウ川が始まるということだ。泉の先にはドナウエッシンゲン城 Schloss Donaueshingenが構えているが今日は城内の見学日ではなかった。この泉のそばに歌人の斎藤茂吉の碑があるというが気が付かなかった。
明日からのドナウ川自転車道を散歩してみた。日本語で「斎藤茂吉の道」の案内板があったので公園 Fürstlich Fürstenbergischer Parkの中を走る自転車道を歩いてみた。すると1910年に建立されたドナウ聖堂 Donautempelがあった。ここから先ほどの泉の水がブリガッハ川 Brigachに注いでいた。その先にも足を伸ばしてみたが,これまた,斎藤茂吉の道がどこか分からなかった。
公園を途中で抜けて泉に戻ってくるとドナウの泉の案内板に出た。ここでモーターバイクのライダーにツーショットを撮ってもらった。カミさんは黒海の河口を指しているが我々のドナウ川自転車旅の終点は途中のウィーンなのだ。
さらに街を散策する。出会ったのは1910年に建てられた市庁舎 Rathausだ。建物の前には五重奏者の像の噴水がある。宿に戻る途中で自転車屋があったので,飛行機での運搬で破損してしまった,カミさんのバイクのベルとスポークレンチを買った。スポークレンチ(ニップル回し)を買うときにはドイツ語がわからないので身振り手振りのボディーランゲージを混じえてながら会話した。
ホテルに戻り自分のバイクに,輸送中に外しておいた,バックミラーを取り付けた。が,小さなナットを落としてしまって二人でガレージの床に這いつくばって探す羽目になった。
夕食はホテルの食堂で,お決まりの,ビールとサラダと農家風ソーセージを二人でシェアして食べた。我々にはこの量で十分なのだ。
今回の旅でも「時速15キロの旅」(須山 實,2003,東京書籍)を大いに参考にした。「シルバー夫妻のきままなヨーロッパ・サイクリング記」(高桑 明,2014,風詠社)も少し参考にしたがこの本は酷く罪深い本だった。日本語で書かれた地名はとても理解し難いもので,到底ドイツ語圏では通用しそうもない代物だ(利用するときにはbikelineの地図を傍らに置いて,ドイツ語の地名を「英語風」に読んでみると多少理解の度合いが向上するかも?)。
6月20日(4日目) ドナウエッシンゲン Donaueschingen 〜 ミュールハイム Mühlheim an der Donau 55.82km
8時50分にホテルを発って昨日のドナウ川自転車道のスタート地点に向かった。そこで観光ガイドさん(?)にツーショットを撮ってもらいドナウ川自転車旅を始めた。
フュルステンベルク公園 Fürstlich Fürstenbergischer Parkの中をルンルン気分で走る。前を行くライダー達はどこまで行くのだろうか。ドナウ川合流点に行く道を間違ってしまう。カミさんのリードで案内板に書かれた昨日の斎藤茂吉の道の方向を再び目指す。
その後もコースをロストしてようやくアウトバーンの下にあったドナウ川合流点 Donauzusammenflussに到着する。やれやれ,初っ端からこれじゃ先が思いやられる。左からのブリガッハ川 Brigachと右のブレーク川 Bregが合流してここからドナウ川 Donauが始まる。ここはまだドナウの泉から2.5kmの地点だ。
川藻が透き通って見える綺麗なドナウに沿ってペダルを漕いで進む。教会の時計塔に作られた巣からコウノトリが我々を見送ってくれる。下り坂ではカミさんが帽子を飛ばさんばかりの勢いで快調に下って行く。畑の中を遠くに森と山を眺めながら進む。日本じゃ北海道くらいでないと到底味わえない景色だろう。初日から好天に恵まれて頭はすっかりカラッポの状態だ。おかげででサインを見逃してUターンするという醜態をまたも繰り返す。
それでも遠くに街が見えて来た。ガイジンゲン Geisingenだ。街の入り口の御馴染みのスーパー EDEKAで飲料水を買い,ついでにアイスクリームで涼を取る。今年のドイツ南部は暑い,暑い! カミさんはご機嫌で「エエでっか?」などとEDEKAの ダジャレを飛ばしたりする。
屋根付きの橋を渡ったりしながら自転車旅は川と付きつ離れつで進む。インメンディンゲン Immendingenの先ののどかな田園地帯を走っていくと同じホテルに同宿したライダー達がお昼を食べている。彼らが何かを指差す方をみると,あれぇ〜ドナウ川が無いじゃん。 ドナウは川床の石灰岩に吸い込まれて(Donauversickerung)地中を流れているところだとか。季節によってドナウの水嵩は0mから4mと変化するようだ。ドナウはメーリンゲン Möhringenの手前で再び水面を現した。
メーリンゲン城の木陰で一休みして街を抜けてさらに旅を続ける。
トゥットリンゲン Tuttlingenの公園でランチタイムとした。インスタントみそ汁で発汗で失われた塩分を補給した。今回の旅は長いので梅干し,インスタント味噌汁,アルファ米のご飯などの日本食を用意してある。しかし,暑い。こんなはずじゃなかった。
今日の宿泊予定地のミュールハイム Mühlheim an der Donauが見えてきた。時刻は一番暑くなる2時だ。我慢できなくて路傍のスナックでビールを飲む。
地図を頼りに宿探しの情報を得るためにℹ(ツーリストインフォメーション)を探して進む。と,この旅の最初の激坂に出会う。坂の上にあったℹの男性がホテルを当たってくれるが3時過ぎでないとフロントが対応しないという。しばらく待って紹介してくれたいくつかのホテルは高かったり満室だったりだった。それでサイクリストであることを説明したら,彼の知人が管理人のサイクリススト向けのペンションを紹介してくれた。ℹを閉めちゃって管理人のいる近所の床屋さんに連れて行かれ,管理人と一緒にペンション Gästhaus Theresiaを見せてくれた。十分な宿だったのでオーケーして自転車もペンション内に保管してもらった。旅の日課となっているシャワーと洗濯を済ませてやれやれ旅の初日に無事に宿が取れてよかったよかった,とホット一息つく。高台(Oberstadt)にあるこのペンションから下町(Unterstadt)のスーパー EDEKAに夕食の買い出しに出掛けた。ドイツでペンション Pensionと言うと,部屋は数室の朝食がついた料金の安い宿を意味する。ペンションを含めて,ホテル,個人宿,休暇向け宿,ガストホーフ(レストラン付きの宿)など夕食は付かない。夕食付きの宿泊施設はユースホステル Jugendherbergeくらいだ。
どうも地図がうまく読めない。またまた方向音痴になってカミさんがスマホで調べたEDEKAが見つからない。諦めてカミさんのリードに任す事にした。なんだ,スーパーマーケットはさっきビールを飲んだスナックの近くじゃないか。スーパーの買い物でまず忘れてならないのは当夜と翌日の飲料水だ。そしてビールとハム,パン,サラダを買ってペンションの部屋で夕食をとった。おつまみは持参したサキイカと小魚&アーモンドだ。この暑さを美味いビールで癒すのは今日は二度目だ。
6月21日(5日目) ミュールハイム Mühlheim a.d. Donau 〜 ジクマリンゲン Sigmaringen 54.27km
6時起きたので早朝のミュールハイムを散歩した。上町 Oberstadtは歴史地区になっているそうだ。木組みの家並みや市門が残っている。 そういえば,宿の隣には城 Vorderes Schlossが建っていた。
朝食を準備してくれたお婆さんはウィーンの出身だという。我々が3泊すると話したら,ウィーンは1週間は滞在した方が良い,と勧めてくれた。9時に宿を発った。今見ているドナウ川はまだ美しき青きドナウで川床には梅花藻のような花がいっぱい咲いている。 コースはドナウ谷 Donautalという九州・大分県の耶馬渓のような奇岩の景色の中を走る。
激坂を登り詰めたボイロン Beuronでノアの像が出迎えてくれた。ここでドナウエッシンゲンの宿で一緒になり,昨日も「ドナウの浸み込み」で出会った5人組の婦人達のライダーと再会する。彼女らは激坂をようやく制してゼイゼイハァハァの状態だ。我々の元気な姿をみて「あんた達は電動バイクか」と聞いてくる。塩レモンキャンデーをおすそ分けしてあれこれと話をしながら休息する。彼女らはドナウエッシンゲンからパッサウまでを2週間で走るという。バイクは旅行会社のレンタルでお揃いだ。ドイツの有名な自転車道をこのようにレンタルバイクで走る団体さんはあちこちで出会う。自転車旅がごく普通のアクティビティになっているのだ。
彼女らに先行して出発してドナウ谷を進む。前方にヴァーレンヴァーク城 Schloss Warenwagが見える。
ハウゼン Hausen im Talのキャンプ場を過ぎて,砂利道の二股に据えられた道標に従って山道を登る。ところが行けども行けども次の道標が見つからない。カミさんはバイクを降りて押し歩きになってしまった。どうやらさっきの二股を直進するのが本コースだったようだ。またまたミスコースだ。道標の立て方に問題があるのか自分の早とちりなのか? 汗水流して登った山道を降りて正しいコースに戻る。と,カミさんが「お腹が空いた」と泣き言をいう。「さっき,一休みして何か補給しようかと訪ねた時は大丈夫と答えたのに」とカチンとぶつかり合いだ。この諍いはこれ以上に発展せずに終わってやれやれ。
ドナウ川べりのノイミュール Neumühlでレストランを見つけてランチをとる事で和解する。歯ごたえのある農家風ソーセージと焼き餃子のようなマウルタッシェン Maultaschenをビールで流し込んだ。マウルタッシェンは南ドイツの郷土料理とも言えるものだ。水餃子のようなマウルタッシェンにもお目にかかった。
ジクマリンゲン Sigmaringenの手前の水辺公園で一休みする。まだまだ陽は高く,気温も高い。
3時半にジクマリンゲンに到着してℹ️で宿を紹介してもらうがどこも満室だという。4時過ぎにもう一度来てくれと言われ,再訪したらようやく最後の一室がゲットできた。大きな街のわりには宿泊施設が少なすぎる。宿はGasthof Zum Alten Fritzで屋根裏部屋だが快適だ。投宿すると夕立が来た。危ういところだった。
日課のシャワーと洗濯を済ませて街の散策に出かける。ジクマリンゲン城 Schloss Sigmaringenは外観を見るだけでパスする。ドナウ川に映える城が絵葉書のように見える。帰りしなにタクシーの中から昨日の5人組の婦人達が我々を見つけて,ハロー,ハローと声を掛けてくれた。彼女らとはそれ以来パッサウまで出会うことは無かった。
夕食はビール,ピッツァとサラダを買って来て宿で食べる。ここで,カミさんと再びツーリングでの休息と補給食をめぐっての口喧嘩が始まった。エネルギー補給は好き嫌いよりもカロリーだ,と諭すがどうにも聞き入れない。日本と違ってそこら中にコンビニがある訳ではなし,との我が意見も「嫌いなものは嫌い」でケリがつけられてしまった。それにしても今日はアップダウンの多いキツイ行程だった。
6月22日(6日目) ジクマリンゲン Sigmaringen 〜 ムンダーキンゲン Munderkingen 64.02km
さんざん待たされて8時過ぎにようやく朝食が取れた。宿を発って10時半頃にメンゲン Mengenの街中を通過した後はトウモロコシ畑,麦畑と牧草地をひたすらに走る。見事なまでに市街地を外したコース設定だ。今日も一日中クソ暑いというのにおまけの虫刺されに閉口した。
ドナウ川の向こう岸(左岸)にフンダージンゲン Hundersingenの街並みが見え隠れして,やがて丘の上にフライリヒト博物館 Freilichtmuseumらしき建物が見えてきた。川岸では中学生らしい集団が野外授業を受けている。
