今日こそは,と勇んで水戸に行き着くべく旧水戸街道ポタリングに出発した。前回の終点(実は起点)の小幡宿の小幡交差点に向けて国道6号線を快調にペダルを回して行った。府中宿(石岡)からは旧水戸街道に入り,前回のコースを逆に辿った。花野井川を渡る竹原橋の両側には否が応でも秋を感じさせるようにコスモスが咲き乱れていた。この先は前回のポタリングで見落としたいくつかの場所を訪ねた。道を逆行するとまた違った光景が目に付くものだ。
片倉宿を過ぎて黒川に架かる山中橋の先を右に入り山中薬師堂に立ち寄った。 創建は何時かも不明と案内板にある。仁王像もそれほど古くはなさそうだ。
小幡宿に入った直ぐの所の左側に法圓寺があった。かつては水戸家の旅館でもあったそうだ。本堂には木造の釈迦如来像が納められている。
小幡宿を抜けると国道6号線と交わる小幡交差点だ。実質の今日のスタート地点はここからだ。
R6(旧水戸街道)を200mほど下ると左に千貫桜の石碑がある。水戸光圀公が値千貫に匹敵するという桜を愛でた地と言うことだが,現在は左に入る道路の両脇が桜並木になっている。
R6の右手に小幡北山埴輪製作遺跡がある。以前ここを訪れたが見るべき物は殆ど無かった。
やがてR6はパイパスとなり,右方向への旧水戸街道へはバイパスのオーバーパスを渡ることになる。茨城町役場がある奥谷の旧道を進んで行く。
旧水戸街道は髙橋で涸沼川を渡り小鶴の交差点を左に分かれて続く。
右にレトロな「こどもや」という文具・玩具店がある。覗いてみたかったが今日は定休日だった。近くのシックで重厚な土蔵は佐久間米店か。ここも閉まっている。その脇には江戸時代の創業という中多屋旅館がある。
小鶴の商店街の外れには如意輪寺がある。ここは水戸三十三観音霊場の第六番札所になっており,ちょうど三年前の今頃に水戸三十三観音巡礼を始めた時に訪れている。水戸三十三観音巡礼は中断しているがもあと少しで結願に持っていきたい。
涸沼前川を渡る長岡橋は工事中だが直ぐ脇の小さな橋は渡れた。旧水戸街道は長岡郵便局の三叉路を右に分かれていく。右に入ると藤屋製菓という饅頭屋がある。ここのみそまんじゅうは名物と言うことなので入ってみる。10個入りで600円だった。味噌味がするわけでもないが皮も餡も癖の無い味であった。
その先の三叉路に楠公神社の案内板があったので寄り道をすることにした。楠公神社には桜田門外の変に参加した志士らの頭髪が祀られている水戸浪士の毛塚がある。案内板に従って急坂を登ったところに楠公神社があった。毛塚の石柱には桜田門外の変に参加した志士の名が刻まれている。祀られている頭髪は遺髪ではなく,決起前に長岡宿の屯所で気合いを入れるために断髪したものだという。
旧水戸街道に戻って高岡神社を右手に見ながら進むと長い板塀が現れた。そこには木村家住宅とある。ここら辺りが長岡宿の中心であり,木村家住宅はかつての脇本陣だった。
門は閉じられていて中は見られないようだ。横手に回ってみたら鉄柵が少し開いていたので裏庭に入ってみた。塗装屋さんが居たので声を掛けて外から建物を見て回った。
木村家住宅の斜め前には「みくらや」衣料品店がある。ここはかつては旅籠中夷(なかえびす)だったという。ここが本陣だったという資料もあるが,長岡宿の本陣は今も不明のようだ。内部の柱には水戸藩士の刀傷があるというが見てこなかった。
先に進むと旧水戸街道はR6に合流する。しかし合流する路線は上り車線なので歩道を走り,先の交差点で下り車線に乗った。
北関東自動車道を跨ぐ矢頭跨道橋 の先で水戸市に入った。いよいよ水戸街道の終点も近い。
東野町交差点を左に入り,茨城県自動車学校の吉沢交差点は右に進む。
吉沢町を進んでいくと右手に一里塚の跡地がある。
吉田小南交差点で国道50号線に出る。ここの松屋で牛飯の昼食を摂ることにした。すき家の牛丼の甘いつゆの方が好かな。
R50を越えると一里塚三叉路バス停に出会う。ここに牛馬頭観音の碑がある。馬頭観音に牛がプラスされているのだ。この三叉路を左に直進して旧街道は続いていく。
旧街道は閑静な住宅地を鉤の字に抜けて広い道路に出会う。ここは中央分離帯があるので自転車では直進できない。が,クルマの少ない時を見計らってバイクを担いで向こう側に渡った。旧街道は再び鉤の字に曲がって真っ直ぐ延びていく。
やがて五叉路に出会った。直進する道は藤柄坂の女坂,右は藤柄坂の男坂そして右斜めのメインロードは新道だ。右の男坂に入ると新道に合流するところが急な下り坂になっていた。
女坂,男坂と新道が出会った高台に吉田神社がある。ここに立ち寄った。吉田神社は5世紀に創建され,日本武尊を祀っている。
吉田神社の下の三叉路を左のすずかけ通りに入る。すぐに左斜めに入り鉤の字に曲がる小道が旧街道だそうだが,これを見落としてさらに道を間違えて交差点を自転車屋の方に左折してしまった。近くの水戸観光協会で訪ねたら交差点を右折するのが旧水戸街道と教えられた。元の交差点に戻って中華料理店呂山の方に右折した。帰宅して詳細な地図を見ればこの交差点は変則的な五叉路になっていて,確かに小道の旧街道があった。
旧街道はすぐに備前堀に出会い,ここを右折すると銷魂(たまげ)橋に至る。この橋で旅立つ人との別れを惜しんだので,水戸光圀公が銷魂橋と名を改めたという。
橋詰めには江戸街道起点の石碑がある。ここが旧水戸街道の終点ということだ。日本橋から水戸へ下る道は水戸街道と称し,水戸から日本橋に上る道は江戸街道と呼んだのだろう。この石碑の反対側には高札場跡を示す石碑があった。
しかし,大方の資料は旧水戸街道の終点はこの銷魂橋ではなくこの先の水戸宿にあるという。銷魂橋を渡って北上すると常陽銀行の三叉路がある。ここに江戸へ三十里の道標が立っている。しかし,ここも水戸街道の終点ではないと資料は言う。で,この三叉路を右折しハミングロード513に進む。このハミングロード513の街並みがかつては水戸宿であったが,本陣がどこにあったかは分からないそうだ。水戸は第二次大戦で焼かれたので,水戸宿の面影は残っていない。
ハミングロード513の東入口の交差点に陸前浜街道起点の碑が置いてある。ここが旧水戸街道の終点だ。ここから北に岩城相馬街道が仙台へと続く。明治初めに岩城相馬街道と水戸街道を合わせて陸前浜街道と改称された。
これで我孫子宿から水戸宿までの旧水戸街道をポタリングしたことになる。日本橋から我孫子宿までのポタリングは来年になるかな。
時刻は2時を回っていた。ここから酒門六叉路に向かいR6を走り夕陽と競争しながら家路を急いだ。帰宅したのはライトを点けなくとも良い明るさが残る5時前だった。走行距離122.8kmを6時間弱かけてのポタリングだった。