9月1日にロードバイクのトレーニングを終えて帰宅中のことであった。青信号の交差点で左の細い道路(この道路に対しての信号はなく,歩行者・自転車のための信号しかない)を出てきて左折しようとする車に衝突して転倒するという交通事故に遭ってしまった。救急車で病院に搬送されて診察の結果,第5頚椎棘突起と第6頚椎の右椎弓を骨折していたと判った。連絡を受けて飛んできたカミさんの顔からは驚きを通り越して,無事な我が身に怒るにも怒れない何ともやるせない気配を感じた。で,緊急入院となって9日間ベッドで過ごすことになってしまった。入院中も,退院後も幸に手足の痺れなどの後遺症は認められず,自民党の谷垣議員の様にはならずに済んだ。不思議なことに,事故の前後の記憶が飛んでいていまだに思い出せない。
事故後、警察の事情聴取も受けてないのでどのような状態だったの分からないが、サイクルコンピュータのデータは下り坂を走っていて45km/hで衝突していると示している。左前腕に外傷があったことから見て,左折直後の車の右側面に接触した可能性がある。おそらく接触直前にとっさに右にハンドルを切ったので車の真後ろに追突することが避けられたのだろう。衝突前後の記憶がないのでなんとも言えないが。
入院9日間の品行方正&模範病人の功績が認められれ9月9日に無事に退院できた。打撲痕や擦過傷の痕は残ったが、フィラデルフィアカラー(首のカラー)をしばらくは装着して自宅療養だ。
カミさんが「誕生日のお祝いに奥日光の温泉に,リハビリと気分転換を兼ねて,行こうか」と日程を組んでくれた。で,9月13,14日のプチ旅行で奥日光に出かけた。フィラデルフィアカラーを着けているので首を回すことができないので,クルマの運転はカミさんに全面的に任せた。
カミさんは日光いろは坂を登るのは始めての体験だ。ここは涼しい顔を装っていたほうが良さそうだ。
赤沼の駐車場に着いたが雲行きは怪しいので雨具をもって戦場ヶ原に入る。しかし,雨が降り始めて小田代原の入り口のゲートでは雷雨に見舞われた。
ほうほうの程でピストン返しで赤沼に戻る。レインウェアーを脱いで光徳牧場に回る。お目当ては濃厚なソフトクリームだ。
宿の近くの日光湯元ビジターセンターを訪ね、その足で湯ノ湖を一周する。
途中で鹿に出会ったが猿にはお目にかかれなかった。湯滝を見て湯ノ湖を一周して宿にチェックインした。
戦場ケ原と湯ノ湖の散策で8.5kmほどの距離を歩いて下腿三頭筋が疲れた。おかげで今晩をグッスリと眠れそうだ。事故後のリハビリとしてはちょっと多過ぎたかな? 温泉にゆっくり使って食事をすませた。久しぶりの歩きが祟ってすっかりと疲れ切っていたので8時には寝てしまった。
いつもの時間に目覚めて早朝の湯元温泉街を散策した。温泉寺の脇の湯の平湿原の遊歩道を歩く。端の泉源は地面からブクブクと源泉が吹き出す。今朝はサルにも出会えた。シカが朝食の草を喰んでいた。
朝食をすませてチェックアウトして外に出ると,なんてことだ,ピーカンの爽やかな天気だ。中禅寺湖畔に佇む旧イギリス・イタリア大使館別荘を訪ねた。イギリス大使館別荘は幕末の外交官アーネスト・サトウが自身の別荘として建てたものだ。近年になって公開されたものだ。中ではイギリスの紅茶とスコーンがいただける。
イタリア大使館別荘はイギリスのそれとは違って,建物の内外を杉皮で飾っている。とても落ち着いた雰囲気を醸し出していた。こちらではコーヒーが飲めるスペースがある。中禅寺湖を眼下に眺めながらコーヒータイムを過ごした。
旧イギリス大使館別荘と旧イタリア大使館別荘のどちらからも中禅寺湖や白根山などの山々が望める素晴らしいテラスがある。
イタリア大使館別荘の湖岸に出てみると観光船の船着き場があり,右手には男体山の勇姿が見えた。
今日でめでたく,無事に(?!)74歳を迎えることができた。カミさんに感謝しなくてはなるまい。
誕生日の翌日の16日に整形外科に通院して診察した。頚椎部の全体としての弯曲には異常はないと言われた。2ヶ月後にCT撮影をして骨折部の癒合状態をチェックする予約をいれた。