どうにもこうにも暑いのでビンツヴァンゲン Binzwangenのサッカー場脇の木陰でランチをとる。味噌汁が美味い。ドイツではサッカー場はどこでも芝生で,日本ように,土や人工芝のピッチなど皆無だ。羨ましい限りだ。先ほど野外授業を受けていた連中がバスから降りて来てサッカー場のレストランでランチにするようだ。
牧草地を進んでいくとツェル Zellの村外れにコーラなどの自販機を見つけた。ドイツ自転車旅で初めての体験だ。オレンジジュースを飲んで一休みを入れる。
ツヴィーファルテンドルフ Zwiefaltendorf では鉄橋を渡ったが,これが列車がすぐ脇を通過するという怖い代物だった。列車に出会わなかったのは幸いだった。
ダットハウゼン Datthausenの村外れでは斜度15%にもなろうかという激坂を登らされた。先行してバイクを頂上に置いて戻りカミさんに代わってバイクを押し上げるという献身的な努力をしてようやくのことに激坂を制した。坂の頂上には休息所と泉が村人によって設えられていて,クタクタになったライダーを蘇生させる魔法の水が吹き出ていた。
再び鉄道に沿って走り,レヒテンシュタイン Rechtensteinでドナウ川を渡る。頭上にはホーヴァルト城 Burg Hohwartが聳えている。
オーバーマッハタール修道院 Münster Obermachtalを望みながらサッカー場脇の坂を登り,50分ほどで宿泊予定地のムンダーキンゲン Munderkingenに入る。
ムンダーキンゲンに着いたものの,市庁舎 Rathausのℹはこの時刻(3時20分)にはクローズしていたので別のℹを訪ねる。が,こちらもクローズである。bikelineの地図の巻末の宿泊施設リストと拡大地図を頼りに探した宿はRahhaus脇のお菓子屋のHotel Garni Cafe Knebelだ。
日課を済ませてドナウ川を渡った所にあったスーパーEDEKAで明日の飲料水を求めた。カミさんは2回目のドイツ自転車旅で,スーパーはだいたい街の外れにある,という法則を主婦の勘を働かせて見つけ出している。市街に戻りあたりを散歩すると,あちこちにコウノトリのオブジェがある。市庁舎の上には本物の大きな巣が乗っている。その市庁舎脇のカフェレストラン Melberで夕食をとった。お好みのデュンケルビールをゴクゴクと干し,サラダと「子どもと高齢者向け」とメニューに書いてあったシュニッツェル(薄いトンカツ)をとった。今日の単調なコースはこのビールを美味しく呑むために用意されていたようなものだ。
宿に戻ると夕立とともに雹が降ってきてベランダを白く模様替えしたのには驚いた。
6月23日(7日目) ムンダーキンゲン Munderkingen 〜 ブラウボイレン Blaubeuren 40.16km
今日はメインルートを外れてバリエーションルートのブラウボイレン Blaubeurenを訪れて見る予定だ。
車道の両脇には自転車専用道路があり,我々は右の自転車道を走った。しかし,反対側の自転車道に左折標識があり,この標識を見落として真っ直ぐ進んでキルヒェビアリンゲン Kirchebierlingen村に進入してしまった。同じミスをしたドイツ人のライダーがいて,目の前で村人に道を尋ねていた。脇で聞いていると本コースに戻るには複雑なようなので我々は引き返すことにした。この標識の建て方じゃ間違うよなぁ。
エーインゲン Ehingenで小休止をとって10時のおやつにケーキを食べる。
その後で街をぶらついたり聖ブラジウス市教区教会 Stadtpfarrkirche St. Blasius,木組みの家,市壁 Stadtmauerなどを覗いた。なかなか趣のある街だ。
エーインゲンから脇のルートに入りブラウタール Blautalに進む。遠くにアルメンディンゲン Allmendingenの工場を見ながら走り,途中の,これまたお馴染みの,スーパーマーケット REWEのパン屋でランチをとった。パンの種類の多さにはビックリする。外に出たら,4頭の馬を連れた二人の旅人(?)に出会った。
ブラウボイレン Blaubeurenまでは40キロメートルと短かったので2時には到着した。で,先史博物館 Urgeschichtliches Museumでお勉強をしてからホテル Hotel Ochsenにチェックインした。ところで,このホテルは ネットで6700円とあったので予約したのだが,なんと,税とサービス料が3000円もプラスされた料金を払わされた。これって,普通デスか?!
日課の後でブラウボイレンの街の散策に出た。24mmレンズにも収まりきれないほどの1429年創建の大きな家 Große Haus,1483年創建の小さな大きな家 Kleines Großes Haus,市庁舎 Rathausや市教会 Stadtkirche St. Peter und Paulを見て巡る。
お目当ての青の壺 Blautopfのそばにはベネディクト修道院 Benediktinerklosterがある。内部の観覧はパスして青の壺に向かう。
蒼の壺 Blautopfは,そう,青森県の白神山地にある十二湖の青池だ」。でもこの泉の底は地底湖や鍾乳洞があるそうだ。さっき先史博物館で見たプロモーションビデオがそう言っていた。見る角度によっては確かに青の壺だ。このくらいの観光地なら泊まらなくてもよかったかな?
まだまだ明るい9時と遅い時間にホテルの屋外レストランで夕食をとった。混んでいるのでドイツ人の夕食ってこの時刻なのだろう。我々も慣れなくてはいけないかな。
6月24日(8日目) ブラウボイレン Blaubeuren 〜 ウルム Ulm 23.97km
コース上の青の壺から発するブラウ Blau川に沿って舗装道路や砂利道を走り,2時間ほどでウルムに着いた。
まずウルム市民センター Stadthaus Ulmにあったℹで市街地図を手に入れて予約してあるホテルを探す。週末の土曜日とあってか,街は人並みでごった返していた。ホテルを探して街中をウロウロする。
ようやくホテルを見つけてチェックインしようとすると,予約リストに無い,と言われる。予約の証をスマホで見せると隣のホテルだと言われた。尋ねたところはibis Hotelで予約したところはibis Bugdet Ulm Cityだった。よくみればibis Hotelは赤の,ibis Bugdetは青の看板を掲げている。部屋のキーは無く,暗証番号を入力するシステムだ。部屋はダブルベッドに2段のエクストラベッドを設えている。シンプルすぎるほどの作りだが,寝るだけだから良しとするしよう。このチェーンホテルはこの後で何回か利用することになる。バイクを保管する部屋も地下駐車場に用意されていた。
荷物を置いて徒歩でウルム市街の散策に出かけた。市街地はホテルから離れているが徒歩でも問題なく往復できる距離だ。まずは大聖堂 Münsterだ。1355~1890年に建てられた161.53mの世界最高の塔をもつウルム大聖堂の塔を攻略すべく勇んで入場した。
768段の狭い階段を登り141mの展望台に登る。最後の階段はすれ違うのも一苦労するほどの狭さでその上に急な傾斜だ。その苦労が報われる素晴らしい景観を眼の前にして「すごい,すごい」の言葉しか出ないほどだ。だが,さすがに脚が疲れた。
尖塔を攻略してホッとしたらお腹が空いてきたので焼きソーセージ Bratwurstとパンを頬張りながら,漁師の一角 Fischerviertelの繁華街を散策する。
ここの名所に傾いた家 Schiefes Hausがあり,今はホテルになっている。
現在はウルム市歴史資料館 Haus der Stadtgeschichte-StadtarchivになっているシュヴェアハウスSchwörhausには17世紀のウルムの地図,18世紀の「ウルムの仕立て屋」アルプレヒト・ルートヴィヒのグライダーの模型(当時は飛べずにドナウ川に落ちてしまった)やウルムの生んだ物理学者アインシュタインの手紙などが展示されていた。
鮮やかに彩られた市庁舎 Rathausや近代的なガラスのピラミッドの図書館を眺めながら肉屋の塔 Metzgerturmから市壁 Stadtmauerを潜ってドナウ川べりに足を延ばす。 あたかも今日はお祭り(ライオンズクラブチャリティー)で,馬上槍試合ならぬ,船上槍試合がみられた。我々は初めて見たこの船上槍試合の結果に他の観客もヤンヤの喝采を送った。
その後は,パン文化博物館 Museum der Brotkulturを見学した。パティシエの二男が見たらどんな反応を示しただろうか。
5時を過ぎたのに陽は高く,まだまだ暑い。再びドナウ川べりに足を延ばし,私たちもお祭りに混じった。シュヴァーベン風マウルタッシェン Schwäbische Maultaschenとザウアークラウトとパスタの炒め物 Krautschupfnudelnを買ってビールとともに食べた。ビールにピッタリ合った郷土料理にすっかり酔い痴れた。更にカミさんの「初めてのお使い」でカレーソーセージ CurrywurstとフライドポテトPommesそして,またまた,ビールを買いに行く。酔いが回ったところに宝くじ(2ユーロ投資して外れ)を売りにきた。カミさんが腕によりをかけて引いてみたが残念ながらスカだった。ウルムの夏を十分に堪能した1日だった。これぞまさに行き当たりばったびの自転車旅の醍醐味だ。
6月25日(9日目) ウルム Ulm 〜 ディリンゲン Dilingen an der Donau 61.58km
朝食は7時と言われてのだが階下に降りてみるとみんなが食堂の外で待っている。30分してようやく朝食にありつけた。今日は日曜日なので7時30分にオープンと書いてあった。
9時20分にホテルを発って昨日のお祭りのあったドナウ川畔の自転車道に乗り出した。ヴァイシンゲン Weißingenあたりから森の中の砂利道を走る。自転車道は堅く締まっていて走りにくいことはない。
ウルムから2時間ほどで着いたギュンツブルクGünzburgもお祭りだった。
で,白ソーセージ,サラダとビールでランチをとる。ビールは小さいやつを2つ頼んだのに10ユーロ出しても不足だと言われて17ユーロ払わされた。ジョッキの保証金を入れてもそんなに高くないはずだ。どうも納得がいかないが意思疎通がうまくいかず倍の料金を払ってしまう。ドイツ語が十分に喋れず,気の弱い自分が情けない。
気を取り直してグーテンベルク印刷機やハンマー叩きゲームで遊ぶ。古希を迎えようとする爺さんには少々荷(ハンマー)が重過ぎたようだ。
オフィンゲン Offingenの原発を横目に見てペータースヴェルト Peterswörthでトイレタイムをとりながら休息する。日本のようにどこにでもコンビニがあるという状況ではないので高齢者の自分にはトイレは切実な問題だ。
3時半にラウインゲン Lauingenに入る。市庁舎の前の広場に自転車ライダー Radler向けにこのあたりのコース,ホテル,見所などの大きな案内板が立っていた。ここは素通りして隣のディリンゲンで宿探しをすることにする。
宿泊予定地のディリンゲン Dillingen an der Donauのℹは日曜日で休みなので自力で宿探しをしなければならない。ℹの外に掲示されている宿泊施設の地図をiPadに写してbikeline地図帳の巻末リストを比べながら候補に挙げた宿を探してあちこちウロウロと自転車で走る。
通りかかった現地の人に尋ね,その人はまた施設の人に尋ねてようやくのことにフランシスコ会宿泊所 Gästehaus der Franziskanerinnerの扉を開けてもらってシスターに出迎えられた。ドイツ人の旅人に対するこれでもかというほどの親切に感謝,感謝である。部屋にはテレビもなく,キリスト像と聖書があるだけだがとても落ち着ける部屋だ。
日課の洗濯を済ませて夕食がてらに街を散策する。学術教会 Studienkircheと”黄金の間”付きの元大学 ehem. Universität mit “Goldenem Saal“の立派な建物だ。現在はアカデミーもしくは研究所なのか?
