日本最古の古道として知られている山の辺の道を歩くBSの旅番組を見た。さっそくカミさんが旅行社のWebPageをサーフィンして格安の3泊4日の関西フリー旅行パックを見つけてくる。当然のことだが,桜の季節は料金が高くなるし,混み合うだろうとのことで3月5日から8日の最安料金の期間を選んだ。奈良に二泊,京都に一泊して山の辺の道のハイキングをメインにして奈良,京都の世界遺産のいくつかを回ってみよう。この地を訪ねるのは,実に,30年振りのことだ。
3月5日(水)奈良
8時09分常磐線に乗った。通勤時間帯は過ぎていたのか,意外に空いていて座ることが出来た。もっと早く立ちたかったのだが9時56分の「こだま」しか予約できなかった。東京駅で,最近の新幹線では車内販売がなくなったので,駅弁とビールを買って乗り込んだ。車の旅では絶対に出来ないビール付きの食事と文庫本を読む時間が取れるのが嬉しい。新幹線に乗っている間はずっと雨が降っていた。今日は一日中雨の予報通りの天気だ。明日は晴れて欲しい。
京都駅に13時34分に着いた。雨は上がっていた。旅行パックは「こだま」指定であったがまったく退屈しなかったし,快適だった。14時04分のJR奈良線みやこ路快速に乗ったら40分でJR奈良駅に着いた。驚いたのはJR奈良駅が高架になっていて,30年前の記憶にある(2代目)奈良駅は奈良市総合観光案内所となっていた。知らなかった〜,とカミさんと驚くばかり。
ホテルは猿沢の池の近くのホテルサンルート奈良だ。チェックインしたフロントで「お水取りガイドご案内」を説明された。ボランティアガイドの説明を聞きながらお松明を楽しむという趣向だ。参加料は一人 200円で2時間あまりという。お水取りのTVニュースを見たときは3月の何日かの1日限りのイベントかと思っていたら,3月1日から2週間にわたって毎 晩催されるそうだ。渡りに船とばかりに予約して,それまでの空き時間に興福寺を見学することにした。
国宝館には,かつて東京国立博物館の興福寺展で見た,仏頭や阿修羅像などに対面できた。仏頭をじっくり見るとその昔に勤め始めた頃,IBM System 360/370のPL/Iを手ほどきしてくれたM本ちゃんを思い出す。この勉強会でPL/Iはものにならず,やがて集まりはコントラクトブリッジ研究会に流れて遊び惚けたのはつい先日のことのように感じる。
未だに夢の段階にある西国三十三観音巡礼の第九番札所になっている南円堂にお参りした。小輪車のDAHON Hammerheadはその目的のために準備したのだが。
ホテルに戻ってみるとお水取りツァーの時間になっていた。8人づつの二グループに分かれて奈良公園の東大寺二月堂を目指した。ガイドの説明で,立ち枯れたムクロジの空洞から出てきている竹や森鷗外の旧居の門などを見ながら歩く。
6時15分ころに二月堂に到着して良い場所を陣取る。ガイドの説明によると,今日は10本のお松明が7時の鐘を合図に出るそうだ。しかし,お水取りの本命はこのお松明ではなく,二月堂の中で行われている法会(修行)である修二会が中心なのだ。752年に開始され,今年で1263回目を迎えるという。お松明は二月堂に向かう11人の修行僧を導く明かりで,堂内に案内して用済みになった松明を消すために回廊を回りながら火の粉を払い消す行為なのだ。こんなことをガイドから聞いて,なるほどなるほどと感心するばかりだ。
