スイス旅行記ーアルプスと花の旅
阪急旅行社トラピックスのイタリア旅行の説明会の折に,スイス・北欧の説明会も覗いてみた。説明会を聞き終わって調べたパンフレットの中からハイキングが最も盛り込まれているスイス旅行のコースを予約してしまった。リタイヤして昨年は何もしなかったからその分を今年でカバーしよう,というカミさんの何とも不可解な理由付けに自分を納得させのだ。
旅行日程は2011年7月11日〜20日の10日間だが,前後に3日のフライトがあるので実質は一週間の旅だ。
出発前に添乗員さんからの挨拶電話があったので,ハイキングの靴の仕様,旅行中2度のオプションツァーの催行について聞いてみた。靴は軽登山靴を買うまでもない,オプションツァーは一方(ヨーデルディナー)は催行決定とのことだった。軽登山靴は持ってはいるが,より軽快なハイキングシューズで十分と言うことなので,せっかく大きなスーツケースを買ったのだが,重い登山靴は置いていくことにした。
第一日目(2011年7月11日)
成田で添乗員さんからの説明を聞いてルフトハンザ航空にチェックインした。ルフトハンザではエコノミークラスは23kgの荷物を二個まで預かってくれるが,我々はそれほど大荷物ではなかった。
搭乗までの空き時間に少し腹ごしらえをして,外貨を両替した。今回の旅行にはドイツ(ミュンヘン),フランス(シャモニー)のEU圏の国に滞在するのでユーロとスイスフランを用意した。今日のレートは1ユーロ=118.87円,1スイスフラン=100.79円だった。
待つこと暫しで添乗員さんが集合を掛けて,入国審査に向かい,定刻通り12時30分にLH-715便の機上の人になった。今回のツァーは25名と小集団だがこれで定員一杯だ。
1時間ほどで機内食が出た。アペリティフにはカミさんはビール,自分は白ワインを頼んだ。メイン料理は日本食が品切れで鶏肉のミラノ風となってしまった。自分は今度は赤ワインを飲んだが,料理といいワインといい,ルフトハンザ航空よりも前回のアリタリア航空の方がずっと良かった。
13時間あまりの時間を過ごすのに機内VTRが自分のところは故障していて動かなかったので,密かにお勉強を始めることにした。カミさんは機内食のスケッチメモを作ったりしていた。
フライト中に軽食のケーキが出た。到着前の夕食はハーブ入りラヴィオリにした。ドイツなんだからソーセージやチーズが出て欲しかった。
時間通りのフライトで17時40分(ヨーロッパ夏時間)にミュンヘン空港に到着した。入国審査を終えて空港内のマーケットで水を求めた。その後はバスでミュンヘン郊外のホテルに向かった。
ホテルメルキュールオルビスでは,機内で出された握り飯を食べて,時差ボケでボ〜っとしながらもベッドに横たわった。
第二日目(2011年7月12日)
朝食は,例によってタップリと取った。パンもチーズもヨーグルトもこの上なく美味であった。
今日の予定はバスでオーストリアを経由してスイスに入り,ルツェルンで昼食を取ってベルナーオーベルラントの3名山(ユングフラウ,メンヒ,アイガー)を眺める旅だ。
朝のミュンヘン郊外を走る自転車乗りは溌剌としていた。日本の自転車乗りには羨ましい環境だ。
途中のドライブインでアイスクリームを食べて,やがてスイスの国境を通過した。国境と行っても検問やパスポートコントロールがあるわけではなく素通りできる。係員も暇のようだ。
バスの車窓にはのんびりとしたスイスの風景が広がり,ヴァーレン湖を通過してトンネルを抜ける。
山並みが迫ってきた。これがスイスアルプスだろうか。はやくも,期待に胸が膨らむ。
ミュンヘンから走ること6時間で375kmはなれたルツェルンの街に入った。ルツェルンはカペル川にかかるヨーロッパ最古の屋根付きの木橋が有名だが,ここでは昼食を取るだけだった。
カラッと乾いた空気にビールが旨い。が,スイスに来てもイタリアンとは。でも料理の名前はアルペンマカロニだ。
さらに70kmを一時間半かけて走るとヴィルダースヴィルに到着した。この辺りはベルナー・オーバーラントと呼ばれ,アイガー・メンヒ・ユングフラウの山々で有名な地域だ。
ここヴィルダースヴィルからユングフラウ鉄道の乗り放題チケットを使って,歴史的なと説明にあったアプト式の電車に乗ってシーニゲプラッテへ向かうのだ。
すでに駅からはユングフラウが見えている。ぞくぞくするような気持ちだ。
眼下に2つの湖に挟まれたインターラーケンの街並みを眺めながら電車はコトコトと高度を稼いでいく。
すると車窓にはアイガー・メンヒ・ユングフラウが飛び込んできた。車内からは「ワォー」っと歓声があがる。
1時間ほどで電車はシーニゲプラッテに到着した。ここはすでに2000mの高地である。記念すべきスイスの一歩の写真を添乗員さんに撮ってもらう。今回の添乗員さんはこのようにツーショット撮影に気を回してくれる。
駅の高台からベルナー・オーバーラント三山をじっくりと堪能する。3975mのアイガーは,アンチャンの意味があるそうで,その北壁をこちらに向けている。この山の中にトンネルをくりぬいて鉄道を走らせたのは100年近く前のことだ。4107mのメンヒは僧侶を意味し,4158mのユングフラウは乙女の意味だ。アンチャンが乙女にちょっかいを出さぬように間に僧侶が入っている図だ。
アイガーの左手には3692mのヴェッターホルンと4078mのシュレックホルンが聳えている。
ひとしきり山々を眺めた後でシーニゲプラッテ高山植物園を散策した。ここの植物は野生のものではないが,スイスアルプスの高山植物がいっぺんに見られる。
これからの日程で花のハイキングが用意されているので,まずはアルプス三大名花といわれるエーデルワイス,アルペンローゼ,エンツィアン(リンド ウ)を頭に刻み込んでおいた。この「三大」名花はどうやら日本人にしか通用しないようだ。ベルナー・オーバーラント三山といい,日本人は名物を数え上げる のが好きだ。
植物園からのオーベルベルクホルン(2069m,写真左岩山)の眺めも素晴らしい。まるで映画のワンシーンを見ているようだ。自分にはなぜか西部劇のシェーンが思い出された。こんなところをのんびりと歩きたいが,ツァー旅行ではそうも行かない。個人旅行だな。
