エルベ川自転車道の旅(2017ドイツ・オーストリア・チェコ自転車旅行−2)

 

さて皆さん

2017年ドイツ・オーストリア・チェコ自転車旅はドナウ川自転車道の旅に続いてパート2に入る。このエルベ川自転車道の旅はまずチェコのヴルタヴァ川 Vltava(ドイツ語ではモルダウ川 Mordau)沿いに走り,ミェルニク Mělnikでラーベ川 Labe(ドイツ語ではエルベ Elbe)に合流するまで走る。そしてチェコ・ドイツの国境を超えてハンブルク Hamburgまでのエルベ川自転車道の旅となる。チェコの区間は短いがどんな旅になるのか,旧東ドイツの街や村はどんなだろうかと不安と期待が我々を包む。

7月11日(1日目,通算25日目) ウィーン Wien 〜 プラハ Praha 4.51km

ホテルの食堂に寄ってみたが朝食の準備はされてない。一昨日の朝食は何だったのだろう,とカミさんと話しながらウィーン西駅のカフェで,何と卵が3個(!)の,目玉焼きの朝食をとる。時間があるのでウィーン西駅のホームを覗いて見ると西駅〜中央駅間のシャトル便が停まっていた。案内所で料金と時刻を聞いてみたが「知らない」とにべもない返事だ。このシャトル便はWestbahn社というオーストリア鉄道 ÖBBとは別会社だからÖBB職員はそっけなかったのだろうか。ともあれ,自転車でのウィーン中央駅への道程も分かっているのでシャトル列車じゃなくてもいいだろう。

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ウィーン中央駅には列車の出発時刻の1時間前に到着した。ここから国際特急列車 railjetでプラハまで4時間の列車旅だ。一昨日に買った切符は指定席券と乗車券の他にバイクの予約券の3枚セットで,バイクの予約券を入れる立派なホルダーが付いている。このホルダーをバイクのハンドルに取り付けた。列車内で食べるランチやドリンクを買ったりしている間に掲示板に11時10分発のrailjetの情報が示された。列車は7両編成で食堂車も付いている。最後尾の車両がバイクを保管する車両だと分かる。乗車時間が近づいてホームで待っていると中国人夫妻に話しかけられた。彼らの弟さんもバイクで世界一周の旅をしているそうだ。彼らは途中のブルノ Brnoで降りるという。

列車が到着してバイクを積もうとしたら,何とまぁ,列車にはステップが付いていて車内にバイクを押し上げるのに一苦労だった。さらに,バイクラックはこれまた高いところに設置されているではないか。おまけに指定の場所にはサイドカー付きのバイクが我々に指定された場所を占領している。車掌に聞いて見ると「どこでも空いているところでオーケーだ」と言う。で,カミさんと二人がかりでウントコショと2台のバイクをラックに引っかけて固定する。大汗をかいての作業であった。

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車窓から見るチェコの田舎もドイツ,オーストリアと変わらない。いつの間に国境を通過したか気がつかなかったがブルノあたりまでのチェコの街々は廃屋が目についた。1975年にポーランド留学した頃の東欧の寒村を思わせる風景だった。ブルノを過ぎると街々はカラフルになり,見慣れた,ドイツやオーストリアの田舎の風景と同じようになった。カミさんが「食堂車でコーヒーを買ってくる」と出かけた。やがて,首尾よく(?)コーヒーとチーズケーキを買って来てくれた。チェコの旅でもカミさんは積極的な姿勢で頼もしい限りだ。

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3時過ぎにプラハ中央駅 Praha hlavní nádražíに到着した。駅ナカのℹで新市街 Nové Měato の宿 Antik City Hotelを紹介してもらった。ホテルへの道すがらで通過したヴァーツラフ広場 Václavské náměstiの国立博物館 Národni muzeumの階段を見てカミさんは20年前の記憶を蘇らせたらしい。ホテルはアンティークとは言えないとてもモダンな部屋だ。

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荷解きの後は徒歩で旧市街 Staré Městoの散策に出かけた。プラハは1998年8月に,カミさんとの結婚20周年を記念して,訪れている。ほぼ20年ぶりの再訪だ。2度も訪れるとは思いもしなかった。プラハ最大のパサージュのルツェルナ  Pasaz Lucernaの逆さ馬にまたがった聖ヴァーツラフ像はテレビで見たなぁ。ここにある映画館はチェコ最古だって。

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火薬塔 Prašná bránaと市民会館 Obecní dúmを見ながら旧市街広場へ向かう。広場近くの両替屋でとりあえず100ユーロを現地通貨のコルナに両替する。どうやらホテルやカフェではユーロでオーケーそうなのでこのくらいで大丈夫だろう。

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旧市街広場 Staroměstské náměstiのヤン・フス像 Pomník mistra Jana Husaの傍のジャズ・フェスティバルを聞きながらビールだ。チェコのビールはことのほか旨い。

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修理中の名物の天文時計 Pražský orlojと旧市庁舎 Staroměstská radniceを横目に,カルレ通り Karlovaをブラブラしながらカルレ橋 Karlúv mostへ向かう。

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19年前と変わらずと思ったが,カミさんは「あの時はこんな人がいなかった」と言う。確かに,家族連れの中国人やカップルの韓国人がやたらと目に付く。カルレ橋を飾る聖人の像の中の聖フランシスコ・ザビエルと彼を担ぐ東洋人(日本人?)の像も健在だ。橋の上では何グループものアーチストがパフォーマンスをやっている。弦楽合奏のグループの奏でる曲に合わせて女子学生らしき一団が踊り始めた。踊り終えて観衆からヤンヤの喝采を浴びた。前に来た時は,せいぜい,似顔絵描きくらいしかいなかったのだが。

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橋から見るヴルタヴァ(モルダウ)と岸辺の景色も素晴らしい。橋を左岸に渡るとマラー・ストラーナ Malá stranaだ。「あそこのマラーストラーナ橋塔 Malostranská mostecká věžには登ったことがあるねぇ」とカミさんと話しながら引き返す。

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プラハは狭い地域に見所がギッシリで,ウィーンよりも好きだな。再びカルレ通りに戻ってきて,夕焼けがビールに合う,とカフェーで食事しながらまた一杯。明日はプラハ城を見てからエルベ川自転車旅を始めることになる。

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7月12日(2日目,通算26日目) プラハ Praha 〜 クラルピ Kralupy nad Vltavou 41.79km

今回の自転車旅の後半のエルベ川自転車旅をスタートさせる日だ。午前中にプラハ城 Pražský hradを見にいった。前回は市電で登ってきたが,今日は城の下までバイクで走った。バイクを停めて徒歩で坂を上ったところで検問を受けた。そこは前回とは反対側の入り口であることに気がつく。

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黒塔 Čemá věžを潜って進むと聖ヴィート大聖堂 Katedrála Sv. Vítaの裏側に出た。向かい合っているのは鮮やかな聖イジー教会 Bazilika Sv. Jiříだ。今回はこれらは見学しないことにした。

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第2の中庭に入って見ると,ちょうど衛兵の交代式が終わったところだった。

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プラハ城では大聖堂などを見学するには有料というのは前回と同じだが,なんとビックリ,黄金小路 Zlatá uličkaの見学まで有料だった。そこまでやるか?! 旧王宮 Starý Královský palácの入り口のマチアス門 Matyášova bránaでカミさんと衛兵のツーショットを撮る。前回はこの第1の中庭に入る正門の衛兵とのツーショットだったが。

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あまりにも観客が多い商業主義的なプラハ城にちょっと嫌気がさして無料のカレル庭園 Královská zahradaに入る。そこから眼下に望む百塔の街を目に焼き付けようとする。と,中国人が「写真を撮るのに邪魔だからどいてくれ」という。しばしの間も待てないのか,とこちらが写真を撮るまで無視して待たせてやる。中国人の傍若無人な振る舞いはこの先の大都市観光でも度々と遭遇することになる。

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停めて置いたバイクをとって,ランチをとりに旧市街広場に向かう。うまそうな匂いのするブースでソーセージ,ハム,ジャガイモとザウアークラウトを注文したらデッカイ豚の丸焼きとどっさりのポテトが出てきた。「そんなに要らない」と言っても「これで二人前だ」と言う。なんと34ユーロ相当をぼったくられた。隣で食べている観光客も量の多さにビックリして笑っている。メニューには100g当たりの値段が書いてあったので200gを注文すれば良かったのだが「まぁ年寄り二人だから,そこの処は考えてくれるだろう」と任せたのが間違いだった。多分,彼らにとってはこの量が二人分だろうが,これまでの旅で一人前をシェアしてきた我々にとっては2食分以上に匹敵する量だ。なんと34ユーロ相当の高い授業料込みの(!?)料金を払わされた。このボッタクリとも言える商売に遭遇して,昨日までは好きだと言っていた,プラハの好印象が一挙に冷めてしまった。

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気を取直してヴルタヴァ川(Vultava,ドイツ語ではモルダウ Moldau)の自転車道(Moldau Radweg)のスタート地点に行く。bikelineの地図が示す地点は,19年前にコンサートを聴いた,チェコ・フィルの本拠地のルドルフィヌム(芸術家の家)Rudolfinum (Dúm Umělcú) の脇にあった。A2と表示されたつつましい標識が現れた。ユッタリと流れるヴルタヴァに「水上は遠きボヘミアの…」とスメタナの曲が口をついて出てくる。ヴルタヴァは南ボヘミア地方のドイツ国境に近いクヴィルダ Kvildaから5.5km南西に源流を発し,南東に下りリブノ湖 (人口湖)に注ぐ。やがてチェコ国内を北上して世界遺産の街チェスキー・クルムロフ Český Krumlovやプラハを流れミェルニク Mělnikでラーべ Labe(ドイツ語ではエルベ Elbe)に合流する全長430kmの川だ。自転車道を走っていて出会うライダー達と「ドブリィ デン (Dobrý den こんにちは)」とチェコ語で挨拶すると「アホイ(Ahoj やぁ)」などと返ってくる。今,我々はチェコを走っているんだ,と実感する。

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プラハ郊外のトロヤ Trojaでカヌースラロームの練習にしばし見惚れる。こんな近くで見るの初めての体験だ。キャンプ場やサッカー場などの他に動物園やトロヤ城 Zámek Trojaもある総合野外施設だ。

2017年12月にプラハからヴィッテンベルクまでエルベ川自転車道を走ったことのある友人と話す機会があった。彼が走ったのは2012年で2011年発行のbikeline地図を頼りに走っている。自分は2015年のbikeline地図(2017年時点での最新刊)で走っている。話がどうも噛み合わないのでお互いの地図を比べて見た。すると,プラハでのエルベ川自転車道のスタート地点は同じだが2011年の地図ではスタート後すぐにヴルタヴァを対岸(左岸)に渡ってヴルタヴァ川の湾曲に従わずに北上し,ここトロヤで右岸に渡って2015年の地図の自転車道に合流していた。どうりでトロヤのカヌーの話が通じなかった訳だ。このように自転車道はかなりの頻度で改変されているところもあるので,他人の走ったコースをそのまま鵜呑みにして計画を立てずに最新の地図・情報にも注意を払う必要がある。

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しばらくはのどかなヴルタヴァの河岸を走る。対岸にロズトキー Roztokyが見える渡しに着いた。bikelineは「ここから先は狭く,凸凹道で切り立った河岸だからとてもお勧めできない」と書いている。ホームページではヒヤヒヤしながらここを通過した,なんて記事もあるが我々が使った2015年夏のbikeline地図ではここからクレカニー Klecanyを迂回する道が本コースになっている。で,「7」と変わった自転車道の標識に従って危険な難路を外すヒルクライムコースに入る。ゆっくり,ゆっくりと登って,ここにあるはずのペンションを探しながら進む。しかし,舗装路が終わってクレカニーを抜けてしまった。クレカニーのペンションで泊まることを考えていたが見逃してしまったようで,次の街のクラルピまで走ることにする。やがて悪路のダウンヒルや未舗装道路となる。先のオーストリアドナウ川自転車道の完全舗装路と大違い。

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迂回路が終わり再びヴルタヴァと出会う。ドランキー Dolánkyの発電所を対岸に見て進むとクラルピーの入り口で休憩所があった。そこに入るとドイツから来てプラハに行くというライダーが話しかけて来た。例によってお互いに「どこから来たのだ,どこへ行くのだ」などの会話を交わす。別れ際に,驚いたことに,彼は我々をハグして旅の前途を祝ってくれた。この休息所のℹで宿のことを聞いて見たが「2キロ先のクラルピで聞いてくれ」とのことだった。

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3時過ぎにヴルタヴァを左岸に渡ったクラルピのℹで宿泊施設を訪ねた。しかし,英語がうまく通じない。bikelineの宿泊所にリストされていたホテルに電話を頼んだが,空いているのか予約オーケーなのか理解できない。隣の夫婦連れのライダーは係員になにやら手帳のようなものを渡してスタンプをもらっている。みるとご朱印帳のような物だった。とにかくホテル Hotel Sportに行ってみることにした。カウンターで「インフォメーションから電話があった人だね,空き部屋はあるよ」と言われてようやく安心できた。宿代はユーロでも良く,朝食付きで46ユーロと言われたが本当にそんなに安いのだろうかと気になる。

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夕食は近くのスーパーでビールと飲料水を買って来てホテルの部屋でとった。メニューは,もちろん,昼にプラハの旧市街広場で買わされた豚焼き肉とザウアークラウト&ポテトだ。

7月13日(3日目,通算27日目) クラルピ Kralupy nad Vltavou 〜 ロウドニツェ Roudnice nad Labem 62.49km

窓の外を走るチェコ鉄道の列車の音で目覚めた。朝食は今までと変わりないが,軟らかかったオーストリアのパンがここチェコではドイツのようにやや硬いパンに変わった。バターのチェコ語 másloもポーランド語のmasłoに近い。チェコ語とポーランド語はいとこ同士のような言語だと言われた42年前のポーランド時代の記憶が残っている。