そうこうしているうちに時間となり階段が明るくなり,やがて回廊にお松明が登場した。自分もカミさんも初めての体験に「ほぉ〜,ほぉ〜」と言いながら興奮した。これが10回繰り返された。明るいうちに一人の修行僧が先に堂内に入って法会の準備をするので,松明で案内されるのは10人の僧となりお松明も10本になる。そのお松明の燃えかすを持ち帰って玄関に飾ると家内安全に御利益があるという。ガイドさんがお松明の燃えかすを小分けしてくれた。
お松明が終わって二月堂に上がりグルッと一周した。内部での修行は幕の内で行われるので見ることは出来ない。女性は北・南・東局までは入ることが許されていて,男性は更に内部の外陣までが許されている。しかし,外陣に入っても内部で何が行われているかはう窺い知れないという。我々は局に入らずに二月堂を後にしてホテルに帰ることにした。
ホテルは食事無しで予約してあったので,途中の和食居酒屋「八寶」で豚しゃぶ,飛竜頭,酒粕と味噌漬けの豚・イカの大和吟醸焼きを堪能した。2杯の生ビールはカミさんをして二日酔いにさせてしまった。誠に実りの多い奈良の宵を堪能した。
3月6日(木) 奈良・山の辺の道
いつもどおり6時に起きた。窓の外は晴れている。山の辺の道をハイキングするには打って付けの天気だ。コンビニで仕入れておいたインスタントコーヒーとパン,サラダで部屋での朝食を摂る。お陰で7時半にはホテルを出発できた。下調べで8時には東大寺大仏殿が開くというので,ハイキング前にそちらに回った。
荷物は自分のリュックザックに纏めて,カミさんはウェストポーチを着けた軽装だ。自分のリュックには,息子に貸していた広角レンズを着けた,ニコンD90が入っている。重いけれども風景スナップには便利だ。べつにコンパクトデジカメ LUMIX DMC-TZ40を持ったので,両方のカメラで撮り比べだ。
昨晩のコースを辿って奈良公園を歩く。奈良国立博物館の古い建物は耐震工事の結果として窓がコンクリートで潰されている。ここの仏像館に学会のついでに立ち寄り,一人でじっくりと何体もの仏像と対面したのも30年以上も前のことだ。
南大門の仁王像は口を開いた阿形と口を結んだ吽形の二体だ。阿吽の呼吸とはおぎゃーと第一声を発して生まれてから黙って死ぬまでの長いようで短い時間を表しているのかも知れない。
門をくぐった鏡池の水面は静かで,大仏殿の姿を写していた。国宝の大仏殿の前には,同じく,国宝の八角灯籠が鎮座していた。
高さ16mの盧舎那仏の脇には虚空蔵菩薩,如意輪観音が控えており四天王がそれらを守っている。大仏創設のときの蓮座が大火を免れて残っている。
30年前は子ども達が柱の穴をくぐったりしたことを思い出しながら東大寺大仏殿を後にした。鹿と戯れたり,奈良県庁のモダンな建物を見ながら近鉄奈良駅に向かった。駅の脇のホテルには昨晩のお水取りの松明が庭に展示してある。よく見ると竹の根っこが着いている。あれを担いでぐるぐる回して火の粉を散らしながら回廊を走り回るのはさぞかし大変なことだろう。
9時前に近鉄奈良駅から奈良線に乗り,大和西大寺で天理線に乗り換えて天理に着いたのは9時半だった。駅前広場では背中に天理教と白く染め抜いた黒い法被を着た信者がなにやら演説をしている。長〜いアーケードを抜けて歩いて行くと,ここでも黒い法被を着た男性や婦人の信者に出会う。ちょっと我々の日常の感じではないねぇ,とカミさんと先を急ぐ。
アーケードを抜けると大きなホテルのような建物があちこちに出現した。全国からお参りに集まってくる信者の宿泊施設のようだ。そのしるしに建物ごとに県名や都市名が振られている。やがて壮大な天理教の神殿の前に出た。その反対側の黒門の向こうに教会本部や大学があるようだ。天理市は天理教一色に塗りつぶされた街だ。
