ライン川自転車道の旅(2014ドイツ自転車旅行−2)

 

はじめに

2014年6月25日から一ヶ月かけてマイン川〜ライン川〜モーゼル川〜ザール川自転車道をカミさんと旅した。このライン川自転車道の旅はこのウェッブページ(BikingBlog)の別の固定ページに記載したマイン川自転車道の旅に続く第2部だ。

ライン川自転車道はスイスのアンダーマットからドイツ,フランスを通ってオランダのロッテルダムまで続く1,230kmもの道のりだ。しかし我々はマイン川との合流点のマインツとモーゼル川との合流点のコブレンツまでの108kmのライン川自転車道を走ることにした。あたかもこの部分は「ライン渓谷中流上部」として世界遺産に登録されている,いわゆる,ロンチック・ラインという一番おいしい場所だ。見どころは数々のお城,ローレライ岩,ライン川の大湾曲などなどだ。そしてなんといっても忘れられないのはラインガウ地域名産のワインだ。ライン川は古代ローマ帝国の国境になっていて左岸はローマ帝国領で右岸はゲルマン民族の領地であった。「ロマンチック・ライン」はロマン主義の芸術家(ターナー,ハイネ,シューマンら)がこの地域にまつわる作品(ラインの風景,ローレライの歌,交響曲第3番ライン)を残していることと関係しているようだ。ロマンという語は「ローマ帝国庶民文化にまつわる」を意味するというから,自分はロマンチック・ラインを,「空想的/恋愛の」という解釈でなく,「ローマ帝国文化にまつわるライン川流域」と解釈して旅を続けた。

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第1日目(通算16日目 2014年7月10日)マインツ Mainz〜リューデスハイム Rüdesheim am Rhein(46.59km)

7時に,身なりを整えた客に混じって,朝食を摂った。宿泊代はそれほど高くはなかった(€81)が,自転車の旅人向けのホテルではなかったか。

9時にホテルを出発しようとしたが,一昨日からの雨でバイクは泥だらけでおまけにチェーンに錆が浮いている。簡単に泥を落として,チェーンオイルを差し終わってから出発した。雨は上がっているが,上空はどんよりと曇っている。テオドール・ホイス橋を渡り戻って右岸のライン川自転車道に乗り入れた。おいしかった日本料理の思い出が残るマインツに別れを告げた。標識にはEuroVelo 15(ヨーロッパ自転車道 15)のマークが付いている。

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10時にヴィースバーデン Wiesbadenの入り口のビープリヒ城 Schloss Biebrich(1700-50年)に到着。城の見学はパスしてヴィースバーデンに寄り道をするために市街地を目指して北上する。

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ビープリヒ城公園の脇を走り,ドイツ鉄道を越えてダラダラと登る坂を北上してようやくヴィースバーデン中央駅を過ぎる。ライン川自転車道から45分の道のりだった。ヴィースバーデンはローマ帝国の軍の舎営地としての歴史を持つ街で当時の遺跡が地下に眠っているという。現在のヴィースバーデンは,フランクフルトを差し置いて,ヘッセン州の州都なのだ。市街に入りさらに北上すると(新)市庁舎 Rathausとマルクト教会 Markt-Kircheが建つマルクト広場 Marktplatzに着いた。マルクト教会は第二次世界大戦後に再建されたものだ。ヴィースバーデンは第二次世界大戦の空爆で市の中心部に大火災を起こし,2万8千人が家を焼かれ1千人が亡くなっている。

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広場の一角のインフォメーションで日本語の地図を貰い,まずはカフェーに立ち寄ってカプチーノで一息入れる。そして歩いて街の散策に出かけた。

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新市庁舎とヘッセン州議会(第二次世界大戦前は市宮殿 Stadtschloss)に挟まれた宮殿広場 Schlossplatzに集まっている人々は誰かの結婚を祝う人達のようだ。広場の一角には壁に様々なレリーフを備えた1610年に建てられた旧市庁舎 Altes Rathausがあるらしいが見落としたようだ。

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土産物屋のエミール・クローネンベルガーが1946年に作った世界最大のカッコウ時計が時を告げる。可愛いお土産があるが,まだまだ旅の半ばなので,持って帰るわけには行けないのが残念そうなカミさんだ。ヴィルヘルム通り Wilhelmstraßeに出てクーアパークを目指す。

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バーデンの名が示すように,ヴィースバーデンは温泉地として有名なのだ。クーアパーク Kurparkの一角に源泉の湧き出し口があり,コッホブルンネン Kochbrunnenのパビリオンがある。中ではナトリウムたっぷりの飲料用の温泉が流れ出ている。温度は66℃で手で掬って飲もうにも熱すぎる。すこしばかり飲んでみると鉄錆び臭い。回りにいたスラブ系(?)の人達が英語で「この源泉は日本へ輸出しているんだぞ,1日1リットルが限度だが日本人なら2リットルでも大丈夫だ」などと冗談を言って話しかけてくる。

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クアパークからヴィルヘルム通りに戻る。カイザー・フリードリヒ像が見ている先のクーアハウス Kurhausは通りの向こうだ。ここにはカジノが併設されているそうだ。ヴィースバーデンで温泉を体験してみようと水着を持参したのだが日本のような共同浴場はないのだろうか。地球の歩き方のお勧めのカイザー・フリードリヒ温泉は裸での混浴ということで,これはパスだ。

