第1日目
かねてから走ってみたかったしまなみ海道のツーリングをカミさんと一緒に計画した。当初,寝台車のサンライズ瀬戸を利用することも考えたが運賃を考えて新幹線で新尾道まで行くことにした。自転車ツーリングは往路のしまなみ海道に充てて,復路は船で瀬戸内海を渡って電車で竹原・鞆の浦・倉敷の町並みを観光するというプランだ。旅行期間は3月25日から28日の3泊4日だが,初日の因島だけ民宿を予約して後は行き当たりばったりで宿探しをしようということになった。この日のために,吉永小百合が宣伝する,大人の休日倶楽部に入会した。これで運賃,特急券が2割引になる。
常磐線の一番電車で東京に向かい7時03分のひかり461号の岡山行きに乗った。ひかり11号車の最後尾は車いすスペースのために3列シートが無く,仕方なく2列シートの背もたれ後部に自転車を入れた。持っていく自転車はパニアキャリアーの付いたツーリング車なので前輪だけを外す輪行袋に入れた。そのため2列シートの幅をはみ出してしまう。でも車内販売のワゴンは通れるだけのスペースはあるから大丈夫だろう。
岡山からこだま739号を乗り継いで12時45分に新尾道に降り立った。のぞみならば1時間ほど早く到着するのだが,大人の休日倶楽部の割引はのぞみには通用しないので乗り換えもやむなしだ(寝台券も割引が効かないのでサンライズ瀬戸を諦めたわけだ)。乗り降り・乗り換えで自転車の担ぎが頻繁になって岡山に降り立ったときは左の腰に違和感があった。昨日のバンク走行でのスプリントトレーニングの疲れが残っているところに重い自転車を持ち上げたときに軽いギックリ腰になったようだ。
新尾道駅で帰りの切符を手配した。乗車券は竹原から呉線・山陽本線・新幹線・東京・常磐線を経由して牛久まで,新幹線は岡山発のひかり482号が予約できた。 ギックリ腰に神経を使いながら,これから先が思いやられると呟きつつ輪行袋から自転車を取り出して組み立てて新尾道駅を尾道市街に向けて出発した。
と,直ぐに尾道ラーメンの幟が目に付いたので遅めの昼食にとトライした。尾道ラーメンの出汁は魚で取り,麺は平打ちで背脂を散らしている。意外にあっさり味で旨かった。
尾道駅で観光マップを拡げてまずは千光寺からの尾道の展望を楽しむことにした。ロープウェイに乗り,展望台から眼下に広がる尾道の町と,ほんの数百メートルの海峡に隔てられた,これから向かう向島を眺めた。
千光寺境内には文学のこみちが通っている。林芙美子,正岡子規,志賀直哉ら尾道に関係した文学者の記念碑があちこちに見られた。三十三観音堂には百八煩悩滅除大念珠があり,引き下げると数珠玉がカチカチと落ちてくる。この先の道中の無事を祈りながら引いた。くさり山からの眺めは良いそうだが,腰に加えて右肩の腱板にもずっと痛みが続いているので,登るのは諦めた。
千光寺と文学のこみちは桜の名所としても知られているがこの時期の山陽路の桜はまだまだであった。東京ではすでに桜は満開を過ぎているというおかしな気象の今年だ。いつしか急な石段が続く千光寺新道に迷い込み,やがて山陽本線をくぐり国道2号線にでくわした。ここからロープウェイ乗り場にもどり,ふたたび自転車に跨がって渡船場にむかった。
尾道から向島への渡し船は3本でているが料金は自転車込みで70〜110円である。我々は最安の福本渡船で向島に渡った。乗ったと思ったらもう着いた。いよいよしまなみ海道ツーリングの始まりだ。しまなみ海道の自転車コースはブルーのラインで示され,これに従っていけば四国に渡れる。
やがてこれから渡る最初の橋の因島大橋が見えてきた。この橋の写真を撮ろうと反対側に渡ろうとして急ハンドルを切ったところで後ろからカミさんに突っ込まれて転倒してしまった。肘,膝,腰のかすり傷を負ったが自転車も荷物も損傷は無かった。千光寺のカチカチ念珠のお陰でこの軽傷で済んだということにしておこう。
橋に上がるランプはダラダラ登りだ。因島大橋はしまなみ海道でただ一つ自動車道の下を歩行者・自転車・原付が走るかたちの橋だ。歩行者は別のレーンだが自転車と原付が同じレーンでその上にセンターライン無しの双方向通行なので注意しなければ。
