ここ数年は群馬県前橋市の日本トータグリーンドーム前橋でのトラックミーティングという自転車トラック競技の練習・記録会の催しに参加している。グリーンドーム前橋は前橋市立の多目的アリーナであり,前橋競輪場の後継施設として,1990年5月31日に日本初の全天候型屋内バンクとして完成している。競輪場としては335mのバンク周長(内圏線は333m)をもつ。バンクのカントは36度と急峻で超高速バンクと呼ばれるそうだ。1990年の世界自転車競技大会のメイン会場にもなった。2020年3月31日まではヤマダグリーンドーム前橋と称されていた。 トラックミーティングには2019年12月に初めて参加して以来,今日で6回目である。例によってコロナ禍で2020年は一度も参加できなかった。
年金生活者ということで時間はたっぷりとあるが金はそれほどにない。ということで高速道路は使わずに下道を走ることにしている。今回も自宅からR354→R17→R50をひたすら走り12時半にはグリーンドーム前橋に到着した。駐車場で15年以上の付き合いのSさんに会い,ドーム内の場外車券売り場に連れて行ってもらう。ついでに観客席に立ち入ってみた。観客席の最上段から見るバンクは文字通りのすり鉢状でバンク内側にいる選手が人形のように小さく見える。観客の立場から見る初めてのドームには改めて圧倒される。
ドームに入場して走行の準備をする。先程のSさんとカミさんが会うのは実に17年ぶりのことだ。富山競輪場で開催された2005年の日本スポーツマスターズ2005にSさん夫妻と我々夫婦が一緒に参加した。当時は,私とSさんがバンクでもがき苦しんでいる間にカミさん連中は富山市観光や宇奈月温泉の観光を満喫していた。
ハイそうです,今日のトラックミーティングはカミさん同伴の参加なんです。トラックミーティングが終わったら,2週間ほど早いけど,カミさんの誕生日を伊香保温泉で祝おうと誘ったのだ。カミさんはSさんと再会してしばらくの会話を楽しんだ後は一人で前橋の街の散策に出かけてしまった。
練習開始を前にして後輪のエァーが抜けていることに気がついた。前回のミーティングでは周回練習中に前輪がスローパンクした。今回もスペアホィールを持ってきたのでディスクホィールに交換して練習に臨んだ。やれやれ,これでまたまた財布から諭吉さん,一葉さん,英世さんが消えていくヨ。 トラックミーティングの初めのメニューは4グループに分かれての周回練習だ。60歳以上のマスターズグループは40周回を30〜35km/hのスピードでゆっくりと走ろう。慣れたメンバーなので一周ごとに先頭交代をしても集団のスピードは一定している。慣れてないメンバーが先頭に立つと,張り切るのか,スピードが上がったりして走りにくい。写真では最後尾に私が写っている。
全部のグループの周回練習が終わって休憩時間を取った後はタイムトライアルだ。200mFTT(ハロン,フライイングスタートタイムトライアル),333mTT(スタンディングスタートタイムトライアル)と1kmTTだがマスターズグループは500mTTにおまけしてもらっている。自分の200mFTTのタイムは14秒04だった。前回は13秒99とかろうじて13秒台であったが,今回はちょっと残念だった。相変わらずトライアル中の頭と脚の動きはマッチしていなかった。