クアパークの先にはネロベルク山があり,そこに登るネロベルク登山鉄道があるのだがこれも時間の都合でパスした。ネロベルク登山鉄道は水を列車のタンクに注水/排水して動くというユニークな登山鉄道だ。テレビの旅番組では何度が見ていたが,現地に来たのに乗れなくて残念だ。

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クアハウスの隣の州立劇場 Staatstheaterは,表(?)から見ると近代的なつくりだが裏(?)側から見ると全く違う様相を見せている。

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ヴィルヘルム通り Wilhelmstraßeをマルクト広場に戻る。広場のベンチでマルクト教会を眺めながらランチを摂った。

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ヴィースバーデン市街からの帰り道は快適なダウンヒルだ。街中なので交差点や歩行者に注意して下り,ライン川自転車道に戻った。1時15分にシーアシュタイン Schiersteinの港に入った。ここには水上スポーツやレジャーの一大拠点で自転車道や遊歩道の左右には露店が出ていて賑わっていた。人並みの多さにバイクを押し歩きしなければならないほどだ。

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2時前にはエルトフィレ Eltville am Rheinに入った。街はちょっとしたお祭りムードだ。グーテンベルクが最晩年を過ごした選帝侯城塞 Kurfürstliche Burgの中にインフォメーションとグーテンベルク博物館があった。城のお隣は聖ペーター&パウル教区教会 Pharrkirche St. Peter und Paulが建つ。

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ここにも木組みの家が建ち並ぶ。バイクを停めたところに戻ってアイスを舐めるて一休みだ。

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この辺りのライン川には中洲がしばしば現れる。曇り時々晴れの天気で走りやすいねぇ,とカミさんと話しながらフッとエルトフィレから少し入ったところにあるエバーバッハ修道院 Kloster Eberbachを訪ねるのを忘れたことに気がついた。ここには歴史的なワインセラーがあるのだが,あぁ残念だ。

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3時にエストリヒーヴィンケル OestrichーWinkelを通過する。このクレーンも古そうだ。

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4時前に観光客でごった返すリューデスハイム Rüdesheim am Rheinに到着してインフォメーションで宿の場所を訪ねる。この先の2本目の路地を入ったところにZur Lindenauを見つけた。ワイン農家が経営する宿のようだ。部屋の窓から街のどこからかバンドが奏でる音楽が入ってくる。日課となっているシャワーと洗濯を済ませて街の散策に出かけた。

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市庁舎と教会が建ち並ぶマルクト広場に行ってみた。と,そこはジャズバンドの野外演奏の会場となっていた。さっき宿の部屋で聴いた音楽はこれだったのか。イギリスから来たAshville Collegeのジャズバンドの演奏だ。広場にはワインを売るブースが出ていて,みんなワイングラスを片手に演奏を楽しんでいる。ちょっと躊躇するカミさんを励まして(?)我々もワインを買ってきた。半分空いているベンチに座らせてもらうと,お隣さんはスェーデンから毎年ここを自動車で訊ねているという夫妻だ。双方ともつたない英語であれこれとワインを飲みながら話をする。「ワインが安くて旨い,ドイツ人はとても親切でフレンドリーだ」などなど。カミさんもノリノリになってスパークリングワインをお代わりする。2組の夫婦でドイツ語(Zum Wohl),スェーデン語(Skål),日本語(乾杯)でワイングラスを鳴らした。隣の坊やがちょっと怪訝な顔をしている。

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演奏も終わったところに俄雨が降ってきた。小止みになってきたのでスェーデン人夫妻と分かれ,われわれはツグミ横丁 Drosselgasseに行ってみた。ここはライン下りのTV番組では必ず紹介される有名な小路だ。生演奏付きのワイン酒場や若者が咆哮するビアガーデンなどで騒がしい。若者グループは近くのユースホステルから流れてきたのだろうか。通りかかった我々に何やら声をかけるので Viva Deutchlandと返してやった。

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各種のワインを試飲させるという小さなワインハウスを覗いてみる。種類がありすぎてどれがどれやら分からない。この日は大量に買っている客はみんな中国人だった。ニコンかキャノンの一眼カメラを首に,リュックサックを背負っている東洋人は中国人と見て間違いない。

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ようやく7時になったので夕食を摂ることにした。まずは何といってもここラインガウ地方の甘口ワインだ。カミさんと「これは美味し過ぎてアブナイ,アブナイ」といいながらライン川自転車道の旅の第1日を祝福する。料理は何度も食べてきたサラダとシュニッツェルだ。ワインが旨いとやや食べ飽きてきたドイツ料理も旨い。

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第2日目(通算17日目 2014年7月11日)リューデスハイム Rüdesheim am Rhein(0.0km)

今日はリューデスハイムの休日だ。8時半という遅い朝食だった。宿の食堂はワイン酒場の雰囲気だ。サンドイッチとコーヒーをゲットする。

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まず,リフトに乗ってニーダーヴァルト記念碑 Niederwald-Denkmalを見に行こう。