かつての領主司教の館であったディリンゲン城 Dillinger Schlossの入口のレストランTeo’s Schlosswacheで夕食とする。バイツエンビールの黒で牛肉にチーズを絡めたジロス Gyrosとサラダをいただく。ジロスはしょっぱい味だがビールにとても合った。お隣では聴覚障害者のグループが手話でおしゃべりしながらピッツァなどの料理を楽しんでいる。手話もドイツ語なんだろうな。帰りしなに強い薬草のリキュールをサービスされる。 今日は涼しくかったが,アウトドアー腕時計の気圧計と空模様を気にしながらの旅だった。幸いにも降られなかった
6月26日(10日目) ディリンゲン Dillingen an der Donau 〜 レンナーツホーフェン Rennertshofen 71.60km
テレビもネットも無い静謐なフランチスカ修道会ゲストハウスを出発する際にお世話になったシスターに折り鶴をプレゼントした。ディリンゲンを発つ前に,どうも気になる,学術教会を調べようと中に入って見たがどうにも解らずに諦めて出発する。後日,ネットで調べたら,黄金の間の見学は週末ならできるとのこと。いまだに学術教会がどんなものかは分からずじまいだ。
小一時間でルネサンス様式の姿を見せるヘヒシュテット城 Schloss Höchstädtに着くも月曜日で休館だ。
麦畑やらカブ畑の中をひたすらドナウヴェルトに向けてペダルを漕いで進むと大きな堰に出会った。その先にあった大きな工場はエアバスのヘリコプター工場だった。ドナウヴェルトの街に入ったようだ。
今日の昼はドナウヴェルト Donauwörthでとる。ここは4年前にロマンチック街道自転車道の旅で訪れたところだ。その時に泊まったホテルも健在だった。
ヴェルニッツ川 Wörnitzの中の島に戻ってイタ飯屋 Raffaeloでサーモンとトマトのパスタとサラダとおきまりのビールでランチをとる。カミさんもデュンケルビールが気に入ったようだ。甘さと苦味と香ばしさがミックスされたデュンケルは自分も大のお気に入りだ。
3時に,現在は,ホテルになっているライトハイム城 Schloss Leitheimを見ながら休憩をとる。この暑さではビールの酔いが醒めにくい。近くをみると懐かしいロマンチック街道の道標(自動車用)がある。このあたりのロマンチック街道自転車道はどこを通っているのだろうか。
マルクスハイム Marxheimを抜けると自転車道はドナウ川の堤防を走る未舗装路となった。ドナウ川の河口まで2,494kmだ。標識には2494,0とあるがドイツ語の数字ではピリオドとカンマを英語・日本語のそれとは逆に使っているのでちょっと戸惑うことがある。
予定したベルトルスハイム Beltoldsheimには泊まれるようなホテルはなく,次の街レンナーツホーフェン Rennertshofenまで足を伸ばすことにした。それほど大きい街ではなく,ここには宿泊施設は一軒しかない。探し当てたホテル Hotel Landhotel Herrenhofは89ユーロと高い。時刻は4時半だが次の街まで1時間も走れば行けるが,すでに70kmを走っていて疲れ気味なのでオーケーする。ホテルは最近になって改築したようでとても綺麗だ。だが,この街でこの値段でどれだけの利用者があるだろうか。
夕食はスーパーで買ったサラダ,ビールとアルファー米のワカメご飯で,ホテル代をリカバーすべく安上がりにした。さて,ワカメご飯の味はどうかな?
6月27日(11日目) レンナーツホーフェン Rennertshofen 〜 フォーブルク Vohburg an der Donau 59.69km
朝起きたら雨だったので雨具を用意してサンダルに履き替えて走ることにした。が,ラッキーなことにスタートする時は止んだ。少し涼しいのでアームカバーを着けて出発した。
ドナウ川自転車道の標識に従って進む。シュテパーク Steppergをすぎるとアップダウンが小刻みに続く砂利のコースに入る。今朝の初っ端からのこの試練には堪えたが,幸いなことに,雨上がりの涼しさに救われた。
11時にノイブルク Neuburg an der Donauに到着した。バイクを押し上げて下の市門 Unteres Torから上の旧市街 Obere Altstadtに入る。ノイブルク城 Schloss Neuburgに入場して中庭からバルコニーに出てみると,これはまた立派な,貝殻で壁や天井を飾った部屋を見ることができた。
カール広場 Karlsplatzに行って見るがお祭りはすでに終わってしまったらしい。広場には教会 Kath. Hofkirche,その脇の白い建物の市庁舎 Rathausと泉 Marinenbrunnenと教会というのが中世からのおきまりの姿だ。
旧市街を散策して赤色も鮮やかな上の市門 Oberes Torから大通りに出て学術教会 Studienkircheを見る。ここは1698年に創建され,1813年にはウルズラ修道院 Ursulinenklosterとなって現在は子供に教育を施す財団ということだ。大通りに出るとノイブルク城を下から見上げることができる。
ドナウ桟橋 Donaukaiのベンチでお昼のサンドイッチを食べた。若者が,いいとこを見せようとして,ドナウ川に飛び込んで遊んでいる。川の水は澄んで何やら魚の泳ぐのも見える。
ノイブルクを出るとまっすぐな自動車道が続く。自転車道もその脇の並木の木陰となって続く。 自動車道のロータリーで自動車道から分かれて自転車道に入ると1555年創建のグリュナウ狩猟城 Jagdschloss Grünauが姿を見せる。つぎの街はどんなかなと期待しながら進む。
2時半にインゴルシュタット Ingolstadtに入る。旧市庁舎 Altes Rathasuと新市庁舎 Neues Rathausが並んでいる。旧市庁舎のℹで地図 Stadtplanをもらって,わきの喫茶店で大カプチーノとケーキを食べながら散策のコースを検討する。
新しい城 Neues Schlossを外側から見て回る。現在はバイエルン陸軍博物館Bayerisches Armeemuseum になっている。屋外には何門もの大砲が陳列されている。
城を出て旧市街の中心の繁華街を歩き聖母大聖堂カトリック牧師館 Kath. Pfarramt Liebfrauenmünster und St. Morizを見ながら十字架塔 Kreuztorをくぐる。
インゴルシュタットは1818年にイギリスのメアリー・シェリーが著した「フランケンシュタイン」の舞台で「解剖学通り Anatomiestraße」にはドイツ医学史博物館 Deutsches Medizinhistorisches Museumがある。しかし,この街で2時間も過ごして4時半になってしまったので見学時間はギリギリしか無い。カミさんは,私は外にいるから見てきたら,と言うがこの先の街で宿探しをしなけらばならないので諦めた。かつて医学部の解剖学講座に席を置いていたこともあり,興味はあったのだが今晩の宿の方が大事である。
インゴルシュタットを出発して1時間でグロスメーリンク Großmehringの入口の火力・水力発電所を通過する。6時ちょっと前にフォーブルクが見えてきた。
フォーブルク Vohburg an der Donauに着いたのは6時を回っていたが,まだ陽は高く,カンカン照りだ。市庁舎の前に宿 Gasthof Stöttnerbräuが見つかって一安心だ。
日課のシャワーと洗濯を済ませて夕食を宿の野外テーブルでとる。ドイツでは夏場の食事は野外でというのがお決まりのようだ。8時半を過ぎているがまだまだ明るい。注文した肉料理とビールの美味しさを堪能した。今回の自転車旅で初めて落ち着いて食べられた夕食だった。ちょっと残念なことは後ろのテーブルで電子タバコをモウモウと煙を吐き出しながら吸っていることだった。ドイツでは喫煙率がとても高いと感じた。室内は禁煙だから野外での喫煙はしょっちゅう見かけた。女性の,老いも若きも,喫煙率の多さには驚きだ。東京都内でも路上の喫煙を禁止しているところもあるというが来たる東京オリンピックではタバコを吸う外国人はどうするのだろうか?