駅から歩くこと30分(2km)で山の辺の道入口に到着した。これから先の道中には買い物どころやコンビニはないというので弁当やお菓子,飲み物を仕入れる。ホットコーヒーとシュークリームを頬張ってエネルギーを補充して出発した。歩道には山の辺の道を示すタイルが埋められていて,道標も分かりやすい。さぁ,「記紀」の伝える神と人の説話の世界と「万葉」に謳われた世界を歩いて行こう。
石上(いそのかみ)神宮への道すがら白いものが舞ってきた。春の植物の綿毛かと思ったら雪であった。前々日にか買ったユニクロのダウンジャケットを下に着てきて正解だ。小雪が舞う石上神宮に参拝した。山の辺の道は境内からさらに続いていく。
道端に東海自然歩道の道標がある。自然歩道の一部に山の辺の道が取り込まれているわけだ。アスファルト舗装の広い道もある。
15分ほどで内山永久寺跡に着いた。小雪は止んで明るい陽射しが降り注いできた。ここは平安時代は石上神宮の神宮寺であったという。明治の廃仏毀釈で廃寺となり,現在は池のみが静かにひっそりと残っている。いったい廃仏毀釈ってなんだったのだろうか。岡倉天心やフェノロサらが駆け回ったお陰で今日の奈良仏教美術が保たれているといえる。
道は古代の道らしくなり,やがて石畳の道になった。石畳を上り,そして下ると峠の茶屋だ。この辺りの農家はミカンや柿などの果樹類を栽培していている。奈良ではまだ水仙が咲いていた。
30分も歩いただろうか,道の角に立つ鳥居をくぐって夜都伎(やつぎ)神社に到着した。茅葺屋根の神社は珍しい。
10分ほどの行程の間に無人販売所があった。珍しくカミさんが1パック100円のイチゴを買った。傷んだところを切り取ったイチゴだが,歩き疲れもほぐしてくれるようなとても甘いイチゴだった。イチゴを頬張りながら歩き,竹ノ内環濠集落に立ち寄った。今では環濠の一部しか残っていない。この先の萱生(かよう)にも環濠集落がある,とガイドマップにある。
菜の花畑を歩いて行くと休憩所があった。もう少し歩いてトレイルセンターで昼食にしよう,とここはパスして進む。今歩いている山の辺の道は指導標もきちんとしていて,このような立派な休憩所や綺麗で清潔なトイレも完備している。自分のようにトイレが近い高齢者にも優しいハイキングコースだ。
萱生集落の西には前方後円墳の波多子塚古墳があった。「いいのかなぁ,墳丘には畑や果樹園があるねぇ」とカミさんと話しながら先に進む。その先にあったのは周壕の跡らしい溜め池を巡らした西山塚古墳だ。こちらも前方後円墳という。
民家の間を抜け,畑を抜け,そして柿の果樹園を抜けて歩くと10分ほどで衾田(ふすまだ)陵に至った。継体天皇の皇后を祀っているため”宮内庁”と記した案内板がある。
道を下って歩いて行くと右手にお寺が見えた。脇に入っていくとどうやら念仏寺に入ったようだ。その先の大和神社御旅所に立ち寄り,再び本の道に戻る。ここはちょっと道を間違えたようだな。
山の辺の道には休憩所,トイレの他に民間の喫茶店・カフェもある。ここは素通りして長岳寺を目指した。
1kmも歩いただろうか,数メートルも根っこが露出した大きな松(根上り松)に出会った。この先が長岳寺の山門が見える。山門をくぐって参道をしばらく行くと拝観受付だ。ツツジの季節にはこの参道を歩くと気持ちがいいだろう。
まずは旧地蔵院を拝観する。1630年の書院造りの建物で庭園が美しい。旧地蔵院本堂には普賢延命菩薩が祀られていた。帰り際に目に付いたのは竹炭焼だ。炭焼倶楽部のAさんに教えてやろう。
くぐる鐘楼門は平安時代の物で日本最古の鐘楼門という。1783年再建の本堂には阿弥陀三尊,多聞天,増長天,不動明王が安置されている。