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今日はクラルピからどこまでいけるか,と出発。ヴルタヴァ川沿いの鬱蒼とした木立の狭い小径を走って行くと右岸に渡るHled’sebe橋の上から幾漕ものゴムボートに乗った子どもたちを発見する。やがてキャンプ場に併設されたカヌー練習場に入り,キャーキャーと歓声をあげてポールの間をくぐり抜けて行った。チェコではカヌーが盛んだ。

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ポプラ並木の爽やかな舗装路を行くと18世紀からのヴェルトルシイ城 Zámek Veltrusyが現れた。バロック&ロココ調の美しい城を巡りながら一休みを兼ねて散策する。ここまでで1時間の走行だ。

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今日は肌寒いくらい涼しい気候で走りやすい。やがてブコル Bukolでヴルタヴァを渡るフェリー乗り場を見つけた。標識には本コース上には階段の記号が描かれているが,高を括ってフェリーに乗らずそのまま本コースを選んだ。

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出会った階段は見上げるばかりの急なものだった。膝がガクガクするような階段を昇り降りする羽目に慄いてしまう。まずは荷物だけを運ぶ。そのあとで自分とカミさんのバイクを押し上げ,導水管脇の狭い通路を歩き,そしてコワゴワとバイクを降ろしてようやくのことに橋を渡った。降りた地点には上流からの綺麗に舗装された自転車道が来ていた。全く,あとの後悔さきにたたずだ。

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彼方に昨日泊まる予定だったミェルニク Mělnikが見えて来た。ヴラニャニ運河 Vraňany kanálを渡ると自転車道の標識は「2」に変わった。

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ラーべ(エルベ)に架けられた橋を渡りミェルニクへ入る。そこからダラダラ登りを制して登りつめると景色が開けた。ここでヴルタヴァに運河とラーべ Labe(ドイツ語ではエルベ Elbe)が合流してラーべ川(エルベ川)となり,ヴルタヴァ(モルダウ)は終った。ここに合流するラーべは小さな川(写真の左端)だがラーベ(エルベ)はポーランド・チェコ国境地帯の南リーゼンゲビルベ山地に源を発し,ボヘミア山岳地帯,エルベ砂岩山岳地帯を抜けてクークスハーフェン Cuxhavenで北海 Nordseeに流れ込む全長1,094kmの川だ。

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プラハ門 Pražská bránaから旧市街 Starý mostに入った。色鮮やかな市庁舎 Městský úřadが取り巻く広場はこじんまりと落ち着いている。中華料理の看板に惹かれてレストランに入ってみる。エビチャーハン,焼きそばとビールで昼食をとる。このエビチャーハンは美味くて,カミさんも自分も元気を取り戻せた。

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聖ペテロ・パウロ教会 Kostel sv. Petra a Pavlaの見学はパスしてミェルニク城 Zámek Mělnikに入ってみる。ワインレストランと博物館となっているらしい。中庭からぐるっと建物を見渡して,城とミェルニクの街を後にする。

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雄大なラーべの水面すれすれに自転車道は続く。すると原発らしき建物が見えてくる。休止中なのか,煙は吐いてない。

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4時半にロウドニッツェ Roudniceに入る。ロウドニツェ城 Zámek Roudniceが出迎えてくれる。今日はここで打ち止めにして宿を探そう。市庁舎 Městský úřadの傍のℹを訪ねるも宿泊施設のリストをくれただけ。料金を聞いてみると「シーズンによって違うので分からない」と素っ気ない。では,自力で探す他ないとアッタク開始だ。1件目の川に近いホテルは満室で断られた。2件目のℹ傍のAmber Hotel Vavřinec に部屋が取れた。投宿したホテルはスイートで,その上に今回の旅で初めてのバスタブ付きの部屋だった。朝食付きで63ユーロ(7900円くらい)と立派なホテルにしては格安の料金だ。洗濯とシャワーを済ませて街のレストラン探しに出かけるが結局はホテルの中庭のレストランに落ち着いた。

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夕食はビール,ピザ,サラダで14.2ユーロ(1800円くらい)と安い。一人前づつ注文して二人でシェアするとちょうどいい分量だ。プラハの物価は高かったが大都会を離れた田舎のチェコは物価が安い。料理の種類も豊富で,その上美味い。

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夕食後の散歩ではラーべの彼方のミニ富士に落ちる夕陽がきれいだった。ロウドニツェの街並みもしっとりと落ち着いた風景を醸し出している。さぁ,明日はどこまで走れるだろうか?

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7月14日(4日目,通算28日目) ロウドニツェ Roudnice nad Labem 〜 デェチーン Děčín 78.21km

ロウドニツェの出発前にロウドニツェ城を見ていく。

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左岸のヴァリエーションルートをテレジーン Terezínを目指して走る。山の見えるコースは何かホッとするようで,懐かしい感じがする。

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街の入り口には大きな駐車場がありクルマやモーターバイクから降りてくる人が多い。ここがテレジーン要塞らしい。お墓の奥に大きな建物がテレジーン小要塞 Malá pevnostだ。そもそもテレジーン Terezínという街はオーストリ・ハンガリー帝国の女王マリア・テレージアにちなんでおり,ドイツ語ではテレジーンシュタット Theresienstadt(テレジアの街)と言っていた。1780年にフランツ・ヨーゼフ IIがここに要塞を建設して命名したという。テレジーン要塞はオフルジェ川(エーガー川)Ohře (Eger)によって大小2つに分けられている。第二次大戦に小要塞はナチのゲシュタポ刑務所として使われ,大要塞はユダヤ人の収容施設(ゲットー)として使われた。気乗りしないカミさんを説得して小要塞に入ってみる。このナチの記念施設は有料であった。小要塞と大要塞のゲットー博物館などとの共通券を求めた。何故かチケットには日本人と印刷されている。中国人や韓国人はここまでは来ないのか?

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おきまりの「働けば自由になる(Arbeit macht Frei)」の文句を掲げた門,大部屋,医務室,洗面所,シャワー室や独房などをみてまわる。

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建物から出ると昔の要塞の壁に入るトンネルがあったので,嫌がるカミさんをおいて,一人で入って見た。薄暗い中をあっちこちグルグルと歩き回った。ようやく明るくなった出口から出るとそこは濠のようなところだった。この要塞は函館の五稜郭のようなヴォーバン様式となっているのでその壁の中を彷徨したらしい。再び暗い中をカミさん待つ場所に戻った。

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小要塞にある博物館を見学した。担架,収容者の遺品,脱獄資料などを見た。

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さらに別の記念館,ドイツ人の収容施設にも入って見た。

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小要塞の見学は1時間半ほどだった。ついでオフルジェ川(エーガー川)を渡って大要塞に行ってみる。街の中心部には綺麗な建物群があった。テレジーンの街はこの大要塞の中にあるようなものだ。写真でみると大要塞の全貌がわかる。この広場のベンチで昼食をとった。メニューはアルファー米のわかめご飯,味噌汁,梅干しだ。今日はまだまだこの先65kmもあるデェチーンで泊まりたいのでゲットー博物館などの見学はパスせざるを得ない。テレジーンを出るのに大要塞の城壁の周りを走ると街が大要塞の中にあるのが分かる。ラーべ(エルベ)を右岸に渡り,リトミェジツェ Litoměřiceはスルーして進む。

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2時半頃に夕立に会い雨支度する。レインウェアを羽織っても震えるほどの冷たさに見舞われる。寒さに加えて,自分は昼飯でエネルギーを十分に補給しなかったせいかパワー不足の状態に陥る。コースは細かなアップ&ダウンを繰り返す。事もあろうに,雨の中でも元気なカミさんに置いてけぼりを食らう。ウスティー Ústí nad Labemの入り口の右岸の山の上にストジェコフ城 Hrad Střekovも雨に煙っている。しかし,2時間も走ったヴェルケー ブジェズノ Velké Březnoに来るとカラッと晴れた。やれやれとカフェで一休み。幸いにも英語が通じたのでカプチーノとチキンナゲットで小腹を満たすことができた。

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少し元気が回復して走り出すといくつもの第二次大戦時代のトーチカが残っていた。どこまでも戦争の爪痕が付き回る。

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5時半にデェチーン Děčínの入り口にたどり着き,桟橋ぎわにあったHotel Kocandaに飛び込み交渉して部屋を取った。自分は完全にエグゾースト状態だがカミさんは元気でピンピンしている。日課の洗濯&シャワーを済ませて,夕食を取りに旧市街 Staré Mestoに徒歩で出かける。クラッシックなレストランでグラーシュとサーモンサラダを取り,ビールでカミさんの健闘と自分の不甲斐なさに乾杯した。昔,ハンガリーで食べたグラーシュとは違ってハッシュドビーフの様だったがとても美味かった。これでようやく生き返った心地がした。帰り際に再び夕立に見舞われて慌ててホテルに戻った。とにかく,今日は疲れマシタ。

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7月15日(5日目,通算29日目) デェチーン Děčín 〜 シュタット ヴェーレン Stadt Wehlen 45.50km

チェコからドイツに再入国する日だ。スタート前にホテルの窓から見えた旧市街のデェチーン城 Zámek Děčínを散策する。城は10世末に遡る歴史を持ち17世紀にはルネサンス様式に,18世紀にはバロック様式に再建されているという。

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その後で旧市街に出て,昨晩のレストラン前の,17世紀の聖クジジェ教会 Kostel Sv. Křížeを観覧したり,チェコのお金コルナを使い切るためにカミさんが絵の具の買ったりする。バス停に設けられた,ブランコで戯れる子どもを横目に眺めながらデェチーンを去ることにする。ラーベ川沿いの観光案内所でトイレを済ませてデェチーンを発ったのは10時半をまわった頃だった。

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30分ほど左岸を走るとローソクの様な奇岩のある岩山が出てきた。さらに30分ほどで チェコとドイツの国境が現れた。この先のラーべ川 Labeはドイツ語のエルベ川 Elbeと名前を変える。そして自転車道を示す道標も見慣れた白い大きなものに代わった。再びドイツに入りエルベ川自転車道の旅が続くのだ。ドイツの自転車道では,再び,「グーテン・モルゲン(Guten Morgen おはよう)」,「グーテン・ターク(Guten Tag こんにちは)」と挨拶が交わされるだろう。この先はこのエルベ川自転車道 Elbe Radwegのロゴが目印になるだろう。

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やがて右岸にも岩山が現れ始め,20分も走ると右岸にも自動車道路にチェコ・ドイツ国境の建物が見えてた。いよいよ,待ちに待ったザクセン・スイス Sächsische Schweizに入ったらしい。

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バート・シャンダウ Bad Schandauに入ったところでランチをとることにする。久しぶりのシュニッツェルだ。時刻は1時と早いがここで宿を取ろうとペンションや個人宿を探すがこの時間では連絡が取れない。地図やガイドブックを調べてみると,なんと,ザクセン・スイスの景観が見られるバスタイ Basteiはまだこの先のクアオルト・ラーテンであることがわかりビックリする。ここで宿を取らなくて良かった。

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バート・シャンダウからのエルベ川自転車は右岸を走る。急坂のヒルクライムをいくつか繰り返してハルベシュタット Halbestadtの渡しでフェリーを使って左岸のケーニヒシュタイン Königsteinに渡る。ここには「天空の要塞」とも言えるケーニヒシュタイン要塞 Festung Königsteinという1241年に創設された9.5ヘクタールという広大な要塞がある。しかし,下から仰ぎ見るだけで見学はパスしてクアオルト・ラーテンを目指す。

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エルベ川を遡る観光船はドレスデンから来たのだろうか。クァオルト・ラーテン Kurort Rathenに着いて対岸に渡ってザクセン・スイスの岩山に登ろうとしているところで夕立ちに見舞われた。対岸に見える岩山の征服は明日にしてここで宿を探すことにする。しかし土曜日で有名な観光地とあってどこの宿も満室だ。空き部屋を見つけたホテルは99ユーロ(1,2000円)と高いのでやめて次の街のシュタット・ヴェーレンで探すことにして雨の中を進む。

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しかし,シュタット・ヴェーレン Stadt Wehlenでもペンション,個人宿も満室やらお休みだ。ラッキーなことに,おばさんが庭仕事をしていた5軒目の休暇別荘 Ferienwohnug “Gottlöber”に投宿できた。英語が通じないが「今,部屋を掃除するからリビングで待っていろ」と言われる。キッチン,ダイニング・リビング,寝室,シャワートイレの豪華版だが50ユーロと安い。朝食はないと言われたが「そこをなんとか」と頼み込んで一人5ユーロで用意してもらうことに交渉がまとまった。やれやれ。

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夕方に再び雨が降って来たが夕食を取りに向こう岸に渡った。広場を囲んで市庁舎 Rathausと教会がある。教会は自転車人教会 Radfahrer Kircheとあるが一体どんなものか。食事をしようとしたが,ホテルでは断られたり他のレストランは休みだったりしていた。で,再び左岸に戻って先ほど宿泊は断られたペンションのレストランへ入る。 チキンナゲット,シュニッツェルのお子様メニューにサラダとバイツェンデュンケル ビール(小麦の黒ビール)で大満足の夕食を取ることができた。そういえばシュニッツェルは昼食でも食べたなぁ,忘れていたヨ。どうやら我々にはお子様の分量で十分の様だ。しかし,田舎の土日って買い物や食事がどうなってるのか良く分からない。

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今日もそうだがネット環境が無い宿に泊まったり,細いネット環境で繋がりにくかったりでFacebookへの旅のレポートが遅れがちだ。今日の雨は冷たく,震えるほどの寒さだった。明日は晴れてほしいものだ。

7月16日(6日目,通算30日目) シュタット ヴェーレン Stadt Wehlen 〜 ドレスデン Dresden 34.71km

豪華な朝食を済ませて出発に先だって宿の夫妻と記念写真を撮る。フェリー乗り場に歩き始めると宿の奥さんが追いかけて来た。カミさんが忘れた洗濯物のブラを届けに来てくれたのだ。あらラァ。