17時53分の最終電車でシーニゲプラッテを後にした。途中駅のブライトラウネンに停車したときに,これまでの晴天は急変し,横殴りの豪雨に変わった。そうする内に突風が襲いかかり電車が激しく揺れ,大きな落雷が近くにあった。15分もすると雨は上がり,日が射してきた。が,電車は止まったままだ。
あれこれ情報が飛び交った末に,落雷・突風によって線路に樹が倒れて電車の行く手を遮っていることが分かった。とりあえず,駅の脇のホテルに我々を含めた乗客は避難することになった。乗客にはお好きな飲み物が振る舞われた。ユングフラウ鉄道のサービスだったのか。
さらに待つこと暫し,救難ヘリコプターが迎えに来るという連絡が入った。我々は半信半疑のまま飲み物を啜りながら待っていると,本当にヘリが飛んできた。ヘリは操縦士を含めて五人乗りなので,四人のグループをつくり乗る順番を待った。夕暮れになって牛が牛舎に帰っていく。周りを見ると,ホテルの脇の樹も落雷で倒れていた。本当に山の天候は変わりやすく,雷は危ない。
ヘリはアッと言う間もなく我々をヴィルダースヴィルに運んでくれた。人生で二度と経験できないような救難ヘリであった。それにしても日本でのこのようなことが起こったらどのような救援体制がとられるだろうか?
ヴィルダースヴィルからは9km離れたラウターブルンネンに向かった。15分後に着いたラウターブルンネンの村のどこからでもシュタウプバッハの滝がみえる。それを間近でみようとツァーメンバーの一人が出かけたようだが,今日の夕食・宿泊地のヴェンゲンに向かう最終電車の時間になっても戻ってこない。一難去ってまた一難の添乗員さんだ。連れの友人を始め,クルーがやきもきする内に息を切らせたメンバーが戻ってきた。やれ,やれと一安心する添乗員さんだ。全員揃って17km離れたヴェンゲンに山岳鉄道で向かった。
45分かかってヴェンゲンに着いたのは10時まであと10分という時刻だった。スーツケースの荷物はホテルの電気自動車で運んでもらい,レストランに急いだ。
料理はスープから始まる肉料理だった。精神的に疲れ切ったからだに白ワインがたっぷりとまわり,かくて波乱に満ちたスイスの一日目が終わった。
第三日目(2011年7月13日)
翌朝のユングフラウブリックホテルからのユングフラウは,雲が多いながらも顔を覗かせてくれていた。カミさんに誘われて,昨晩は闇の中だった,ヴェンゲンの村を散歩してみた。そこには絵はがきに見るような家々が並んでいる。
今日は花のハイキングがあるので朝食を,例によって,しっかりと取った。美味しいパンとジャムとミルクたっぷりのコーヒーは格別だ。
ホテルを出発する頃には曇り空は雨模様に変わってきた。ここから雨具を着けての出発だ。いったんヴェンゲン駅に寄って,お昼ご飯のおにぎりを受け取る。なんとスイスでは日本食のケータリングサービス会社があるという。それだけ日本人の訪問が多いということだ。その後,村内のロープウェイ乗り場に行き,そこで日本人ガイドさんと会う。
ロープウェイでメンリッヘンに着いたが,生憎の雨でベルナー・オーバーラント三山は昨日のようにクッキリとは見えない。ガイドさんから今日のコースの説明を聞いて,山より花とばかりに,ハイキングをスタートさせた。ここメンリッヘンからアイガーの麓のクライネシャイデックまでの4.4kmをおよそ2時間かけて歩く絶景のハイキングコースだ。その後のお楽しみはクライネシャイデックからヨーロッパで一番高所を走る山岳鉄道でユングフラウヨッホのスフィンクス展望台の景観だ。
ガイドさんが推薦してくれたスイスアルプスの花図鑑は北大の先生が自費出版したもので一番詳しいとのことだ。帰国後あれこれネットで検索してようやく探し当てた。内田一也「スイスアルプス花図鑑」という,自費出版というニュアンスから想像したよりも遥かに立派な,図鑑だった。これを元にして自分の写真から分かる限りの同定を試みた(花名の後ろのカッコ内に和名もしくは近い種の和名とこの図鑑番号を示した)。なにせ,手当たり次第に撮ったのでポイントなる部分が必ずしも映っていないので同定間違いもあるかもしれない。
歩き始めるとすぐに高山植物が出迎えてくれた。アルケミラ・クサントクロラ(ハゴロモグサ,481),ラヌンクルス・フリエシアヌス(セイヨウキンポウゲ,103),カムパヌラ・バルバタ(ミヤマツリガネソウ,121)とクレマチス・アルピナ(ミヤマハンショウヅル,185)。
アスペルゴ・プロクムベンス(トゲムラサキ,147)とアルケミラ・クサントクロラ(ハゴロモグサ,481),キルシウム・スピノシッシムム(アザミ,331)。
花後のプルサティラ・ウェルナリス(オキナグサ,434)だと思うがプルサティラ・アルピナ(オキナグサ,432)かも知れない。セムペルウィウム・モンタヌム(ベンケイソウ,288)には初めてお目にかかった。アキレア・モスカタ(ノコギリソウ,338)。
愉快なかたちのシレネ・ウルガリス(シラタマソウ,446)。
ヴェッターホルンの麓にはグリンデルヴァルトの街並みが見えて来た。
やがてロドデンドロン・フェルギネウム(アルペンローゼ,247)のお出ましだ。どう見てもバラじゃなくてツツジだ。その下をアルプスサンショウウオが這っていく。胎生の両生類で胎仔を3年間も胎内で育てるそうだ。
眼下の牧草地には同心円が幾重にも取り巻く丘がみえる。これは放牧されている牛が草を食べながら移動した踏み跡とガイドさんが説明してくれる。
再び,お花畑だ。マメ科の2種のアンティリス・アルペストリス(マメ科,065)にウィキア・クラッカ(ソラマメ,180-2),フィテウマ・スピカトゥム(キキヨウ科,345)。
アイガーがだいぶ近くなってきた。
お花畑はまだまだ続く。ピンクのカエロフィルム・ヒルストゥム(セリ科,252)とトリフォリウム・プラテンセ(マメ科シャジクソウ属,279)。
カミさんの指さす方を見ると,岩山に動物がみえる。アルプスアイベックスだろうか?