放生池をグルッと回って散歩できるようになっている。季節の花々が美しい寺だそうだがこの季節は寂しい。この長岳寺は山の辺の道の南コースでは一番の見所ではないだろうか。こころもからだも癒される場所だ。
長岳寺の隣には天理市トレイルセンター(トレイル青垣)がある。ここは山の辺の道や東海自然歩道を紹介している学習・休息施設だ。時刻は1時を回っていたので,ここでお茶をいただいて弁当を食べた。ここまでではまだコースの半分は来ていない。
トレイルセンターを出て10分も歩くと崇神天皇陵だ。更に10分で景行天皇陵がある。もちろん宮内庁の管理で立ち入りは出来ない。この辺りは他に数個の古墳があり,柳本古墳群を成している。
石畳の道を進んでいくと,懐かしい農具に出会った。自分が子どもの頃は近所の農家はまだこのような農具を使っていた。さらに進み観光果樹園を過ぎると県道50号を歩くことになった。県道を鋭角に曲がり再び古道らしいコースに入って桧原神社に向かう。道は上りになり距離も長いのでちょっと疲れを感じる。
45分ほどで桧原神社に到着した。三ツ鳥居が珍しい。これから訪ねる大神神社の摂社だ。
ここからはいかにも古道という雰囲気になる。
謡曲「三輪」の舞台として有名な玄賓庵(げんぴんあん)はパスする。不動明王座像が祀られているそうだが。
人が多くなって鳥居で礼拝する姿が目立ってきた。ここが大神神社かと思ったら狭井(さい)神社だった。雰囲気がちょっと我々にはそぐわないのでお参りをせずに引き返す。神も仏も信心しない我々は部外者であることを自覚させられる。
大神(おおみわ)神社は大和「一の宮」でご神体は背後の三輪山だ。残念ながら天気が悪くて三輪山が望めない。「三輪山を しかも隠すか雲だにも 情けあらなも 隠さふべしや」(万葉集1-18)と謳った額田女王と同じ情景かな。径10mもある杉の根っこは謡曲「三輪」に出てくる衣掛けの杉だ。その脇を山の辺の道が続いて行く。
ほどなく平等寺だ。かつては大神神社の神宮寺で,聖徳太子の創建という。山門をくぐると太子像が迎えてくれた。不動明王を祀る堂と地蔵堂があった。
平等寺から降りていくと金屋の石仏を収めた堂に出会う。中には2体の石仏が安置されている。右が釈迦如来,左が弥勒如来と案内板にある。元々はさきほどの平等寺にあったものだが明治の廃仏毀釈でここに放置されたそうだ。現在は堂に収められ金網で守られている。
道は民家が建ち並ぶ間を抜けるようになる。ちょっと脇に入ったところに海石榴市(つばいち)観音が祀られていた。十一面観音と聖観音の石仏だが良く判じることができない。
この辺りが日本最古の交易市の海石榴市で奈良に向かう山の辺の道の始発点だ。海石榴市は交易市のほかに歌垣の地でもあったそうだ。「紫草(むらさき)は灰さすものぞ海石榴市の 八十のちにまたあへる子や誰」(万葉集 12-3101)と案内板が教えてくれる。
大和川に出ると仏教公伝の石碑が建っている。碑文は「佛教傳来之地」とある。中学生のときに「いざや伝えん百済より」と教えられたので538年のことか,いや552年か。
大和川に掛かる橋を渡り,三輪そうめんの工場を見ながらJR桜井駅に着いたのは16時15分だった。カミさんは「そうか,三輪そうめんとはこの地のそうめんか」と感心する。実に7時間を要したハイクキングとなった。
16時28分の万葉まほろば線(桜井線)に乗った。途中で天理を通ったときに,近鉄奈良線で天理に行ったのは遠回りだったことが分かった。万葉まほろば線の列車は古い車両だったが,その外装も車内トイレも古代の人物や風景のペイントが施されていた。