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待望のザクセン・スイス Sächsische Schweizを訪れた。ここザクセン州のザクセン・スイスは3万6千ヘクタールもの広さの国立公園になっていて,1億年前の白亜紀の奇怪な侵食風景を醸し出している名所だ。かつてスイスの芸術家がその景観がスイスの美しい景色に似ていると言うことから名付けられたとか。バイクでクァオルト・ラーテンに戻ろうかと右岸にフェリーで渡ったら,カミさんがバスタイ Bastei行きのバスを見つけた。バイクをここに置いてバスで往復すると楽だし,何と言っても,バスタイまでの200mの標高差も歩いて登らずに済む。

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バスタイの奇岩の景観はスイスには程遠く,むしろ,中国の桂林か武陵源(映画アバターのロケ地)のようだ。はるか眼下にエルベ川とクアオルト・ラーテンを望む岩に立つと背中がゾクゾクするような気分だ。ここでポーランド語を話すツァーの観光客に集合写真を撮ってくれと頼まれる。「ドブジェ?(大丈夫)」とモニターを示すと「ジェンクゥエン(ありがとう)」と返ってくる。別れ際にカミさんが「ド・ヴィゼニア(さようなら)」とあいさつした。おや,まだポーランド語をわすれてなかったね。ここのハイライトのバスタイ橋 Bastebrückeも渡ってみる。

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せっかく来たのだからと有料の区域にも入って見た。こんなところにも砦(要塞)があったらしく,投石器の複製が置かれていた。

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ザクセン・スイスにすっかり魅せられて2時間を過ごし,再びバスでシュタット・ヴェーレンに戻る。バイクを停めて置いた自転車人教会 Radfahrer Kircheをのぞいてみる。パンフレットによるとドイツで2番目の自転車人教会ということだ。第一番の教会はこれから通過するエルベ川自転車道の村にあると言う。ライダー Fahrerの休息と癒しのための教会ということらしい。ここで自転車仲間のお土産にとステッカーを20枚買う。

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シュタット・ヴェーレンからはそのまま右岸を走る。対岸にゾネンシュタイン城 Schloss Sonnesteinが見えて来て,コピッツ Copotzで左岸のピルナ Pirnaに渡って本コースに戻った。

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対岸の右岸の丘にテレビ塔らしき物が見えるようになるとバイクや散策する人が急に多くなって進みづらくなった。右岸にエックベルク城ホテル Hotel Schloss Eckbergとアルブレヒツベルク城 Schloss Albrechtsbergが見えて来た。近代的なヴァルトシュレスヒェン橋 Waldschlößchenbrücke(写真はGoogle mapから)を潜ると広がった河川敷の彼方にドレスデンが見えてきた。この橋は曰く付きの橋だ。このあたりは2004年に「ドレスデンのエルベ川渓谷」として世界遺産に認定されたが2005年の住民投票でこの橋の建設にゴーサインが出て建設が始まった。すると橋によって景観が削がれるという理由で2009年に世界遺産から抹消されてしまった。で,ドレスデンの街も世界遺産から外れてしまった。ありゃ,ピルニッツ宮殿 Schloss u. Park Pillnitzを見逃してしまったな。

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中心部への道を聞いて旧市街の聖母教会 Frauenkircheの前に辿り着いた。ところで,ゲーテが「エルベ河畔のフィレンツェ」と呼んだドレスデンの街は第二次大戦終盤に連合国軍の空爆(ドレスデン爆撃)によって街の85%が破壊された。死者の数も4万人(当時の住民は64万人,避難民を入れると80〜100万人)に達した。この死者数は,これから訪ねるハンブルクと並んで最大と言われる。この教会も一部の壁をのぞいて破壊されたが「世界最大のジグソーパズル」と呼ばれた再建工事が1996〜2006年に再建された。ジグソーパズルとは,破壊されて残ったオリジナルの石の位置をコンピュータの3次元映像解析で探し出し,それに新しい石を加えて再建したことを指している。だから教会の壁には黒い石があちこちに混ざっている。

さて宿探しだ。ℹはお休みで情報は得られない。隣のカフェでコーヒーとケーキを注文して一息入れて,クアオルト・ラーテンのホテルで入手した,エルベ川自転車道の冊子,bikeline地図とインターネットでibis budget Dresden Cityを探し出す。場所はここからすぐのところだったので行ってみる。このチェーンホテルはウルムでも利用した近代的な比較的安いホテルだ。2連泊が取れて一安心する。バイクの保管場所もちゃんとフロアーに用意されていた。カミさんと「今日はツイテルね」とハイタッチだ。

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一仕事を終えてで旧市街に出る。旧市場 Altmarktから聖十字架教会 Kreutzkirche Dresden,市庁舎 Rathausあたりを散策する。市庁舎の前の景色は40年前のワルシャワの街はずれを思い出させる。

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マルチン・ルター像が立つ聖母教会に歩を進めると広場でオペラ歌手が唄っていた。しばし,歌声に聞き惚れて5ユーロを奮発する。戦災で奇跡的に残った,マイセン陶板に描かれた,君主の行列 Der Fürstenzugの壁画を見る。アウグスト強王の堂々とした姿も見える。

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ドレスデン城 Residenzschloss,カトリック旧宮廷教会 Katholische Hofkircheが囲むシュロス広場 Schloßplatzに立ってエルベ川を見て「よくここまで来たもんだ」とカミさんと感慨深く相槌を打つ。ザクセン州立歌劇場のゼンパーオーパー Semperper Dresdenも見えるが今回はここでオペラを見ることもないだろう。

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ホテルに戻りながら旧市場で夕食を取る。渡る道路の横断歩道のアンペルマン Ampelmann信号がここは東ドイツであったことを示している。市場ではさっきまであったビールはすでに売り切れとなっていた。

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7月17日(7日目,通算31日目) ドレスデン Dresden観光

気がついたら今日は月曜日で,博物館などはお休みか? 調べて見ると一番の見どころのツヴィンガー宮殿はお休みだがレジデンツ宮殿 Schloss Residenzは観られるようだ。アウグスト強王 August II Mocny(mocnyモツニィはポーランド語で強いを意味する,彼は腕力ともに精力絶倫のポーランド国王だったので強王と呼ばれた)の宝物庫の歴史的緑の丸天井 Historisches Grünes Gewölbeだけを見ることにした。幸い,朝一番の入場切符が取れた。宝物庫はウィーンのシェーンブルン宮殿のものよりもスゴかった。琥珀,象牙,白金,金メッキ,金銀細工,宝石で飾られた王冠など3,000点もの財宝が次々に現れ,ため息が出る。部屋の壁も展示品に合わせて大理石,鏡などで作られている。これらはドレスデン爆撃にやられる前に避難させておいて,戦後旧ソ連に没収されて1958年に返還されたものだそうだ。内部への出入りは二重ドアで厳重に空気を管理している。宝物はケースや陳列棚を使わず,手を伸ばせば届くところにそのまんま展示されている。当然ながら撮影禁止だった。公式ホームページからの写真ではこれらのいくつかが紹介されている。

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ツヴィンガー宮殿 Zwingerの庭園は休館中でも自由に見れると言うのでそっちに回った。その豪華さに触れて,それにしても権力って一体なんなんだと考えてしまう。

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アウグスト橋 Augustusbrückeでエルベ川を渡って旧市街 Altstadtから新市街 Neustadtに入る。と,金ピカのアウグスト強王の像 Goldener Reiterが出迎えてくれた。中央通り Hauptstraßeの辻音楽を聞いたりウィンドショッピングをしながら散策する。お昼はチェーン店のフィッシュ&チップス レストラン Nordseeでタラのバター焼とエビのサラダを買ってビールで食べた。ここの魚のフライやムニエルは好きだな。新市街はあまり見るところが多くはない。ショッピン モールの新市街屋内市場 Neusädter Markthalleを冷やかして見た。その後で,カミさんが立ち寄ってみたかった「世界で一番美しい牛乳屋」プフンズ・モルケライ Pfunds Molkereiを探し歩いたたが,カミさんの情報不足で見つけることができずに諦めた。後で,ℹで買ったあったミニガイドブックを見たら,住所も電話も書いてあった。

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いったんホテルに戻って一休みして,近くのショッピングセンターのアルトマルクト・ギャラリー Altmarkt Galerieの地下で中華料理を食べる。今回の旅では中華料理が安上がりで美味いことを発見している。しかし,ここの料理は美味くない。コメも不味いが何とかオイスターソース味で救われている。食後は再び旧市街に戻り,夜のエルベ川岸のプロムナードのブリュールのテラス Brühlsche Terasseを歩く。昼間のドレスデンはどこもかしこも修理中,工事中だったが,日が落ちて川面に映るドレスデンの町並みは美しい。さて,明日はマイセンだ。

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7月18日(8日目,通算32日目) ドレスデン Dresden 〜 マイセン Meißen 32.63km

アウグスト橋で右岸に渡り,ドレスデンにお別れして進む。しかし,周りの景色に気を取られて路面に2ヶ所も大きく描かれている右折サインを二人して見過ごし,戻る羽目に合う。

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マイバウム Maibaum(五月祭の飾り柱,メイポール)が残るラーデボイル Radebeulに立ち寄るがルター教会 Lutherkircheが目に付くくらいで特に目新しいことはない。計画ではここから脇道に入り綺麗なモーリッツ城 Schloss Moritzburgを見に行くつもりだった。しかし,地図を読むと7kmほどの登りがあるので,カミさんに嫌がられないように,パスすることにした。

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大きく広がったエルベ川の河川敷には花が咲き乱れ,まるで,草原の中を走っているようだ。空は晴れ渡り爽やかそのもので,実に気持ちの良い自転車旅を味わう。昼にマイセンに着いた。旧市街橋 Altstadtbrückeで対岸(左岸)に渡り,マルクトに入る。

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マルクト Marktには聖母教会,アートギャラリーや市庁舎がある。ℹで地図をもらい,聖母教会 Frauenkircheの磁器製のカリオンの音を聞きながらランチを取る。

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聖母教会を覗いてみる。佐賀県有田町と磁器で結ばれた姉妹都市となっているだけあって日本語のパンフレットが置いてある。塔にはマイセン焼きの37個のカリオンが備えられているが内部は簡素なつくりだ。

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その後,マルクトにバイクを停めてアルブレヒト城 Albrechtsburgを見学する。

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ここでアウグスト強王が錬金術師ベトガーを幽閉して白磁器を作らせた。かくして有田(伊万里)の白磁器がヨーロッパにも誕生した。城の内部はそれほどの見所があるわけでもなく,期待するほどのことはない。部屋の隅のトイレもどこの城にもあるものだ。

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城の隣の大聖堂 Domに行ってみる。内部観覧は有料なので中庭を見ただけで早々に立ち去る。

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バイクで国立マイセン磁器製作所 Staatliche Porzellan-Manufaktur Meissenと博物館へ向かう。工場のすぐ近くでドイツ人ライダーが交渉に入って行くペンション Pension Schwaitzerhausを見つけて彼らに便乗する。しかし看板には休憩時間帯とあり,出て来たおばさんは不機嫌極まりない。ドイツ人に続いて,知らん顔で,宿泊の交渉をしてオーケーを貰う。

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旅装も解かずに荷物を置いただけでマイセン磁器工場を見学する。かつて九州の佐賀市に11年暮らして,ほぼ毎年のように有田陶器市に出かけていた我々にとって陶磁器は興味の的だ。見学用工房 Schauwerkstattを回り,型押し,成形,絵付け,染付の主要工程のデモを見学する。日本語のオーディオガイドでバッチリ理解できた。

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そのあとは博物館の見学だ。マイセンの動物や人物などの焼き物は有田でもそうそう見ることは無かった。その大きさ,豪華さに呆れる。マイセンを象徴する交差した剣のマークが時代とともに変わって行ったのも興味深く見た。

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博物館の出口にはアウトレットが待っている。お土産にと思うものの安くても60ユーロもする。自宅にある有田(伊万里)と比べるとやはり高い。これじゃ今晩の宿代だよ。カミさんは「それを別にしても,自転車のバッグはソフトなものだし,まだ旅は長いので破損の心配がある」という。で,まるでイソップ物語の酸っぱいブドウの話のような理由をつけて買うのをやめた。ここで学会出張でドレスデンに来ていて,マイセンを訪ねて来たと言う日本人に出会った。これまた久しぶりの日本語での会話だった。

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宿に戻って洗濯,シャワーの日課をすませてマルクトまで徒歩で出かけた。夕食は市庁舎前のレストランで,例によって,シュニッツェル一人前を注文してシェアした。飲み物はカミさんはピルスナーで自分はデュンケルビールだ。ここでの注文は全てカミさんに任せっきりだった。それほどに疲れていた。暮れ行くマイセンの街を対岸から見ようと,旧市街橋で右岸に渡って散策した。

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7月19日(9日目,通算33日目) マイセン Meißen 〜 ベルガーン Belgern 69.63km

マイセンのアルブレヒト城とブドウ畑(ビールばっかりでワインは飲まなかったが)にお別れして麦畑を走る。対岸では馬がのんびりと草を食んでいる。実にのどかな自転車旅だ。こんな時,頭はカラッポになっている。今回の旅ではあまり賞味しなかったアスパラガス Spagelがいっぱい植えられている畑も通り過ぎる。

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しかし今日のコースはそんな楽な道ばかりではなかった。階段を登り降りさせらてメルシュヴィッツァー瀬 Merschwitzer Furtで一休みする。この浅瀬 Furtには両岸にコンクリートのスロープがあった。「きっと,第二次大戦でエルベの渡河に使われたんだヨ」とカミさんに呼びかけても興味なさそう。向こう岸は牛の放牧場だ。階段でバイクを担いだ苦労の後も凸凹するパーべ(石畳)を延々と走らされた。

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ニュンヒリッツ Nünchlitzの工場群あたりの自転車道でもガタガタ,ゴトゴトとブロック畳のコースを走る。サイロのような建物は個人宅らしい。タイヤは太いがこの道は疲れる。リーザ Riesaで対岸に渡れば良かったがアウトバーンの脇道が怖そうでパスする。しかし,この右岸のコースには軽食やトイレの施設が見当たらなかったのでロレンツキルヒ Lorenzkirchでフェリーで対岸のシュトレーラ Strehlaに渡った。