因島大橋を渡り切り,予約してある民宿海幸荘に到着したのは4時半を回っていた。ここからはさっき渡ってきた因島大橋の全貌が望める。今日は日中も思ったよりも気温は上がらず,肌寒かった。風呂で暖まって,我々だけの宿泊客で夕食の膳を囲んだ。メニューはフグ・サヨリ・イカ・サーモン刺しに蒸しカキ,ブリ照り焼き,ヌタであった。ヌタは柑橘類の味がとても良い風味だった。訊いてみるとダイダイをつかったそうだ。宿泊料は7,350円だったが別料理を頼んだ方が良かったかも知れない。 第1日目の走行距離はわずか19.7kmであった。その分,あすは長丁場になる。
第2日目
7時半に朝食を摂った。デザートに出たのはハッサクだ。ハッサクはここ因島が発祥の地だと女将さんが教えてくれた。
8時半に海幸荘を出発した。出がけに女将さんがレモン,ハッサク,デコポンなどの柑橘類をお土産にしてくれた。ちょっと重くなるが途中で食べて行けば良いか。
R317を走り,途中から因島北I.C.に向かう県道367号線に入り重井町で自転車道に入った。生口橋へのランプから見た斜張橋の生口橋は青空に良く映えていた。予報によると明日は雨だそうなので今日のしまなみ海道ツーリングを十分に楽しもう。生口橋は高速道路の脇のレーンを走ることになる。
瀬戸田の海岸を走っているとドルチェというアイスクリームを食べさせてくれる店が目に入った。まずはコーヒーで身体を目覚めさせ,ついで,しまなみ海道名物のシャーベットを試した。カミさんはレモンを自分はハルカのシャーベットにした。これが上品な甘さでとても旨かったので息子・孫と双方の姉妹のところに送ることにした。
しまなみ海道自転車道はこの辺りでは広い歩車道を走った。タイルを埋め込んだレーンだが26×1.75の太いタイヤを履いているGIANTのGreat Journey 1 & 2はゴツゴツも拾わず快適だ。
しまなみ街道ツーリングでは,カミさんの要望で,平山郁夫美術館を訪ねた。平山画伯はここ生口島の出身だ。ここでは画伯の小学校から東京美術学校予科までの作品が展示されている。絵を趣味にしているカミさんも小学生が描いた作品の出来栄えに唖然としていた。館内では大伯父清水南山と平山郁夫展が催されていて平山画伯の一つ一つの作品の脇に掲げられた画伯の説明文をフムフムと頷きながら興味深く鑑賞した。
美術館の隣は昭和11年から30年かけて完成させた耕三寺という寺院と博物館だ。しかし入場料が1200円なので引いてしまって外から見るだけにした。
お昼時になったので名物の穴子と蛸を食べに,ガイドブックにあった「わか葉」に入った。カミさんは穴子丼を自分はたこ重を注文した。蛸は柔らかく煮てあって旨かったが,穴子も蛸も量がいまひとつである。なによりも料理人が地元の常連さんと高校野球のテレビを見ながらお喋りしたり,寿司をにぎったり調理したりという態度は興ざめだった。
南国ムードの自転車レーンを走り多々羅大橋へのランプに差し掛かるとレモン谷だ。手を伸ばせば摘み取れなそうな間近にレモンが鈴なりだ。
国内最長の斜張橋である多々羅大橋の支柱の下で声を上げたり,備え付けの拍子木をたたくと共鳴する。多田羅鳴き龍と言う。クルマで通ってしまえば体験できないだろう。
多々羅大橋を渡って道の駅「多田羅しまなみ公園」で一休みする。ここで民宿でいただいたハッサクとデコポンを食べた。甘い,甘い味が喉を潤してくれた。大橋を渡る前から我々の行く手に見えた二人の女子会とこの公園でも出会ったので,ハッサク,デコポン,レモンをお裾分けして荷物を軽くした。二人はレンタル自転車に乗っていた。レンタル自転車でしまなみ海道を渡るライダーやらバリバリの格好でロードレーサーをかっ飛ばしていくライダーをこの辺りで何人も見かけた。
短い大三島橋を渡ると塩で名を馳せた伯方島だ。造船所では船が建造中だ。道の駅「伯方S.C.パーク」で塩ソフトクリームを舐めながら伯方ビーチの向こうに見える伯方・大島大橋を眺める。