333mmTTのタイムは31”04だった。前回の記録よりも0.05秒遅くなっているが,自分としては十分に,許容できる範囲だ。一段落して次の500mTTに向けてハンドルをDHバー(ダウンヒルバー)に取り替えようと荷物を探してみたが,無い。さては車に置き忘れたかと駐車場の車の中にも無い。いけねぇ,自宅から持ってくるのを忘れたようだ。ちょうど散策から戻ってきたカミさんも「家から持ってきた記憶はない」と言う。仕方なく通常のハンドルでのトライアルだ。DHバーを使うと,アルペンスキーのダウンヒルのように姿勢を低くして風避けができて有利になるのだが。まぁ,距離は500mと短いしスタートして200mの立ち漕ぎ姿勢からDHバーポジションに移る時にフラついたりするリスクが避けられるから良いか,と自分を納得させる。500mのスタートは時差スタートで,Sさんが先行する。Sさんのスタート時のルーティーンはプロ紛いだ。本人は真剣のようだが,ちょっと滑稽と言ったら失礼か。自分のスタートは,今回も真っ直ぐに出られず第1コーナーではフラついた軌跡を描く。第2コーナーをクリヤーしてバックの直線でようやくスピードに乗れた。これはいけるんじゃないか,と脚を回しながらスケベ根性が頭をよぎる。最後までスピードを保たせて(実際は落ちてるんでしょうね)ゴールした。タイムは43秒80と前回を凌いだ。
これで我々の走行練習は終わったが,希望したライダーはオートバイ誘導での練習が待っているようだ。私たちは伊香保温泉の旅館のチェックインの時間が迫っているので早々に帰り支度をしてグリーンドーム前橋を後にした。
ところで,カミさんの前橋市街散策コースは前橋公園(臨江閣)〜前橋県庁(32F展望台)〜国道50号〜中央通り(アーケード)〜広瀬川〜上毛線中央前橋駅とのこと。写真で見ると良さそうな街だが「街の活気がいまひとつでちょっと寂しかった」とのことです。それでも退屈せずに楽しんできたそうで,こちらもやれやれと安堵した。
万葉集にも9首が詠まれている伊香保温泉は400年の歴史をもつ石段で名を馳せた温泉だ。前橋からは小一時間のところにあった。カーナビの案内に従って温泉地に入ったはいいが,最後の旅館への道は石段に突き当たってしまいどうしようかと思ったが。カミさんが降りて調べたところ,脇に狭い道があって何とか無事に到着した。伊香保温泉には茶褐色の黄金の湯と無色透明の白銀の湯の二つの温泉があるという。我々が予約した宿は黄金の湯を持ち大正ロマン薫る400年の伝統を誇る岸権(きしごん)旅館だ。あらかじめネットで調べたら3000円割引にクレカ申込時の割引1500円とあったので決めた。チェックイン時に,言われるままに,COVID-19ワクチン3回接種の証明書と自動車運転免許証を提示したら渋川市のふるさと感謝券が一人2000円分もらえた。ウエルカムドリンクならぬウェルカム温泉まんじゅうをいただきながら丁寧な館内案内の説明を受けた。このクーポン券はお土産代に回すことにしよう。
夕食の時刻までにはあまり余裕がなかったので,石段街の店の開いている明るいうちにと入浴よりも石段見物を優先した。岸権旅館は365段の石段の212段目にあるので,まずは,上の伊香保神社を目指す。ゼイゼイハァハァいわないようにゆっくり登る。後ろを振り返ると望める山峰は(左から)十二ヶ岳,中ノ岳,小野小山でその右は子持ち山だ。石段の頂上にある伊香保神社に参拝する。境内の左手には伊香保森林公園への標識があるが,時間の都合でパスして石段を下ってみる。
石段脇のお店には何軒かの射的場があった。「懐かしいねぇ」とカミさんとちょっと覗いてみる。石段の下はバス停広場になっている。脇の建物は1894年(明治27年)に建てられた旧ハワイ王国公使別邸(部分)だった。すでに閉館時間は過ぎていて内部は見られなくて残念だった。別邸の上には1631年(寛永8年)に設けられた伊香保関所(伊香保口留番所)の復元建屋だ。夕方も6時を回っていたので石段街のお店もそろそろ店仕舞いをし始めた。汗をかかないようにゆっくりと階段を登り返して旅館に戻った。