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立ち寄ったシュトレーラ Strehlaのカフェではとても美味しいカプチーノと,甘すぎない,美味しいサクサクのタルトを出してくれた。店主とチョット会話できて,小さなお菓子までプレゼントしてもらった。この,人と人との優しいふれあいが旅の疲れを癒してくれる。ここからはそのまま左岸のエルベ川自転車道を走る。

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その後の自転車道も石畳のコースに悩まされる。ハンドルを握る掌が痺れてしまう。時刻は2時で陽が高くなり,あまりの暑さに閉口してパウスニッツ Paußnitzのベンチで一休みしてランチをとる。飲み物はシュトレーラのカフェで買ったスプライトだ。

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宿泊予定の村プロータ Plothaは淋しいので,ここをやり過ごしてベルガーン Belgernに向かう。遅いランチを取ったパウスニッツから1時間も走ると,しばらく離れていた,エルベ川がすぐ右に寄ってくる。街の入り口の船着場からは又も石畳の登りだ。看板のローラント像は何だろう? 街の中心までこの石畳が続いた。

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ベルガーンでの宿探しはカミさんと手分けして「Zimmer Frei(空室あり)」の看板を探す。自転車でウロウロしている我々のところに停まった車から降りて来た婦人はペンションの管理人だった。実にラッキーな出会いだ。Pension Elke MüllerはADFC(ドイツ自転協会)お墨付きのBett+Bikeとエルベ川自転車道のライダーフレンドリー宿泊所のマークが付いたペンションだ。自転車保管納屋があって共同のダイニングキッチンとリビングがついている。おまけに宿泊料は朝食付きで45ユーロだと言う。

日課をすませて街の外れの2軒のスーパーマーケット LIDLEとNettoに買い出しに出掛ける。ペットボトルを回収してもらって75セントの金券をゲット。ドイツではペット一本につき25セント(30円)の保証金が含まれている。まずは明日の飲料水,そして,ビール,サラダ,生ハム,ミックスナッツ,カップスープを買って来てペンションのダイニングキッチンで豪華な夕食をとった。今日は特に見るところもなく,暑さの中を淡々と移動して退屈な1日だったがこの宿での夕食は至福のひと時であった。

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今日はこのペンションは我々の貸切だと思っていたが,8時半頃になって隣の部屋にライダーが投宿する気配があった。彼らは「寝るだけでここは使わないから大丈夫」と言うが,慌ててダイニングに干してあった洗濯物を部屋に取り込んだ。

7月20日(10日目,通算34日目) ベルガーン Belgern 〜 プレッチュ Pretzsch 55.43km

驚いたことに,やはり,宿代は朝食込みの二人で45ユーロ(5,600円)と言う安さだった。チェコのモルダウ川自転車道に続いてエルベ川自転車道には宿泊は安くて快適な宿泊施設が多い。旧社会主義国の名残りだろうか? ベルガーンの市庁舎に立つ高さ6mものローラン像 Roland-Statueを見てびっくり仰天した。2013年のヴェーザー川自転車道の旅で訪ねたブレーメンのローラント像よりもはるかに大きい。広場にお店を出していたパン屋でお菓子(ドーナツ)を買ってベルガーンを後にした。石畳の坂を降りて船着場に戻り,そのまま左岸ルートを走る。しばらくは菜の花と麦畑の中を進む。

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40分ほど走ったヴェスニヒ Weßnigで,シュタットヴェーレンでも見た,自転車人教会 Radfahrerkircheを見つけた。ここがドイツで最初の自転車人教会とのことだ。絵葉書を3枚買って,これまでの自転車旅が安全出会ったことのお礼と亡くなった自転車仲間のN山さんの霊が安らかであらんことを祈願する。

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30分ほど走るとトルガウ Torgauの入り口で旧ソ連の記念碑 Denkmal der “Bebegnung an der Elbe”を見つける。ここに至って,旧東ドイツを見たと感じた。トルガウは第二次大戦中の1945年4月25日にアメリカ軍とソ連軍が初めて出会った場所で「エルベの誓い」または「エルベ川の出会い」として有名になった,という歴史を持つ。実は,このエルベの誓いは昨日立ち寄ったシュトレーラ村の方が先らしい。同日11時25分にアメリカ軍哨戒隊と馬に乗った一人のソ連兵と出会っている。そして午後4時にトルガウで両軍の隊が出会ったということだ(Wikipediaより)。

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聖マリア市教会 Stadtkirche St. Marienを見学する。

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ハルテンフェルス城 Schloss Hartenfelsも外側から見学する。城は1482〜1623年に建てられたとある。城の内部には文書・情報センター Dokumentations- und Infoirmationszentrum(DIZ)があって「不義の痕跡」である第二次大戦前のドイツ国防軍刑務所 Wehrmachtjustiz,戦後のソ連秘密警察特別収容所第8,10号や東ドイツ刑務所の政治的暴力の犠牲者に関する資料が展示されているとある(DIZ公式ホームページ)。ハルテンフェルス城から出る際に城門の濠に遊ぶクマが我々を送ってくれた。

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トルガウを出たエルベ川岸のベンチでアルファ米,味噌汁,梅干しとドーナツでランチをとる。ハルテンフェルス城の遠景とエルベに架かる鉄橋を走る列車が間近に見える長閑な風景だ。第二次大戦の良くも悪くも記念的な街トルガウを後にしてエルベ川と着きつ離れつで進む。

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カミさんは「ここ,一度走ってなぁい?」と言うくらい似たような景色の中を走る。エルベ川は何処に行ったのか? 飽き飽きする退屈なコースだ。宿泊予定のドンミッチュ Dommimtzschは寂れた街のようなので,カミさんのスケッチが終わるのを待ち,通過する。プリージッツ Priesitzという村ではエルベ川船員教会 Elbschifferkircheという小さな教会に出会う。

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目と鼻の先のプレッチュ Pretzschでパン屋さんのペンション Penshion Haus Schützeを見つけて交渉する。対応に当たった婦人のドイツ語は半分も理解できない。部屋を見せてもらい飲み物が入っている冷蔵庫を示された。宿代と朝食の時間を訪ねてオーケーする。ドイツ語しか通じないが何とかうまく行ったようで,テラスでビールを勧められる。

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日課の後で夕食を取りに街に出る。市庁舎,1652年創建の聖ニコライ市教会 Stadtkirche St. Nikolausや981年創建で16〜18世紀にアウグスト強王の臣下が住んだプレッチュ城 Schloss Pretzschを見て回る。城は現在は孤児院(養護施設)として使われているそうだ。

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夕食は近くのホテル Parkhotelのレストランでブタ三昧のメニューで乾杯する。隣のテーブルでは自転車乗りの格好をした幼児2人に母親が食事をさせている。食後に見かけた母親は公衆電話に貼られた宿泊施設の電話番号をメモしていた。時刻は8時半を回っているがこれから宿を探すのだろうか。たくましいお母さんだ。今日は単調で退屈なコースの一日で,疲れた。

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7月21日(11日目,通算35日目) プレッチュ Pretzsch 〜 ヴィッテンベルク Lutherstadt Wittenberg 48.43km

美味しい朝食のお礼に折鶴をプレゼントして宿のおばさんとツーショットを撮らせてもらう。「あなた達はベトナム人か」と聞かれたのは初めてだった。プレッチ城にも別れを告げてスタートする。しかし2kmほど走ったところで引き返す羽目に会う。なんと,昨日のコースを逆戻りしているではないか。村の入り口まで戻りエルベ川のフェリー乗り場にコース変更する。フェリーで右岸に渡る。エルベをフェリーで渡るのはこれで何回目になるだろう。「あそこに牛が〜」とカミさんが近づく。なんだ置物じゃないか。背中に乗ろうとするが届かず諦める。川を離れてヒマワリ畑を走り,また川岸に出る。川を見るとホッとするし,何と言っても涼しい。

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鉄製のオブジェを見たり,風車を見たりして野草が咲き乱れる草原を走る。草原の向こうに観光船のデッキが見えるのであそこをエルベが流れているのだろう。エルベの岸近くのベンチでランチをとる。このランチは宿のおばさんが「ランチに持っていけ」とサンドイッチと紅茶を包んでくれたものだ。宿の食堂の壁には東ドイツ時代の新聞の切り抜きが貼ってあった。そこにはパンを作っているご主人の誇らしげな姿の写真が載っていた。言葉は十分に通じなかったが素朴な,かつての社会主義国の東ドイツを体験した気分だった。

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やがて,昼過ぎにヴィッテンベルクに入った。正式にはルターシュタット・ヴィッテンベルク Lutherstadt Wittenbergと「ルターの街」が付く。目ぬき通りのコレギン通り Collegienstraßeを中心地のマルクト Marktまで進み,市庁舎 Rahtausにたどり着くもℹは見当たらない。地図で見ると市街地の外れにあるらしい。市街地外れの城広場 Schlossplatzでℹを見つけて宿探しをお願いする。しかし,金曜日とルターの宗教改革500年周年が重なって宿は109ユーロのホテルと1.6km先の個人宿以外は満杯と言われる。バイクで1.6kmは苦もないので個人宿のFerienzimmer Pinnigを予約してもらう。

個人宿はトイレ・シャワーは共同でキッチンはあるが朝食はなしとのことだ。幸いにも今日は我々だけが泊まるようだ。宿の主人に「明日も泊まることはできるか」と聞いて見ると,「娘がインターネットで予約を管理しているので,いま電話で空き室を聞いて見るから待て」と。しかし,残念ながら翌日の宿泊は叶わなかった。実は,ヴィッテンベルクの見学は今日の半日ですませて,明日はライプツィヒ Leipzigまで電車で出かけて観光しようと,急遽,予定を追加しようとしているのだ。では,ヴィッテンベルク中央駅にバイクをデポしておいて電車でライプツィヒを半日観光するしかなさそうだね,とカミさんと合意して日課をすませる。さて,では世界遺産のヴィッテンベルクの観光の仕切り直しだと空身のバイクで市街に戻った。

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まず,シュロスキルヒェ Schlosskirche Allerheiligen(城教会)に行く。ここの扉に500年前にマルチン・ルター Martin Lutherが,免罪符で金儲けに励む,教会(キリスト教)を非難した95か条の論題を貼った。現在の扉はプロンズで再現された論題でできている。宗教改革,プロテスタントの始まりからちょうど500年だ。記念すべき年に記念すべき都市を訪れた訳だ。教会の中にはルターが眠っているとある。教会の隣の城は現在はユースホステル Jugentherbergeになっている。

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マルクトの市庁舎前に立つルターの像と隣の聖マリエン市教会 Stadtkirche St. Marienを見送って世界遺産のルターハウス Lutherhausを見学する。例によって内部は撮影禁止だ。デジタル博物館の画像はこんなだ。ルターが書いた手紙,ドイツ語に翻訳した聖書,自画像の他にルターが使った書斎や講堂(ルターハウスは元は大学と修道院を兼ねた建物だったがのちにルターが建物を譲り受けて家族とともに住んだ)などを見ることができた。

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その足でヴィッテンベルク中央駅の様子を見に行った。駅舎にはコインロッカーがあるので明日はここに荷物をデポしておけるな。バイクを取りにコレギン通りを戻る途中でレストランに入り,スパゲティ&サラダとビールでの夕食をとった。ヨーロッパを理解するにはキリスト教の知識が欠かせないことを痛感したが,もはや今の我々にとっては,たとえ世界遺産であっても,教会や城などにはかなりの食傷状態だ。

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7月22日(12日目,通算36日目) ヴィッテンベルク Lutherstadt Wittenberg 〜 コスヴィッヒ Coswig 18.89km

8時前の列車に乗るために7時には宿を発った。こういう宿では宿泊料は前金払いで,出発時には鍵を部屋のドアに挿しておくというスタイルだ。ヴィッテンベルク中央駅にバイクを停めてコインロッカーに荷物をデポして切符を買う。キオスクでパンとコーヒーの朝食を買い,電車の到着前にベンチで食べる。電車に乗ると,カミさんは隣に座ったおじさんが朝からうまそうにビールを飲むのが面白くて,ソッとスケッチする。ビッターフェルト Bitterfeldで乗り換えて1時間ちょっとでライプツィヒ中央駅 Leizig Hbfに着いたら。自転車旅なら丸一日はかかるだろう。駅は終着駅としてはヨーロッパ最大と言われるだけのことはあり,とても大きい。

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まずはℹで地図をゲットだ。オープン時刻まで少し待って日本語の資料を手にしてマルクト広場 Marktplatzに向かう。ℹのお隣の造形美術館 Museum der bildenden Künsteにはカミさんも興味がないという。立派な時計塔をもつ旧市庁舎 Altes Rathausは現在ではライプツィヒ市歴史博物館 Stadtgeschichtliches Museum Leipzigになっている。広場を取り囲んでいるのは旧ライプツィヒ保険会社 Alte Leipziger Versicherungenなんて書かれた建物や歴代の王侯・皇帝の常宿であり,数階に渡る張り出し窓を持つケーニヒス・ハウス Königshausだ。カフェが立ち並ぶ小路を抜けてトーマス教会 Thomaskircheへ向かう。

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トーマス教会 Thomaskircheはバッハ J.S. Bachがオルガン奏者・音楽監督を務めていた教会だ。内部の天井は棕櫚の模様で,ステンドグラスには彼とメンデルスゾーンの顔があった。そして,バッハが眠る墓も祭壇の前にある。

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デパート前でクラリネット四重奏に聞き惚れ,記念にCDを買った。重厚な旅行会社,音楽学校,ドイツ銀行などの建物をみてこれまた豪華で立派な新市役所 Neues Rathausを見て回る。「都庁舎とは大違いねぇ」とカミさん。あれっ,ウィーンの市庁舎の時もそう言わなかったっけ? あっちの方に見える建物はドイツ連邦行政裁判所 Bundesverwaltungsgerichtのようだ。この裁判所はかつてのドイツ帝国最高裁判所だったとある。ライプツィヒは市街の40%ほどが戦災の被害にあっているそうで,かなりの建物が戦前の姿を保っているようだ。