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一面のブドウ畑を眼下に眺めながらゴンドラリフトは上って行く。川側にはブレムザー城 Brömserburgが,山側には(多分)ユーゲントヘアベルゲ Jugentherberge(ユースホステル)が霞んで見える。

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ゴンドラリフトの終点にはパビリオンが建ち,そこからは悠久なラインが流れているのを見てとれる。

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少し歩くと展望台となっているニーダーヴァルト記念碑だ。普仏戦争後の1871年のドイツ統一を記念して1883年に建てられた。高さは38mで女神ゲルマニア像の下には左に戦争の像,右に平和の像が立つ。その間に皇帝ヴィルヘルム1世や鉄血宰相ビスマルクが刻まれた大きなレリーフがある。

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森の中のハイキング路をヤークトシュロス・ニーダーヴァルト城 Jagdschloss Niederwaldまで足を伸ばす。3kmあり45分かかった。城はホテル・レストランになっている。ここからリフトを乗り換えて隣町のアスマンハウゼンに降りることが出来るが,それは明日の自転車旅で回ることにして記念碑に戻る。戻ったところのベンチに座って眼下のライン川の景色を眺めながらランチを摂った。良い眺めがサンドイッチに味を添える。

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ランチの後は再びゴンドラリフトでリューデスハイムに戻り,川岸のブレムザー城のラインガウ ワイン博物館 Rheigauer Weinmuseumを訪ねた。城の庭には古いブドウ搾り機が展示されている。

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受け付けで日本語の音声案内機を貸してもらう。ワイン樽を作る道具類やワイン樽に設える樽掃除のための出入り口の小ドアなどが興味を引いた。

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ローマ帝国時代のワイン壺,ガラスのワイン壺,装飾されたワイン壷やグラスの陳列も珍しかった。なかでも,貴族たちがお遊びにつくらせた飲み口の2つあるワイングラスは愉快だ。ワインをこぼさないように飲むのは至難の技だ。カミさんも自分もこのワイン博物館を十分に堪能した。

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2時半にいったん宿に戻った。そこでラインガウのワインを試飲することにした。100mlのグラス6個に白ワインが並べられている。番号順に試すと辛口から甘口のワインを試飲できる。二人とも絵はがきを書きながら,サラダをつまみに飲んだ。カミさんは#3の中辛(halbtrocken)が,自分は#6の甘口(liebrich)がお気に入りのワインだった。

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酔い醒ましにライン川岸を駅まで歩いてみた。駅は街外れにあり,たまに電車が止まる以外は,とても寂しい。日本だと鉄道駅は街の中心になっているが,ドイツでは馬車駅が鉄道駅に変わったので街外れの寂しい場所にあるのだ。馬車駅は馬糞臭いので街の外れに追いやられたのだ,と機内で読んだ「ドイツの都市と生活文化」にあった。それで今でも,大きな街であっても鉄道駅は街の外れにある。

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再び部屋に戻り小休止してツグミ横丁に繰り出した。今日の横丁は静かだ。バウムクーヘンのような焼き菓子を試してみたいが夕食が入らなくなりそうだ。どこかで見たような店だと思ったら,ロマンチック街道のローテンブルクにあったクリスマス用品を販売しているケーテ・ヴォールファールト Käthe Wohlfahrtだ。さすがは観光地。

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7時までブラブラして「日本語メニューあります」の看板を出しているレストランに入った。昼にタップリとワインを飲んだので,ここはビールで乾杯だ。カミさんはマウルタッシェン(ドイツ風ラザニア)を自分は豚の胃に挽き肉を詰めたものをザウアークラウトでいただいた。

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第3日目(通算18日目 2014年7月12日)リューデスハイム Rüdesheim am Rhein〜ザンクト・ゴアール St. Goar(38.34km)

今日も8時半という遅い朝食だった。シェフのご主人がマーブルケーキを焼いてくれた。お返しに折り鶴とカリントウと塩飴をプレゼントした。

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9時半に宿をスタートして隣町のアスマンスハウゼン Assmannshausenに向かう。右岸に自転車道は無く工事中の一般道路を走らされる。アスマンスハウゼンは赤ワインが名産というがこの時間ではいくら何でも飲むわけにはいかない。歴史的なホテル・クローネ Kroneの前の船着き場で時刻表をみると,ちょうど良いリューデスハイムに戻る便があったので乗船する。

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船はアスマンスハウゼンを出ると川上に向かわずに逆に川下に向かった。やがて左岸の川岸の小さな教会の高台にライヒェンシュタイン城 Burg Reichensteinが見えてきた。すると船はここでUターンして川上に向かい,左岸のトレヒティンクスハウゼン Trechtingshausenの船着き場に立ち寄った。1000年もの歴史を持つラインシュタイン城 Burg Rheinsteinだ。ここを観光する乗客を降ろしてから再び川上に向かった。船がリューデスハイムとは逆方向の川下に向かって出発したことに驚かなかったのは,須山さんの「時速15キロの旅」を読んでいたからだ。

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どこまで行くのだろうかカヤックを漕ぐ人やゴムボートを操る船団と行き交う。

