前回の東京オリンピックの翌年の昭和40年に静岡県立富士高校を卒業した同窓生の集まりが故郷で催された。小・中学校の同窓会には欠かさず出席していたが,自分にとっては初めての高校の同窓会への出席だ。案内状への返事を出すに当たり「ハテ,3年何組みだったか」と高校の卒業アルバムを探してみた。アルバムと一緒に出てきた写真は東京オリンピックの聖火リレーランナーに選ばれて故郷を走った在りし日の自分だった。
卒業アルバムで自分は3年D組の卒業であることが分かった。一応は進学校のカテゴリーに入る当時の母校は進学コース別にクラス編成をしていて,D組は私立文化系と就職クラスに分類されていたようだ。48年前の美少年,美少女の顔写真を前にして「はてさて,誰が誰だか分かるだろうか」とニヤニヤしたり困惑したりする始末だ。
同窓会当日になって会場に設えられたD組のテーブルに着いた。それぞれが胸の名札と顔を見比べて「えっ,お前〇〇?」,「あなたXX君?」と驚くやら,懐かしむやら。
世話人の挨拶に続いて,物故者に黙祷が捧げられた。360名の卒業生のうち38名が鬼籍に入ったという。今日の参加者は92名だという。続いてM村先生の挨拶だ。齢80になるという。そりゃそうだ,我々が67歳だから。それにしてもお若い。我々に混じってテーブルに着いていても違和感はないほどだ。M村先生は自分の2年生の担任で野球部の監督だった。自分たちが卒業してから甲子園出場を実現させた。
食べる物を取りに行くのも忘れて50年前の青春時代の話に花が咲く。あちこちで連絡先を尋ね合ったり,集合写真を撮ったりしている。
50年前の事をあれこれ思い出してけなし合ったり褒め合ったりするが,卒業後どうしてどうなったかなどは殆ど話題にならなかった。殆どの者がリタイヤしたいるのだから,もはや過ぎ去った栄光には興味はないということだろうか。料理がなくなって,予定した時間がきて校歌を歌うでもなく,揃って集合写真をとることもなく宴は終わった。次回はどうするなどの話もでなかったなぁ。
翌日,母校を訪ねてみた。我々が学んだ校舎は建て替えられていて,当時の面影はない。
しかしグランドに回ってみるとそこには50年前に流した汗が染みこんだ土があった。グランドの向こうには当時と変わらない富士の姿があった。