大広間での夕食が始まった。接客係は,隣のテーブルでの話を小耳に挟んだところ,ネパールから働きに来ている日本語ペラペラのボーイさんだ。料理の夏の四季膳は,まず,自家製のアペタイザーのしそ酒でカミさんの19歳プラスアルファの誕生日を祝って始まった。ついで生ビールでバンク走行でかいた汗の補給をする。前菜,お造り,鮎の塩焼き,シャブシャブなどなどを鱈腹になるまで食べた。ボーイさんがキビキビと膳を下げくれるのだが,ちょっと,せわしなかったかな。カミさんは飲み足りないらしく梅酒を追加注文する。ロックで飲む梅酒は自分にとってもスイスイと喉を通過してしまうほど美味だった。食後のデザートは自分にとっては苦手なものばかりだった。歳をとって花粉症とともに瓜科の野菜・果物を食べると耳の中が痒くなるアレルギー症状が出るようなってしまった。でもこれくらいのメロンなら大丈夫そうだ。全ての料理を残さずにいただき,カミさんも自分も大満足だ。
部屋で少し休息した後は二つの黄金の湯に浸かった。権左衛門の湯はいったん旅館の外に出て道路を渡った別棟にある。檜作りと聞いていたが,湯舟の檜はいつ頃のものだろうか? 年季の入った太正浪漫というような(?)湯舟だった。権左衛門の湯は石鹸の使用は禁止されているので,いったん部屋に戻り,次は又左衛門の湯に入った。又左衛門の湯は岩風呂のような現代的な湯舟だった。明日の朝はもう一つの黄金の湯の展望風呂(六左衛門の湯)に入ってみよう。
翌日はいつも時間に目覚めた。二日酔いは残っていない。では,別館の六左衛門の湯に浸かりに行こう。展望風呂という触れ込みだが窓の外の樹木が邪魔して山々の眺望は今ひとつだ。ベランダに設えた露天風呂に入ってみた。こちらは外の空気が呼吸できて気持ちがいい。ぬるめの湯にじっくりと浸った。
朝食は和洋のバイキング形式だ。いつ飢餓状態になるかわからない大昔に淘汰されたという節約遺伝子がアクティベイトされてあれこれと摘まんだ。自宅ではヨーロッパスタイルの質素な朝食だがここではまず和食を選んだ。この後で洋食を少しとってきた。昨晩の延長でお腹が休まる暇がない。
朝食後はチェックアウトまでの時間を利用して河鹿(かじか)橋と黄金の湯の源泉の湧出口を尋ねた。旅館脇の道路を1kmほど登ると赤い太鼓橋の河鹿橋があった。左手の脇道に入ると飲泉所があったので黄金の湯を飲んでみた。鉄錆臭い味で,ドイツ自転車旅行した時のヴィースバーデンの源泉を思い出した。その先には湧出口観覧所がありブクブクと湧き出す黄金の湯を,ベルツ博士と一緒に,観覧した。
チェックアウトする段で嬉しいハプニングがあった。宿泊費はクレカで支払い済みだったのでフロントで示された明細書に記載されていた数字の昨晩のビール・梅酒の代金を「クレジットカードでの支払いでいいですか」と尋ねた。そしたら「愛郷ぐんま泊まって応援キャンペーンのため一人5000円割引になりキャッシュバックします」と言われた。よく見れば明細書の数字にマイナスがついていた。このことは知らなかったし,チェックインの時には渋川市ふるさと感謝券のクーポンの話しか聞いてなかったので,驚き桃の木サンショの木であった。カミさんも大喜びで「お土産をたくさん買って帰ろう」と。ということで二人で1万4千円のご褒美をいただいたことになった。でも,考えてみれば誰かの何処かの税金がこっちに回されたということなんだけど…
ハッピー気分でチェックアウトを済ませて,まず,向かった先は水沢観音だ。ここは坂東三十三札所巡りの第16回巡礼で2008年に訪れている。当時は電車に小径自転車のBD-1を持ち込んでの巡礼だった。高崎の十五番札所長谷(ちょうこく)寺に参拝して,そこから十六番札所の水澤寺を目指した。嫌になるほどのヒルクライムを制して汗だくのていで到着したのだった。今回の車で走ってみて「よくもまぁ,こんなコースを走ったものだ」と我ながら感心してしまった。前回は名物の水沢うどんを食べたが,今回の訪問では,旅館の朝食バイキングの余韻が十分に残っていたのでパスせざるを得なかった。すでに,お土産にと半生の水沢うどんを旅館の売店で渋川市ふるさと感謝券を使って義姉,息子と自宅用に求めておいたので,お後の楽しみにしよう。