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右岸には1220年に建てられ1689年にフランス軍によって破壊された廃城のエーレンフェルス城跡 Ruine Ehrenfelsが見える。川中島に建つネズミ塔 Mäuseturmは修理中だ。塔はかつては通行税徴収所そしてその後は信号所であったという。修理用の足場に取り囲まれた塔の姿がネズミ捕りカゴに入れられているようだ。 昔はこの辺りは暗礁があったり川が湾曲して急流であったりしてビンゲンの穴 Binger Lochと呼ばれた場所だという。直ぐにビンゲン Bingen am Rhienの街並みが見えてきた。3つもの教会の塔が見えるビンゲンの街の丘の上に建つのはクロップ城 Burg Kloppだ。船員が「どこで降りるのか」と訊くので「ビンゲンで」と言ってリューデスハイムには戻らずビンゲン Bingen am Rheinで降りた。地図によれば,ライン川自転車道は右岸のリューデスハイムでライン川を渡って左岸のビンゲンに続いている。ライン川自転車道はこのあとコブレンツまでずっとライン川の左岸を走って行く。予定ではリューデスハイムに戻って対岸のビンゲンに渡るつもりだったから手間が省けたわけだ。

いまでこそ世界遺産で賑わっているビンゲンとリューデスハイムであるが,第二次世界大戦の戦略爆撃によってビンゲンでは160人,リューデスハイムでは199人が亡くなっている。

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ビンゲンを出発して,さきほど船で見てきた,ライヒェンシュタイン城を再び見ながら走る。ライヒェンシュタイン城は横に長く延びているので南(上流側)と北(下流側)に別の建物があるように見えた。次に出てきたのはゾーンエック城 Burg Sooneckだ。走りながら撮影するのは難しいが一々停車しているわけにはいかない。しばらく走ったところで後ろからカミさんが「バックは肩に掛けないの?」と聞いてきた。脇に手を回してみると無い! 「え゛〜〜,バックをどこかに置き忘れた〜」とパスポート紛失かと慌てふためく。「後ろの荷台に置いてあるじゃない」と教えられる。ビンゲンを出るときに肩からバッグを外して荷台に置いてベストを着た時に,そのまま出発してしまったのだ。「よかった,よかったヨ〜」と胸をなで下ろして安堵する。

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ニーダーハイムバッハ Niederheimbachを通過する。対岸(右岸)に見える街並みはロルヒ Lorch am Rheinだ。12時半過ぎに自転車道の脇にKioskを見つけた。自転車旅行で初めての出会いだ。コーヒーブレークとトイレ休憩のついでに朝食時につくったサンドイッチで食べてランチを摂った。目の前のラインの川面は空と同じようにどんよりと曇っている。

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ラインディーバッハ Rheindiebachの山の上には廃城となっているフュルステンベルク城 Burg Fürstenbergがある。その対岸(右岸)のロルヒの街の高みにはノッリヒ城趾 Ruine Nolligが聳え立つ。対岸(右岸)のロルヒハウゼン Lorchhausenも牧歌的な美しい街並みだ。

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1時15分にバッハラッハ Bachrachに入った。丘の上にはシュタールエック城 Burg Stahleckが見える。

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ドイツ鉄道の下をくぐってバッハラッハの街に入ると,ここにもきれいな木組みの家が建ち並ぶ。バイクを駐輪して街を散策する。

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聖ペテロ教区教会 Pfarrkirche St. Peterの内部は意外に質素だった。教会の脇の急峻な小道を登り未完に終わったヴェルナー教会 Wernerkapelleの史跡からのライン川の湾曲の様子にしばし見蕩れた。

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息を切らして,さらに登ったところがシュタールエック城 Burg Stahleckだ。裏側からの城はさっき見た川側からの景色とはだいぶ違いがある。ここはユースホステル Jugentherberge Burg Staleckになっていて,着いたときは城内は閑散としていた。カミさんに「空いているようだから泊まろうか」と訊いてみたが昨年のユースホステル泊まりで懲りた経験がノーと言わせた。古城に泊まるチャンスだったのだが…。しかし,クルマの通れる道があるとは言え,ここまでバイクを押し上げるのは大変だ。

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市街に降りてカフェーでビールを飲んだ。カミさんは木組みの家並みをスケッチする。1568年に建てられた古い家 Altes Hausは修理中だ。街中を歩くと観光用のブドウの木があちこちに見られた。

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バッハラッハを出ると対岸(右岸)の街カウプ Kaubの川中島に建つプファルツ城 Burg Pfalzgrafensteinとその上の崖に建つグーテンフェルス城 Burg Gutenfelsが見えてきた。プファルツ城は1327年に建てられた通行税徴収所だ。カウプに渡って,そこからフェリーで城に降りることが出来るそうだが優雅な姿を眺めるだけで満足だ。グーテンフェルス城は1200年ごろに造られて現在はホテルになっている。

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シェーンブルク城 Schönburgが見えて来るとオーベルヴェゼル Oberweselの街だ。城は12世紀前半に建てられて現在はホテルとなっている。マルクト広場の市庁舎の前では大きなワイングラスの飾りが歓迎してくれる。

