しばらく中断していた旧水戸街道ポタリングを再開した。今回は前回の終点となった府中宿(石岡市)の一里塚からの再スタートだ。自宅から石岡一里塚までの30kmをファーストランのペースで快調に走った。気温26℃という爽やかな秋の陽気である。
旧水戸街道は一里塚から石岡市保健センター・杉並コミュニティーセンターを過ぎ,関鉄石岡車庫の先のコンビニのところの分岐を左に分かれていく。(実はこの分岐を全く意識せずに直進してしまい,田舎道をルンルン気分でかなり走ったところで笠間市の標識に出会った。ようやく誤りに気がついて,とにかく国道6号線の方向に進み,涸沼の案内板を見つけてようやく茨城町でR6に出くわした。それを北上して小幡の交差点で合流する旧水戸街道を見つけた。そこから旧水戸街道を江戸方面に上って石岡一里塚までポタリングしたのが今回のコースだ。しかし,ブログはこれまでのように江戸→水戸を走ったように記述した。)
分岐を左に入ってすぐのところの左側に不動尊の案内板があった。扉ののぞき穴からカメラを入れてフラッシュ撮影したが厨子の扉は閉じており木造という不動尊は拝めなかった。
ここ行里川(なめりかわ)の集落にも,江戸から続いているのだろうか,大きな旧家が見受けられる。
やがて園部川の袂の交差点に出た。旧水戸街道はここを直進して郡箸(こおりはし)で園部川を渡っている。(先ほど書いたように,実際は道を誤ったのでこの交差点は直進せずに,右方向から来て直進する,左折する方向に走って笠間市に入ってしまっている。)
竹原橋で花野井川を渡ると旧水戸街道は登り坂となっている。その右側に竹原神社が鎮座している。かつてはここら辺りから竹原宿が始まっていたようだ。
現在では水戸街道の竹原宿を思わせる面影は残っていない。国道6号線との交差点の脇の鮮魚店に古い井戸が残されているが,銘には昭和二年の作とある。旧水戸街道はこの交差点で国道6号線となって続く。
国道6号線をビュンビュン走るクルマに追い越されながら進むと右側に美野里ロードパークがあった。そのすぐ先は大曲三叉路だ。
大曲三叉路を進むと左側の歩道は桜並木になっていた。いつかの春にクルマで通りかかった時は桜が満開だったことを思い出した。この辺りから「堅倉」の地名を付した道路標識が出てくる。しかし,水戸街道の宿場町としては「片倉宿」である。
桜並木が途切れ左手に赤いmeiji(明治乳業)の看板が見えてくると堅倉三叉路がある。旧水戸街道はここから国道六号線を離れて左に分かれて続いて行く。
三叉路を左に入るとすぐに街道の両側に墓地が出てきた。墓地の殆どは碑が建っていない。土葬の墓地のようだ。昔の水戸街道はこのように墓地を貫いていたのだろうか。
ここを抜けると片倉宿の集落が始まる。
右手には一本槍の看板を掲げた貫禄のある酒屋だ。しかし現在は営業していないようだ。江戸時代はここは名主だったという。
左手には加藤家の門だけが残っている。天狗党に焼き討ちにされた云々と書かれた碑が建っている。
その右隣は本多家の大きな屋敷がある。街道の反対側(右側)には立派な門構えの邸宅がある。かつてはここら辺りに脇本陣があったらしい。
その先で旧水戸街道は左に折れる。この角に「かと家」の看板を掲げた旅籠「かどや(角屋)」が残っている。入口の格子戸や二階の手摺りに旅籠の面影を残している。ただし,現在のかどやは100mほど離れたところで旅館を営業しているようだ
かどやの交差点を左折して巴川に掛かる巴橋を渡り,旧水戸街道は小幡宿に続いていく。
左手に道祖神が祀られておりそこの小道を挟んだ反対側にも石碑があった。真ん中の石碑には「牛馬頭」の文字が読み取れる。馬頭観音に牛を加えた碑だろうか。いと面白し,だ。
小岩戸交差点で国道6号線を横切り,直進すると小幡宿に入る。左手に石船神社を見て,やがてまた石仏に出くわした。この3体の石仏の内の2つは子どもを抱いたものだった。その先の右側には宿場の面影を残す旧家があった。
さらに進むと右に入る小道の入り口に石仏と小幡城の標識を見つけた。そこを分け入って畑の小道をしばらく進むと工事中の高速道路(東関東自動車道茨城空港北IC)のオーバーパスに出くわした。標識によれば跨道橋の手前の木立が小幡城跡らしい。
旧水戸街道に戻って進み,寛政川を界田橋で渡り左手に青龍大権現を見る坂を登ると再び国道6号線に合流する小幡交差点だ。旧水戸街道は国道6号線となって長岡宿に続いて行く。この小幡交差点を本日のポタリングの終点とした。(先に書いたように,今回は道を誤り旧水戸街道ポタリングはここからの江戸に向かってのスタートとなった。)
自宅から小幡交差点までを往復は96.80km,実走時間は4時間19分だった。迷い道で出会った蕎麦畑とコスモス畑に秋を体感したポタリングであった。