「お昼は川場の道の駅で食べよう」とのカミさんの要望で川場村の道の駅 川場田園プラザに回った。ここは20年前にJCRC2002年第6戦川場大会のヒルクライムレースでクラス3位に入賞した思い出の場所だ。レース終了後に温泉に浸かり,カミさんだけが地ビールで乾杯したのがこの道の駅だ。20年も経つとこんなにも発展するのか,と驚くばかりのアミューズメントパークのように様変わりしていた。食欲増進のために,自分はピリ辛のつけラーメンをヒィヒィ言いながら食べた。場内を散策して畑仲間のAさんとの暑気払いのためにソーセージ類と地ビールを買い込んだ。こちらも愛郷ぐんま泊まって応援キャンペーンでゲットした宿泊代のキャッシュバックを利用した。
場内に掲示されていポスターをみてカミさんに「すぐ近くに花が綺麗なお寺さんがあるようだ」と誘う。東国花の寺百ヶ寺の青龍山吉祥寺という寺院だ。吉祥寺は1339年に創建された建長寺(鎌倉)を本山とする臨済禅寺ということだ。たくさんの風鈴が吊るされた棚を潜ると一面のクリンソウと野仏に迎えられた。クリンソウといえば2008年に奥日光の中禅寺湖畔の千手が浜の九輪草を観にハイキングして以来でしょうか。しかし,ここのクリンソウは丈が高くてチョット驚きだった。
クリンソウの他にもコマクサに似たようなタイツリソウ(華鬘草)やアジサイが見られた。残念ながら,水芭蕉はすでに終わっていた。
釈迦堂(宝泉殿)には鎌倉後期の釈迦如来像がおわした。脇の壁には般若心経を彫り上げた般若板があった。もはや心経の大部分を忘れている。
寺の本堂に入ってみた。火灯窓のほかに初見の猪目窓(いのめまど)なるものがあった。ハートに似ていることから恋人の聖地とか。
本堂の回廊を巡ってみると砂庭の臥龍庭,険しい岩石の間を流れる昇龍の滝,青龍の滝からの水をたたえた池だ。ここには花を鑑賞しに来たつもりだったが,この仏閣の素晴らしは花にも劣らず感動した。
宝物殿の古月庵には真田信之がこの寺に送った労役御免の朱印状なども展示されていた。
帰り際に山門に上がってみた。文殊菩薩と16羅漢の像が安置されていた。
とても見どころ満載だった吉祥寺を後にして東洋のナイアガラと言われる吹割の滝に向かった。吹割の滝を訪れるのはこれが2度目のはずだが,それがいつだったか記憶が定かではない。吹割の滝を知ったのは,確か,NHKの大河ドラマのオープニング動画だったという記憶を頼りにネットで検索した。ドラマは2000年の作品と知れたので2000年以降の自分の日記,パソコン内の写真を調べてみたがどうにもヒットしない。それは置いておくこととして…
カミさんの記憶によると今回の吹割の滝の水量は多いという。「前回は水量が少なかったので連れて行った老犬が足を滑らせて水に落ちても事なきを得た」というが自分にはその記憶は残っていない。
橋を渡って対岸に渡り吹割渓谷をぐるりと一周して駐車場に戻ることにした。案内図には第1〜3観瀑台があるというが第1,第3観瀑台からの滝は木々に邪魔されてよく見えない。木々をすかして見た部分は小さくていまひとつ迫力を感じさせない。第2観瀑台は,気がつかずに,通り過ぎてしまう。どうもこのコースは人気がないらしく,歩いているのは我々だけだ。
駐車場に戻ったら16時を回っていた。自宅へのカーナビのルートは国道50号を示すが,往路を帰ろうとして山道を走ることにした。あちこちと走りながら太田市でようやく国道354号にでた。20時過ぎには息子のマンションに立ち寄ってお土産を渡せた。そこから15分でようやく我が家に帰り着いた。やれやれカミさん,お疲れ様でした。ありがとうございました。