JR奈良に着いたのは16時59分だった。駅ビルのイオンで夕食と明日の朝食の買い物をした。ホテルまでの道のりでカミさんがしな垂れ掛かってきた。うっふん,かと思ったらハイキングで膝を痛めて歩行困難だという。ホテルの部屋で鶏唐揚げ,サラダ,乾き物のお摘まみとビールでハイキングの疲れを癒やした。ほろ酔い気分の後は奈良名物の柿の葉寿司を堪能した。
3月7日(金)奈良
6時に起きて,イオンで買っておいたパン,コーヒー,サラダの朝食を部屋で摂る。さて,今日の予定はどうしようかということになった。お水取りのガイドもWebページでも,山の辺の道の北コースは道標も多くなく,道も分かりにくいという。それに,昨日のハイキングで痛めたカミさんの膝の具合も良くなさそうだ。ということで,春日大社を回って斑鳩の法隆寺を訪ねる予定に切り替えだ。7時半にホテルをチェックアウトした。
興福寺をもう一遍見て奈良公園を春日大社に向かう。散歩のおじさんが「鹿にやれ」とサツマイモを渡してくれた。公園内には古色蒼然とした奈良国立博物館の仏教美術資料研究センター(旧奈良県物産陳列所)があり,大きな楠が残っている。
春日大社の参道には特別な道が敷かれていて馬蹄の跡らしきものが残っている。何やらの神事のためのものだろうか。神殿はまだ朝が早いので内部に入ることができない。神主や巫女があちこちで礼拝しながら清掃している姿がある。
ここからホテル近くの「ならまち」へ戻って観光するのだが,近くに新薬師寺があるのでそちらを通るコースを辿ることにした。夫婦大國社には,十分に夫婦円満だから,お参りしなくても良いだろう(本当に大丈夫?)。新薬師寺に着いたが,開門の9時までには時間がある。道端に腰掛けてチョコレートを食べていると目の前に山の辺の道の指導標があった。別な案内板には,白毫寺へは15分,とある。それならばと道標の示す方向に歩き始めた。マンホールの蓋も奈良らしいデザインだ。カミさんはこんなところにも目を光らす。
白毫寺の石段を登っていって振り返ると奈良盆地が一望できる。カミさんは膝痛で登りが辛そうだ。寺は花の寺社として名を馳せているが,名物の椿も五色椿もまだちょっと早いようだ。宝蔵には阿弥陀如来を始めとする仏像が,本堂には観音菩薩などが祀られている。残念ながら堂内は撮影禁止だ。おやっ,興福寺宝物館にあったような聖徳太子二歳像がここにもある。
新薬師寺に戻って参拝した。30年ぶりに対面した十二神将ってこんな小さかったかなぁと思いながら堂内を見て回る。以前はもっと薄暗くて幽玄の世界で仏とその守り神たちと対話したような思い出が残っている。庫裡で新薬師寺縁起・十二神将の再現のビデオを鑑賞した。鮮やかな青,緑,赤,紫に彩られた伐折羅大将が画面に蘇ったシーンを興味深く鑑賞した。
「ならまち」に戻り世界遺産の元興寺を拝観した。極楽堂(曼荼羅堂)には両界曼荼羅,聖徳太子孝養像,弘法大師座像,阿弥陀如来像などが混然として祀られていた。収蔵庫には日本で最古の瓦などが展示されていた。
ならまちの小路を歩いてアーケード街に入ったところのレストラン南風でランチとコーヒーのお昼ご飯を食べた。簡素な家庭的なレストランは奈良のイメージに合っていた。
ランチを摂ってJR奈良駅まで歩く途中にカミさんが「薬局で膝のサポーターを買いたい」と言い出した。なるほど跛行の歩き方だ。通りかかったスポーツ店でよりしっかりと膝が固定できるサポーターを買った。お陰でだいぶ楽に歩けるようになって駅に向かった。JR大和路線(関西本線)に乗って法隆寺駅には13時15分に到着した。駅で改めて膝のサポーターを締め直して出掛けた。この辺りのマンホールの蓋も面白いデザインだ。歩くこと30分で法隆寺に着いた。
