3月11日の東北地方太平洋沖地震で茨城県も海に近い地域が被害を受けた。4月に予定のコースを試走してみて,特に潮来近くのコースが危険な状態であることを確認したが,迂回路を考えれば何とかツール・ド・霞ヶ浦のイベントを催行できる目処をつけた。この大震災で被災された方々の心情を考えるとサイクリングなどしている場合じゃない,という考えもあるだろう。しかし,今回のリーダーは「我々がいつもの生活を続けることがこの困難な時代を支える一助になるはずだ, 我々にとっては自転車に乗ることが生活なのだ。」と考えこのツーリングを催行することにした。
当日は好天気のもと,霞ヶ浦総合公園には集合時間前に血気盛んな18人が集まった。コースの概要・注意点などの説明や昼食メニューのとりまとめの後に,リーダーのアンディアーモ(andiamo:イタリヤ語でレッツゴー)の掛け声で9時30分にツール・ド・霞ヶ浦がスタートした。
土浦駅で2名を加えた20人が土浦港を回って西浦中岸の湖岸道路に入った。この辺りの震災の影響はそれほど多くはなく,わずかな向かい風の中を徐々にスピードアップしていった。午後に走ることになる対岸はちょっと霞がかかっていてはっきりとしないが,まあ,霞ヶ浦だからこんなものか。後ろ姿にはまだまだ疲れの様子は微塵も見えない,青ジャージの面々だ。
11.5kmの標識の先は工事中で通行できないので県道118号線に迂回する。道路脇の,30万年くらい前の貝殻層に造られた1300年前の崎浜横穴古墳群を眺めた。
出羽屋佃煮工場でふたたび湖岸道路にもどりペダルを回していくと,またまた通行止めに出会い脇道に降りていく。
湖岸道路と県道118号線を交互に走り,歩崎(あゆみざき)公園でショータイムとした。「この上にはお城があったね〜」と指さす資料館は,ここからは見えないけれど,旧霞ヶ浦町の郷土資料館である。ここまで1時間10分,23kmだ。
出発してまだ1時間だが土浦まで自走して来て小腹が空いたのかパンを食べるメンバーがいる。この後のしをみ食堂のかつカレーが食べれるだろうか,とリーダーは他人の腹を心配する。参加者にはあらかじめメールの写真でかつカレーの偉大さを知らせてあるのだが,はてさて実物にお目にかかったときの顔を伺うのが楽しみだ。ふたたび湖岸道路に戻り霞ヶ浦大橋を渡る。今回の震災で崩落したのはここじゃなくて,北浦の鹿行(ろっこう)大橋ですヨ。 霞ヶ浦大橋を渡った橋のたもとに玉造・虹の塔をシンボルとする霞ヶ浦ふれあいランド,行方(なめがた)市観光物産館こいこいと道の駅たまつくりがある。虹の塔の周りの公園が震災の被害に遭ったのでこの塔の観覧は閉鎖中であった。
スタートしてから36kmあたりで湖岸道路は大きく崩れたらしく,ブルーシート掛けたりの大規模な補修工事で完全閉鎖されていた。ここで脇道に入るがやがて行き止まり状態になり国道355号線に迂回することになった。3kmほどで昼食場所のしをみ食堂(0299-72-0470)が見えてきた。ここまでで40km,2時間弱である。
この食堂は霞ヶ浦を回るサイクリストの間では有名で彼らのブログでも紹介されている。その名物料理はこのかつカレーライスだ。
運ばれてきたかつカレーに度肝を抜かれたようだ。携帯で写真を撮り始めたり,さっそくスプーンを動かすメンバーやらで座は賑わう。
場所の確保と20人分の注文をあらかじめ知らせておいたのだが,全員に行き渡らないうちにすでに完食のメンバーも出てきた。
ようやく全員に行き渡ったようだ。
下を向けないほど,下ハンドルを持てないほどに膨れたお腹をさすりながら天王崎公園(42km地点)から湖岸道路に戻る。この1km先で道路と橋の継ぎ目で30cmほどの段差に遭遇して驚きながら自転車を担ぎ上げる。ここから国道51号線の北利根橋までは順調に湖岸道路を走った。リーダーは,下見では常陸利根川からの湖岸道路の大崩落を無視して走行したが,今日の大人数では目立つし,何よりも危険と判断して国道51号線を1kmhほど走ることにした。そこから湖岸道路脇の側道に入った。被災の状態がどれくらいかを覗いてみると,たしかに危険な状態だ。リーダーの「被災地に義援金を」の声に「我孫子も被災地だヨ」と返ってくる。
稲敷大橋(52km,3時間40分)でショータイムを取ったが,このショーを見ずして帰宅の途に着いて行ったメンバーも。
ここから和田公園までの湖岸道路も閉鎖されており,側道を走らざるを得なかった。和田公園(54km,4時間)を迂回して湖岸道路にもどると,こりゃひどい崩落だ。数メートルの通行止めなので,自転車を降りて慎重に通る。
そこからは追い風に乗ってルーツ・ド・フランス気分でしばらく快調に走る。60km地点の砂利採取場でまたまたロープで通行止めだが,ロープをくぐってそっと(?)クリヤーした。
古渡橋(66km)で水郷名物の「こうの」の大福を食べに少し寄り道。カレーが未消化にもかかわらず買い食いするメンバーと端で呆れて眺めるメンバーに分かれた。
古渡橋たもとのセブン・イレブンに戻ると,大福屋に寄ろうと言い出しっぺのメンバーが休んでいるではないですか。なんだかんだと言いながら5km先の旧鹿島航空隊の跡地(71km,5時間)に立ち寄った。そこから先の湖岸道路はコンクリートの斜面が湖面まで続く飛行艇の出入り口の跡地だ。現在はジェットスキーの発着場に利用されているが,この震災で休業している。
この先も脇道に迂回して,川にかかる橋を求めて大きくU字形に迂回させられたり,防衛省の試験場を迂回させられたりしながら湖岸道路を走った。今日の最終目的である予科練平和記念館に到着したのは,霞ヶ浦総合公園を出発して92km,およそ6時間後であった。ここでもう一人が帰宅の途についた。残ったメンバーはJAFの会員カードを利用して団体割引料金で記念館に入場した。係員の概要説明の後,それぞれが展示を観覧した。1時間ほど観覧していたリーダーの携帯電話が鳴ったので出てみると,自走で帰るメンバーがすでに館外で待っているとの報であった。慌てて館外にでて散会前の記念写真を撮ってもらった。
クルマ/電車輪行組は出発地点に向かい,自走組は荒川沖方面に向かって三々五々出発した。しかし,記念写真には13名しか映ってないではないか?! 慌てたリーダーがまだ館内で見学していた5名を確認せずに散会してしまったのだ。これまで八面六臂の奮闘でクルーを率いてきた名リーダーもここに来て画竜点睛を欠くの失態をしでかしたのだ。残された皆さんから「団体行動を乱してすみません」という優しいお言葉をいただいたが,これは完全にリーダーのミスでした。参加してくださった皆さんありがとうございます。次回は西浦完全一周(かすいち)ですヨ。