伯方・大島大橋を渡り大島に轍を印した。自転車レーンから眼下の海を見ると,はっきりと流れる潮がぶつかり合って渦潮が見えた。なかなかのものだ。
やがてしまなみ海道ツーリングのメインイベントである亀老山展望台へのヒルクライムのコースに国道317号から分かれて入っていった。果たしてカミさんは大丈夫だろうか? 道はダラダラと登って行き,展望台入り口から本格的なヒルクライムが始まった。
3.4kmのおよそ7%の登りが続く。最後に来てカミさんは足を着いてしまった。展望台に到着したのは4時を回っていた。暮れなずむ来島海峡大橋を眺めるために登ってきただけに,見応えのある景色だった。
全長4kmにおよぶ来島海峡大橋を渡り終えて,サイクリングターミナル「サンライズ糸山」で一休みした。とうとう四国に足を踏み入れたのだ。ところで来島海峡大橋は第1〜第3まであり,これまでの渡し賃が50円だったのに,200円の料金であった。
サンライズ糸山から目当てのビジネスホテルに電話をしてみたのが何回かけても繋がらない。まあ,今治に行けば他のホテルもあるだろうと今治駅を目指して最後のペダルを回した。ところが,サンライズ糸山から今治駅までの遠いことといったら…。6kmの道のりがえらく遠く感じた。今治駅前の交差点で今治プラザホテルの駐車場を見つけた。ロビーにはジャージー姿の中学生が大勢たむろしている。運悪く団体さんとかち合ってしまったのだ。フロントで宿泊を申し込むとダブルルームが空いていた。もはやこの年ではダブルベッドと聞いて胸をドキドキさせることもないね〜。
このホテルの売りの一つは,自転車の室内持ち込みがオーケーと言うことだ。2台の自転車はちょっときついが,まぁいいだろう。ようやく部屋に落ち着いた時刻は6時だった。
さっそく,知人に教えられた情報を元にして,街の焼き鳥屋に繰り出した。五味鳥という店に入り,生ビールと皮焼きを注文した。出てきたのは皮というよりも身がいっぱい付いた焼き鳥だった。焼き鳥のタレと付け合わせのキャベツが旨い。次いで注文したピーマン焼きには鶏肉が詰まっていてビックリ。これが今治の焼き鳥なのか。心残りだったのはセンザンキというメニューだ。あとで調べてみたら,今治市で食される大ぶりの骨付き鶏の唐揚げのことだそうだ。
酔い覚ましに今治駅に回ってみて驚いた。なんと,駅にはGIANTが立派なショールームを出しているではないか。さすがにしまなみ海道の発着点の街である。
コンビニでシュークリームと明朝の朝飯のパンを買って帰った。あ〜,今日はよく走った。ヒルクライムを含めて76.06kmという長丁場だった。新尾道駅から95.43kmを走ったことになる。カミさんヨ,よく頑張った,偉いゾ。 寝る前に荷物を整理していたら薄手のカーディガンが出てきた。明日は雨で冷たいようだからこれを着ることにしよう。想定外の寒さだ。
第3日目
目覚めると,天気予報どおりの雨だ。お湯を沸かしてインスタントコーヒーを淹れてパンを齧って朝食を済ませた。パニアーに防水パックを被せたり,レインジャケットを着たり雨支度を調えて今治港に向かった。銀座通りのアーケードを抜けていったので,それほど濡れずに港まで行けた。今日は3航路を乗り継いで竹原まで行くのだ。 自転車をざっと拭いて輪行袋に入れて乗船券を買う。まずは今治市営船舶の7時20分の関前渡船で大三島の宗方港に渡った。船は昨日渡った来島海峡大橋の下を抜けて進む。
8時に宗方港に着いて,大三島ブルーラインの8時10分のフェリーに乗り換えて大崎上島の木江(天満港)に向かった。
のんびりする暇も無く15分もしないうちに木江に到着して,今度は8時35分のしまなみ海運の高速船で竹原に向かった。手ぶらならば実に連絡具合のいい船旅だが,やっかいな自転車を担いでの乗り換えはしんどい。
さすがに高速船は速く,20分ほどで竹原港に降り立った。輪行袋から自転車を出すのが面倒で竹原駅までバスでいこうかと思ったが,けっこう混んでいたので止めにした。どうもNHKのこころ旅のようにはいかないものだ。だいたい,バスに輪行袋の自転車を持ち込むなんてNHKや火野正平だからできたんじゃないか? 結局,竹原港から竹原駅までの1.3㎞を再び雨支度をして自転車を漕いだ。
