先週は県民総体,蔵王ツーリング,朝練&ロングライドとてんこ盛りのメニューで疲れ切ってしまった。にもかかわらず,リハビリテーション・積極的休養と称して近所の水戸街道(陸前浜街道)の藤代宿ポタリングに出かけた。水戸街道歩き旅と街道の行く先へというウェブページが詳しく紹介していた。藤代宿に続く若柴宿・牛久宿は以前(2010年11月8日)にこのブログで紹介してある。
自宅をのんびり,のんびりと汗をかかないようなスピードで出て,まずは藤代(現在は取手市)の相馬神社に向かった。相馬神社の前で水戸街道は直角に曲がり,そこに坂本呉服店という旧家がある。橋のない川の作者の住井すゑさんのお気に入りだった店だそうだ。
街道を水戸方面に進むと左手に藤代中央公民館がある。ここが藤代本陣だった場所だ。当時の松が残っている。
その先の右手に,立派な門と石柱の看板を持つノスタルジックな眼科医院があった。いまでも開業しているのだろうか。
片町交差点で旧国道6号線を渡ると右手の奥に愛宕神社がある。鳥居のバーが欠けているのはこのたびの東北大震災の影響だろうか。愛宕神社は火除けの神社であるが,勝負事にも御利益があるのでお参りしていってくれと言うような文言があった。
さらに進むと突き当たりに小貝川の堤防が見えてきた。ここら辺りが宮和田宿だったようだ。宮和田にも本陣が置かれていたそうで,藤代本陣と交代で役目を果たしたそうだ。藤代宿と宮和田宿を纏めて藤代宿と称している。この堤防の下に八坂神社と熊野神社がある。境内には石碑が残っていて,徳川候が洪水の時に云々と言うような文字が刻んである。近代の洪水の時の復興記念碑だろうか。
ここら辺りに小貝川の宮和田の渡しがあったのだろうが渡しの後も宮和田本陣の跡も残っていない。その頃は無かった土手に登ると対岸が見渡せる。現在のこの上流には旧国道6号線を渡る文巻橋(ふみまきばし)が,下流にはJR常磐線の鉄橋が見える。振り返れば今さっきポタリングしてきた街道がまっすぐ延びている。
文巻橋を渡り,かつて訪ねた(このブログの固定ページ「常陸西国三十三札所」)常陸西国三十三札所の第十八番札所の慈眼院を横目に再び水戸街道に戻る。慈眼院の先はJR常磐線の踏切だ。渡って右に牛久揚水場があるが,ここは左に進んで往還橋を渡る。
途中に新しい駄菓子屋があった。昔の面影は残っていないが昔からあったのだろうか。広い道路を斜めに横切ると馴柴小(なれしばしょう)交差点だ。この下に水戸街道の小さな道標が残っている。この交差点を左折して関東鉄道竜ヶ崎線の踏切を渡るとモダンな馴柴小学校の交差点に出る。
直進して小学校裏でT字路に出会う。そこに大きな石碑の道標がある。左に曲がり住宅地を進むと広い道路に出会う。
道路を渡ると,懐かしいような田園風景の中に水戸街道が続いている。突き当たりの坂が大坂で,ここから若柴宿が始まる。
のんびりと若柴宿を走り抜けて成井(なるい)の一里塚で水戸街道を離れて牛久の街中に向かって帰路についた。