ポカポカ陽気の山歩きを期待して,南房総を今年初のハイキング地に選んだ。館山道のハイウェイオアシス富楽里に立ち寄ったのは9時ちょっと前だった。テレビで紹介されたこともあり,道の駅は9時の開店を待ちわびる観光客で溢れていた。我々も開店と同時に野菜,魚を見て回った。花は安いが野菜はそれほど安くはない,というのがカミさんの見解だ。しかし,魚はさすがに新鮮だ。手頃な大きさの鱸を一尾買って,夕食の鱸の刺身とするべく三枚におろしてもらった。親切な店員さんの計らいで発泡スチロールの箱を分けてもらえた。再び館山道に乗り,那古船形あたりの終点で降りて館山の街を抜けてJR内房線の和田浦駅を目指した。
予定では烏場山ハイキングコースのスタート地点の近くまで車を乗り入れる予定だったが,地理が良くわからずにJRの踏切を渡り返したあたりで花嫁街道入り口への指導標を見つけたところにあったスペースに駐車した。歩き始めるとすぐに大きな蘇鉄に出くわした。少し先は栽培している蘇鉄の群落だ。
20分ほど歩いたところで烏場山への入り口の花嫁街道入り口に着いた。ログハウス風のバイオトイレが設置されている。ある登山家が新日本百名山として紹介した烏場山ハイキングコースは花嫁街道と名づけられ人気を博しているという。今日この時間帯はハイカーは我々だけのようだ。曇り空なので頂上からの展望はどうだろうか?
あまり手入れされていないような杉林を過ぎて歩いていくとハイキングコースを整備している方に出会ったので立ち話をした。コースに埋めた丸太をイノシシが掘り返して荒らしてしまって困るとのこと。丸太の下の昆虫の幼虫やミミズを餌にするために掘り返すそうだ。お二人にカミさんがキャラメルを渡し,お別れして歩を進めていく。と,見事なマテバシイの群落に出会った。なかにはこんなに大きなものもある。30分も歩いたところで第2展望台に着いたが東京湾は霞んで見えない。
さらに10分ほどで大きな椎が岩を抱き込んでいる経文石だ。今となっては経文(梵字)も定かでないようだ。由来の良く分からない自害水そして駒返しを通過して見晴台に到着した。経文石から35分ほどだ。見晴台から10分ほどでちょっとした登りの階段が待ち構えていた。どうやらようやく頂上が近づいたらしい。
花嫁街道入り口から登り始めて1時間半で烏場山の頂上に立った。残念ながら富士山の眺望はない。山々を示す導標の下には花嫁さんらしき石像がある。誰かが紅をさしたのだろうか唇が赤い。が,ちょっと不気味な感じだ。烏場山の標高は266メートルと低いが,晴れていて展望が開けていればそれなりに「ヤッホー」気分が味わえるだろう。
それでもかつて登った伊予ヶ岳が望める。乳首のような頂上をもつのは御殿山だろう。さらに山頂にレーダードームが見えるのは千葉県の最高峰の愛宕山か。
さて,お摘みは鮭のオニギリしかないがお約束の缶ビールだ。思いのほか寒いのでカップ麺を準備しようとしたところ,箸を忘れたことに気がついた。やむなく枯れ枝を削って箸を作った。かなり短いが無いよりは遥かにマシである。ビールで冷やしてカップ麺で温めるなど,どうも一貫性がないがこれが我々のハイキングの定番なのだ。
そもそも花嫁街道とは山間部の上三原部落と海辺の集落を結ぶ交流路で,花嫁さんもここを通ったという故事にちなんで和田町が名付けたハイキングコースだそうだ。花嫁街道は駒返しから北へ続き,烏場山はその街道からは外れている。だが,人気にあやかってか烏場山からの下りコースには花婿コースの表示がある。ちょっと急な坂道を下っていくと実に立派なスダジイがあった。その先には旧烏場展望台があった。
さらに先で金比羅山の標識に出会う。この下方のスペースには瓦が散乱しており,小さな社がある。これが金比羅神社だろうか。花婿コースをどんどん下ったところには手水鉢が残されている。
金比羅山から急峻な道を下るとやがて黒滝に着いた。滝壺に降りる手前に向西坊入定窟がある。赤穂浪士の片岡源五右衛門の家臣で,主人を弔うために入定した洞窟だそうだ。木の階段を降りて滝壷に行く。滝不動の堂宇もあったが,お参りはパスする。滝壺周辺はちょっと幽玄な雰囲気が漂っている。夏場は子どもたちの水遊びで賑わうだろうなと思いながら歩いていく。
良い思いをしたのも束の間,すぐに花園(はなその)広場だ。キャンプ場を兼ねていて,ちょっとわびしい山茶花が残っていた。この先で花嫁街道の入口に戻った。
本日の行程は11.4km,5時間06分であった。天候,展望,お昼メニュー,連れなどなどが山行の印象に影響するのだろうが,烏場山コースは我々にとってそれほどのものを残さなかったようだ。曇天と寒さが効いたということにしておこう。