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牛の塔 Ochsenturmでオーベルヴェゼルの街とお別れだ。自転車道の脇を走るドイツ鉄道のトンネルにも塔がある。この塔は元々あったのか後から建てたのだろうか。

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もうすぐ宿泊地のザンクト・ゴアールだというところで,カミさんが対岸(右岸)を差して「あれがローレライじゃない」と言う。みれば大きな岩がで〜んとある。目を透かせば川岸にLORELEYの文字が読める。「なぁ〜んだ,これがローレライ」というのが正直な感想だ。日本人による「世界三大がっかり」はマーライオン(シンガポール),人魚姫の像(コペンハーゲン),小便小僧(ブリュッセル)というのが定説だそうだが,小便小僧の代わりにこのローレライまたはオペラハウス(シドニー)を入れる説もあるという。「ヨーロッパ三大がっかり」だとこのローレライは文句なく入るという。まさにその通りと感じた。カミさんに言われなければそのまま通り過ぎていた所だ。

ローレライを過ぎての右岸の街はザンクト・ゴアースハウゼン St. Goarshausenだ。崖の上にあるのはネコ城 Burg Katzだ。1371年に建設されたが1806年にナポレオン・ボナパルトが破壊した。再建されたのは1896〜98年で1986年に再び改修され,現在は個人所有の高級ホテルとなっている。

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ザンクト・ゴアール St. Goarのインフォメーションは閉まっていたので地図と宿リストを頼りに今晩の宿を探し歩く。あちこち探し回ってBett und Bikeマークの付いたHotel Rheinfelsに入ってみた。インド人のフロント係は「川に面した部屋は€80で山側の部屋は€70だ」というので山側の部屋を頼んだ。が,「満室だ。川側を€75にするがどうだ」と吹っかけるのでオーケーした。商売上手だな。

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5時過ぎに,明日の水を買いに街のスーパーを探しに出た。しかし,カミさんの鼻もスーパーを探し当てることが出来ない。街外れのガソリンスタンドで買うことにした。ここでの水1リットルは,いつもの倍の,€2だったがやむを得まい。

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5時半に川岸のレストランで夕食を摂った。ワインと,カミさんはピッツァを自分は焼きソーセージを注文した。が,料理を運んできたウェイトレスが「あらまぁ,私は間違って別の料理をもって来ちゃった」と言って切ったソーセージが入ったサラダを持ってきた。あれこれと焼きソーセージとこのソーセージサラダとの似ているところを弁解するのを聞いていて,めんどうになり,「オーケー,オーケーそれで良いよ」と受け取った。こういうときはきちんと注文したものをもってこさせたほうがいいのだろうが,空腹と疲れで怠惰になってしまっていた。ウェイトレスはお世辞に「あなたのドイツ語は上手だ,どこで習ったのか」なんて言う。

気を取り直して対岸のネコ城を眺めながらワインを飲んだ。ところでこのネコ城の持ち主は日本人男性ということで彼の知人などだけが泊まることが出来るらしい。どんな日本人オーナーだろう。

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酔いざましにラインの川岸をそぞろ歩きする。街の高台には,夕日を背景にして,ラインフェルス城 Burg Rheinfelsのホテルになっている部分が望める。眼を対岸の崖の上に移して遥か彼方の村に思いを馳せる。そのずっと下にはザンクト・ゴアールスハウゼンの街がゆったりと流れるラインの上に浮かんでいるように見える。

ホテルに戻ってこれからの宿をインターネットで検索して予約した。作業にはタップリと2時間もかかった。その後はテレビでサッカーワールドカップでブラジルがオランダに無様に負けた試合を見て寝た。

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第4日目(通算19日目 2014年7月13日)ザンクト・ゴアール St. Goar〜コブレンツ Koblenz(44.28km)

起きてみると雨が降っていた。ちょっと憂鬱な気分で8時に朝食を摂った。サンドイッチと紅茶をゲットして9時40分にホテルを出発した。運良く,雨は上がっていた。出発して直ぐに対岸(右岸)のヴェルミッヒ村 Wellmichの高台にネズミ城 Burg Mausが見えてきた。

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自転車道,一般自動車道,ドイツ鉄道が並走するライン川自転車を走る。こんな具合にドイツの自転車道は全くと言っていいほどに,安全で快適だ。日本の河川の堤防上のサイクリングロードや一般自動車道の側道とは比べ物にならない。

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ザンクト・ゴアールから30分ほど走ると右岸の高みに敵対する兄弟 Die feindlichen Brüderが見えてくる。右の上流側がリーベンシュタイン城(13世紀)Burg Liebensteinで白い塔を持った左の下流側がシュテレンベルク城 Burg Sterrenberg(11世紀)だ。2世紀も違えば喧嘩も出来まい,と思うのだが何せ伝説の多いライン川のことだから。

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10時45分にボッパルト Boppardに入る。公園で何やら鉄球を放り投げるゲームが行われている。ペタンクというフランス生まれの球技らしい。マルクト広場に行ってみたがインフォメーションは日曜日でお休みだ。カミさんがローマ帝国時代の城壁や街の建物を巡る観光バスに乗ってみようと言うのを断ったら不機嫌になった。ここではリフトに乗ってライン川の大カーブの光景を見る予定があるので,時間に余裕がないのだ。街中の可愛い親子の像を見たら機嫌はよくなったようなので街外れのリフト乗り場に行った。

