旧水戸街道ポタリングの前回の続きで府中宿を訪ねた。府中宿は現在の石岡市である。自宅から恋瀬橋まで自走して府中宿から,出来れば終点の水戸まで行く予定だ。恋瀬橋のロードパークには昭和6年から平成13年まで活躍した旧恋瀬橋の一部が保存されていた。水戸道中の時代にはこの恋瀬川を渡し船で渡ったはずだ。
恋瀬橋を渡り右手のラブホテルの裏に旧水戸街道らしき道が残っており国府7丁目の交差点に続いている。この交差点を渡り左に分かれる道(R355)が旧水戸街道だ。
旧水戸街道に入ってすぐの右に石岡整形クリニックがあり,その前から更に旧水戸街道は左に入っていく。左手に,民家に挟まれて日天宮への参道がある。日天宮の境内には御嶽神社もある。
街道を突き当たって右に曲がるとR355に出会い旧水戸街道は石岡市商店街(中町)を通る。中町は府中宿として栄えたのだが当時の面影はわずかしか残っていない。というのも昭和4年の大火で市街はほとんどが焼失した。それでも大火以降に建てられたレトロな建築物がいくつか登録文化財として残っている。
旧街道沿いには面白い造形の噴水のある国府公園や金比羅神社がある。
江戸時代末期の染め物屋の丁子屋は,現在では,まち蔵藍という観光施設になっている。
丁子屋と共に大火を免れた江戸時代の建物に府中誉があるというので寄り道をした。かつてはここを始めとして石岡にはたくさんの酒造所があった。府中誉の隣には北向観音があった。
ついでに旧街道裏の昭和の建物の喫茶店四季と栗山呉服店を巡った。
再び旧水戸街道に戻り,登録文化財となっている,懐かしい昭和の建物を見ながらポタリングを続けた。3軒並んだ福島屋砂糖店,久松商店,十七屋履物店だ。
その反対側のすがや化粧品店,そのまた反対側のきそば東京庵,そのまた反対側の森戸文四郎商店だ。
石岡駅に続く御幸通りの交差点にまちかど情報センターがある。その隣のパン屋(ヴィオレ)のところに府中宿の本陣(参勤交代の時の宿泊所)があった。
このパン屋の向かいの神社通りの突き当たりに石岡市民会館があり,かつてはここらあたりが府中藩主の住居,すなわち陣屋だった。当時の陣屋門があったところに今は碑が建っている。
現在の陣屋門は市民会館の裏の石岡小学校の校内に移築されている。昨年の東北大震災に遭って痛んでいた。脇には道標が移築されていた。
小学校の校内はかつての府中城(陣屋)だった。さらに以前は常陸国衙があって,その更に以前は古墳があった。古墳時代の石棺が残っている。
寄り道ポタリングを続けて常陸国総社宮に立ち寄った。日本武尊腰掛け石なんてのもあった。
みたび旧水戸街道に戻って石岡の一里塚を目指すことにした。旧水戸街道はR355から右に曲がり,県道52号となっている。JR常磐線を渡る歩道には旧水戸街道にちなんだタイルがはめ込まれていた。
やがて勤労青少年ホームの前にある堂々とした一里塚に着いた。
ここでカメラの電池が尽きた。スペアに取り替えたがこれも空っぽである。出かける前にバッテリー容量を確認したときは両方の電池とも満充電のサインが出ていたのだが…。やむなく,本日の旧水戸街道ポタリングはここで中止とした。JR石岡駅を回って最後の一枚を撮影したところでカメラは完全に動かなくなった。
向かい風のなかを旧水戸街道を辿って自宅まで自走した。予定では水戸までポタリングしてJR輪行で返るつもりだったのだが。