南大門を入り,中門を回って拝観受付を済ませて西院伽藍に足を踏み入れた。
五重塔と金堂が並び立っている。中門はエンタシスの柱で知られている。中学時代の修学旅行で訪れた時,ガイドのおじさんが「エンタスス」とお国なまりで説明してくれたことを思い出す。金堂の釈迦三尊のお顔は何となくのっぺりとしている。五重塔には釈迦入滅や弥勒菩薩の説法などを表した塑像を四面で見ることが出来た。
鎌倉時代の聖霊院には聖徳太子の像が祀られているが厨子は閉じている。鏡池の端には子規の「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」の句碑が建っている。聖霊院の脇から大宝蔵院に向かった。大宝蔵院は30年前にはまだ無かった。ここは夢違観音,玉虫厨子,百済観音などなどの法隆寺の歴史を具現する宝物を収めていた。外国人に説明をするボランティアガイドの英語を聞いていると色々と勉強になった。玉虫をjewery beatleと訳していた。
東大門を抜けて土壁に挟まれた路を東院伽藍に向かう。ここには夢殿がある。聖徳太子は昔の一万円札に刷られていてその透かしが夢殿だった。カミさんと一緒になった頃はこれが三枚あるかないかの月給だった。
夢殿の脇に建つ中宮寺を訪ねた。30年前に一家で訪ねて,ここの畳に正座して菩薩半跏思惟像と対面した。小学生の子ども達も神妙にしていたが,彼らは今でも憶えているだろうか。本堂内は撮影禁止だったので本堂の外からカメラを望遠にして菩薩像を狙ってみた。
中宮寺を出た3時15分には空模様は怪しくなり雨に混じって小雪が降ってきた。駅まで歩くつもりだったが法隆寺のバス停でおじさんに呼び止めらた。駅までのバスが直ぐにあることを知らされたのでそれを待った。法隆寺駅から奈良に戻り,JR奈良線に乗って再び京都に戻ってきた時刻は4時20分だった。
iPhoneで宿泊するホテルサンルート京都を検索し,バスで河原町に行った。同系列のホテルだが奈良よりは新しくアメニティーも快適だった。チェックイン時に,都合でグレードをアップした,と言われた。なるほど,なるほど。
カミさんも膝の具合がよろしくないようだし,外に出て食事処を漁るのも面倒だと言うことでホテルのレストランでの夕食となった。宿泊客限定メニューのお摘まみ,パスタ,ピッツァにビールを注文した。ウェイトレスは,お摘まみも料理も量が多いが宜しいか,と親切にも聞いてきたが問題なく完食できた。しかし,ビールは一杯でやめておいた。お摘まみと言い,料理と言い申し分ない味だった。これはお奨めです。
3月8日(土)京都
ホテル内の1Fのカフェーが7時からモーニングサービスをやっているというのでそこで朝食を摂った。8時にホテルを立って阪急河原町駅へ歩く。大宮で降りて嵐電に乗り換え嵐山に向かった。嵐山・嵯峨野は二人とも初めて訪れる地だ。渡月橋がお目当てだ。嵐電嵐山本線の電車は一両編成の可愛らしい電車だ。四条大宮を出てやがて,ノーベル賞受賞者を生んだ,島津製作所の辺りで市街電車となった。なかなか面白い路線だ。
太秦広隆寺を通過するときに家族で訪れた広隆寺の弥勒菩薩像と映画村の思い出をカミさんと話題にした。カミさんは「弥勒菩薩像にキスしようとして指を折ったのは茨城県の高校生で,そのために息子達の京都修学旅行が中止になった」という。自分は「指を折ったのは芸大の学生で,修学旅行中止は関係ない」と反論した。じゃあ,とiPhoneで検索したら京大の学生の仕業と分かった。もう一つは,30年前の家族旅行のときの映画村での昼食の話題だ。隣のテーブルのおばさん連が注文と違う物が来てエライ剣幕の関西弁でまくし立てて驚いた,ということだ。自分には全く記憶がない。そもそも家族で映画村に来たこと自体を憶えていないのだ。