また目を花に転じて,ガイドさんの説明も上の空で写真をとり続ける。アンドロサケ・オブトゥシフォリア(トチナイソウ,369),ドロニクム・グランディフロルム(キク科,011),クリノポディウム・ウルガレ(シソ科トウバナ属,228)
開けたところでアイガーをバックにツーショットを撮ってもらう。アイガーに目を凝らしてみても,北壁に開けられたユングフラウ鉄道のアイガーヴァント駅の窓は見えない。でも,これからそこに行くのだ。
延々とお花畑が続く。悪魔の爪と呼ばれるフィテウマ・オルビクラレ(タマシャジン,119),アデノスティレス・アリアリアエ(キク科,193),ゲンチアナ・アカウリス(チャボリンドウ,153)。
ハーブのタイムであるティムス・ポリトリクス(シソ科イブキジャコウソウ属,225),猛毒を持つアコニトゥム・コムパクトゥム(ヨウシュトリカブト,187)だ。
パルナッシア・パルストリス(コウメバチソウ,406),ピロラ・ミノル(エゾイチヤクソウ,251),オオカミの鉄兜とかオオカミの毒と呼ばれるアコニトゥム・ウルパリア(トリカブト属,106)。
ゲラニウム・シルワティクム(フウロソウ属,175),そして日本でもお馴染みのビストルタ・ウルガリス(イブキトラノオ,311)。
クライネシャイデックの駅が見えてきたところで,ようやく,お花畑は終わった。駅ではセントバーナード犬が迎えてくれて,ここでツァーの集合写真を撮った。しかし,後でこの写真を買ったのは我々だけだった。
クライネシャイデックからはヨーロッパで一番高所の鉄道と銘打ったユングフラウ鉄道に乗ってユングフラウヨッホを目指した。アイガーグレッチャー駅を過ぎるとトンネルだ。このトンネルはアイガーの山腹をくりぬいている。ユングフラウ鉄道が着工したのは1895年で16年を費やして1912年に開通した。来年で100周年を迎える。当時は冬季も工事を進めるために工員の衣食住をここに運び突貫工事を行ったそうだ。しかし永久凍土と固い岩盤に阻まれて完成までに長い歳月を必要としたという。日本の立山も山をくりぬいたトンネルをトロリーバスが走っているが,規模の違いを目の当たりにした。
アイガーヴァント駅で5分ほどの短い停車時間を狙ってアイガー北壁に開けられた窓から覗いてみた。北壁での遭難時にはこの駅から救援隊が出るという。残念ながら視界は雲に遮られて良くない。
電車はさらにアイガーのトンネルを走りアイスメァー駅で停車する。ここでもわずかな時間を利用して窓から覗いてみる。氷河の海が下方に延びていた。
小一時間で電車はユングフラウヨッホ駅に到着した。お目当てのスフィンクス展望台に出てみたが,視界ゼロの状態だ。気温はマイナス1℃と冷たいので早々に引き返さざるを得なかった。残念だが,展望台の階段で記念写真を撮ってもらうしかなかった。
それでも好奇心旺盛なカミさんは果敢に雪原に出て見た。一瞬の間に雲が切れて山々が見えたそうだ。
スフィンクス展望台からの展望が叶わなかったので,駅舎に戻り氷の宮殿を鑑賞することにした。
宮殿の鑑賞が終わり,空いた場所を見つけてお握りの昼食を取った。日本茶にありつけたがここでは暖かい味噌汁が出たら最高だったが。
今日の午後は自由時間が設けられていたので,数人のメンバーとフィルスト展望台に行ってみることにした。
クライネシャイデックにもどり,そこからグリンデルヴァルトにむかう山岳鉄道に乗り換えた。アプト式の電車はゴトゴトとのんびり進み,グリンデルヴァルト駅に小一時間かかって我々を運んでくれた。
登山客,観光客で賑わうグリンデルヴァルトの街中を抜けてフィルスト展望台へのロープウェイの駅に行ってみた。ロープウェイの駅係員は「雨と雲で上に行っても何も見えない,やめたほうが良いよ」とまるで商売っ気がない。展望台の監視カメラ映像をみてもまったく展望が効かない状態だ。街にもどってみると,ちょっと先行してフィルスト展望台に行ってきたというメンバーに出会った。彼らが見た数時間前のフィルスト展望台からの視界もゼロ状態であったそうだ。
しかたないので村はずれの教会を見に行くことにした。晴れていればこの教会のバックにユングフラウが映る絶景が眺められるという。
われわれの夕方の予定はインターラーケン散策とヨーデルディナーショーであったので,他のメンバーと別れてグリンデルヴァルトからインターラーケン・オスト駅に別の山岳電車で向かった。
インターラーケンの街も雨に煙り,インターラーケン・オスト駅からインターラーケン・ヴェスト駅の間の散策も冷たいものになった。ディナーショーまでの時間つぶしに駅前にあったスーパーマーケットCOOPでお土産のチョコレートの買い物をした。インターラーケンのメインストリートの途中には日本庭園もあった。ヘーヘマッテの草地の向こうに見えるはずのユングフラウも雨の中だ。
道路を挟んで,ヘーヘマッテの反対側にはカジノ・クアザールがある。ここのレストラン・スパイヒャーで今晩のスイス民謡ショーを見ながらのディナーだ。