6月28日(12日目) フォーブルク Vohburg a.d. Donau 〜 レーゲンスブルク Regensburg 90.18km
地図が示すドナウ右岸の本コースは自転車専用道路だが未舗装となっているので左岸のルートを走ることにして9時にスタートする。コース上に迂回路の道標が出てきたのでそれに従って進む。やがて,無事に,本コースに戻れた。白い花をつけたジャガイモ畑の中を走り1時間でプフェリンク Pförringの,これもお馴染みとなった,スーパー NETTOで飲料水とサンドイッチを買う。出がけに小雨が降ってきて雨支度をするがすぐに止んでしまったのでレインウェアーを脱いで再びパニアーバッグに仕舞う。やがて左岸のコースは橋を渡ってノイシュタットに入る右岸コースに合流した。
30分ほどで道路工事中のノイシュタット Neustadtに入る。ここでバイクの後方で異音が出ているのに気付き,見て見ると荷台を留めるボルトが抜け落ちていることを発見した。市庁舎の前で街の人に近くにバイクショップを教えてもらいボルトを取り付けてもらう。工賃ともに1ユーロであった。
ノイシュタットを発って1時間半ほどのヴェルテンブルク Weltenburgの手前で雨にふられるが,船着場に着いた時は止んでいた。ここから「ドナウの裂け目 Donaudurchbruch」というドナウ川の狭隘部を抜けてケルハイム Kelheimまでの川下りの船旅をすることにした。タイミングよく船の出帆に間に合ったはいいがヴェルテンブルク修道院 Kloster Weltenburgを見逃してしまった。修道院は610年に創建され,1050年に創業した世界最古のビール醸造所と付属教会の祭壇で有名だという。祭壇はともかく,「バロック・デュンケル」ビールを逃したのが悔やまれた。
ドナウの裂け目の両岸には断崖絶壁が迫りスリル満点だった,という光景を想像していたが船上で悠々とランチを取るほどの拍子抜けした川下りだった。20分の船旅で船はケルハイム Kelheimに接岸した。
とりあえず,バイクを屋根付きの小屋に格納する。このような施設は日本ではお目にかかったことはないな。計画ではケルハイムで宿泊だったが,街を散策して見るが我々にとってはそれほど魅力的な街でもなさそうだ。
山上に見える1815年創建の開放記念堂 Befreiungshalleへのヒルクライムもこの暑さではパスだ。今日ここまで走った距離は35kmだ。まだまだ陽も高いのでレーゲンスブルクまでの40kmを一気に足を伸ばすそうということにした。
ケルハイムのドナウにはライン川−マイン川−ドナウ川運河 Rhein (Ludwig)-Main-Donau Kanalが合流している。それで,貨物船や豪華な客船が行き来するほど大きなドナウ川に成長している。かと思うと浅瀬ではまだ「美しき青きドナウ」が保たれていて水浴びしていたりする。
追い風に乗って,カミさんの時速30kmにもならんとするスピードの素晴らしいリードでブッ飛ばす。レーゲンスブルクに近づいてもドナウ川の大きなカーブに沿わされてなかなか中心街が見えなくて焦る。ようやくレーゲンスブルク Regensburgの旧市庁舎 Altes Rathasuの市庁舎広場 Rathausplatzに着いたのが4時半だった。現在は帝国議会博物館 Reichstagsmuseumになっている旧市庁舎にあるℹで宿探しをお願いするが旧市街の宿泊施設はとても高い。個人宿なども当たってくれたがいずれも満室の状態だ。やっと市外のホテルを予約してもらい行ってみた。しかし,フロントでは満室だと言われて宿泊を断られてしまった。ℹに戻って再び探してもらって,ようやくのことにドナウを左岸に渡った2.5km先の自転車旅行者向けのペンション Pension Holzgartenをなんとか予約してもらえて一安心だ。自転車だと2,3キロ離れた宿への移動など何でもないがトランク抱えた個人旅行ではタクシー利用だろうな。
ところで,マクデブルクの半球 Magdeburger Halbkugeln をご存じだろうか。1654年5月8日に(我々がこれから訪問するエルベ川の都市)マクデブルクの市長であったゲーリケが大気圧(空気の重さ)を示す実験を公開した場所がこの帝国議会堂の前であった。レーゲンスブルグの半球と呼ばれずに市長に敬意を払ってかマクデブルクの半球と呼ばれている。
シャワーを浴び,ドイツ最古の石橋 Steinerne Brücke(1135〜1146年建造)を渡り戻してレーゲンスブルク旧市街に空荷のバイクで出かけた。ℹの脇の市庁舎付き酒場 Ratskellerに入り,先ずは4種のビールを試した。自分もカミさんもデュンケルビールが一番美味かったので大ビールを追加注文した。おつまみのソーセージ盛り合わせとサラダでカミさんの64回目の誕生日を祝った。カミさんは3回のドイツ自転車旅で3回も誕生日を迎えている。
世界遺産の街のレーゲンスブルクはどこをとっても絵になる。旧市庁舎広場からハイト広場 Haidplatzをブラブラし,暮れなずむクラム小路 Kramgasseからちょっぴり望める大聖堂 Domの尖塔を見つけたりしながらウィンドウショッピングを楽しんだ。
三たび訪れた石橋からは素晴らしい夕焼けがみられた。この夕焼けが見られた時刻は21時15分だ。
計算では73kmほどの旅程だったが実際の走行距離は90kmになっていた。カミさんの体力のおかげでこの距離も十分に走りきれた。
6月29日(13日目) レーゲンスブルク Regensburg 〜 シュトラウビンク Straubing 56.98km
世界遺産の石橋からみた昨夜の夕焼けはあんなに綺麗だったのに朝起きたらザンザンブリの雨。まさに市名のとおりだ(Regen 雨,Burg 城)。それでも大聖堂 Dom St. Peterを見学すべく,またまた,石橋を渡り旧市街に向かう。この石橋のたもとに世界最古のソーセージ屋 Historische Wurstkücheがあるとガイドブックにあるが気がつかずに素通りしてしまう。
大聖堂の内部を観覧する。ステンドグラスが仄かに祭壇を照らす光景はとても神々しい。昨晩泊まった宿で知り合ったチェコからきた夫妻はここでオルガンコンサートを聴いたと話していた。歴代の司教の墓(?)も見てみた。
地図を頼りにトゥルン・ウント・タクシス城 Fürst Thurn und Taxis Schlossを探しながら旧市街を歩き回る。城に着いたが館内の観覧はガイドツァー付きのみということで大勢の観光客が待っている。ここはパスすることにした。
城を出て聖エメラム修道院 Kloster St. Emmeramや福音教会 Neupfarrkircheを見ながらハイト広場のソーセージスタンドで軽く昼食をとる。
大聖堂に戻って停めておいたバイクで旧市街から石橋を渡った中の島のシュタットアムホーフ Stadtamhofを走る。ここも世界遺産になっていて1220年創建の旧聖カタリナ慈善病院 St. Katharinenspitalがある。しかし,雨の中で先を急ぐのでこれもパスした。
レーゲンスブルクから45分ほど走ると山上にヴァルハラ神殿 Walhalaが現れた。ここも雨のヒルクライムは嫌でパス。
2時には雨も止んだ。フレンクコーフェン Frengkofenで一休みを入れた。小さな公園に置かれたナマズと少年の像が面白い。
シュトラウビンク Straubingがみえてきた。ℹのすぐ側の自転車旅行者向けのホテル Gasthof Bischofshofに投宿した。が,昨日と同様にインターネットが使えない.。
日課を済ませて夕食に出掛けながら街を散策した。シュトラウビンクは,思いもかけず,素敵な街だった。街は第二次大戦で壊滅したが,今はこんなにすばらしく復興されている。街外れのドナウ河畔に公爵城 Herzogschlossがあった。
街の入り口まで戻ってきたところで前を行くEDEKAの袋を下げたおじさんを見つけた。カミさんの鼻がスーパーマーケットを探し当て,飲料水をゲットした。雲が多くなってきたので近くのレストランに入った。カミさんは餃子の皮で作ったような大きなボウルに乗ったシュリンプサラダを,自分はパプリカ味のチキン&ケチャップ入りチーズ焼きを注文した。もちろんデュンケルビールも忘れずに。食事の途中で肌寒くなってきて路上のテーブル席から室内に移動した。
宿に戻り,今日の雨の走行で汚れた自転車の清掃,注油をした。ケルハイムの宿泊をやめてレーゲンスブルクに足を伸ばし,さらにレーゲンスブルクの宿泊を1日少なくしたので予定に2日の空きができた。
6月30日(14日目) シュトラウビンク Straubing 〜 ニーデラルタイヒ Niederalteich 54.18km
泊まった宿を9時に発つ。この宿はドイツ自転車協会 ADFCがBett+Bikeとして認定した証が表示されている。スター付きホテルからキャンプサイトまで,必ずしも安い宿とは限らないがこのマークを付けた宿ではバイク保管室が整備されていたりして自転車旅をするライダーに優しい宿泊施設がドイツ国内に5,500箇所ほど用意されている。
シュトラウビングをもう一度散策する。聖ヤコブ市教区教会 Stadtpfarrkirche St. Jakobを見学する。英語の名称を読んでビックリしたのは,ヤコブの英名がジェームス Jamesだと言うことだ。
カミさんはシュトラウビンクに別れを告げる前に街をスケッチする。幼児用のリヤカーを付けた自転車を停めようとしている若夫婦が自転車置き場にやって来る。時にはリヤカーには犬が乗っていることもある。自転車道にはこのようなスタイルで旅を続けるライダーにしばしば出会った。いざ出発とペダルを漕ぎ出したところで後ろからの車を避けようと進路を変更したら石畳の小さな段差をで滑って転倒してしまった。石畳を走るときにブリブリとタイヤ音を鳴らして近づいてくるクルマは恐怖に感ずるが現地の人は慣れっこになっているようだ。幸いにからだもバイクも無事だった。だが,ハンドルに取り付けた地図ホルダーのネジが緩んだので街外れに見つけたバイクショップで締めてもらった。タダで直してもらえたので感謝の握手をしようとしたら,手が汚れているので腕を握ってくれ,と言われる。本当にドイツは自転車に優しい。
シュトラウビンクを発つとすぐに橋があり,古いドナウ川を渡って中の島に入る。ということはこの中の島は,新しいドナウ川をつくって,ドナウ川をまっすぐに走らせた時にできたものだろうか?
麦畑の中を走り,ドナウ川の堤防で早めのランチをサンドイッチでとる。大型の船に混じってカッターに乗った観光客らが通過していく。面白そうなイベントだね,とカミさんがスケッチしながら話す。
1時過ぎにデッゲンドルフ Deggendorfに入った。この街もシュトラウビングに似ている。ここでも子どもを二人連れた若夫婦のライダーに出会った。上の子どもはお母さんのバイクに牽引されたバイクに乗り,下の子どもはお父さんのバイクが牽引するリヤカーに乗って旅をしている。日本では想像できない旅のスタイルだ。