そうこうしていると嵐山駅に着いた。すでに「東山三十六峰,草木も眠る丑三つ時…」の世界のようだ。だが,駅前の美空ひばり劇場はたたまれているぞ。
憬れていた渡月橋だ。紅葉に映える木造の時代がかった橋のイメージが強すぎたのか,クルマが行き交い,ブルドーザーが川底をさらう光景にちょっと失望。まぁ,先日の大雨で氾濫した桂川の修復だから仕方ないか。
渡月橋を渡って折り返し,天龍寺に向かった。拝観受付までの道のりもなかなか風情がある。この世界遺産に期待で胸が膨らむ。
大方丈の裏の曹源池は見事な眺めだ。もう一台のデジカメのLUMIX TZ40でパノラマ写真を撮ってみた。
多宝殿から百花苑に歩くと紅・白梅,蝋梅,椿などが眼を和ませてくれる。竹林の下には福寿草も咲いている。大きな硯石は,書道に熱中しているカミさんだが,それほど興味を引かなかったようだ。望京の丘からは池と方丈のその向こうに京の街並みが望める。
北門から外に出ると竹林の道に導かれる。ここもTVドラマなどのイメージが刷り込まれている場所だ。だが,思ったよりも道は長く続いていて良いところだ。丹下左膳で憶えている映画俳優の大河内傳次郎がつくった大河内山荘庭園はパスしてトロッコ列車のトロッコ嵐山駅に向かう。しかし,トロッコ列車はまたの機会に残しておこう,と先の化野念仏寺に向かった。
道すがらの常寂光寺,落柿舎はパスして進む。なるほどこれが嵯峨野かと思うような小径を歩いて行ってたどり着いた二尊院もパスする。すると同じ道を歩む中年男性5人組が話しかけてくる。彼らは神戸・大阪から嵐山・嵯峨野ハイキングに来たそうで,保津峡まで歩いてトロッコ列車で戻るそうだ。やはり有料のお寺さんはパスするが,念仏寺だけは寄っていこうと仲間と話している。
化野念仏寺に到着して拝観料を納めて境内に入る。大きな仏舎利塔を見ながら8000体もの石仏・石塔が並び立つ西院の河原に行く。自分の頭の中にTVの赤い霊柩車シリーズで片平なぎさが喪服姿でロウソクが灯される石仏群の中に立って登場する場面が浮かんでくる。この辺りはかつて風葬の地だったと言うが今は観光地で辺りはお土産やなどが立ち並んでいる。
本堂には阿弥陀仏が祀られている。現在の墓所への竹林の道も風情がある。墓所脇に立つ水を掛けながら供養する地蔵尊の他に,境内には水子地蔵が祀られていた。
化野念仏寺から元の道を戻り山陰本線の踏切を渡って野宮神社を訪ねる。縁結び,安産祈願の御利益があると言うが,いずれももう関係ないだろう。
ここにも竹林の道がある。JR嵯峨嵐山駅の近くで雲水に出会った。この近くで頬張ったみたらし団子は美味だった。嵯峨嵐山駅にはトロッコ嵯峨駅があり,鉄道ミュージアムが併設されている。
京都駅に戻ってきたのは12時半のお昼時だった。大混雑の高島屋デパートの食堂フロアーをうろつき回り,ようやく日本料理店の席にありつけた。京料理のランチを取ったが今日ではこれくらいのミニ懐石料理はどこでも食べられるネェ,とカミさんと話しながらビールで無事に終わった旅を祝う。駅ビルの屋上でほろ酔いを醒ます。ビルの屋上に上ったのは久しく無かったことに気がついた。屋上から東寺らしき寺院が見えたが訪ねるには「こだま」乗車までの時間が足りそうも無い。
駅構内のカフェーでカプチーノを飲んで更に酔いを醒まして,15時0分のこだまに乗った。生まれ故郷の富士市を通過したときには夕陽に染まりつつある富士山が望めた。寺社と仏像ばかりの旅だったが,意外にも,カミさんのウケは良かった。いつかまたこの古都を訪れてみたいものだ。