ディナーショーはサラダと牛肉料理から始まった。が,フニャフニャのきしめんもどきのパスタと,熟成が進みすぎたのか,臭いを発する肉には閉口した。7000円のエキストラチャージにしては,はっきり言って不味かった。
スイス民謡ショーはTVで見たような規模を期待したのだが,案外とこぢんまりとしたものだった。ヨーデル,アルペンホルン,鉢の中で硬貨を回し音を奏でたり,カウベルで演奏したりといった出し物だった。
そのうちに,観客を巻き込んでのダンスに移った。
はては楽器とは言えないものでの音楽演奏も飛び出した。ノコギリ,チーズ卸器,洗濯板などなどだ。最後の出し物は,これらの楽器を観客が受け持った合同宴会だ。カミさんがステージに上がり,洗濯板を割り当てられた。まぁ,まぁ,結構楽しめたショーであった。
ディナーショーが終わる頃には雨は上がり,ヘーヘマッテ草地の彼方にユングフラウが恥ずかしそうにその姿を見せてくれた。カジノ名物の噴水と花時計も夕映えに浮かんできた。
ディナーショーがはねてインターラーケン・オスト駅からヴィルダースヴィル駅に行き,そこでラウターブルンネン駅への電車を待ったが,どうしたことか発車時刻になっても電車が入ってこない。駅の時刻表にはヴィルダースヴィルとラウターブルンネン間が不通になっていると表示されているではないか。さっきの雨で川があふれて線路が冠水し,電車が動かないとのことだ。添乗員さんの案内で途中駅のツヴァイリュチネンまで代替バスに乗って移動した。ツヴァイリュチネンからラウターブルンネンまでは問題なく電車での移動が出来た。ラウターブルンネンでヴェンゲンまでも問題なく移動できて,結局のところ,ホテルには予定の時刻に帰り着くことができた。やれ,やれであった。しかし,昨日の救難ヘリといい,今回の代替えバスといい,対応の素早さには驚くばかりである。かくしてスイスの2日目も終わった。
第四日目(2011年7月14日)
今日の午前中の予定は,ラウターブルンネン〜ミューレン〜アルメントフーベルと山岳鉄道,ケーブルカーを乗り継いで上がり,アルメントフーベルからベルナー・オーバーラント三山を眺めながらの花の谷ハイキングだ。例によって,たっぷりと朝食を摂った。荷物をヴェンゲンからラウターブルンネンまで運び出し電車の荷物台車に積み込んだ。ヴェンゲンの村ともお別れだ。
ラウターブルンネンからはグリュッチアルプまでのロープウェイに乗り,そこで山岳鉄道に乗り換えてミューレン駅に着いた。が,雨と濃霧でベルナー・オーバーラント三山は全く見えない。今日は花の谷ハイキングに重点を置くしかないだろう。
ミューレン駅からは,近代的なスポーツセンターの脇を通り,アルメントフーベル行きのケーブルカーに乗り換えた。スポーツセンターの周りのスポーツ店では幼児用のキャリヤーを貸し出していた。幼児連れのハイキングに至れり尽くせりのサービスがなされていて羨ましい限りだ。
アルメントフーベルでは日本人ガイドさんが待っていて,花の谷ハイキングが始まった。雨露を湛えた花々も乙なものだろう。
早速のレオントポディウム・アルピヌム(エーデルワイス,332)のお出迎えだ。露に濡れて輝くアキレア・マクロフィラ(ノコギリソウ属,336),カムパヌラ・グロメラタ(ヤツシロソウ,125)だと思うがどうも葉の形が図鑑と違うようだ。
それにしても,高山植物だらけで写真撮影に忙しくて説明を聞いている暇も無い。ツァー旅行の時間制限のためだがとにかく忙しい。
クリサンテムム・アルピヌムの別名でも知られるレウカンテムム・ウルガレ(フランスギク,340),ブルーメンタール(花の谷)を見守るように咲くラセルピティウム・ハレリ(セリ科,381)。途中で巨大ナメクジを発見。
集落に入ったら大きなカルリナ・アカウリス(キク科,334)が登場した。
ブルーメンタールの牧草地帯を抜けてふたたびミューレンに戻ってきた。可愛い子供たちの手作りジャムの販売や,花をいっぱい飾った民家を眺めながらミューレン駅に向かった。
ラウターブルンネンに戻ってポーク料理の昼食をとった。昼食のあとバスはベルナー・オーバーラントに別れを告げてラウターブルンネンからスイスの首都のベルンに向かった。
ベルンは街全体が世界遺産に登録されていて,とくに旧市街がみどころだ。まずはメインストリートの時計塔で天文時計と市掛け時計の見学だ。ちょうど14時56分の回に間に合った。
メインストリートをクマ園に向かう途中にいくつか面白いものがあった。道路脇に扉があるが,そこが開くと地下店舗が顔を覗かせていた。その上の建物はアインシュタインが住んだ家だ。
通りのそこかしこに噴水が設えてある。兜をかぶったクマのツェーリンガー噴水,シムソン噴水,正義の女神の噴水などだ。有名な子喰い鬼の噴水は見逃してしまった。
大聖堂は改修中だったが内部は公開されていた。ステンドグラスや5040本のパイプオルガンが圧巻だ。正面入り口には最後の審判のレリーフがあり,広場の脇にはモーゼの十戒の噴水がある。