ここのカフェで苺たっぷりのアイスクリームパフェを食べながらiPhoneをフリーWi-Fiにつないで明日,明後日のパッサウの宿を予約する。土曜日・日曜日の宿泊とあってパッサウの宿泊施設も満員状態だったがやっとパッサウ中心部から1km離れたところのホテルが予約できた。やれやれ,アイスが溶けちゃった。
3時半頃に通りかかったニーデラルタイヒ Niederalteichの渡しの脇に素敵なペンション Pension Haberederを見つけて飛び込みで交渉する。部屋を見せてもらうとベランダから望むドナウ川の景色が素晴らしい。おまけに朝食付きで二人で56ユーロだという。即,オーケーして投宿した。予定ではこの先のヴィンツァー Winzerで宿探しをするのだったが。その日その日の宿探しでは,時には,こんなラッキーなこともある。
日課の後で夕食がてらの散策に出た。静かな村でシャッターを下ろしたガストホフ(Gasthof レストラン&宿)もある。しかし,立派なニーデラルタイヒ教会 Basilika Niederalteichがあり,その庭には頭部のモニュメントが横になっている。近くにはゲルハルト・ノイマン飛行機博物館 Flugzeugmuseum Gerhard Neumannがあった。これは個人の博物館らしく,屋外には第二次大戦のジェット機も展示されている。内部を見られないのがちょっと心残りだ。
教会の脇のカフェ Cafe am Kirchplatzでソーセージ,シュニッツェル(Schnitzel 薄いトンカツ)とフライドポテトを注文してビールのつまみにした。9時過ぎに宿に戻るとドナウ川を夕陽が染めていた。
7月 1日(15日目) ニーデラルタイヒ Niederalteich 〜 パッサウ Passau 57.24km
階下の屋根付きテラスの食堂で朝食をとる。庭もよく手入れされていてとても快適なペンションだ。食後,ペンションの夫妻と写真を撮ってお礼をのべて出発する。
ドナウ左岸のコースを走り,2時間弱で右岸のフィルスホーフェン Vilshofen an der Donauに渡る。しかし,空は暗くなり雨が降りそうな模様なのでトイレを済ませて早々に退散した。
途中のスーパー Nettoのパン屋でケーキと菓子パンでランチをとる。この時刻にはサンドイッチは売り切れてしまったようだ。スーパーの駐車場のカート置き場が興味深かった。カートが連結されていて,利用するためには50セントか1ユーロを投入するシステムだ。使い終わったカートはここに戻して連結すると投入した保証金が戻ってくる,というシステムだ。これだとカートがあちこちに散乱しなくなり,カート整理用員もいらないという合理的なシステムだ。
途中でドナウ川に遊ぶ白鳥親子に甘くて食べ切れなかったアップルパイをあげた。本当は良くないかな? さらに麦畑を走り,カミさんが気に入った瀟洒な教会を眺めながらパッサウを目指す。
1時にマイアーホーフ Meierhofの運河に着く。水嵩を調節する閘門が開いて運河を通過する観光船やカッターを眺める。見終わって,中の島にある水力発電所の堰を通って右岸に渡る。
2時半にドイツ・ドナウ川の最後の街パッサウ Passauに入る。いつものことだが,田舎道を走って都市に入ると方向感覚が狂ってしまう。まるで迷路に入ってしまったような気がする。それでもドナウ河畔の市庁舎 Rathausのℹで地図をゲットしてホテル DORMEROの場所を教えてもらう。カミさんの迷ガイドでシュテファン大聖堂 Dom St. Stephanの前を通ってイン橋 Innbrückeでイン川 Innを渡って4時に投宿できた。
ホテルは赤を基調とした,まるで,ラブホのようだ。日課を済ませて,夕方の大聖堂でのオルガンコンサートに備えて,ホテルの隣のスーパー EDEKAに夕食と朝食,飲料水などを買い出しに行く。
早めの夕食を部屋でとって歩きで旧市街に向かう。
まずは大聖堂の世界一のパイプオルガンコンサートの切符の情報を得よう大聖堂に入る。13世紀にゴシック様式で建てられた大聖堂は大火災の後で17世紀後半にバロック様式に建て替えられた。白亜の外観から内部を見ると天井のフレスコ画と世界最大級のパイプオルガンが目を引く。しかし,パンフレットを見ると夕方のコンサートは木曜のみで日曜日は昼のコンサートも無いと言うことが分かった。iPadに入っている「地球の歩き方」を読んでみてもそのように書いてあった。アリャリャ〜仕方がない,月曜日の昼のコンサートを聴いてからスタートすることにしようか。
この後,街の散策中にカミさんと意見が合わず喧嘩別れになって別行動をとる羽目になった。まぁ,ホテルのカードキーは2枚渡されて夫々が持っているので帰れるだろう,と自分は3本の川(ドナウ川 Donau,イン川 Inn,イルツ川 Ilz)の合流点を見に行く。イルツ Ilz川はこの合流点からは良く見えないが,案内板で見ると細い川が合流している。ドナウ川の桟橋に係留されている観光船にはバイクがたくさん載っているのが見える。バイク&船のツァーだろうか。このような観光船が何艘も行き来したり,係留されている。自転車ツーリズム文化の違いを見せつけられた。
ホテルに帰って見るとカミさんは不在で自転車も無い。別れてから直ぐにホテルに戻り,出直したようだ。しばらくして戻ってきたので,探しに行ってくれてありがとう,と仲直りを持ちかける。が,3川の合流点を見に行ったのであって迎えに行ったのでは無い,とケンもほろろだ。これで再び口論になり,いっそうの喧嘩状態になってしまいお互いにふて寝してしまう。
ともあれ,今日のパッサウでドナウ川自転車道の旅のドイツ・ドナウの旅が終わったことになる。bikelineの地図の第1巻を走破した自転車メーターの距離計は592kmを表示していた。
7月 2日(16日目) パッサウ Passau観光
朝起きが辛かったのは肉体的な疲れだけじゃないのか? 8時頃にようやく起きだしてカミさんとの喧嘩に休戦協定を成立させた。
冷蔵庫に保管しておいた朝食を食べた後はパッサウの休日を楽しみに旧市街に出掛ける。まずはホテル近くのイン川右岸の山上にある巡礼教会マリアヒルフ修道院 Kloster Mariahilfに登る。長〜い327段もの階段を昇る。壁にはマリア様のイコンがたくさん飾られている。ようやく階段が終わって回廊の外に出ると大勢の信者がミサに来ていた。クルマで上がってこられる道があるらしい。山上から望む旧市街の大聖堂やドナウ左岸のオーバーハウス要塞などの見晴らしが素晴らしい。
修道院から降りてきて,同じくイン川右岸にあるローマ博物館 RömerMuseum Kastell Boiotroに向かう。館内の観覧はパスして周りを巡って見る。のぞき眼鏡には古代ローマのボイオトロ駐屯場の風景があった。その現物の駐屯場の城塞 Kastell Boiotroや見張り塔が残っている。
フュンファール小橋 Fünferlsteg(イン小橋 Innsteg)でイン川左岸に渡り遊歩道を3川合流地点に向かって散策する。この道は昨日は別々に辿った道だが今は二人で仲良く歩いている。川べりにはイン川に落ちた人を助けられるように浮き輪や鍵棒が備えられている。日本なら川べりに柵などを設けて落ちないように工作するだろうが,ドイツでは落ちたときの工作がなされているのが文化の違いか。
合流点ではカミさんがご機嫌になって遊ぶ。遊歩道にはパッサウ惑星小道 Passauer-Planeten-Pfadも設えられている。そういえばパッサウに入ってくるドナウ川自転車道にもこんなモニュメントが太陽からの距離に応じて配置されていた。
3川合流点 Dreiflüsseeckを回りドナウ桟橋を歩き市役所広場 Rathauplatzに出る。塔の壁にはドナウ川が氾濫したときの水嵩が目盛られている。2013年6月3日の洪水では水嵩は4mにも達して市庁舎の1階は完全に水没したそうだ。ここの広場のカフェでランチをとる。メニューはベイクドポテト&ベーコンサラダとビールだ。二人でシェアしても十分な量だ。やっぱりドイツのジャガイモは美味い。
ドナウ桟橋からの遊覧船でスリーリバークルージングを楽しむ。船から見るとドナウ川とイン川が合流し,そこにニーダーハウス要塞 Veste Niederhausの脇から小さなイルツ川が合流しているのがよくわかる。
クルージングのあとはプリンツレーゲント-ルイトポルト橋 Prinzregent-Luitpold-Brückeでドナウ川を渡りオーバーハウス要塞 Veste Oberhausを見学した。ここも山の上の城で階段ばっかり。汗水流して登った甲斐あって上からの眺めは絶景だ。この要塞の一部はユースホステル Jugendherberge Passauとなっていた。ここまで登って来て泊まるのもさぞかし大変だろう。要塞の塔とオーバーハウス博物館 Oberhaus Museumの見学はパス。
旧市街の市庁舎広場に戻り,土産店で絵葉書を買って日本の友人やポーランドの友人に近況を書いた。街中のセルフサービスのカフェでサラダと野菜ロールをテイクアウト(ドイツ人ウェイター,ウェイトレスらはゴーアウトって言っていた)してホテルに持ち帰って夕食に食べた。
7月 3日(17日目) パッサウ Passau 〜 オーバーミュール Obermühl an der Donau 50.61km
今日もホテルの隣のスーパーEDEKAでサンドイッチとカプチーノを買って来て朝食をすませる。9時半にチェックアウトをしてバイクで旧市街に向かう。大聖堂のオルガンコンサートの時刻には早いので聖パウロ教区教会 Stadt Pfarrkirche St. Paulを見学する。その祭壇の立派さは驚きだ。
街中のカフェでカプチーノとマフィンで軽く腹ごしらえをして大聖堂の前の広場にバイクを停める。「地球の歩き方」は,コンサートのチケットは大聖堂の正面で売り出す,と書いていた。しかし,11時を過ぎたあたりから人々が大聖堂の左脇の方に歩いていくのを見たカミさんが「あっちでチケットを売るんじゃない」と持ち前の鼻の良さを発揮する。ビンゴ! チケットは大聖堂の中庭で販売していた。さっそくチケットを求めて中庭から大聖堂に入り席に座る。正午になるとパイプオルガンコンサートが開催された。J.S.バッハのカンタータ第79番,メンデルスゾーンなどなど6曲を30分ほど堪能した。世界最大級のオルガンの音の包まれたら「主よお許しください,どうか天国にお召しください」なんて思っちゃいそう。
(iPhoneで録音したバッハのカンタータ第79番を聴く)
パッサウを後にしてドナウ左岸の自転車道に乗り出す。10分も走ったところでニクセ(北欧神話の半人半魚女性の水の精)Donaunixe “Isa”の像に出会う。ワルシャワのシンボルの人魚のシレナ Syrenaだ。
さらに,自動車道を1時間走って水力発電所 Donaukraftwerk Jochensteinで一休み。ここでツーショットを通り掛かったライダーが撮ってくれた。写真撮影の場所はオーストリア側だ。
パッサウを出て2時間でドイツとオーストリアの国境を通過した。木の幹に「国境」の表示板があるだけの,気がつかずに通り過ぎてしまうような,呆気ない国境だ。