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モダンな造りのカトリック司教座教会 Propsteikircheを見て,モーリッツ要塞 Moritzbasteiの向こうにゲバントハウス Gewandhausを望む。ガラス張りのライプツィヒヒ大学 Universiät Leipzigを見て回る。大学は何の学部だろう? 階下はカフェや商店になっているのが,なにこれ,って感じだ。辻音楽の演奏を聴きながら歩き,ニコライ教会 Nikolaikircheに入って見る。ここはベルリンの壁崩壊のキッカケになった集会が行われたところ。内部は棕櫚の樹の形をした柱に明るい天井が珍しい。

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ショッピングアーケードのメドラーパサージュ Mädlerpassageを抜けるが,観光名所の歴史的ワイン酒場アウアーバッハ・ケラー Auerbachs Kellerはパスする。マルクト広場に戻って,小路の日本食店 Umaii Ramenbarでラーメンとカツ丼のお昼をとる。ウエイターが「日本のラーメンとは違うけどその点はわかってね」と念を押す。イチャモンをつけた日本人に懲りたのだろうか? 香辛料がちょっとキツかったが日本の味に飢えている我々には旨かった。

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2時にヴィッテンベルクに戻り,ヴィッテンベルクの街を抜けて自転車旅を続ける。グリーボ Grieboで1845年から動いているという水車をみる。粉屋の大きな倉庫が残っていた。小雨がパラつく森のコースをコスヴィッヒに向かう。

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4時にコスヴィッヒ Coswigに入り,カミさんと手分けして宿を探す。小さな街だが静かで落ち着けそうだ。ほどなく市庁舎のすぐ向かいの新しく改装中の宿 Pension Zur Goldenen Weintraubeを見つけて投宿する。

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日課を終えて街の散策に出かける。1669年からの市庁舎の裏には自転車での旅人のための(?)立派なバイク保管所と電動アシスト自転車のための充電設備があった。宿の露天に停めるよりもここに置いたほうがよかったか? 古めかしい郵便局や1555年創建のコスヴィッヒ城 Schloss Coswigを眺めて,城の裏手に回るとエルベ川に出会えた。ヴィッテンベルクからはしばらくエルベが見えなかったので,何かホッとしたような気分だ。

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夕食は宿のレストランでコスヴィッヒ・グリル・プレートをシェアして,ビールとともに楽しんだ。牛,豚,鳥などの肉はシェアしても満腹させるに十分な量だった。

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7月23日(13日目,通算37日目) コスヴィッヒ Coswig 〜 ヴァルターニーンブルク Walternienburg 66.14km

コスヴィヒからフェリーで右岸に渡る。乗り場の途中に額縁が立っていて,覗いてみるとコスヴィッヒ城が絵に収まった。やるじゃない。森の中をずーっと走り,野草が咲き乱れる野原を走っていくときれいな湖のほとりに出た。ヴェルリッツ Wörlitzと標識にある。

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コースから外れるが立ち寄ってみる。街中でℹを探して地図を買って調べてみると(街によっては地図は有料のところもある,たとえ有名な観光地でも),ここが尋ねるべき世界遺産のデッサウ・ヴェルリッツの庭園王国 Wörlitzer Gartenreichであることがわかった。デッサウ Dessauの街にあると勘違いしていた。

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さっそくゴンドラに乗ってヴェルリッツ湖 Wörlitzer Seeから公園をみる。イギリス人ですら「ここはイギリスか」と感嘆したというイギリス庭園をボートから眺める。18〜19世紀に作られた庭園は自然の中に教会(ペトロ教会 Kirche St. Petri),城(ヴェルリッツ城 Schloss Wörlitz),橋,東屋やディズニー・ランドにあるようなゴシック・ハウス Gotiche Hausなどを巧みに配置している。ここは一見の価値ありだ,実に結構な時が過ごせた。

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ゴンドラから降りて街中のケーキ屋さんでケーキとコーヒーで一休みする。田舎の街なので店内にもあちこちに蝿が飛んでいる。ショーケースの中まで飛んでいるが店主は無頓着だ。日本じゃ考えられない光景だが?! ヴェルリッツ湖をぐるっと回る途中で岩の島に立つ瀟洒な館 Insel Steinをみてコースに戻る。

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エルベに沿い,あるいは林間を抜けてヤグト橋 Jagdbrückeの分岐につく。ここから南下するとデッサウ Dessauの街だ。Dessauにはバウハウス(芸術造形学校 Bauhaus)などの建築物の世界遺産があるが寄らずに通過してコースを進む。カヌーでポロを楽しんだり水浴で戯れる人たちを眺めながらおやつを食べる。

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コースはアーケン Akenでフェリーで川を渡るようになっているが,行って見たら,これが工事中で行き止まり。さてさて困ったどうしよう思っているとドイツ人の旅の父娘が助けてくれた。「このまま進むと次の渡しブライテンハーゲン Breitenhagen にホテルがある」と言う。で,ついて行ってブライテンハーゲンに入るが宿は見つからない。先ほどの父娘も同様にここでは宿無しだ。話してみると,父の方は大阪の小林でグンゼに織機を納入した事があるそうだ。道理で「コンニチワ」なんて日本語で挨拶してくれたわけだ。仕方ないのでフェリーで右岸に渡り次の街で宿探しをすることにした。

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ヴァルターニーブルクの街のペンション Heinrich’s Cafe-Wirtschaftに空室ありの看板があった。入ってみると先の父娘が休んでいた。宿の交渉をして泊まることにしたが,夕食が売り切れでオムレツしかできないと言われた。我々もビールを各自大小2杯も飲んで,これまた,美味しいオムレツを食べた。本当に今日の宿探しは綱渡りのようだったのですっかりと喉が渇いていたのだ。オムレツを待つ間,カミさんは地元の子供とサッカーゲームに興じる。父娘はさらにフェリーで渡った先の街でホテルを探すと言うので,お礼にインスタント味噌汁と小魚&アーモンドのツマミを贈ってお別れした。親切な父娘に感謝,感謝。

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宿は2階(ヨーロッパでは1階だ)がリビングで階上の屋根裏がベッドルームになっている。泊り客は我々だけのようだ。洗濯とシャワーの日課が済んで,宿のテラスから見えたヴァルターニーンブルク水城 Wasserburg Walternienburgまで散歩に出かける。暮れ行く田舎の街にユッタリと時間が流れて行く。

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夜中にカミさんが「胃が痛〜い」と言ってベッドを転げ回る。昨日からシクシクとしていた,という。薬を飲んでしばらくすると眠りについた。大事がなければ良いが。

7月24日(14日目,通算38日目) ヴァルターニーンブルク Walternienburg 〜 ホーエンヴァルテ Hohenwarthe 65.75km

8時に朝食の準備ができた。食堂には先代までが使っていた歴史的なパン焼き窯が残されている。昨晩のカミさんの胃痛も大事なかったようで,朝食も普段のようにとった。それでも大事をとってスタートはすこしゆっくり目の10時にする。

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フェリーで左岸のバービー Barbyに渡ったら昨日の父娘にであった。彼らは右岸に渡り返して旅を続けると言う。「Gute Fahrt !(良い自転車旅を)」と互いに挨拶を交わして別れる。バービーの街中のスーパーで水を買う。1日1.5リットルは必要だ。

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道路脇の自転車道を走り,コースをロストしたりしながらも大きな工場地帯に入る。シェーネベック Schönebeckだ。旧市街 Altstadtのマルクト広場のアイスカフェで,お昼の時刻だが,パフェを食べる。市庁舎の道路を挟んで,1613年創建(現在の形になったのは1719年)の中世の市壁の要塞塔の塩塔 Salzturmが立っている。塩塔と言うのはシェーネベックの,現在は閉鎖されている,塩鉱山に由来しているのだろう。

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マルクト広場からエルベ川に出ると,なにやら鉄のオブジェが立っている。コースは川から離れて草原を走る。ペダルを漕ぎ続けるとトラム(市電)と並走するようになる。マクデブルクに入ったかと思ったらまた川べりだ。マクデブルク中心街までまだ10kmあるらしい。ここで,朝食時に作ってきたサンドイッチのランチを食べる。

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そのまま,分かりにくいコースを進むとひょっこりとマクデブルク Magdeburgの街が見えてきた。運良く中心部のマクデブルク大聖堂 Dom zur Magdeburg St. Mauritius und Katharinaに行き当たった。ドイツ最初(1209年着工,1520年完成)のゴシック建築の大聖堂はビックリするほど大きく高い(100m)。大聖堂の内部は改修中だったが写真撮影には2ユーロの料金が必要とある。マクデブルクは第二次大戦で大きな被害を被った。空爆で6,500人もが亡くなったのは大都市の中でも特に高い死亡率とある。600万立方メートルの瓦礫は住民一人当たり20立方メートルに匹敵する量という。マクデブルク大聖堂もその例に漏れず,西側正面と丸天井で800平方メートルが破壊された。

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広場を挟んで向こうには,ガウディ作と見間違えるような緑の砦 Grüne Zitadelleがある。劇場,レストラン,住宅,オフィスなどが入る複合施設だ。マクデブルクという街は,かつての東ドイツでありながら,新旧の建物の存在がじつに奇妙に入り混じっている。

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聖母修道院 Kloster Unser Lieben Frauenや裁判所(簡易–,行政–,社会保険裁判所)の建物を見たところで雨が降ってきたので観光を切り上げて大聖堂に戻りエルベ川岸に出る。時刻は3時を回っている。エルベ左岸を2kmほど走り,マルクグラーフェン通り Markgrafenstraßeに上がってエルベを右岸に渡った。橋を渡ったところを左折する交差点の赤信号を見落としてクルマにクラクションを鳴らされて気がつく始末。交通量が多い都会を抜けるときはルートファインディングばかりに集中するのは危険だ。おまけに雨で注意力は散漫になりがちだからなおさらだ。公園を抜けて鉄道と並行して走り,また公園を抜ける。ようやく右岸のルートはマクデブルクの郊外に出た。

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マクデブルク中心部から15kmほど離れたホーエンヴァルテHohenwartheで全長918mのマクデブルク水路橋 Wasserstraßenkreuz Magdeburgに出会ったのは5時になろうとする時刻だった。エルベ川の上にエルベ・ハーフェル運河 Elbe-Havel-Kanalが架かっていてその運河は大きな船が通れるようだ。まるで「天空のバスタブ」のようなヨーロッパ最大の水路橋は2003年に完成したとある。すごいものを作ったものだと感心する。

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この運河に架かる橋を行ったり来たりしてホーエンヴァルテの街中や市街の宿を4軒当たった結果,市街のチョット高いホテル Hotel Waldschänkeに投宿した。雨の中で自転車旅行者向けのペンションにはお休みだと断られ,コリャヤバイと思ったが今日もセーフでやれやれだ。濡れた雨具を干したり,ウェアを選択したりシャワーを浴びたりの日課が終わって食堂に行ってみると,今日の道中で連れ立って走ったイタリア人夫妻に出合った。彼らも我々と同じくリューベックを訪ねるということだ。ただし,我々は電車で,だが。

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7月25日(15日目,通算39日目) ホーエンヴァルテ Hohenwarthe 〜 タンガーミュンデ Tangermünde 57.91km

雨音で目が覚める。今日も雨だが自転車旅を続ける。レインコートにレインパンツ姿で雨の中を出発する。運河なのでどちらに流れているのかわからないので,この岸が右岸か左岸も自分には判断できない。コースマップに従って進行方向の右側の運河の岸を進む。 ホーエンヴァルテ二重水門 Doppelschleuse Hohenwartheでレーサーパンツ姿でガタガタ震えながらのおじさんが「ここは渡れない」と言ってこちらに向かってくる。我々は地図を信じて進むと,果たして対岸(左側)に渡ることができた。bikeline地図はニーグリップ水門 Schleuse Niegrippで左折とあるが,そこには進入禁止のバリアーが脇にどけてある。どうしようかと迷ったが左折して進むことにする。ところが,やはり,自転車道は工事中で,砂利道と泥道に悪戦苦闘する。ようやく抜けてニーグリップ Niegrippに入り,本来のコースに戻った。と,思ったらシャルタウ Schartauへの本コースも工事中のトラックが行き交う悪路だ。迂回の案内標識も見当たらないので路傍の小さな標識を頼りに進むことにする。しかし,進路は古エルベ川 Alte Elbeの三日月湖が点在する草原と湿地帯に入ってしまう。やがて,草原の中のトラクターの踏み跡を彷徨う。 まるでシクロクロス(やったことはないけど) をやっている気分だ。

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ようやくのことにロゲッツ Rogötzに渡るフェリー乗り場に出会う。ロゲッツに渡ったところのパン屋でランチをとる。店を出る頃になって雨がようやく上がった。

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古エルベの大きな三日月湖から赤松林を抜けて(新)エルベに出る。走り慣れている利根川河川敷のような光景に出会う。グリーベン Griebenで粉挽き風車 Bockwindmühleに行き当たる。ここは泊まる予定の街であるがまだ先に行ける時間は十分残っているのでグリーベンをパスして先に進む。だがとにかく,バイクのブレーキやシフトに詰まった泥を落とそう。ブッフ Buchまで来たが,どうも泊まるところは少なそうなので一気に次のタンガーミュンデを目指した。

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エルベ川に合流するタンガー川 Tanger沿いに大きな街が見えてきた。ハンザ同盟都市として15世紀に黄金時代を迎えたタンガーミュンデ Tangermündeだ。新市門 Neustädter Torを入るとマルクト広場にℹを見つけた。中に入って資料をもらいながら宿の紹介をお願いする。と,対応してくれた夫人が「この上にペンションがある」と言って部屋を見せてくれた。雨降りの中,渡りに船とばかりにOKしてPensioon Zum Schmuckgiebelに投宿することにした。

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一仕事を終えて街を歩いて見る。1430年創建の煉瓦造りの歴史的な市庁舎(市歴史博物館 Stadtgeschichtliches Museum)の前には手足を鎖で繋がれた少女の像(Grete Minde Denkmal)があった。彼女は1617年に悲しみと失望からタンガーミュンでの街に放火した罪で死刑になったが悲しい不正義の犠牲者だったそうだ。シュパーカッセ(Sparkasse 貯蓄銀行)も煉瓦作りで右に倣えだ。かと思うと,美しい木組みの家並みもあちこちにある。第二次大戦の被災はほんの僅かしかなかったので昔(17世紀以降)の街の姿をとどめているという。

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タワー Neustädter Torと市壁 Stadtmauer,聖ニコライ酒場 Zecherei St. Nikolaiなどを観て歩く。酒場の建物はかつての聖ニコライ教会を利用したものだろうか? フラッと入った陶芸店でカミさんはいくつかの小さなプレートを買った。帰国して,このプレートとライプツィヒで買ったCDが破損しているのに気付いた。やはり,マイセンのお土産を買わなくて正解だった。ここからUターンして,マルクト(昔の市場)に戻り,街の反対側を散策した。

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煉瓦作りと木組みの家がミックスした宿屋,14世紀創建の城公園 Burganlage(現在は高級ホテル),1300年頃のフクロウ塔 Eulentorと背景の12世紀後期創建のシュテファン教会 St.Stephan Kircheなどなど予期しなかった素晴らしい街に出会えた。小雨に煙るタンガーミュンデの街は大人の品格を備えていると感じた。「lonely planet」にも「地球の歩き方」にも紹介されてないが,タンガーミュンデは隠れたドイツの名都市と言える。はてさて,カミさんが描いた教会はどれかな?