メインストリートの東端の,アーレ川に懸かるニーデック橋の上からは旧市街のたたずまいが見渡せる。
近年に新たに移転された,ベルンのシンボルであるクマを飼育するクマ園も望める。
クマ園から少し歩いてバラ園を散策した。7月半ばだというのにまだまだ沢山の種類のバラが咲き誇っていた。ここの見晴らし台からは旧市街の全体が見渡せた。
バラ園の散策のあとはベルンに別れを告げて,いったんスイスを離れてフランスのシャモニーに移動した。途中のバスの車窓からは世界遺産になっているラヴォー地区のブドウ畑やレマン湖が眺められた。
サン・ベルナール(セント・バーナード)の名を冠したドライブインで休憩をとり,フランスとの国境を音もなく越えるとフランスのシャモニーに入った。
今日の宿泊ホテルのメルキュール・ボッソンはボッソン氷河の末端がすぐ脇に迫るところにあった。珍しくトイレとバスが別々の部屋になっている快適なホテルだった。
夕食はミートローフと鶏肉がでて,ちょっと豪華だった。
第五日目(2011年7月16日)
今朝も元気だ朝食が旨い。部屋に戻る前にホテルの外に出ると,モンブランがくっきりと見えた。天候がこの調子ならばイタリア国境をまたぐエルブロンネまで行けそうだ。
ロープウェイの駅でチケットを手渡され,エギーユ・デュ・ミディまでのロープウェイに乗り込んだ。ロープウェイはどんどん高度を稼ぎ,中間駅のプラン・ド・レギュイユで乗り換えてさらに登っていく。エギーユ・デュ・ミディとモンブラン(4810m)が近くなってきた。下を見ると登山者が雪の両線を歩いている。カミさんは「あそこまではしたくない」と言うが自分はちょっぴりなら歩いてみたい。
エギーユ・デュ・ミディは帰りに寄ることにしてエルブロンネへ向かう小さなロープウェイに乗り換えた。雪原に出るトンネルがあった。ロープウェイはなぜか3連式だ。
下をみれば,さっきのトンネルから歩き出した登山者がすぐ近くに居る。グランドジョラス(4208m)もくっきりと見える。白い氷河のところどころに見えるターコイズブルーの水溜まりが綺麗だ。
小一時間ほどの空中旅行でエルブロンネ展望台に到着した。この展望台のフランスとイタリヤの国境を跨いでのツーショットを撮ってもらった。イタリア側へのロープウェイの建設が進行中であった。
フランス側ではモンブランの様相がだいぶ変わって見える。まるで針のような山々が連なっている。ここに登るのは御免被りたい。
再びロープウェイに乗りエギーユ・デュ・ミディに戻った。駅の下には蟻のように這いつくばる登山者が見える。見ているだけで足が竦んでしまう。
エギーユ・デュ・ミディの標高は3842mと富士山よりも高い。こんなところに20分そこそこで来れてしまうのだからすごいものだ。実は,ここでの集合時間に遅れそうになりほんのちょっと駈け出したら,クラクラッきてしまった。とんだところで高山病のはしりを体験した。展望台からは眼下にシャモニーの街,ボッソン氷河が小さく見える。
シャモニーの街に降りて来ての食事は日本食が用意されていた。久しぶりの味噌汁は旨かった。塩鮭と漬け物も出て,日本での旅館の朝食のようであった。
シャモニーでは昼食をとっただけですぐにバスに乗り込み,フランスに別れを告げてふたたびスイスに戻った。向かう先はマッターホルンが待つツェルマットだ。
3時間ほどでテーシュ駅に到着して,ツェルマットへむかうパノラマカーのような電車に乗り込んだ。
ツェルマットで荷物をホテルに回送してもらい身軽になってゴルナーグラート鉄道に乗った。振り向けば,オー,マッターホルンじゃないか。それに,山から下りてきた山羊たちを地元の子どもたちが連れ帰る光景に出会えたのはラッキーだった。
電車が高度を上げていくとマッターホルンの勇姿が車窓に現れてきた。電車は終点のゴルナーグラート駅に到着した。
駅舎の上には天文台を持つクルムホテルが鎮座しているが今日の泊まりはこのホテルではない。日本アルプスの山小屋なんて比べものにならない。鉄道が敷かれているといないことが雲泥の差を生じさせるのだろうか。
ゴルナーグラート展望台からの眺めは言いようがないほどの絶景だ。4478mのマッターホルンの堂々とした眺めだ。
そこからから右に目を転ずればダン・ブランシュ(4357m),オーバー・ガーベルホルンとヴェーレンクッペ(4063m, 3903m),槍ヶ岳のようなチナールロートホルン(4221m)そして4506mのヴァイスホルンが遠くに連なる。
そうこうしているうちにマッターホルンがパイプの煙を吹き始めた。その左に眼を転じると4634mのモンテローザ,4527mのリスカム,4164mのブライトホルンとそれらの山々を削りだした氷河だ。