オーストリアドナウの自転車道はユッタリして壮大だ。対岸のエンゲルハルツェル Engelhartszellからライダーが渡し舟に乗ってくるシーンをカミさんがスケッチする。実に雄大なドナウ川に成長したものだ。
アウ Auで左岸の自転車道は行き止まりとなった。ここでドナウ川はS字状に大きく湾曲する。 ここから船で4キロ先のグラフェナウ Grafenauまで移動してさらに自転車旅を続けることになる。さて船はいつくるのだろうと思っていたらドイツ人ライダーが案内板にある無線機で呼んでくれた渡船に便乗できた。川のS字湾曲は船に乗っていては実感できないが実にのんびりした景色だ。
ほどなくして,やはり左岸の,グラフェナウに着いた。3.5キロほど走ったらオーバーミュール Obermühl an der Donauが見えてきた。予定ではもっと先のアシャハ Aschachまで走ることになっていたが,パッサウでのオルガンコンサートのために午後から乗り出したのでここまでしか走れなかった。1軒目の宿は開店休業でその先の宿 Gasthof Aumüllerを交渉すると家族向けの大きな部屋しか空いてなかった。ちょっと宿代は高くなるがオーケーしてここで今日の打ち止めとする。
この宿の名物はナマズ,スズキ,カワカマスなどの魚料理のようだ。しかし,隣のテーブルで食べている大皿に載った魚の丸揚げにビックリした我らは魚料理をパスする。代わりにサラダと豚肉料理と,もちろん,バイツェンビールを注文した。ツァーの観光旅行だったら魚料理にトライしたかもしれないが,自転車旅でなんとなく疲れているカラダでは揚げ物は辛い。だがビールは別で,行く先々で違った味のビールを楽しんでる。
夕食後の暮れなずむドナウ川をバックにセルフ撮影をしてGute Nacht(おやすみなさい)。オーストリアの第一日目が暮れた。
7月 4日(18日目) オーバーミュール Obermühl a.d. Donau 〜 リンツ Linz 52.28km
オーストラリアに入っても通貨が替わるわけでもないし,言葉が代わるわけでもない。「こんにちは」のGrüß Gotもこれまでのドイツ・ドナウ流域と変わらない。ドイツの朝食は相変わらず美味しいが2013年の初めてのドイツ自転車旅と比べると,歳のせいか,食べられる量が減った。それでも今朝はたくさん食べた方だ。宿の食堂 Frühstückraumのカウンターの椅子の脚には思わず笑ってしまった。
宿の前からフェリーで右岸のコプリンク Koblingに渡る。左岸はウンターミュール Untermühleで再び行き止まりになるのだ。船頭と話しながら料金を払う。会話は,どこから来たんだ,どこまで行くんだ,くらいのたわいないものだ。
対岸に着いてからしばらくは同じ船に乗ったライダー達に混じって走る。小一時間でカイザーアウ Kaiserauのキャンプ場で一息いれる。対岸(左岸)からライダーが渡し舟に乗ってこちら側に渡ってくる。左岸の山上にはノイハウス城 Schloss Neuhausが見える。キャンピングカーや備え付けのバンガローの前での日向ぼっこ,釣りやボート遊びを楽しんいる。こんなところでカヤック&バイクのホリデーを楽しんでみたいものだ。
アシャッハ Aschachは素通りする。このあたりのドナウは本当に雄大だ。水の色は白っぽくなりヒスイ色だ。やがてオッテンスハイム・ヴィルヘリンク発電所Kraftwerk Ottensheim-Wilheringの水門が見えてきた。これを渡って,ドナウ川にナイフ状に突き出た中洲で一息入れてサンドイッチを食べる。中洲を越えるために少し上流方向に走り左岸の自転車道に入る。
オッテンスハイム Ottensheimをパスして自転車道はオーストリア鉄道 ÖBBと自動車道に並走する。ウァファー Urfahrでは車の交通量がグンと増えて来て久しぶりの都会の喧騒を体験する。1時前に対岸(右岸)にリンツ Linzの街並みが見えて来た。大きな建物はリンツ城博物館 Schlossmuseum Linzかな。
新市庁舎 Neues Rathausをぐるっと周り,ニーベルンゲン橋 Nibelungenbrückeを渡って三位一体の柱 Dreifaltigkeitssäuleが立つ中央広場 Hauptplatzに向かう。時刻は1時になっている。旧市庁舎Altes Rathausにあったℹでアパートメント Apartments Haus Waltraudを紹介してもらう。大都会(リンツはオーストリアで三番目)での安宿探しは大変だ。ℹで宿を紹介してもらうときは自転車旅であることを説明してライダー向けの安い宿を紹介してもらっている。宿はマルチン・ルター教会 Martin Luther Kircheの裏手の静かな通りにあった。今日の宿にはキッチンがついているが朝食は出してもらえない。
シャワーのあとで街の散策に出かける。まずは名物のリンツァートルテを食べる。カミさんは別のケーキを注文した。コーヒーも注文したら,驚いたことに,水が付いてきた。リンツァートルテの味は,嫌いじゃないけど,とにかく甘すぎる。
カミさんの希望で50番のトラム Pöstlingbergbahnで519mのペストリンクベルク Pöstlingbergに登る。自動券売機によると5停留所以上の料金は2.2ユーロで往復すると24時間乗車券と同料金なのでそちらを買った(帰国してからWebの記事で見ると,市電とは別の券売機で往復5.6ユーロとのこと)。トラムはさきほど渡ったニーベルンゲン橋をこえて市街地を抜けて山に入って行った。急勾配を車両の備えられた簡易アプト式装置でグイグイ登って行く。山頂からの眺めは素晴らしい。リンツの街が一望できる。新大聖堂 Neuer Domやガラス張りのブルックナーハウス Brucknerhausも望めた。
山頂には巡礼教会Pöstlingberg-Wallfahrtsbasilikaがある。そのほかにも子ども向けの恐竜ランドもあった。帰りは歩こうかと途中まで行ってみたが,道がわからずに引き返して電車で降りることにした。
中央広場に降りてきてブルックナーゆかりの旧大聖堂 Alter Domを外から眺め,州庁舎 Landhausを見る。中庭ではブルックナーハウスによるコンサートの準備が進んでいた。中庭には天文学者ケプラーを記念する惑星の泉 Planetenbrunnenがある。ここ州庁舎の前身はリンツ大学で,泉はケプラーがここで講義し惑星の楕円軌道を発表した故事にちなんでいると言う。州庁舎の建物の一部となっているミノリーテン修道会教会 Minoritenkircheに入って見た。教会から外に出てみると中世の夜警の格好をしたガイドが子どもたちを引き連れて案内に出くわした。この光景は2013年のロマンチック街道自転車旅でローテンブルクに泊まったときにも出会ったな。
州庁舎からマリア大聖堂(新大聖堂)Mariendom(Neuer Dom)に向かう。Domの内部は修理中で祭壇がみえない。しかし,素晴らしいステンドグラスには感激した。
夕陽に照らされる慈悲の修道会教会 Kirche der Barmherzigen Brüderを見ながらメインストリートのラント通り Landstraßeのショッピングモールの地下にあったスパー Eurosparでサラダ,揚げ物,巻き寿司と3種のビールを買った。アパートの部屋で日本から持参したサキイカ,小魚&アーモンドのつまみで豪華な夕食をとった。
7月 5日(19日目) リンツ Linz 〜 グライン Grein 72.41km
6時過ぎに街のパン屋でサンドイッチとカプチーノを買ってきてアパートの部屋で朝食をとる。自前の朝食だと出発時刻を早く設定することができる。で,8時にアパートを発ったがドナウ川に出ようと言うときに後輪がパンクした。ゼムクリップの破片が突き刺さっていた。手早く予備のチューブに交換して8時半には再出発できた。
ニーベルンゲン橋を渡り,リンツの街にお別れして左岸の自転車道を走る。川沿いの木立の中の自転車道を進むと右岸の景色は工場地帯に変わっていく。10時になって途中のスーパーでおやつの買い物をして休息する。オーストリアに入ったらスパー Sparが定番のスーパマーケットになった。かつては日本でも見かけた緑のモミの木マークの「スパー」だ。
ヴィーナーグラーベン Wienergrabenからマウトハウゼン強制収容所に立ち寄るつもりが,標識を見落としてドナウ川に出てしまう。マウトハウゼン中学校で作業中の職人さんに聞いて,来た道を戻りヴィーナーグラーベンでマウトハウゼン強制収容所記念地 KZ-Gedenkstätte Mauthausenへの道標を見つけた。14%の激坂を登りマウトハウゼン強制収容所(Konzentrationslager, KZ)に到着した。カミさんはこの激坂と気味の悪いKZの見学のために少々ご機嫌が悪い。
ここは第2次世界大戦中にナチス親衛隊(Schutzstaffel, SS)が犯罪者や反社会分子(政治犯)を収容し,花崗岩の採掘をさせた施設だ。のちにユダヤ人も収容された。ここでは毎日の拷問や重労働のために他のKZよりも死亡率が異常に高かったそうだ。
かつて訪ねてたポーランドのアウシュビッツやビルケナウのような絶滅目的のKZではないがガス室,焼却炉,解剖室があった。
ジリジリと照りつける陽と緑いっぱいの中に建つKZでとてつもないことが行われていたとはとても信じられない。ナチは当時のドイツ帝国民が支持して政権をとり,国民はあのヒトラーの演説に酔い痴れて狂気に走ってしまった。いまの日本の政権もそうはならないとは思えないがどうだろうか? `
マウトハウゼンの街に降りてきた。あまりに暑いのと狂気の歴史を見て火照ったからだの余熱を冷ますために(?)ビールとソーセージ,チキンカレーでお昼をとった。
旅を再開し,ヴァルシェ・ミッターキルヒェン・ドナウ発電所 Donaukraftwerk Wallsee-Mitterkirchenで休憩する。と,珍しく飲み水用の噴水に出会った。通過するライダーはここで水を補給していた。今日は本当にクソ暑い気候だ。
追い風に乗って完全舗装の自転車道を時速25キロオーバーで進み続けると今日の宿泊地のグライン Greinの街がみえてきた。
地図を頼りに宿泊施設を探し,グラインブルク城の下のGasthof Zur Traubeを交渉して泊まることにした。驚いたことに,これまでのドイツ自転車旅で初めての,冷たいおしぼりのサービスを受けた。オーストリアの自転車旅は素晴らしい。夕食は宿のレストランで小さなハンバーク入りサラダとシュニッツェルを取り,ビールで暑い中の自転車旅を労った。隣のテーブルの自転車旅のグループは何やらのカードゲームに興じていたが,見ただけではルールはわからない。
カミさんが,またまた,いい加減な散歩に出掛ける。現在地も調べずに「あっちの方へ」と導くもデタラメの方角だ。自分としては宿に戻れなくなったらドイツ語で尋ねなくてはならず,それに携帯のローミングも使ってないので困るのだ。この件でちょっとした口論になる。でも,考えてみるとカミさんは夕暮れの異国でのロマンチックな散歩を期待したのだろうか?
