牛久を出発点として 旧水戸街道を荒川沖宿,中村宿を巡りながら土浦までHammerheadを駆ってポタリングした。空気はまだ冷たいが陽射しは春だ。
JR常磐線の牛久駅西口のすこし東京よりの国道6号線に旧水戸街道が合流する。ここをスタート地点にした。
クルマの往来が激しい国道6号線を下ると渋滞で名高い田宮(たぐう)交差点だ。交差点の直ぐ手前には新しい道路が建設中だ。これが完成するとこの交差点の渋滞も少しは緩和されるだろう。
田宮交差点の直ぐ先の三叉路で旧水戸街道は左に分かれる。が,工事中で進入できない。R6の途中の和菓子店かっぱ本舗から旧水戸街道に入り込んでみた。この工事でますます旧水戸街道らしさが無くなっていきそうな気がする。
旧水戸街道は直ぐにR6に合流して猪子町で圏央道を潜り,JRひたち野うしく駅前を通過する。新しい駅だが,その昔のつくば万博では臨時停車駅が作られた地にひたち野うしく駅として復活したものだ。東口,西口の辺りは現在も開発が進められている。
駅から少し下った牛久市・土浦市の境界線に一里塚が残っている。江戸から17番目の一里塚で,下り車線側が土浦市の荒川沖一里塚,上り車線側が牛久市の中根一里塚だ。
さらにR6を下ると荒川沖南区の交差点で右に旧水戸街道が分かれる。あらかわ橋で乙戸川を渡ると荒川沖宿だ。この乙戸川がかつて,一雨降れば手が付けられないほど荒れる川になったとか。今では想像もつかない。それが荒川沖宿の名の由縁だという。
JR荒川沖駅に入る路傍の交番脇に天満宮がある。平成元年につくば市に引っ越してきて,東京に行くときはこの近くの駐車場にクルマを置いてこの道を駅に急いだ。あのころはここが旧水戸街道とは知りもしなかった。
先に進むとかつては旅籠であった佐野屋や鶴町たばこ屋のわらぶき屋根の家屋が残っている。ここには本陣は置かれなかったが,旧水戸街道の面影が色濃く残る荒川沖宿である。
その先でR6に合流し,つくば市のセンターに向かう東大通りと交差する。交差点には荒川沖のディズニーランドと学生が呼んでいるジョイフル本田がある。
自動車教習所を過ぎて中村南4丁目の交差点で旧水戸街道は右に入っていく。
原の前交差点でR6とクロスする。その手前には松林がある。当時の松並木の名残だろうか。
再び落ち着いた雰囲気の旧水戸街道になる。このあたりから中村宿だ。直ぐ左手に墓地があり,その脇には国土地理院の水準点が置かれている。
墓地の脇には古い石仏が並んでいる。微笑ましい道祖神もあった。
東小学校の坂を下ると筑波研究学園都市から来る土浦学園線を横切る。
花室川を渡り,登坂が始まる左手は大聖寺だ。不動明王を祀る大きな寺だ。ちょっと寄り道をしてみた。
山門脇の石仏を見ると,四国八十八カ所のミニ遍路が設えられていることが分かった。
四脚門を潜るとよく手入れされた大きなカサマツと本堂があった。
ふたたび旧水戸街道を下りR6バイパスを跨線橋で渡り,その先の永国(ながくに)の交差点でR354に合流した。交差点の手前にはまたもや,当時の名残のような,松林がある
R354を進み横断歩道橋のある医療センター入口の交差点で旧水戸街道は右に分け入っていく。
霞ヶ浦医療センター(旧霞ヶ浦国立病院)を過ぎて左に曲がりながら下る道の右手に道標があった。坂東街道との交差点と言うことだが,はてさて,坂東街道はどこだろう。左側は愛宕神社だ。木と紙で出来た家屋は火事に遭いやすく,そのためか随所に火除けの愛宕神社がある。
愛宕神社の前をヤッホーとばかりに下っていくとその先は桜川を渡る銭亀橋だ。
左手には筑波山が,右手には土浦の町並みが望める。三時半も過ぎて風も冷たくなってきたので帰路につくことにした。土浦宿からの続きはまたの機会にしよう。