展望台脇の可愛らしい教会を覗いて,2つ下のリッフェルベルク駅に行こうとしたときに観光客がクルムホテル方向に何かを見つけざわつき始めた。アイベックスが塩を舐めるために出てきたようだ。アイベックスを見た後で駅に降りていくと,さっきまでは雲に隠れて見えなかったカストール(4226m)とポリュックス(4091m)の双子座の名前を冠した山が,リスカムとブライトホルンの間にその姿を現してくれた。
山岳鉄道で下ったリッフェルベルク駅の下にあるリッフェルベルクホテルが今宵の宿だ。ツァーメンバーでくじ引きをしてマッターホルンが見える部屋を抽選したが,われわれは外れてしまった。このホテルには2部屋しか用意されていなかった。
夕食はビーツのスープから始まり,オムレツ,骨付き仔牛のすね肉とパイナップルのデザートだった。このデザートはメンバーのほとんどはクレープが出てきたと錯覚して大笑いをした。
ヨーロッパ夏時間で9時半ともなろうという時間になってようやくマッターホルンが夕日に染まり始めた。ホテルのワンちゃんと戯れて,明日のマッターホルンの朝焼けを期待してベッドについた。それにしてもフランスのモンブランとスイスのマッターホルンを一日でみた今日は忙しかった。
第六日目(2011年7月16日)
5時に起きて外に出てみるとすでにメンバーのほとんどが起きていた。マッターホルンを探すと,その脇には満月が添えられていた。
朝日が射してきて頂上から次第に黄金色になっていく。教会に映える朝焼けのマッターホルンの神々しさには声も出ないほどだ。
モンテローザもその名前のように赤くなってきた。
十分にマッターホルンを堪能した後の朝食は格別だ。何種類かのパン,チーズ,ハムにたっぷりのコーヒーで今朝もお腹をいっぱいにした。
今日はツェルマットまで山岳鉄道で降り,そこからトンネルを抜けるケーブルカーでスネガパラダイスに行き,ロープウェイに乗り換えてブラウヘルトからハイキングを始めるという予定だ。お目当てはシュテリゼーに映る逆さマッターホルンとその途中のお花畑だ。ブラウヘルトでは「待ってました」とセントバーナード犬が迎えて集合写真を撮った。我々はこの集合写真は買わなかったが,誰か買っただろうか。
日本人ガイドさんに案内されて高山植物を鑑賞しながらシュテリゼーへの路を進んだ。高山植物もだいぶ撮り飽きてきたが,懲りずに撮っておいた。
アステル・アルピヌス(シオン属,197),カンパヌラ・コクレアリフォリア(シキブギキョウ/チャボギキョウ,123)かな〜,ヒエラキウム・アルピコラ(ヤナギタンポポ属,023)とカンパヌラ・バルバタ(ミヤマツリガネソウ,121)。
マッターホルンを眺めながらの花のハイキングが続く。ケラスティウム・ストリクトゥム(ミミナグサ属,449)とクローバーのトリフォリウム・パレスケンス(シャジクソウ属,393),プランタゴ・アルピナ(ミヤマオオバコ,360)。
セネキオ・ドロニクム(キオン属,005),セムペルウィウム・アラクノイデウム(クモノスバンダイソウ,287),目薬として使われたエウフラシア・アルピナ(コゴメグサ属,217)などに出会った。
みたび可憐なレオントポディウム・アルピヌム(エーデルワイス,332)に出会った頃にはシュテリゼーが見えてきた。
風は穏やかで滑らかな湖面には,それは見事な逆さマッターホルンが映し出されていた。ツーショットも素敵な記念となった。この後10分もしないうちに風が出てきて,もはや湖面の逆さマッターホルンは見えなくなった。
ふたたび花を眺めながらブラウヘルトに引き返した。ゲンティアナ・ブラキフィラ(リンドウ属,157)とトリフォリウム・プラテンセ(ムラサキツメクサ/アカツメクサ,279)が混じり合って咲き,アンドロサケ・カマエヤスメ(トチナイソウ,366),ペディクラリス・トゥベロサ(シオガマ属,039)。
連日の話題となっているFIFA女子ワールドカップ日本代表のなでしこジャパンの名を冠するディアントゥス・シルウェストリス(ナデシコ属,303)を見る頃にはマッターホルンも雲に隠れてしまっていた。
ブラウヘルトからスネガに戻るとアルペンホルンの演奏が出迎えてくれた。
ツェルマットに降りてきてお昼をとった。メインはジャガイモにチーズを絡めたラクレットであった。
このあとツェルマットの外れのホテルまで村のメイン通りを歩いて移動した。途中の見所に,マッターホルンを初登頂したウィンパーのレリーフ,マッターホルン博物館,ネズミ返しをもった倉庫があった。
ホテルに戻ってカミさんが不注意で昼食時にゴルナーグラート鉄道のフリーパスをなくしてしまったことに気がついた。昼食をとったホテルを訪ねて,椅子の下に落ちていたパスを発見した。しかし,午後のフリータイムでの予定していたハイキングへのモティベーションは完全に失せてしまった。これが元でケンカとなり,つまらない時間をホテルで過ごすことになった。
腹が減っていたためか,まだ立てた腹がおさまらなかったためか夕食のメイン料理を撮り忘れてしまった。
第七日目(2011年7月17日)