竹原駅で自転車を輪行袋に詰めて重さが1kgもあるKryptoniteのロックを掛けて駅にデポした。このロックは日本ではオーバースペックかも知れないが,自転車を盗まれたら帰れなくなるかも知れないのでやむを得ず持参した。 身軽になって安芸の小京都と言われる竹原の町並み保存地区の散策に出かけた。竹原は平安時代からの歴史を持ち,たけはら町並み保存地区には江戸時代後期に製塩・酒造業で栄えた屋敷や寺院のある町並みが保存されている。カミさんとの今日のしっとりとした雨の散策は,昨日のヒルクライムの疲れを癒すにはもってこいの時間だ。 途中の道の駅で買った竹輪は歯ごたえがあって旨い。文字通り竹の芯に巻かれている。
竹原の町並みは意外に大きく見所も多かった。残念なことには飲食店やお土産店は水曜日と言うことでお休みばかりだった。
西方寺・普明閣の懸け舞台も華麗でそこからは雨に濡れそぼつ竹原の町並みの甍群が見えた。
かつて塩田の浜旦那であった,文政年間(1818〜1830)に建てられた松坂邸を覗いた。華麗で重厚な唐破風の屋根はうねりが付けられいる。
散策を終えて道の駅のフレンチレストラン「Le Banbou」で,ちょっとリッチに,ご当地名産レシピの料理を味わった。メインは竹原牛のビーフシチューだ。前菜にでたこんにゃく玉はいけたね。
ここでさて次の予定はどうしようかと話し合った。予定は,尾道に戻って向島に渡り,歌戸フェリーで歌から沼隈半島の浦崎(戸崎)に渡って自転車ツーリングで鞆の浦を訪ね,福山まで走って山陽本線で倉敷に行って泊まる,というものだった。しかしこの冷たい雨が自転車ツーリングの気分を殺いでしまっている。2つの案を検討した。一つは電車で尾道に行って回り残した尾道散策をするというもの。もう一つは電車で福山まで行ってバスで鞆の浦を往復するというものだ。iPhonedで鞆の浦のバス便を調べてみると15分間隔で出ていて,福山ー鞆の浦は30分ほどの所らしいことが分かった。で,予定の足は自転車からバスに変更して,鞆の浦を回ることにした。
13時05分の呉線で三原まで行き,13時55分の山陽本線に乗り換えて福山に14時27分についた。福山駅の地下駐輪場に自転車を預けて3時に鞆の浦行きのバスに乗った。
鞆の浦は,この辺りで瀬戸内海の潮の流れがかわることから,昔からここは潮待ち,風待ちの津として栄えた。町内には江戸時代からの町並みが残っており,坂本龍馬のいろは丸事件でも知られている。なによりもTVのサザエさんで紹介されたのが印象に残っている。
まずは対潮楼を訪れた。ここは朝鮮通信使節のための迎賓館でその窓からみえる弁天島の景色は,惜しむらくは雨で煙ってはいたが,額縁に填められた絵のようだった。案内の婦人のサービスでツーショットを撮ってもらった。楼内の柱には戦時中の測距儀の一部が備えてあってそこからみる弁天島はちょっと幻想的だ。
鞆港に回ってみた。江戸時代の港湾施設の常夜灯,雁木,波止場,焚場,舟番所のすべてが残っているのはこの鞆港だけだという。
江戸時代の蔵を利用したいろは丸展示館に入ってみた。沈没したいろは丸からの引き揚げ品や沈没状況の70%復元模型などがある。龍馬の隠れ部屋とキモイ龍馬の人形も展示されている
鞆の浦歴史民俗資料館の高台に登り降りし,古い町並みを散策した。クルマが無ければ江戸時代へタイムスリップした感覚を味わえただろう。
福山にバスで戻り,17時33分の山陽本線の快速サンライナーで倉敷駅に着いたときは6時を回っていた。ホテルを探さなければならないが,その前に自転車の始末だ。あれこれと聞き回って市の無料駐輪場に置かせてもらうことにした。 ホテルは2件目の電話で倉敷駅前ユニバーサルホテルのツインがとれた。明日探訪予定の美観地区の入口と立地条件はとても良い。それに,なんとここは9800円で夕食・朝食付ということだ。温泉の大浴場も付いていた。まだ雨は降っていて外出するのも億劫なのでホテルの夕食を頂くことにした。定食メニューのほかにカレーがあった。カミさんはシューマイ・サバ定食を自分はカレーを注文した。ビールは食堂内の自販機で缶ビールを買って飲む方式と徹底した人件費の削減方策だ。夕食は昔の学食か寮のメニューと言ったところだ。