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チェアリフトの切符売り場に駐輪して,一人往復€8を払って年季の入ったリフトに乗る。歩くほどの鈍さでリフトは高度を稼いでいく。ボッパルトの街がだんだん小さくなっていく。 ダウンヒル仕様のMTBが上がってくる。もうこの歳では無理だろうなぁ。下の方をフンスリュック鉄道 Hunsrückbahnが走っているのが小さく見える。この鉄道は何と60‰もの急勾配を走るそうだ。

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20分ほど冷たい風に曝されながら座っていると標高200mのゲデオンスエック Gedeonseckに到着した。そこから少し歩いて展望テラスから下を見るとライン川の大カーブだ。雄大な眺めだが,涼しい!

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再び冷風に曝されて下界に降りてきて街外れの公園でランチを摂る。貰ってきた紅茶は香料入りでどうも美味くない。昼食後に優雅な趣のボッパルトの街を後にしてコブレンツを目指してスタートした。

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先ほど見たライン川が大カーブを終えたところのオステルシュパイ Osterspaiの高台にはリーベンエック城 Schloss Liebeneckが建つ。

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オーベルシュパイOberspayのキャンプ場脇を通りかかったときに出てきたドイツ人にカミさんが何やら呼び止められた。身振り手振りからするとローラーブレイドの車輪が外れてしまったので工具を持っているか,と言うことらしい。アーレンキーを貸してあげるとうまいぐあいに車輪を留めることができた。別れ際に「シェーネン ターク ノッホ Schönen Tag noch」とテレビでドイツ語で覚えたフレーズ(この後も良い一日を)を使ってみた。相手からも同じような言葉が返ってきた。小さな国際交流だった。

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対岸(左岸)にブラウバッハ Buraubachの街とその高台にマルクスブルク城 Marksburgが見えてきた。しかし,こちら岸にも対岸にも船着き場にフェリーの姿は見当たらない。マルクスブルク城はこのライン川の世界遺産の地域では唯一破壊を免れて,中世の姿を完全に残す城として有名だ。フェリーがなくては渡れないので指をくわえて対岸の城を眺めるほかはない。そういえばマインツを出てからというもの橋が架かってない。世界遺産のともなると景観保全のためにおいそれと橋を架けるわけにはいかないそうだ。いつかは走ってみたいエルベ川の話だが,ドレスデン・エルベ渓谷が2004年に世界遺産(文化遺産)に登録されたが2009年には世界遺産リストから登録抹消されている。理由は景観を損なう橋が建設されたことによるという。我が国の富士山も今の調子じゃ危ないかな?

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後ろ髪を引かれる思いでマルクスブルク城を後にして走ると,2時少し前に,レンス Rhensという街に出くわした。コーヒーブレイクを兼ねて立ち寄ることにした。

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小さな街だが後期ゴシック様式のそれは美しい木組みの家並みが眼に飛び込んできた。静かな日曜の午後の日差しの中で子供たちが水飲み場で遊んでいる。

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立ち飲みの男達が管を巻いているカフェーで,コーヒーじゃなくて,ビールを頼んだ。ウェイトレスはグラスマットに一本線を引いて行った。これは一杯飲んだという印だ。しかし先にまだ行かなくてはならないので,印は一本だけにしておく。カミさんがスケッチを始めたが,どうも調子は今一つのようだ。

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対岸(右岸)のラーンシュタイン Lahnsteinの川岸には1298年のマルチン城 Martinschlossが建っている。高台には1244年築城のラーンエック城 Burg Lahneckが聳える。山間を流れるラーン川 Lahnを挟む対岸の高台にはアラーハイリゲンベルク(万聖節山)教会 Allerheiligenberg-kapelleの美しい尖塔が見える。

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自転車道の頭上にはイギリス風のシュトルツェンフェルス城 Schloss (Burg) Stolzenfelsだ。こちらもメインの塔が改修中のようだ。再び対岸のラーンシュタインの街に眼を転じればヨハニス修道院 Johanniskloster Lahnstein(1130年創建,1856-57年再建)の塔が望める。その下流にはマキシミリアン・ビアガーデン(ビール醸造所)Maximillians Brauwiesenの美しい建物が見える。思わず咽がゴックン。その隣の城のように見える建物は1890年に建てられ,1955年に閉鎖された耐火レンガ工場だ。

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時刻は3時を回り,並走していたドイツ鉄道と別れて自転車道は久しぶりに林の中を走る。南橋 Südbrückeをくぐったところで夕立に見舞われた。近くのバス停で雨宿りしていると自転車旅行中のドイツ人家族も入ってきた。待つことしばしで雨は止んだ。さぁ,ライン川自転車道の旅のゴールも直ぐそこだ。自転車道はもう一つ小さな橋を渡ると何人もの市民が散歩している川岸を走るようになった。目の前の向こう岸にはエーレンブライトシュタイン要塞 Festung Ehrenbreitsteinが見えてきた。このまま進んだどん詰まりがゴールのドイチェス・エック Deutches Eckだ。