ツェルマットの村からの朝焼けのマッターホルンを見ようと,村の広場の教会や亡くなった登山者の墓を見ながら,早朝にマッターフィスパ川に架かる橋に行ってみた。大勢の人が日の出を待っていたがマッターホルンは雲の中だった。それでも我慢強く待っていたらほんの少しの間マッターホルンが顔を見せてくれた。
今朝もホテルの朝食をしっかりととって今日一日のハイキングに備えた。
今日はシュヴァルツゼーからツムット村を経てツェルマットにもどる,マッターホルンの真下を歩くハイキングの予定だ。ホテル近くのロープウェイ乗り場で昨日の日本人ガイドさんと落ち合った。しかし,目指すシュヴァルツゼー・パラダイスへのロープウェイは強風のため止まってしまっていた。ガイドさんはトロッケナー・シュテークからシュヴァルツゼー・パラダイスへ降りるコースに望みを賭けて,まずはトロッケナー・シュテークに行ってみることにした。途中のフーリでゴンドラに乗り換えてトロッケナー・シュテークに降り立った。
トロッケナー・シュテークは雨こそ降ってなかったが,とにかく外に出ても直立できないほどの強風である。周りの景色も雲が吹き払われよく見えるが,ここから上はもちろん,別ルートでシュヴァルツゼー・パラダイスい降りることは相変わらずできない。しばらくレストランで待機したが天候は変わりそうもないので,ガイドさんの案内でフーリに戻ることにした。
フーリからのコースはツムット村へは行かずにツム・ゼーを経由してツェルマットに戻りながらハイキングすることになった。風は弱くなっていたが雨の中のハイキングという状況だった。リリウム・マルタゴン(ユリ属,329)がツム・ゼー村への入り口で出迎えてくれた。
一時間のハイキングでツェルマットに戻ってきた。予定の時間はまだたっぷりと残っていたのでガイドさんはゴルナーグラート鉄道のフィンデルバッハからツェルマットまでのハイキングを提案した。バスで駅まで移動し,フィンデルバッハからのハイキングをスタートさせた。
標高1770mのフィンデルバッハからのハイキングは樹林の中を歩くコースだった。途中から舗装道路を歩きヴィンケルマッテン集落に入った。雨の舗装道路を上から大型の足漕ぎバイクが下って来たりする。trottibikeと言うらしく,太いタイヤのこのバイクはmonster trottiだそうだ。教会脇からはゴルナーグラート鉄道の鉄橋を渡る山岳鉄道が見える。ヴィンケルマッテンの家々には,魔除けなのか何なのか,面白い飾りが取り付けられていた。小一時間ほどの歩きで朝に乗ったロープウェイ乗り場に着いた。乗り場近くのスポーツ店にはさっきのバイクが置かれていた。これからの午後は,5時半のフォンデュディナーまでは自由時間だ。
ホテルにもどり自分はマッターホルン博物館見学とショッピングを計画していた。しかしカミさんはこの雨の中をローテンボーデンからリッフェルゼーを経由してリッフェルベルクまでのハイキングをしようと持ちかけた。まあ,それでも自分の計画は大丈夫だろうと,ふたたびゴルナーグラート鉄道に乗ることになった。駅への途中で屋台のソーセージをビールでパクついた。「ゼァー・グート」とお世辞を言ったら,「ドイツ語が上手だ,自分はコンニチワくらいしかしゃべれない」などと向こうもお世辞を返してくる。団体を離れてみるとこんなことも体験できる。
山岳鉄道でゴルナーグラートの一つ手前のローテンボーデンで降りて歩き始めた。
雨は止まず,雲もとれないのでリッフェルゼーに映る逆さマッターホルンもダメだ。ほかの2つの湖も同様に雨の中だが,湖畔のエリオフォルム・ショイヒツェリ(ワタスゲ,462)が乱舞していた。
添乗員さんが言っていたようにローテンボーデンからリッフェルベルクまでの路はちょっと急な下りで厳しかった。右のチロリアンシューズが足の甲に当たって痛んできた。やはり軽登山靴を持ってくるべきだった,と悔やんでも後の祭りだ。やがて見覚えのあるリッフェルベルクの礼拝堂が霧のなかに浮かんできた。リッフェルベルク駅に着いたところでカミさんが「もう一駅歩かない」と言いだした。歩いたところでこの霧ではなにも見えずなにを考えているのかと思ったが,従うことにした。
痛む足を騙しながら急な路を下っていくと,リッフェルアルプの集落の礼拝堂,ジャグジーを備えたホテルに行き着いた。ここからリッフェルアルプ駅までは10分と案内板が示していた。
ホテルへの引き込み線路に沿って歩けば駅だったろうが,我々は樹林の中を下る路を歩いてしまった。気がついたときはかなり下っていたので,自分は半分ヤケクソでツェルマットまで歩こうと提案した。もはやマッターホルン博物館の見学もショッピングも時間切れで出来そうもない。ふたたび昨日のケンカの雰囲気になるのをグッとこらえて林の中を下った。と,目の前に線路が見えてきた。これをたどればフィンデルバッハ駅だろうと見当をつけて行ったら,果たしてフィンデルバッハ駅に到着した。やれやれ堪忍袋を緒が切れる一歩手前だった。3時間近い雨中のハイキングだったが,カミさんは堪能したのだろうか?!