7月 6日(20日目) グライン Grein 〜 メルク Melk 53.32km
グラインを発つ前にグラインブルク城 Schloss Greinburgに立ち寄った。内部は観覧せずに外観を見る。ドナウ川と街を俯瞰する光景に暫し見とれてしまう。さて,あそこに見える自転車道に入ろうか。
左岸は車と並走するルートでクルマの交通量も多い。しかし,大型車両は十分なスペースを取るようにして我々を避けてくれるがカミさんはちょっと不快な顔色だ。対岸を見て「あっち側にも自転車道があるじゃん」とカミさんが言う。でも,右岸コースには街が少ないんですヨ。背中に非難の無言の圧力を感じながら道路の端で水の上のコースを走る。
11時にパーゼンボイク Persenbeugの城 Schlossが見えてきたところでイップス・パーゼンボイク発電所 Fraftwerk Ybbs-Persenbeugの橋を渡り右岸のイップス Ybbs an der Donauに入る。街のケーキ屋でアップルバイを食べながら一息いれる。
街のあちこちに看板や案内板が出ている,個人が運営する,自転車博物館 Fahrradmuseumを覗く。館内には往年のロードレーサーや19世紀にドイツで発明された木製の人力二輪車のドライジーネ Draisine(複製)や軍用自転車,消防自転車,イギリスで考案された巨大な前輪のオーディナリー型(ペニー・ファージング型)自転車などが展示されている。ペニー・ファージング型自転車に乗ってみると,ようやく足がペダルに届いた。
そのまま右岸の自転車道を走り,イップス川がドナウ川に注ぐあたりで,途中のスーパーで買ったサラダ,パン,ハムなどでランチをとる。イップスの街に向かう遊覧船を見ながら,ハエを追っ払いながらのランチだ。
クルムヌスバウム Krummnußbaumの左岸の山上の巡礼教会 Wallfahrskircheを見ながら走る。このあたりから,カミさんのお腹がゴロゴロすると言う。実は自分もそんな兆候を抱えて走っていたのだ。どうやら朝のミルクが合わなかったらしい? 近くにトイレもないし,街もない。幸いにも追い風なのでペダリングは快調だ。飛ばしに飛ばしてメルクを目指すと彼方にメルク修道院が見えてきた。
メルク Melkからクレムス Krems an der Donauまでの35kmほどのドナウ川のバァッハウ渓谷 Wachauは「バァッハウ渓谷の文化的景観」としてユネスコの世界遺産に認定されている。見所はメルク修道院,シェーンビューエル城,アックシュタイン城趾などの城や修道院(教会)そしてデュルンシュタインやクレムスの街並みなどだ。我々はここを今日,明日で走り抜ける予定だ。2014年に走った「ライン渓谷中流上部」として世界遺産に登録されているライン川と比べどうだろうか。
3時15分にメルクに入れた。ℹで有料トイレが利用できて一安心した。落ち着いたところで宿 Pension Weißes Lammを紹介してもらう。実際の宿は通りを隔てた離れにあった。荷物を置いて何はともあれメルク修道院 Benediktinerstift Melkの見学を優先する。
壮大な修道院の中は撮影禁止だった。絢爛豪華な 美術品,歴史的な膨大な蔵書をおく図書館 Bibliothek,燦然と輝く教会 Stiftskircheなどをたっぷりと見学できた。チケットと一緒に買ったメルク修道院の日本語案内パンフレットからいくつかの写真をコピーして紹介する。より詳細な写真などは公式ホームページが紹介している。
屋上では写真はオーケーだった。観光客が手摺にカメラを載せて家族写真を撮ろうしていたのでシャッターを押してあげる。お返しにツーショットを撮ってもらった。
修道院を見学し終わってパビリオン Gartenpavillonを散策した。先ほど見てきた修道院,ドナウ左岸の街並みが望める。園内のカラス(?)のオブジェがは何を意味するのだろう。
パビリオンから下町に降りたところにあったスパー Sparで飲料水などの買い物をして宿に戻った。シャワーを浴び,日課の洗濯を済ませて再び街に出て夕食をとる。市庁舎広場 Rathausplatzから中央広場 Hauptplatzをぶらついて空いていたカフェの席に座る。今日はワインにしたが味はイマイチ。次のクレムスに期待するか? 9時の空には満月が出ていた。
宿に帰ってFacebookに投稿しようとしたらメッセージが入っていた。自転車仲間のN山さんの娘さんが自分のFBアドレスを探して連絡してきたものだ。膵臓癌から胃癌に転移して大学病院に入院していたが遂に帰らぬ人となったと言う報だった。N山さんとカミさんは同級生で,こんなにも早く亡くなってしまったことにただただ驚くばかり。早速,自転車仲間のFBに投稿し,自転車クラブの会長にメールを送った。帰国したら,この旅のことをお見舞いかたがた報告しようと思っていたのだがそれも叶わぬことになった。合掌。
7月 7日(21日目) メルク Melk 〜 アルテンヴェルト Altenwörth 66.17km
メルクを出て右岸コースを5kmほど走ると木陰の間にシェーンビューエル城 Schloss Schönbühelが垣間見えた。城はドナウ川岸ギリギリに立っている。12世紀までに遡られる歴史を持つ城は現在は個人の所有なので内部の見学は出来ない。
アックシュタイン Aggsteinの山上には13世紀のアックシュタイン城趾 Ruin Aggsteinが霞んで見える。それを眺めながら進むとオーバラルンスドルフ Oberarnsdorf辺りで周りはアンズ畑となる。釣竿とバケツを持った老人が「全く魚がいない」とボヤく。「あれはヒンターハウス城趾 Ruine Hinterhausか?」と聞くと「そうだよ」と教えてくれた。自転車道には無人販売のアンズジャムやアンズジュースなどが並んでいる。ジャムが欲しいけど,自転車旅ではガラス瓶は重いし割れたら大変だ。残念ながら諦めて進む。
果樹園,ブドウ畑の中を進んで行くと夫婦連れが写真を撮っているのでツーショットのシャッターを押してあげる。お返しに我々もツーショットを撮ってもらった。
ロザッツバッハ Rossatzbachでフェリーに乗って左岸に渡り,デュルンシュタイン Dürnsteinを訪ねる。真正面に見えるブルーのデュルンシュタイン修道院 Stift Dürnsteinに思わず,オーと感激する。まさに世界遺産に相応しい光景だ。
街(というよりも村か)を散策して見る。狭い道ながら中央道り Hauptstraßeを観光客に混じってブラブラする。西の外れには高級なデュルンシュタイン城ホテルがある。そこから見上げるとデュルンシュタイイン城趾 Burgruine Dürnstein(ケーンリンガー城趾)だ。下から見るだけで登るのはパスだ。ちょっと戻ると デュルンシュタイン修道院への小路があり,入って見るが修道院の内部見学もパスだ。
市門を抜けると宮崎から来たと言う日本人夫妻にバッタリ。3週間ぶりの日本語での会話を楽しむ。
彼らと別れてホイリゲ Heurige(ワイン酒場)のシュトッキンガーホーフ Weingut-Pension Stockingerhofを探し当てたが,今日はお休みだった。で,近くのレストランでズッキーニのフライ,チーズ入りのソーセージとワインでお昼をとる。ワインの味はまだよくわからないけど,それほどうまいとは思えない。
そのままドナウ左岸の自転車道をクレムスに向けて走る。シュタイン Stein an der Donauの対岸(右岸)の山上にゲットヴァイク修道院 Stift Göttweigが見えた。あそこまで登るのはさぞかし難儀だろう。シュタインの市庁舎 Rathausを通過して行くといつの間にかクレムスに入ったようだ。
市立公園 Stadtparkの通りを挟んだℹで地図をもらってクレムス Krems an der Donauを散策する。シュタイナー門 Steiner Torを潜るとショッピングストリートには人が溢れている。ここも世界遺産の街だが今の我々にとってはもはや食傷気味の街並みだ。雑踏を抜けると白亜のヴァッハウ聖堂 Dom der Wachauの前に出た。坂をあがってトンネルの階段を登った所の教会が1508年創建のピアリステン教会 Piaristenkirche(聖ファイト教区教会 Pfarrkirche St. Veit)だ。内部を覗いてみると,ここも豪華な内陣だ。
クレムスの街を発って世界遺産のバァッハウ渓谷が終わり,ドナウ川沿いの自転車道を追い風に乗って25km/h以上のスピードで飛ばす。両岸には街も村も見当たらない。ゲゲ,今日の宿は大丈夫か,と後ろのカミさんに聞こえないように呟く。アルテンヴェルト・ドナウ川発電所 Donaukraftwerk Altenwörth の橋を渡らずに,左岸コースから外れたアルテンヴェルト Althenwörthの街に5時半に入る。bikelineの地図の宿泊情報によるとここには2件の個人宿しかないようだ。一軒目の個人宿はパスして2軒目のワイン農家の個人宿 Weinbauenhof Waltnerに飛び込みで交渉して今日の宿をゲットする。前室,キッチンがついたスイートの部屋はとても快適そうだ。
英語の堪能な親切な息子によると,この宿から離れたところの食堂はやっているかどうかわからないからピザの宅配にした方がいい,と言う。そして,階下のワインセラーから好きなワインを選んで飲むこともできる,とも言う。ピザと野菜サラダとエビのコールスローの宅配をお願いした。届いた料理にこのワイン農家で作られたお薦めのワインを軽々一本開けて,実に至福のひと時を過す。チープな旅だが心もお腹も満腹だ。 今日は七夕,9時半にようやく日没となる。オーストリアでは織姫と彦星はデートが叶いそうだ。
7月 8日(22日目) アルテンヴェルト Altenwörth 〜 ウィーン Wien 68.89km(1,059km)
7時半過ぎに前室のドアを開けてみると外の把手にパンが入った袋が吊り下がっていた。昨晩の宿の息子の説明に従って,キッチンにあったコーヒーを沸かし,冷蔵庫に用意されたハムとチーズを取り出して朝食をセルフサービスでを整えた。
宿代とワイン代を支払って9時半に出発して昨日のコースに戻りアルテンヴェルト・ドナウ川発電所の堰を右岸に渡った。20分ほどでツヴェンテンドルフ Zwentendorfの市庁舎前を通過して1時間でトゥルン Tullnに入るところで味噌汁を飲んで一息いれる。トゥルンの市庁舎(ミノリト修道院 Minoritkloster)のドナウ川に面したところにはニーベルンゲン記念碑 Nibelungendenkmalが建っている。ドナウ川岸にはステージがあって,周りのスポーツ施設とともに一帯は公園のようになっている。
帰国して,たまたま見たテレビの旅番組でここトゥルンが紹介された。夭折(28歳)した世紀末の鬼才画家のエゴン・シーレ Egon Schieleの生誕の地で,生家やエゴン・シーレ博物館があると言う。ちょっと絵心のあるカミさんも彼を知らなかったし,それらを見ずにスルーしてしまったのもムベなるかな,だ。
トゥルンからそのまま右岸の自転車道を走る。木陰に入ると涼しいんだが今日も暑い。グライフェンシュタイン Greifensteinの渡しで紅茶を淹れてランチをとる。向こう岸の山上にグライフェンシュタイン城 Burg Greifensteinが望める。渡し舟は使わずにそのまま自転車道を進むと水浴場があるリゾート地に出た。ここで初めてドナウ川の水に浸かる。この格好でドナウ川で泳いじゃおうかと思ったほどだ。
1時前にオーストリア鉄道 ÖBBをくぐってをクロスターノイブルク Klosterneuburgに入った。ここにも大きな修道院,クロスターノイブルク修道院 Stift Klosterneuburgがある。フンツケーレ通りHundskehleから急な階段を上がってクロスターノイブルク修道院教会 Stiftkirche Klosterneuburgに上がる。内部では結婚式が挙げられていた。
修道院の内部には絢爛豪華なフェルドゥンの祭壇 Verduner Alterがあるというが観覧はガイドツアー付きでしかできないというのでパスする。修道院を辞して市広場通り Statdplatzに出たらと夕立に見舞われた。しばし銀行の軒下で雨宿りして通りを眺めると,リンツでも見た,ペストの終焉を記念した三位一体のモニュメントがあった。
ウィーンに近づくとドナウ川は新ドナウ川 Neue Donauを分け,やがてドナウ川自転車道はドナウ川から分かれたドナウ運河 Donaukanalに沿って続いていく。しかし,途中でコースをロストして現在地がわからなくなりbikelineの詳細図を示して現地の人に尋ねながらシュテファン大聖堂 Stephansdomを目指す。どうやら中心街 Wien Zentrumに入ることができたが観光客でごった返している。お巡りさんに大聖堂を訊いてようやく3時半過ぎに大聖堂に到着した。かくしてドナウ川自転車道地図の第2巻の終着点を極めることができた。