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ヒョイと入ったレストランでの夕食もこれまでにない美味しいものだった。自分は牛,豚,七面鳥にマッシュルームのクリーム煮添えを,カミさんはほうれん草&ヌードルのグラタン風の料理に舌鼓を打った。サラダバーもこの旅では初めてのことだった。難儀な旅の後のご褒美のような愉しみを堪能した。雨はポツポツと夜になっても降っているが,明日は止んで欲しい。

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7月26日(16日目,通算40日目) タンガーミュンデ Tangermünde 〜 ハーフェルベルク Hansestadt Havelberg 47.40km

雨は止まず起床してもまだ降っている。仕方ない,と雨支度をしてスタートしようとしたら後輪がパンクしている。昨日,バイクをクリーニングしたときには気がつかなかった。タイヤを外してみるとチューブのバルブの根元が亀裂していた。チューブを取り替えて出発した。全く,今日は厄日じゃないかと思ってしまう。

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アーネブルク Arneburgまでの自転車道はアップダウンが続くが新装の舗装道路で助かった。昨日のような泥んこ道なら泣いちゃうところだ。走りやすい路面になったのでカミさんが,何を思ったのか,アタックを仕掛けてくる。それを交わして,今度はこっちがアタックの番だ。こんなことを何度か繰り返して,ようやく体が暖まってきた。地図では,アーネブルクから先のコースは大きく迂回する専用自転車道か交通が頻繁な道路を走るかしかない。で,より楽そうな右岸に渡って副コースを走る。スタートでもたついたので20kmしか走らずにクリーツ Klietzでランチタイムとなる。クリーツ湖 Klietzer Seeを見渡すホテルのレストランに入ってランチをとることにする。「飲み物は?」と聞かれれるとついつい「ビール」と答えてしまう。お昼のビールは小さな(330ml)ヤツにしておこう。ピザと「大人なんだけど,お子様メニューのナゲットを注文できる?」とドイツ語会話の練習で聞いてみる。大丈夫というので,チキンナゲットもお願いする。これだけでお腹いっぱいになり走るのがしんどくなってしまう。

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副コースは本コースより距離は短いが,どこまでも真っ直ぐな退屈なコースだ。雨に加えて向かい風ときた。それでもようやくハーフェルベルクに到着した。ハーフェルベルクは正式にはハンゼシュタット ハーフェルベルク  Hansestadt Havelbergと言い,ハンザ都市(Hansestadt)という名前が付く。ハーフェル川 Havelの中の島に街の市庁舎やマルクト(昔の市場)のある中心部がある。ℹで宿泊施設のリストと地図をもらうが,宿の紹介はしてもらえないようだ。まず,市庁舎の周りでペンションをいくつか当たるがみんな閉まっていて戸口には電話番号が書いてある。どうやら,管理人は別のところに住んでいるらしく,電話で連絡しないとダメな様子だ。この街のペンションは皆このスタイルだった。ようやく人が出入りするカフェにペンションと書かれた看板を見つけて交渉してAltstadt Cafeに投宿できた。

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濡れた雨具を干したり,洗濯したり,シャワーを浴びたりと日課を済ませてスーパーに買い物に出掛けた。5時頃には久しぶりの青空を見ることができた。ウーファー通り Uferstraßeの橋で中の島を出てハーフェル川の右岸に渡ると15世紀の病院礼拝堂であった八角形の聖アンナとゲルトラデン礼拝堂 St. Annen- und Gertraudenkapelleに出会う。スーパー Nettoでビール,サラダと飲料水を買い,外の出店でカレー・ソーセージ,フライドポテトを買った。ここら辺は高台なので中の島の聖ローレンス教区教会 Pharrkirche St. Laurentiusから向こう岸のキャンプ場までが見渡せる。1912年にフリードリッヒ IV公の500周年を記念して建てられた侯爵石 Burggrafensteiなんて記念碑もある。

再び中の島に戻って宿の周りを歩いてみる。この街も昨日のタンガーミュンデのように煉瓦造りの建物が多いが木組みの家は少ない。ペンションの部屋でスーパーで買ってきたソーセージ,サラダ,フライドポテトとビールで夕食をとる。カレー・ブルスト(カレー粉をかけたソーセージ)もケチャップをかけたソーセージもどうってことない味だった。

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夕食が終わっても外はまだ明るいので再び街を散策する。中之島は周辺を歩いても30分ほどだろうか? 中の島の外に1170年創建のプロテスタン教会の聖マリエン大聖堂 Dom St. Marienが聳えている。今度はプレラーテン通り Prälatenwegを通って中の島を出る。大聖堂に近づくと大きな壁が聳えている。見上げる首が疲れるくらいだ。大聖堂の斜め前のツァールと王の記念碑 Denkmal Tsar und Königと記念写真を撮って遊んだ。これは1716年にロシアのツァール(君主)がハーフェルベルクを訪問した故事を現した記念碑らしいが詳しいことはわからない。それぞれの像にコイン投入の穴があって,おそらく,故事の案内が流れるのだろう。どうせドイツ語だから理解は難しいだろうと敬遠する。

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中の島に戻ってハーフェル川沿いを散策する。中の島にも1300年頃創建の聖ローレンス教区教会 Pharrkirche St. Laurentiusがある。ハンザ同盟時代から建っているかのような,滑車を備えた倉庫もある。ハーフェルの川面に映える夕焼けは明日の好天を示すのか? そうであって欲しい。

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7月27日(17日目,通算41日目) ハーフェルベルク Hansestadt Havelberg 〜 シュナッケンブルク Schnackenburg 78.58km

8時にできているはずの朝食がまだだ。仕事に出かけるらしい職人さんたちも入ってきてコーヒーを飲もうとしている。出立の支度をすませようと勘定をお願いすると,昨日の交渉の時のおばさんは80ユーロと言ったが若旦那は74ユーロを請求してきた。スタートは10時になってしまった。ハーフェルベルクを発つ前に大聖堂に立ち寄って見た。内部観覧は有料だったこともあってパスして,丘の上から眼下の街ハーフェルベルクに別れを告げる。街の外れで水塔 Wasserturmが見送ってくれる。今日は本コースではなく,ハーフェル川の右岸の副コースを走る。

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途中のクヴィッツツェーベル Quitzöbelでバイクを降りて水分補給する。やがてエルベ川自転車道の本コース(ハーフェル川右岸)に合流する。

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草原と川辺のコースを進むと,やがてハーフェル川はエルベ川に合流した。リューシュテット Rüstädtでユネスコ生物圏保護区エルベ川流域 UNESCO-Biosphärenreservat Flusslandschaft Elbe-Brandenburg Verwaltungのビジターセンターに行き当たった。このあたりではコウノトリの保護がなされているようだ。この街も保養地の雰囲気を醸し出している。ビジターセンターの内部は見ずに,街のキオスクでコーヒーを注文して持参したサンドイッチでランチとした。出発しようとした時にまた雨が降ってくる。

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予定ではヴィッテンベルゲ Wittenberge(ルターの街のヴィッテンベルクとは語尾にe が付くか付かないかの違い!)に入るのだったが,地図によるとその先ズッと未舗装コースなので街を通過して左岸のコースに変更した。鉄橋の脇を押し歩くのに随分と長い距離を歩かされた。それから石板の荒れたコースを嫌になるほどの距離をゴトゴト走る。この時点でコースをミスしているが,気が付かずに進んでしまう。一般道路に行き当たったもののどこにいるのかわからない。辺りの人家で尋ねると,出て来てくれたおじさんは一「今来た般道を戻れ」という。「ここがどこかこの地図で示してくれ」と頼むがどうも要領を得ないので別の人家で尋ねる。庭で遊んでいた子どもは先のおじさんと同じ方向を教えてくれた。が,そこに出てきたママは地図上で現在地のシャーペンフーフェ Scharpenhufeを示してくれた。どうやらヴァーレンベルク Wahrenbergには入らずに南下してしまったようだ。ママさんは先の二人とは全く別の方角を教えてくれた。これが正解のようだ。bikelineの地図は1/75,000と詳しい反面,広い領域が示されていない。現在地のシャーペンフーフェは辛うじて地図の下端に表記されていた。ママのコースでポリッツ Pollitzを目指して進むと,やがて見慣れたコース標識が現れて一安心した。だが,時刻はすでに4時半を回っている。彼方にシュナッケンブルクが見えてきた。果たして宿はあるだろうか?

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bikeline地図に載っていたカフェを訪ねて宿泊を依頼すると別のペンションを紹介してくれた。教えられたところに行ってみると管理人が出迎えてくれて,無事にペンションAlte Schuleにベッドをゲットできた。裏手に回ると三人組の女性ライダーがバイクを納屋に入れているところだった。ペンションの談話室には,何故か,たくさんのお茶のポットが並んでいる。

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村に一軒しかない先ほどのカフェで夕食をとる。デュンケルビールもメーカーによって色や甘さや香ばしさが異なる。今日のデュンケルはシンプルな味だ。よく分からないままに注文した料理はイノシシ肉の酸っぱい煮こごりみたいなものとベークドポテトだった。豚肉より肉質は締まっていて中々イケた。しかし,カミさんはパスしてトマト味のスパゲティを注文した。だが,これが砂糖がはいっているかのようの甘さだった。この店は素敵な英語のフレーズを掲げでいた:「Welcome Strangers, Good by Friends」(来た時は見知らぬ人でも帰る時は友達だ)。まさに我々の旅に相応しいフレーズだとウエイトレスに話すと,満足そうに頷いてくれた。

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食後に辺りをぶらついてみる。1284年創建の聖ニコライ教会 St. Nikolai Kircheは改修中だ。小さな村(23.67平方キロメートル,人口約600人のドイツ最小の都市の一つ)は人の生活感が薄いようだ。だから静かだ。

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しかし,かつてはそうでもなかったらしい。国境博物館 Grenzlandmuseumと書かれたかつては漁師の家 Fischerhausだった建物があった。ここは旧東ドイツと旧西ドイツの国境の町だったようだ。かつてベルリン東駅で体験したように,シェパードを連れて機関銃を持った兵士が国境を監視していたのだろうか?

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7月28日(18日目,通算42日目) シュナッケンブルク Schnackenburg 〜 ヒツァッカー Hitzacker 65.00km

朝食で右岸を遡上してフェリーで渡ってきた娘さんが「右岸は自然がいっぱいの素晴らしいコースだ」と力説する。「地図では未舗装道路があることになっているけどどうかな」に「未舗装道路も酷くはない」と言うので,我らも予定を変更して右岸コースを走ることにする。地図で調べると左岸も右岸のエルベ川自転車道も昨日のユネスコ生物圏保護区エルベ川流域の中を走っている。

頑丈な洪水避けの扉の水門を抜けてフェリーに乗る。右岸からシュナッケンブルクの街をカミさんがスケッチするのを待つこと暫しだ。空は晴れ渡り気持ち良い自転車旅が続けられそうだ。

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天気も上々,羊の群れが歓迎してくれる。遠くにレンツェン Lenzenの街が見える。

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咲き乱れる草花,メトリッヒ Mödlichでは藁葺きの家や木の村教会そしてコウノトリに出迎えられる。湖上にテラスをもつ三ツ星高級ホテルも外観は周りの景色に溶け込んでいる。大小の湖沼が旅の疲れを癒してくれる。

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お昼時にデミツ Dömitzに入る。旧市街は街の外れに位置していて,市庁舎とプロテスタント・ルター教会 Evangelisch-Luterische Kirche Kunasがある。

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市庁舎の近くの函館五稜郭のような,16世紀半ばに作られたヴォーバン要塞のデミツ要塞 Festung Dönitzを覗く。中庭まで入って見たが有料の博物館は,どうせ見てもよくわからないだろうと,敬遠する。

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レストランでランチを食べる。今日の定食の肉は昨晩のように酸っぱい味がついている。とにかく量が多くて,カミさんも食べないので,申し訳ないが残してしまう。その間に外は土砂降りの天気に変わる。雨が止んだタイミングで出発したにも関わらず,森の中で今度は恐ろしい雷雨に見舞われて雨支度でしっかりと身を固める。

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かと思ったらカラリと晴れ渡る。屋根を改修中の家にはお祝いの飾りがあり庭にはコウノトリの巣がある。しかし,その20分後のヒツァッカーの渡し付近で又しても雷雨のお見舞いを受ける。予定では14km先で左岸に渡りノイ・ダルシャウ Neu Darschauで泊まるつもりだったが,やむなくここで左岸に渡りヒツァッカー Hitzackerで宿探しすることにした。中の島の旧市街から離れた丘の上のペンション Haus Panoramaを示す道標に従ってヒルクライムする苦労を味わされた。ペンションで対応してくれた老婦人の言っているドイツ語が理解できない,どうやら2階の一部屋が空いてるいるらしいが「足が悪くて」というようなことを言っている。上から降りてきた泊まり客が英語で通訳してくれたところ「鍵を渡すから上の部屋を見て来い」ということだった。雨のヒルクライムの後では,否応もなくOKして泊まることにした。ペンションの周辺は多くのホテルやレストランがあって,保養地になっている様子だ。

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日課をすませて新市街のスーパーマーケット REWEに飲料水の調達に出掛けながら旧市街で夕食をとる。ヒツァッカーはイェエツェル川 Jeetzelとエルベ川の合流部にある街で,13世紀半ばに出来た旧市街はイェエルツ川の中の島にある。カミさん曰く「ここは長崎のオランダ村かハウステンボスみたいね」。旧市街のマルクト付近の市庁舎や今は博物館になっている旧税関 Altes Zollhausをブラつきながら眺めた。マルクトのレストランに入り自分はピッツァを注文する。カミさんは注文したミネストローネが美味しくて大満足した様子だった。

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7月29日(19日目,通算43日目) ヒツァッカー Hitzacker 〜 ラウエンブルク Lauenburg 69.51km

起きてみるとまたしても雨だ。今日はそのまま左岸のコースを走ることにしてヒツァッカーを発つ。30分ほど走ったティースメスラント Tiesmeslandで行き止まりのバリケードに出くわす。道の脇は通れるが先日の轍を踏まぬようにと一般道に迂回することにした。が,これが長〜い激坂でカミさんはとうとう押し歩きになってしまう。地図でみると,本コースも坂のサインがあるが,一般道ではより詰まった等高線が描かれていた。ようやくのことでドレーテム Drethemで本コースに戻れた。右岸コースが正解だったかな?