ツェルマットに着いて少し時間があったので慌てて孫と息子たちへのお土産(帽子,Tシャツ,靴下)のショッピングをした。自分たちのお土産は買わずになってしまった。
駅でフォンデュディナーの参加者と待ち合わせて,レストランに向かった。
メニューはスイス名物の2種のオイルフォンデュ・チーズフォンデュとスイスワインの飲み放題というものだ。スペアリブ料理,ラクレットも添えられて華やかな宴が始まった。白ワイン,赤ワインをしこたま飲んだが意外に酔わなかった。
まだ明るさの残るツェルマットの街を酔い醒まししながら歩いてホテルに帰り着いたのは8時を回っていた。この夜はFIFA女子ワールドカップの決勝の中継があったが,キックオフのボールが転がったところまでの記憶しか残ってない。夢うつつの中で隣の部屋から「キャー」と叫声が聞こえた。これが翌朝になって,決勝のゴールキック戦で日本のキーパーがアメリカのボールを空中に飛んで脚で止めた場面だと言うことが分かった。
第八日目(2011年7月18日)
翌朝はさすがに二日酔いが残った。朝食の話題は昨晩のワールドカップだが,その時間には白河夜船であり,朝食を前にした二日酔いの頭では話の輪に入っていけなかった。
朝食後は荷物を纏めてツェルマット駅に移動した。スイスの鉄道で感心したことは手荷物を持っての乗降の容易さであった。電車とホームの段差は無く,列車とホームの隙間を埋めるためにブリッジがせり出してくるという仕掛けがあるために,キャスター付きのスーツケースの移動も楽なのだ。テーシュ駅からバスに乗って45km離れたザース・フェーに移動した。これでツェルマットともお別れで,実質的にスイスハイキング旅行は終わるのだ。
二日酔いで半分居眠りしての1時間半ほどのバスの旅でザース・フェーに着いた。ここはミシャベル連峰とそれらを削り取った氷河の村として有名なほかにFIFAワールドカップ南アフリカ大会のときに日本選手団が直前合宿をしたところでもあるそうだ。
ネズミ返しの倉庫が残る小径を村内の繁華街に進み,スキー学校,教会の前を進むと村はずれのスポーツ施設だ。ここで日本選手団がトレーニングしたと言うが,芝生のピッチも無いようだし,高地馴化が目的だったのだろうか。
パノラマ橋からのミシャベルアルプスと氷河が絶景だそうだが,あいにくと雲が垂れ下がっていてはっきりとは見えない。と,反対側をみれば谷を跨ぐロープが張られ,そこを滑車で渡っていく人がいる。スリル満点の遊びだ。
ザース・フェーを見学し終わって,バスは一同をブリークの街に連れて行き,昼食をとった。二日酔いの迎え酒にビールを飲んでみたが,あまり効果はなかったようだ。
昼食の後は5時間かけて,フルカ峠を越して,チューリッヒに向かう旅が始まった。バスは山並みを縫ってカーブを巧みに周りながら高度を稼いでいく。
フルカ峠に着いて,かつてツェルマット〜サンモリッツ間を走る氷河急行で名を馳せたローヌ氷河を目の当たりにした。汽笛が聞こえる反対側を見れば,蒸気機関車がえっちらおっちらと上がってくる。現在の氷河急行は新フルカトンネルを抜けるのでローヌ氷河を見ることはない。そこで旧氷河急行の路線を利用してフルカ山岳蒸気鉄道が夏の間運行されているという。
バスはフルカ峠を下り,チューリッヒの街に入った。改修工事中のチューリッヒ中央駅を横目にリトマ川を渡りながら左岸の大聖堂の2つの塔,右岸の緑の尖塔の聖母聖堂,ヨーロッパ最大の時計を持つ聖ペーター教会を眺めた。
ニーダードルフ通りにあるレストランに入り,ソーセージ料理の夕食をとった。ちょっと物足りなかったかな。
郊外のイビス・エアーポートが今宵の宿泊ホテルだ。
第九日目(2011年7月19日)
二日酔いは治まり,いつものようにたっぷりとした朝食を摂った。
荷物を纏めてバスに積み込み,350km離れたミュンヘンまでのバスに乗り込んだ。例によって,すんなりと国境を越えてスイスにお別れをした。バスの中では「ハイジ」のVTRが流され,一同は食い入るように鑑賞しながら,つい数日前に見たアルプスの山々に思い出を馳せた。添乗員鎖によるスイスクイズもクルー一同の人気を博した。自分は一問不正解で同率決勝のジャンケン合戦で負けてしまった。その問題は,スイスの山岳の占める割合は,というものだった。意外なことに60%そこそこだそうだ。行きに立ち寄ったドライブインでの休憩を取って,バスはミュンヘン空港に到着した。
空港でチェックインを済ませて,バールで軽い食事をとり,追加のお土産を買った。
帰りの便は15時45分発のLH714便だ。搭乗して1時間半ほどでウェルカムドリンクと機内食のメニューが回ってきた。
豆ご飯に和風ビーフカレーを頂いた。なぜか海苔巻きが添えられている。このあと本を読んだり,音楽を聴きながらして成田への時間を潰した。ヨーロッパ時間の1時半に朝食が出た。時計を合わせてみれば日本では朝の8時半だ。もう2時間もしないうちに到着の予定だ。
第十日目(2011年7月20日)
飛行機は定刻少し前に成田に到着した。蒸し暑い夏がまっていると考えるとウンザリしてしまう。荷物を受け取ったところで二度も危ないところを救ってくれた添乗員さんとツァーのクルーと別れを惜しんだ。余った外貨を日本円に両替した。今日のレートは1ユーロ=105.69円,1スイスフラン=91.99円だった。
入国審査が済んで表に出てみると,意外なことに曇り空で涼しい気候だった。でも,自宅は閉めっきりなので蒸し風呂状態だろう。この次にスイスのカラッとした涼しい空気が味わえるのはいつのことやら。
添乗員さんが帰りのバスで渡してくれた今回のツァーの行程図をみると,サンモリッツが抜けているのが分かる。あのベルニナ鉄道である。