夕食後は大浴場の温泉で手足を伸ばして十分に暖まった。今日の自転車での走行距離は2.81kmだった。今回の積算距離は98.24kmとなった。
第4日目
雨も上がって明るい陽射しが戻ってきた。今日のスケジュールのメインは大原美術館だが,まずは朝食だ。朝食は和洋のバイキング形式でこれがなかなかのメニューだ。オレンジジュースはちと甘すぎるがコーヒーはまずまずだった。朝食を終えてパニアーの荷物はホテルで預かってもらい,身軽になって早朝の倉敷の待ちに出かけた。
早朝の倉敷美観地区は人出がまだ多くなく,落ち着いて散策できた。
ここも桜にはちょいと早いようだ。柳の青さもまだまだだ。人慣れしたアオサギが上手に堀の小魚を捕まえた。人力車の準備も整ったようだ。
9時になったので大原美術館に入った。鑑賞に2時間はタップリとかかるだろう。エル・グレコの「受胎告知」,ゴーギャンの「かぐわしき大地」,モネの「睡蓮」などを本館で鑑賞し,藤島武二の「耕到天」,岸田劉生の「童女舞姿」などを分館で,濱田庄司,バーナード・リーチ,棟方志功,芹沢銈介らの作品を工芸館,東アジアの古美術を東洋館でじっくりと鑑賞した。しかしながら自分の頭では最後の方に見た現代アートに至っては全く理解できなかった。作者の頭の中を覗いてみたいくらいであった。残念ながら館内は撮影禁止だった。
散策の足を鶴形山公園に伸ばし,阿智神社に参拝し,そこからの倉敷の町並みを展望した。
再び町並みに戻り本通りの古い町並みをブラブラと歩いた。
お昼時になったので瀬戸内料理のつね家でランチを取った。ここでも名物のタコが天ぷらで出た。
午後からは倉敷アイビースクエアを散策した。そこに向かう倉敷川では川舟が出ていた。日によっては花嫁舟が見られるそうだ。昨日までの冷たい雨がウソのようなのどかな春の山陽路の光景だ。
アイビスクエアの門をくぐりると大原美術館の付属施設の児島虎次郎記念館だ。そこで児島の作品を鑑賞し,オリエント展示室では古代エジプト,先史イラン,中世イスラムの美術品を鑑賞した。アイビースクエアのツタはまだ青葉を茂らせておらず,寂れてどちらかというと汚いイメージだった。
倉敷観光を終えてスタバでお茶しながら倉敷からの帰りをカミさんと相談した。パニアーの荷物は宅急便で自宅に送ろうと言うことになった。で,クロネコヤマトを探したが郊外にしか無いということが分かり,倉敷駅前のセブン・イレブンで訊いてみた。ビニールに包んで送ればオーケーと言うことなので,大きなビニール袋を探しに駅周辺をうろついた。
あちこち歩き回って百均を探し当ててゴミのポリ袋を買った。これだけでタップリ2時間は費やしてしまった。ようやくセブン・イレブンから荷物を発送して駐輪場から自転車を引き出したときは,すっかり疲れてしまっていた。カミさんの粘り強さには降参だ。 倉敷駅から岡山までは山陽本線の快速に乗り, 岡山駅でお土産,駅弁,ビールを買い込んだ。新幹線ホームで落ちていく夕陽を眺めながら18時21分のひかり482号が入線するのを迎えた。
6号車の最後尾座席は3列シートだったので,2台の自転車を納めることが出来た。
上野発11時12分の常磐線に乗って牛久駅に着いたのは29日午前0時05分だった。やれやれ長い電車の旅だった。駅に降り立ったら左の大腿筋膜張筋に痛みを感じた。重い自転車を担ぎ上げるために体幹を側屈させたために痛めたようだ。暮れから筋トレ(スロートレーニング)で体幹を鍛えたはずなのに…。カミさんは何ともならなかったという。なんてことだろう。目的地まで自転車を送ってしまえば良いのだろうが,この運賃がけっこう高いのだ。もっと輪行が楽にならないものだろうか,ドイツ,オランダやスイスでみたように。