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道は平坦になってノイ・ダルシャウ Neu Darschauに入る。大きな街でもなくフェリー乗り場があるくらいだ。昨日はここまで走らなくて良かったかな?! 先に進み,ブレケーデ Bleckedeに入る。カフェに入ったら,珍しく,本格的なカフェ(食事,アルコールなしの喫茶店)だった。ケーキとコーヒーとスープ(自分はトマトスープ,カミさんはジャガイモスープ)でランチとする。これだけでお腹いっぱいになった。

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ブレッケーデを出て直ぐに,又しても,ミスコースして一般道を走ってしまう。前を行く親子連れのライダーも同様と見えてスマホでルートを探している。ガルツェ Garze,カルツェ Karzeと紛らわし名の集落を通って ようやく,こっちも紛らわしい,ブラケーデ Brackedeで本コースに合流した。本コースに入ると広い河川敷に羊が放牧されていた。その中を淡々と進んでいく。

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ザッセンドルフ Sassenndorfで道端のウシさんが「ナニカ?」とガン付けてくる。もうすぐ目的地なので,安心して,ミルクスタンド Melkhusでアイスクリームを食べて休む。このミルクスタンドにお目にかかったのは2013年のヴェーザー川自転車道の旅でブレーメンを出てからのことだった。それ以来の出会いだったので懐かしい気分だ。カミさんもやれやれと仔牛と戯れる。一息つけて再スタートすると,やがて,エルベの右岸にラウエンブルク Lauenburgが見えてきた。

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ラウエンブルクへ渡る手前のホーンシュトルフ Hohnstorfでペンションを 探すが,馬術大会と土曜日が重なっていずれも満室,満室で断られる。2軒目のオジさんは孫と自転車に乗って別のペンションまで案内してくれたがダメだった。その後で親切な若者が「友人のお父さんがペンションを経営している」と言って友人とそのお父さんに連絡してくれたが,やはり,満室と断られた。そうこうする内に雨が降ってきたのでエルベを向う岸(右岸)に渡りラウエンブルクで宿探しをすることにした。最初に出会ったホテル Zum Alten Schifferhausを交渉して,ようやくのことに,投宿が決まった。いくつかの建物を持っているホテルで,部屋は本館の隣の別館にあった。

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濡れたレインウェアを干したり,洗濯したりの日課の後で,例によって,街の散歩に出かけた。雨は止んだが夏とは思えないほど寒い。エルベ川の桟橋には「リーゼンゲビルゲ Riesengebirgeのエルベの源流から932.6km,クークスハーフェン Cuxhavenの河口まで158.4kmのところに居るヨ」と書いた石碑が建っている。円錐の先っぽに大きな石が乗っかっているモニュメントは何だろう?

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石畳みのメインストリートの両側はかつての漁師や商人の館があちこちに建っている。不思議な雰囲気を醸し出す街だ。1220年頃に創建されたマグラダのマリア教会 Maria-Magdalennen-Kircheの脇にはエルベ海運博物館 Elbschifffahrtsmuseumがある。

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夕食はホテルのレストランで,軽く,ビールとソーセージ&ポテトで済ます。ジャガイモは甘酸っぱい珍妙な味だった。明日はいよいよハンブルク。だが,ニュースではナイフ殺人事件でかまびすしいようだ。何事もないことを祈ろう。部屋の中のiPadではWi-Fiの信号が弱いので廊下に出て明日から泊まるハンブルクのホテルを探す。

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7月30日(20日目,通算44日目) ラウエンブルク Lauenburg 〜 ハンブルク Hansestadt Hamburg 64.24km (1,027km; 2,086km)

今日も出がけの雨で出鼻を挫かれる。小止みになったのを見計らってスタートする。そのまま右岸コースを走ることにする。パーべ(石畳)は溝にハマってハンドルを取られそうで怖くて押し歩きですすむ。昨夜のマグダラのマリア教会の脇道を登って,あれっ,何か違うみたいと早くもミスコースに気付く。Uターンしてパーべに戻って周りを良くみるとエルベ川沿いへ導く自転車道の標識があった。それに従って進むと,またしてもミスコースしてユースホステルに出て行き止まりになってしまう。地図をみると,ここラウエンブルクにはユースホステルが2つもある。次のユースホステルで曲がらなきゃいけなかったんだと方向転換する。

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2つ目のユースホステルの脇を行くとバイクを降りて歩かざるを得ないほどの急坂に見舞われる。ズルズルと逆戻りするバイクを押し上げてようやく平地に出る。これで本日のエネルギーの半分は消費したようなブルーな気分になる。しばらく林間コースの未舗装道路を走る。コースは完全な泥んこ状態だ。おまけに,雨上がりのせいか蚊の大群に襲われ,露出した下腿を刺されて痒い,痒い,痒〜〜い!! この砂利道のマウンテンバイク向けのコースが10kmほど続いた。脚の痒みと細かく続くアップダウンでくたばってしまう。これで今日のエネルギーは使い果した。「何でこんなコースが一番人気のエルベ川自転車道路なんだ〜」と腹が立ったがここまで来たのでいたしかたない。右岸コースを行けば良かったと後悔しても後の祭りだ。

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ゲーストハッハト Geesthachtまでの13kmの道のりに1時間以上かかってしまった。ようやくゲーストハッハトの街に降りてエルベに出会った。エルベ川の堤防の上をしばらく走り,アルテンガンメ Altengammeのレストランでビールと鶏肉サラダをシェアーしあってランチをとる。女将さんの素敵な笑顔と優しいホスピタリティーで迎えられて辛かった林間コースの苦労も少しは癒された。レストラン前の堤防の道にはハンブルクへの赤い字で書かれた道標が立っている。「どうもエルベ川自転車道の道標とは違うなぁ」とカミさんと相談して地図に示された教会の塔を目印に自転車道を目指して進む。

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めでたく自転車道に合流したところでロードバイクのお兄さんに「ここはエルベ川自転車道か」と訪ねられる。何で外国人の我々に聞くのだろう? その後でまたもコースをミスしてしまう。小さな公園の三叉路をV字に進むのが本コースなのだが,道なりに進んでしまいエルベ川に突き当たった。ここはフェリー乗り場へのホオップテ Hoopteじゃないか。で,もと来た自転車道に引き返して三叉路の標識を確認する。その後は牧草地や並木コースをひたすら走ることになる。延々と続く草原では風力発電のプロペラがブンブン回るほどの向かい風に悩まされる。アウトバーンをくぐり,何となく都会に近づいている雰囲気の自転車道になる。もうハンブルクは直ぐそこという北エルベ川 Norderelbeとビルヴェルダー湾 Billwerder Buchtに挟まれた中洲の水上芸術エルベ島カルテホフ Wasserkunst Elbinsel Kaltehofeで最後の休憩をとった。ソフトクリームかコーヒーでもと思ったがカフェは混雑していて敬遠せざるを得なかった。

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やがて遂にハンブルク Hansestadt Hamburgの街が見えてきた。標識に従って行くと,大都会に入るときにありがちだった迷路にハマることなく,すんなりとハンブルク中央駅 Hamburg Hbfの東口に到着した。駅は人混みに溢れており,半数近くはアラブもしくはアフリカ系の人たちだ。カミさんにバイクと荷物を見張ってもらってスマホのフリーWiFiで地図を表示させて,昨日のラウエンブルクで予約しておいた,この近くのibis budget Hamburg Cityを探す。駅の西口から図書館を目当てにすれば良いと分かりホテルに向かう。今日から3泊して旅の最後の観光を楽しむつもりだ。

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旅の汗を流して,中央駅のレストラン街のインド料理ブースでカレーをビールと共に食べる。これがとても美味しかった。お腹も心も満腹して明日のリューベック観光の電車のホームを確認してみる。ハンブルク中央駅はターミナルステーション様式ではなく列車が大屋根の下をしょっちゅう行き来している。駅西口にもアラブ系の人がたむろしている脇を急いで通過して,ハンブルク美術工芸博物館 Museum für Kunst und Gewerbeの脇を通ってホテルに戻った。

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かくしてエルベ川自転車道の旅が終わった。走行距離は1,027km,ドナウ川自転車道の旅と合わせて2,086kmを走行した。やれやれお疲れ様でした,我がカミさんよ,ありがとう,ありがとう。

7月31日(21日目,通算45日目) リューベック Hansestadt Lübeck観光(電車)

今日は世界遺産の街,ハンザ都市リューベック Hansestadt Lübeckへの小旅行を楽しむ。ハンブルク中央駅から快速電車 RE (Regional Express) に乗り,45分ほどの旅でリューベック中央駅に到着した。堂々たる駅舎はさすがは「ハンザ都市の女王」に相応しい作りだ。信号にアンペルマン君があると言うことはここはかつての東ドイツか? リューベックは第二次大戦後はイギリスの占領下にあってソ連占領地に近い後背地と鉄のカーテンで分断されたという歴史を持つ。まずはℹに行って地図を探すが,これが一枚ペラの地図だが有料だ。

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旧市街への入り口の市門であるホルステン門 Holstentor(1469-77年に建設)のなんと堂々たることよ。入り口には「CONCORDIA DOMI FORIS PAX(内に結束,外に平和を)」の銘文が掲げられている。なお,写真ではカメラの広角レンズのために市門の塔が傾いて見えるが,実際に,建設中からすでに地盤沈下のために,傾いたままになっている。

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まず,遊覧船で水上からの観光だ。トラフェ川 Traveとトラフェ運河に囲まれた中の島に出来た世界遺産に登録されている旧市街を水の上から眺める。ハンザ同盟で栄えた時代の商人の家や現代の港の倉庫群を眺めながら回る。

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一本の尖塔を持った聖ヤコブ教会 St. Jacobi Kirche,二本の尖塔を持つ大聖堂 Dom zu Lübeckやこれまた一本の尖塔のペトリ教会 Petrikircheが見えてくる。遊覧船から降りたら足で回ってみよう。

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路地を抜けると人形劇博物館 TheaterFigurenMuseumがあった。ドラゴンの飾りにつられて入ってみる。孫たちに人形のお土産をと物色するも適当なものが見つからない。船から見えたペトリ教会が近くにあったがエレベータ待ちの行列を見てパスする。教会の内部は祭壇もなくガラ〜ンとしている。戦後の復興はされてない姿のままで保存しているようだ。

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ホルステン通り Holstenstraßeに出てマルクト Marktに向かう。市庁舎 Rathausの白と黒の対比が面白い。富の象徴であった黒レンガ(炭を混ぜた)で作られた建物には壁(ファサード)に風を抜けさせる穴が空いている。黒緑色のレンガを基調とした渋い壁にきらびやかに紋章が浮き出ている。裏に回って内部をちょっと覗いてみる。これがまたシックな雰囲気いっぱいだ。

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市庁舎を見終わって,カミさんのリクエストでマジパン Marzipanの有名店ニーダーエッガー Niederggerを訪ねる。階上のカフェで自分はマジバントルテをカミさんはワッフルを注文する。マジパントルテはアーモンド味も控えめでそれほど美味いとは思わないがパティシエの息子2号ならどう評価するだろうか。

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さらに階上のマジパンサロンでマジパンについてお勉強する。3Dプリンターでのマジパン人形の作製デモにはちょっと興醒めだ。歴史的なマジバン制作の道具や型の展示があるミニ博物館だった。

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階下のショップで孫たちや親類,友達にマジパンのお土産を買うが日本まで潰れずに持って行けるか?