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3時45分にライン川とモーゼル川の合流地点のドイチェス・エックに到着した。そもそもコブレンツ Koblenzは合流地点 confluentes から由来した地名だ。そのコブレンツに到着して世界遺産の「ライン渓谷中流上部」は終わりを迎えた。コブレンツには連泊するのでこの辺りの観光は明日に回そう。まずは予約したホテルを探さなくっちゃ。

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さすがは観光地で大都市のコブレンツだ。インフォメーションは日曜日でもオープンしていたので街の地図を手に入れてホテルの目標である鉄道駅を探しに出かけた。到着したコブレンツーシュタットミッテ駅 Koblent-Stadtmitte Bahnhofの駅前近くにはホテルがありそうもない。住民に聞いてみるとお隣のコブレンツ中央駅 Koblenz Hauptbahanhofの駅前にあるという。線路に沿って行って見るとコブレンツ中央駅の駅前にホテル Continental Koblenzがあった。ここの中央駅は市街地からはかなり離れてはいるがけっこう賑わっている。

フロントでは前金での支払いを要求された。バイクを従業員の休息室のような所に置いてもらい,部屋に入ってみてビックリ。部屋は改修されたばかりのピカピカだが家具はベッドと壁掛けテレビだけ。道理で安い(一泊朝食付きで€69)はずだ。まぁ,寝るだけだから良いだろう。

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日課のシャワーと洗濯を済ませて旧市街にでて夕食を摂ることにした。先ほどのKoblenz-Stadtmitte駅を通り,イェズイット広場 Jesuitenplatzまで行ってちょっと高級そうなレストランに入った。€5.5のワインにウィーン風シュニッツェルとサラダを注文した。美味いワインだった。帰りに,再び夕立に遭った。出がけに傘を持つかどうか尋ねたら「大丈夫だよ」と言うので持たずにきてこの始末だ。それを咎めるとまたまた不機嫌に。どうも,何でもカミさんの意見を訊くという自分の性格も改める必要がありそうだ。自分のことは自分でしなければ…。

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9時にテレビを点けると,今日がサッカーワールドカップの決勝戦だった。ドイツとアルゼンチンの試合を途中まで観ていたが,そのまま寝入ってしまった。ふと外が騒がしいので寝ぼけ眼でカミさんに訊いてみるとドイツが勝って街中で大騒ぎしているのだという。

第5日目(通算20日目 2014年7月14日)コブレンツ Koblenz(0.0km)

今日はコブレンツの休日だ。旅行計画ではライン川自転車道の旅では2日の余裕をとっておいたのを,こちらに来て旅を続けながらリューデスハイムとコブレンツで使うことにしたのだ。

7時10分に朝食を摂りに下に降りてみると食堂には誰もいない。朝食が終わるまで我々だけであった。身支度を済ませて8時半という早い時間にホテルを出た。今日はバイクは乗らずに足で観光するのだ。コブレンツ中央駅からコブレンツーシュタットミッテ駅まで歩く。

コブレンツ中央駅の裏(西側)の高台にはコンスタンチン大公要塞 Fort Großfürst Konstantinが鎮座している。1153年に修道院として始まり1820年代に要塞(砦)の態をなしたとある。コブレンツーシュタットミッテ駅駅前の教会はヘルツ・ユズ教会 Herz-Jusu-Kircheだ。駅からはレーアセンター Löhr-Centerが続いていので地下街かと思って行ってみたが,駅への入り口にすぎなかった。昨晩食事しに歩いたレーア通り Löhrstraßeはまだ閑散としている。

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レーア通りには噴水が幾つもある。可愛らしいものもあればメルヒェン調のものもある。それらを眺めながらレーア通りからプフール小路 Phuhlgasseに入る。近代的なビルは文字通りの(ライン川とモーゼル川が交わる)交流会館 Forum Confluentesだ。内部は中部ライン川博物館 Mittelrhein Museum,中部ライン渓谷をテーマとした双方向体験施設のロマンティクム Romanticum,市立図書館 Stadt Bibliothekとツーリストインフォメーションが入っている。お目当てはエーレンブライトシュタイン要塞なのでこれらの見学もパスだ。

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プフール小路を左に折れると市庁舎だ。建物のアーチをくぐって中庭に入る。その片隅に観光地図にも載っているコブレンツ名物というシェンゲル噴水Schängelbrunnnenがある。腕白坊主が時々水を吹きかけてくる近寄るときは要注意だ。この名物もブリュッセルの小便小僧も似たり寄ったりだ。

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反対側のアーチをくぐると昨日夕食を摂ったレストランが面するイェズイット広場 Jesuitenplatzに出た。

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ライン通り Rheinstraßeを歩きヨーゼフ・ゲッレス広場 Josef-Görres-Platzでコブレンツの2000年の歴史を現している噴水に出会う。街を探せばコブレンツの未来を現す噴水があるかも。それにしても噴水の多い街だ。