観光は明日からにして,この大聖堂の近くにあるℹに行くために更に観光客の間を縫って自転車を押して歩く。ℹを探し当てて市街図をもらい予約してあるホテルを聞いて見る。自転車で行きたいのだがと聞くと「私は自転車に乗らないのでそんなの知らない」とウィーンの自転車地図をくれるだけ。忙しいためか実にそっけない対応だ。で,フリーWi-Fiが繋がったスマホを頼りにホテルの目印のウィーン西駅 Wien Westbahnhofを目指した。4時になんとかフュルステンホーフ ホテル Hotel Fürstenhofにチェックインできた。三ツ星ホテルだが3連泊で安く取れた。しかし,何ともレトロなホテルだ。エレベーターは外側の鉄の矢来を手で開いて,内側の扉も手で開けるというクラシックなものだ。バイクは荷物の保管室に置かせてもらえた。
シャワーと洗濯の日課を済ませて夕食にマリアヒルファー通り Mariahilfer Straßeに出る。カフェに席を取って先ずはビールでドナウ川自転車道の旅の完走を祝った。今日までで走行距離はドナウエッシンゲンから1059kmとなっていた。ようやくドナウ川自転車旅が終わった。夕食のサラダも肉料理も美味しく食べられた。
外はまだ明るいので辺りを散策した。通りの名の由来となっている1683年創建のハイドン像が立つマリアヒルファー教会 Mariahilfer Kirche,1739年創建の教区教会 Stiftskircheなどなどを眺めながらマリアテレジア広場 Maria-Theresien-Platzの美術史美術館Kunsthistorisches Museum Wienまで歩いた。そこからマリアヒルファー通りを戻ってウィーン西駅前のホテルに帰り着いた。明日は中央駅でプラハへの切符を予約して,それから観光だ。人が多すぎて目が回ってしまう。今晩も暑い
7月 9日(23日目) ウィーン Wien観光 12.14km
ウィーンの休日の1日目。ホテル1階の食堂に降りてみると朝食が用意されていたのでそれをいただく。今日はウィーン中央駅のℹでプラハまでの列車の予約しなくてはならない。まずは市内マップを検討してホテルからウィーン中央駅まで,予行演習で,自転車で走ってみる。市街はクルマと並走する自転車レーンがペイントされていて,スイスイと自転車が走っている。ウィーンっ子たちは左折(右側通行だから日本の右折に相当)でもクルマと並走してスムーズに曲がっていく。我々は怖くて信号に従って2段階左折で進む。ウィーン西駅からウィーン中央駅までは,遠回りにはなるが,マリアヒルファー通りを市中心部方面に走りゲトライデマルクト Getreidemarktに右折して走りカール広場 Karlsplatzへ向かった。広場のカールス教会 Karlskircheは1739年創建のバロック様式の優美な教会だった。ここからアルゼンチン通り Argentinierstraßeを南下して聖エリザベス教会 Katholische Pharrgemeinde St. Elisabethをぐるっと迂回して,なんとか,ウィーン中央駅にたどり着いた。ℹで7月11日の11時10分のプラハまでの国際特急列車 Jetrailの予約をする。指定席チケットも自転車積載チケットも無事に予約できて一安心だ。
ついでにこのままバイクで市内観光に回る。来た道を戻り,博物館地区 Museumsquartierに来た。「地球の歩き方」によればここには10以上の美術館,ギャラリー,ホール,カフェなどが集まっているという。自分もカミさんも興味を示せない。せっかくのウィーンなのにもったいないだろうか? 道路の反対側のマリア・テレジア広場 Maria-Theresien-Platzの真ん中にマリア・テレジア像が建っている。ここで音楽会のチケット売りの強引な勧誘に会う。何回も何回も断ってやっとのことで振り切る。美術館・博物館と同様にウィーンでの音楽会にも興味が湧いてこない。美術史美術館 Kunsthistorisches Museum Wienの前で何やらコスプレ集団がたむろしていた。こんなところで日本のアニメのことなど聞かれたらどうしよう,と心配して早々に彼らの前から立ち去る。マリア・テレジア像を挟んだ美術史美術館の反対側には自然史博物館 Naturhistorisches Museumがあり,ヴァッハウ渓谷で発掘されたヴィーナス像が有名だそうだ。しかし,こちらも興味が湧かずにパスする。
リング Ring(環状道路)の内側の観光をしようとマリア・テレジア広場をスタートした。目指すはシュテファン寺院の尖塔だ。リングを右回りに走ると左手(リング外側)に国会議事堂 Parlamentが出て来た。まるでギリシャの神殿のような作りだ。その先の右手(リングの内側)にブルク劇場 Burgtheaterがある。リングの反対側の尖塔の建物に向かってリングを横断する。ここがシュテファン寺院かと思ったら,なんと,市庁舎 Rathausだった。カミさんは「都庁ビルに相当だね」と言う。都知事の小池さんには申し訳ないが,1873年建立のネオ・ゴッシク様式のこちらの市庁舎の方がはるかに貫禄がある。市庁舎広場 Rathausplatzではフィルムコンサートの準備が進んでいる。ここで生のジャズコンサートを聴きながらビールとウィンナーソーセージで昼食をのんびりと取った。カミさんと「いいねぇ〜,うまいねぇ〜」とうなずき合いながらノンビリとした時間を過ごす。ウィーンといえばカフェーとクラッシック音楽かもしれないが,こっちのウィーンの昼下がりの方もなかなか良い。
のんびりと1時間を過ごした後はバイクをここに置いて徒歩でリングの内側の観光に出かけた。ブルク劇場の裏で観光馬車に付いて行ったら14世紀の前ミノリーテン修道会教会 Minoritenkirche(18世紀後半に雪のマリア・イタリア国立教会 Italienische Nationalkirche Maria Schneeとなった)に出会った。
人が群れている方へブラブラと歩を進めるとゴシック様式の尖塔を持ったミヒャエル教会 Katholische Kirche St. Michaelが目立つミヒャエル広場 Michaelplatzに出た。この立派な建物が王宮 Hofburgらしい。予習してないので何が何やら名所がわからない。帰国してメモ,写真と記憶を頼りにグーグルマップ,地球の歩き方,ホームページ「ウィーンの街を公認ガイドと歩いてみませんか」などを参考にしながら,ようやく,ウィーンの記事が書けた。
王宮の中にはシシー博物館 Sisi Museum,皇帝の部屋 Kaiserappartements,王宮礼拝堂 Burgkapelle,王宮博物館 Schazkammer,スペイン乗馬学校 Spanische Reitschuleなどなどの見所があるそうだがいずれの館内見学もパスだ。
王宮の中庭に入ってみるとローマ時代の衣装をまとったフランツ2世像が出迎えてくれた。
さらに中庭を抜けてヘルデン広場 Heldenplatzに出る。新王宮 Neue Burgのすぐ前にはオイゲン公騎馬像 Prinz Eugen-Equestrian Statueが離れてカール大公騎馬像 Erzherzog Karl-Equestrian Statueと向かい合って立ってるいる。広場の突き当たりはブルク門 Burgtorでそこを抜けるとリングを渡って,先ほど11時頃にウィーン中央駅から戻って市内観光の出発点となったマリア・テレジア広場に出る。
王宮の入り口のミヒャエル広場に戻り,歩行者天国になっている繁華街のグラーベン Grabenのペスト記念柱 Wiener Pestsäuleを横目に眺める。
ふらっと入ったウィーン最古(4世紀創建,1702年再建)のペテロ教会 Peterskircheでは少年少女の合唱コンサートが催されていた。バロック様式の堂内に澄んだ歌声が響き渡りうっとりとする。オルガンもさる事ながら歌声もいいもんだ。
(iPhoneで録音したコーラスを聴く)
天使のコーラスの余韻が残るペテロ教会を後にしてシュテファン大聖堂 Stephansdomに向かう。内陣を見て外に出てぐるっと回ってみる。137mのとんがった南塔 Südturmに比べて北塔 Nordturmは中途半端な感じだ。
シュテファン大聖堂の近くのモーツァルトハウス Morzarthaus Viennaの前は人盛りだ。シュテファン大聖堂からグラーベンに戻ったところで夕立に会い,雨宿りを余儀なくされる。
王宮を目指して歩き,雨上がりのフォルクス庭園 Volksgartenを散策する。
市庁舎広場に停めたバイクのところに戻りホテルに戻ったのは7時を回った時刻だった。昨晩のようにマリアヒルファー通りに出てカフェーで夕食をとった。メニューはフライドチキン&サラダとシュニッツェル&フライドポテトだ。
明日はシェーンブルン宮殿に行って見よう。 とにかく暑い。そして小さいアブのような虫に悩まされる。
ウィーンを観光して見て感じたことは,これでもか,これでもかとオーストリアハンガリー帝国・ハプスブルク家の栄光が押し付けられた,と言うことだ。いやはや,ウィーンってところは,これまで出会った世界遺産の街とは大違いの凄いスケールの世界遺産の街だ。
7月10日(24日目) ウィーン Wien観光
7時半に階下の食堂に行って見たが朝食の用意はない。月曜日だからクローズドなのか? 街のパン屋 Bäckereiでコーヒーとサンドイッチの朝食をとる。ウィーンの休日2日目はシェーンブルン宮殿 Schloss Schönbrunnの観光だ。出がけに雨が降ったのでウィーン西駅からマリアヒルファー通りを宮殿まで走っている58番のトラム(市電)に乗る。
見学時間はたっぷりとあるのでチケットは全室鑑賞と庭園,グロリエッテなどが鑑賞できるクラシックチケットを購入した。30分も待たずして入場でき,日本語オーディオガイドに従って40室を鑑賞した。例によってここも写真撮影はダメだった。地球の歩き方に載っていた写真でローザの間,大ギャラリー,丸い中国の小部屋,漆の間の写真で少し記憶が蘇ったが…。いやはや,ハプスブルク家の栄光ここに極まれり,って感じだった。ロマンチック街道のノイシュバンシュタイン城よりも見処があった。
チケットで入場できる庭園の一つ,皇太子の庭園 Kronprinzengartenに入って見た。まぁ,特にどうってことなかった。
宮殿の裏のシェーンブルン宮殿公園 Schönbrunner Schlosspark は無料で鑑賞できる。公園の両側には植えられた花々で幾何学的な花壇が作られている。向こうに見える丘やグロリエッテからはこの花壇が綺麗に見えそうだ。
今日も暑い,暑い。で,ネプチューンの噴水 Neptunbrunnenに近づいて裏側から覗いてみようと試みた。ところが不覚にもネプチューンの泉の噴水を裏から見終わって戻る時に足を滑らせ右足首を酷く捻挫してしまった。しばらくは歩けないほどの痛みだ。
しかしここまで来て諦めてなるものかと意味不明の言い訳を念じ,丘を登りグロリエッテ Glorietteを目指す。遮るもののない丘を強い陽射しを浴びながら足首の痛みを我慢して汗ダクダクでグロリエッテに到着した。ここまで登ってきた価値があるウィーンの街の展望が眼下に開けた。さらにチケットで展望台に登ってみる。あ〜〜暑い,暑い。ア〜〜痛い,痛い。
グロリエッテを降りて迷路庭園 Irrgartenで遊んだ。簡単なコースもあるが,いくら歩き回っても出口にたどり着けなかったコースもあった。マリー・アントワネットもこんなして遊んだのだろうか。
チケット最後の有料観覧のオランジェリー庭園 Orangeriegartenは惰性で回ったようなものだった。温室はガランとしていてちょっと物足りなかった。
9時半から3時までたっぷりと時間を使って回ったシェーンブルン宮殿を後にして朝と同じトラムでウィーン西駅に戻った。駅構内のショッピングモールでスポーツ店を探してキネシオテープを買い求めた。これで捻挫した足首を固定して明日からのエルベ川自転車旅に備えよう。
カミさんが洗顔石鹸が切れたと言うので駅中のドラッグストアをあちこち回って探すのに付き合った。iPhoneにインストールしたドイツ語の辞書を片手にして探し回ったがお気に入りの石鹸は無かった。足の痛みのために早くホテルで休みたいのにいい加減にして欲しかったが,ここで一言を発したらどうなるかは火を見るよりも明らかだ。なのでジッと我慢してなるべく歩き回らずにいた。買い物の後,炎症を起こしている足首に良くはないがこの暑さを紛らわせるために駅中のカフェーでビールを飲んで一息ついてからホテルに戻った。
夕食に出直す頃には夕立に見舞われたが涼しくなったことを幸いに雨の中を近所のアジア料理のスナックに入った。店内の写真とドイツ語の品名を見ながら焼きそばと八宝菜&白飯を注文した。これが予想外に美味かった。懐かしい味の中華料理のおかげか,足の痛みも少しばかり和らいだような気分だ。
さあ,明日はチェコに入ります。(エルベ川自転車道の旅(2017ドイツ・オーストリア・チェコ自転車旅行−2))に続く。
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