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マルクト北側のマリエン教会 Marienkircheの天文時計や戦災の記念の鐘などを見学する。リューベックは第二次大戦で空襲を受けたが旧市街の2/3が残ったという。

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教会の外にあった悪魔のモニュメントと戯れた後はマルクトでランチをとる。焼きソーセージにはビールだな。それから海産物の出店で夕食のお買い物をする。美味しそうなさつま揚げ(?),コロッケ(?),イワシの燻製を買った。出店をあちこち見て回り,カミさんの財布も買う。財布の隣に無造作に飾ってある200ユーロ札(500ユーロ札だったかも)をカミさんに説明していたら店主が「ほら偽札だよ」って見せてくれた。いたずら好きの店主だ。

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まだ陽は高いので市庁舎の後ろから延びるヒュクス通り Hüxstraßeを散策する。空は綺麗に晴れ渡り,ビールの酔いを覚ますには少し暑すぎる気候だ。そういえば,リューベックの名物の一つにロートシュポン Rodsponという赤ワインがある。通りのワイン屋をのぞいて見たが「この瓶を日本まで運ぶのは面倒だね」ということになりお土産は無しになった。

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ハンブルク中央駅に戻り,翌々日のフランクフルト中央駅への特急列車に予約を入れて見たが取れなかった。仕方ないから,予定通り,ローカル列車を4本乗り継いで戻ることにしよう。ついでに駅ナカの中華料理ブースで焼きそばをテイクアウトして,ビールも買ってホテルに戻った。リューベックのマルクトで買った惣菜はとても美味かった。ビールをもっと買ってくれば良かったほどだ。

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8月 1日(22日目,通算46日目) ハンブルク Hamburg観光

とうとう8月を迎えた。今日はハンブルクの休日を楽しんでみよう。ホテルでもらった市街図を持って街に繰り出した。ハンブルク中央駅からメンケバーク通り Mönckebergstraßeを市庁舎を目指して歩く。途中で12世紀創建の聖ペトリ教会 St. Petri Kircheに出会う。この教会はハンブルクにあるいくつかの教会のうちでもっとも古い教会とある。第二次大戦の被害は比較的少なかったそうだ。544段の階段を歩けば展望室に登れるそうだがここはパスして聖ミヒャエル教会のエレベータに期待する。市庁舎 Rathausは帰りにじっくりと観ることにして中庭だけを覗く。地図の教会マークを探しながらトロースト橋 Trostbrückeを渡り,見えてきた教会の尖塔を目指す。実は,後で気が付いたのだが,聖ミヒャエル教会 St. Michaelis Kircheに行くつもりがこの時点で目指していたのはニコライ教会(跡) St. Nicholai Kircheだった。

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聖ニコライ教会 St. Nikolaiの歴史は12世紀末まで遡ることができる。1656〜57年に拡張されたが1842年の街の大火「Große Brand」で焼失した。1846〜1863年に再建され,1874年には147.3mの尖塔が完成した。当時の世界最高の塔であった(現在でもドイツ第3位で世界第5位)。しかし,1943年7月の空襲によってこの教会も破壊された。再建途上の塔に設けられたエレベーターで76mの展望室まで登ってみる。

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ハンブルクの港,世界遺産の倉庫街,市庁舎と内・外アルスター湖などが一望できる。それと,本当はここから眺めるはずだった,聖ミヒャエル教会も見える。この聖ニコライ教会は広島の原爆ドームのように悲惨な戦争を忘れないために尖塔部分は復元して残すそうだ。

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教会の地下聖堂を利用して資料館がある。そこには第二次大戦でこの教会が破壊されたことやハンブルクの戦災に関する資料があった。ハンブルクは第二次大戦で,潜水艦Uボートの基地が置かれていたので港の80%,工場の40%が被災し,4万人の住民が亡くなった。その人々は路上ではなく地下室の穴倉で亡くなっている。死因の70〜80%がガス中毒によるものだったという。展示されているガスマスクで火災で発生した燃焼ガスからどれだけの人が助かったのだろう。住民一人当たりに一個投下された勘定になるという爆弾とそれによる被害図の展示が虚しい。この資料館の展示の始めの方に見覚えのある写真があった。カミさんと二人して「これってスタレ・ミャストじゃない」と気付いた。40年前に暮らしたワルシャワの旧市街の写真だった。ドイツ人が被った被害ばかりでなく,初めにに自分たちドイツ人がもたらしたポーランドの戦争の被害とその復興の様子をも展示していたのだった(ワルシャワ旧市街はドイツ空軍の空爆とドイツ陸軍の爆破によって壊滅状態となった。戦後,レンガ一個一個まで精密に復元して現在はUNESCOの世界遺産となっている)。ドイツの戦争に対する真摯な見方の一面を垣間見た思いだ。

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19世紀末からの倉庫が立ち並ぶ世界遺産の倉庫街 Speicherstadtをブラつく。近くには港町らしく,船員教会 Schifferkircheになっている船もある。ここの名所というミニチュア・ワンダーランド Miniatur Wunderlandは入場待ちの客で溢れかえっていて文句なくパスする。お化け屋敷のようなHumburg Dangeonってなんだろう? 「ここが世界遺産に登録された訳がよく分からない」とぼやきながら道路上の建物脇に設けられた広いキャットウォーク(?)を歩いて港に向かう。前方には2017年1月11日に開業したばかりの斬新なデザインのエルプフィルハーモニー・ハンブルク Elbphilharmonie Hamburg が見える。巨額なコスト増加と大幅に遅れた建設で問題になった建物らしい。未だ完成していないベルリン・ブランデンブルク国際空港といい,いやはや,ドイツ人って意外に杜撰だなぁ。

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聖パウロ桟橋 St. Pauli-Lundungsbrückenには多くの人が群れている。港巡りの観光船が引っ切り無しに発着している。繋留された船のレストランもあちこちにある。そのうちの一つが1896年建造の3本マストの帆船のリックマー・リックマース号 Ricjmer Rickmersだ。レストランと船の博物館を兼ねている。

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港(エルベ川)を対岸に渡る旧エルベトンネル(Alter Elbtunnel)に歩行者・自転車用のエレベータで降りてみる。このトンネルが地下23.5mにあり,長さ426.5mの聖パウロ・エルベトンネル St. Pauli Elbtunnelだ。カミさんは向こう岸まで歩きたくないらしいので再びエレベーターで地上に戻る。こちらのトンネルは自動車も大きなエレベーターで昇降できるが現在は新しいエルベトンネルができていて渋滞の名所になっているそうだ。

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さらに下るエルベ川に沿って歩き,フィッシュマルクト(魚市場) Fischmarktを目指す。途中の潜水艦博物館 U-bootmuseumは,2013年の自転車旅のブレーマーハーフェンでドイツのUボートを見ているので,パスした。ここの潜水艦はソ連のU434とのことだ。フィッシュマルクトに着いてみるとは閑散としているではないか。何を勘違いしたのか,はたまたガイドブックを読み違えたのか,市場が開催されるのは日曜日だけだった。ここまでの相当距離を歩いてきた苦労が水の泡と消えた。カミさんの冷たい視線を浴びなかっただけでも…。で,近くのレストランでランチに鮭のフィレとハンバーグを食べることにした。これまで食べたこともないほどの肉厚の鮭はこの旅での最高のご馳走だった。ハンバーグの方は日本の方が美味いと思った。今日は,教会とフィッシュマルクトと,二度もチョンボしてしまった。

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来た道を歩いて市庁舎に戻り,英語での内部見学ツァーに加わった。重厚な造りのいくつかの部屋を見たが,それほどはピンと来なかった。

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市庁舎と向かい合って建っていたのは,なんと,日本領事館だった。小雨に煙る内アルスター湖 Binneralsterを眺め,その脇のショッピングモール Europa Passage Hanburkを抜けてホテルに戻った。

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出直して駅ナカで,一昨日と同じく,カレーをテイクアウトしてスーパーでサラダとビール・飲料水を買う。ついでに小銭がゲットできたので券売機で明日のフランクフルトまでの列車の乗車券とバイクの持ち込み切符を買い,時刻表を印刷する。それを見るとカッセルからフランクフルトの区間に注釈が書いてある。券売機に詳細を表示させて確かめていると,係員が寄ってきて英語で説明することには「鉄橋の工事で列車の運行に多少の遅れがある」とのことだ。まあ,最後の区間で乗り継ぎは心配しなくてもいいので大丈夫だ。

8月 2日(23日目,通算47日目) ハンブルク Hansestadt Hamburgn 〜 フランクフルト Frankfurt am Main(電車)

ハンブルク中央駅を9時台の電車で発って,まずイェルツェン Uelzenで乗り換え。イェルツェン駅は陶製のオブジェが目を引く。そこから,ゲッチンゲン Göttingenへ向かう電車に乗り換える。途中の遥か向こうの丘の上に立派なお城が見えた。ゲッチンゲンでカッセル中央駅行きの電車に乗り換える。

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カッセル Kassel Hbf では時間があったのでカフェで一休み。カッセルに来たのはこれで3度目だ。

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フランクフルトまでは,途中の工事で50分ほど遅れ,そのあいだにカミさんはアラブ系の子供4人とお遊びで時間を潰す。「へのへのもへじ」を描いたけどは通じなかったようだ。

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小一時間遅れでフランクフルト中央駅 Frankfurt (Main) Hbfに到着したのは8時を回っていた時刻だった。よくも11時間もの電車の旅をしたものだ。特急ならば3時間半〜4時間半なんだけどね。駅前のホテル Cristallは日本を発つときに予約済みだったのですぐにチェックインできた。

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ホテルに荷物を置いたままでカイザー通り Kaiserstraßeのレストランでドイツ最後の夕食をとる。カミさんが珍しくシュニッツェルを注文する。自分はタラのフライを注文してヴァイツェンと共に食べる。シュニッツェルはいい加減食べ飽きたと思っていたが,ハンブルク風と銘打っているだけあって(?)なかなかの味だった。しかし,この美味しいヴァイツェンが次に飲めるのはいつのことか? ホテルに戻ってシャワーを浴びてフライトのe-checking は済ませたが,はて大丈夫かいな?

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8月 3日(24日目,通算48日目) フランクフルト Frankfurt am Main 〜 ドーハ Doha(飛行機)

食堂に降りていって自分たちには朝食がないことが分かる。そうか,ホテル料金には入っていなかったのだ。幸いにも,日本人のホテルマンがいて現金払いで朝食をとることができた。そのあとでバイクと荷物をホテルに置かせて貰って勝手知ったる(?)ショッピング街のツァイル Zeilに出かける。スーパー REWEでお土産の買い出しだ。ドライフルーツ,蜂蜜,ヘーゼルナッツペーストのヌテラ Nutella,ジャム,ナッツ類などの小物を買う。

それからホテルに戻ってバイクと荷物をSバーンに乗せてフランクフルト国際空港に向かった。空港でのカタール航空のカウンターは外れの方にあった。前日にe-checkingを済ませていたので長い行列に並ばずに済んだ。バイクを梱包して預けるときに「リチウム電池を積んだ電動アシストバイクじゃないね,タイヤの空気は減らしたね」と何回も聞かれた。17時35分のドーハ行きのQR068便を待つ間は空港で軽食を食べたり,チェアーでくつろいだりして過ごした。

定刻にフランクフルトを出発して真夜中の0時30分にハマド国際空港に到着した。夜のドーハの街は眠ることがないのだろうか? ここで次の成田への便までのトランジットの時間が2時間しかなく,搭乗手続きが混雑して乗り遅れてしまうことがないかと心配したが拍子抜けするほどあっけなく搭乗手続きと手荷物検査が済んだ。カミさんに「何をそんなに心配したの」って笑われてしまった。

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8月 4日(25日目,通算49日目) ドーハ Doha 〜 成田(飛行機)

ドーハから成田のQR806便は大勢の日本人が乗った。フランス観光の団体さんやイギリス在住の個人旅行の人達と我々の自転車旅のことをあれこれ話しながら待ち時間を過ごした。定刻にフライトの案内があって,朝日を浴びてドーハのハマド国際空港を出発した。さあ,いよいよ帰国だ。

30分遅れで成田に到着した。無事にドイツ・オーストリア・チェコの自転車旅を終えることができた。しかし,出て来たバイクの輪行袋は酷い有様だった。どちらかの空港での運搬の際に引きずったらしく,袋の布には穴があき,ジッパーも摩擦熱で溶けて使い物にならなくなっていた。搭乗時に「荷物が破損しても文句は言わないよ」って書類にサインしたのでどうしようもない。旅行保険でまかなえるかとも考えたが,すでに輪行袋はだいぶ草臥れていたし,何よりも手続きが面倒臭いのでそのままクルマに積み込んだ。

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おわりに

このようにして7週間に渡るドイツ〜オーストリア〜チェコ〜ドイツのドナウ川自転車道とエルベ川自転車道の旅が終わった。今回の旅では,夫婦での旅の楽しさ&難しさ,自転車旅と電車の旅の楽しさ,都会と田舎の滞在とでドイツの人々の友好さの違いなどが体感できた。3つの国を旅しての違いと旧東ドイツと旧西ドイツとの違いはそれほど体感しなかった。

今回の旅で深く心に残ったことは第二次世界大戦の負の遺産であった。ナチの強制収容所(KZ)とドイツの都市の復興のことを調べてこのブログに書き込んでみた。WikiPedia日本版やGoogle翻訳を使って読んだWikiPediaドイツ版,そして「ドイツを焼いた戦略爆撃 1940-1945」(イェルク・フリードリヒ,みすず書房,2011)の資料などがこれらの情報を提供してくれた。

我々がたどった足跡,宿泊施設,経費などに興味あればエクセルファイルがダウンロードできる。

 

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 Posted by at 9:15 AM

  One Response to “エルベ川自転車道の旅(2017ドイツ・オーストリア・チェコ自転車旅行−2)”

  1. […] 2017年6月17日から8月4日の7週間にわたって3回目のドイツ自転車旅を楽しんだ。期間中はFree Wi-Fiを利用してFacebookで友達に日々のツーリングをリポートした。いずれは詳細なリポートをブログ形式でアップする予定だが、取り敢えず、Facebookをまとめた形で紹介することにした。なにせ長旅でたくさんの写真、メモを整理する必要があるのでブログへのアップはいつのことになるやらわからない。ボチボチとやっていきますのでしばしお待ち下さい。では、ドイツ・オーストリア・チェコ・ドイツの自転車旅行紀をどうぞ。(前半の「ドナウ川自転車道の旅」の詳細版をアップしました@2017.11.23;後半の「エルベ川自転車道の旅」の詳細版をアップしました@2017.12.28) […]

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