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ライン川に行き当たりドイチェス・エック Deutches Eckに行く。そこには23mの台座の上に14mの高さのヴィルヘルム1世の騎馬像が建っている。リューデスハイムのゲルマニア像よりもちょっと低いが,ドイツ人ってこんなものがお好きのようだ。えっちらおっちらと階段を上って台座からエックを見下ろす。左側が母なるモーゼル川(Die Moselと女性冠詞で)で右側が父なるライン川(Der Rheinと男性冠詞で)だ。ヴィルヘルム1世の騎馬像も下から見上げるとさすがに巨大だ。

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記念碑を降りてモーゼル川の方を回るとベルリンの壁の一部が建っている。その先のドイツ騎士団の家 Deutscheherrenhausは美術館になっていたが月曜の今日はお休みだ。

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10時になったのでコブレンツロープウェイ乗り場に向かう。往復ロープウェイ乗車とエーレンブライトシュタイン要塞の共通入場券を€11.8で買って乗り込む。ライン川とドイチェス・エックが眼下に見える。二つの川の流れが合わさるところでは水の色の違いが分かる。ライン川は茶色に濁っている。

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ロープウェイを降りると大きな広場が広がる。少し歩いて展望台に行ってみた。木で作られた緩やかなスロープの展望台で,車椅子でも十分に登れるように途中には休憩場所(逆行止め)が設えてある。せっかちな歩行者のためには階段も用意されている。さすがはドイツ人のやることだ。展望台に立つとライン川の流れが見渡せる。こちらの方向(ボン,ケルン方面)にはいつかは行って見たいものだ。

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犬の散歩をさせていた小父さんに要塞の入り口を尋ねた。入り口は広場の反対側にありちょっと分かりにくい。ここは11世紀にエーレンブライトシュタイン城として始まり,16世紀には要塞の態を整えたという。現在はその一部が州立博物館やユースホステルとなっている。

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城の博物館にはコブレンツの歴史を語る武器,中世貴族・庶民の生活,兵士の服装などいろいろな展示があるがいずれも我々にはちょっと理解しがたい。ただ,中世のトイレはよく分かった。

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建物の内部をぐるぐると歩き外に出てやれやれとホッとする。

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広い中庭のような所に出た。この建物の一部がユースホステルになっていて子供たちが遊んでいる。建物の続きは州立博物館になっている。

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中に入ってみると要塞の興亡の歴史を見せるシアターとなっていて,要塞の壁をスクリーンにして映像を映し出している。英語での字幕も映ったりしてなかなか面白いプログラムだった。州立博物館の別のセクションでは産業の移り変わりの展示物があったがほとんど理解できなかった。

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12時を回ったので中庭のキオスクでランチを摂った。カレー味ソーセージ,焼きソーセージ,ポテトサラダとビールだ。このテラスからドイチェス・エックがよく見える。歩き回った後でのビールが効いてきてうたた寝をしたところ,カミさんにしっかりとスケッチされてしまった。それにしても,カミさんはよほどドイツ人の肥満体に興味があるらしい。

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エーレンブライトシュタイン要塞を辞して再びロープウェイでドイチェス・エックに戻った。

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朝のライン通りを戻って聖母教会 Liebfrauenkircheに立ち寄る。この教会は1180年から1250年にかけて建てられ,中に入ってみるとステンドグラスも見ごたえがある。コブレンツは1198年と1668年にも街の破壊を経験している。さらに第二次世界大戦での戦略爆撃による火災嵐では旧市街の85%が破壊され120人が亡くなるという大きな損害を被った。

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教会からモーゼル川に向かいバルドゥイン橋 Barduinbrückeから橋のたもとの古城 Alte Burgを過ぎて,鮮やかな赤い枠線の古い百貨店 Alten Kaufhausとフロリンス教会 Florins-Kircheを見る。古い百貨店は1965〜2013年までは中部ライン博物館 Mittelrhein-Museumだった。現在の中部ライン博物館は朝に通ってきた交流会館 Forum Confluentesの中にある。

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朝に歩いたレーア通りをKoblenz Stadtmitte駅に戻り,駅前のカフェーに入ってコーヒーブレーク。ここは30分の無料Wi-Fiが使えたのでこの先のモーゼル川自転車道のゴールとなるトリーアでの宿を探した。その後でスーパーマーケットに立ち寄って明日の水と夕食のパン,ハム,サラダ,ワイン,コーヒーなどを買い求めた。

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ホテルに戻ってテレビを点けるとツール・ド・フランスを放映していた。今日はフランス独立記念日だがフランス人はステージ優勝をかざれたのだろうか。昔はツールが見たくて有線テレビを契約したりしたのだが,最近は自転車ロードレースへの興味は薄れてしまった。

シャワーと洗濯の日課を済ませて,部屋のベッドの上に買ってきた夕食を広げて食べた。ワインの小瓶を飲んだが,もうここまでの間においしいワインを飲んでいて舌が肥えてきたのか,スーパーでの安いワインはアルコール臭がして美味いものではなかった。食後に飲んだカプチーノが効いたのか二人とも寝つけなくなり,本を読んだり日記を書いたりして夜更かしをしてしまうことになった。

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5日間(正味は3日間)のライン川自転車道の旅は終わった。走った距離は129.21kmで通算すると817.13km走ったことになる。明日からはモーゼル川自転車道の旅が始まる。

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 Posted by at 6:02 AM

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