坂東三十三札所
第1回巡礼(第一番〜四番,十四番:2007年11月17日)
念願の坂東札所巡礼が実現した。カミさんが泊りで友人のところに出掛けたので,単独行での巡礼だ。カミさんは,もはや巡礼は秩父で十分,という。どれだけの期間がかかるかは分からないが自分の足,自転車と鉄道を利用して回ってみようと思う。まずは,5時34分の一番電車で鎌倉に向かった。
鎌倉には7時40分には到着した。最後にここを尋ねてからはもう10年以上も経ってい るだろうか。最近ではこんな光景も見られる。完全な観光地だ。もっとも江戸時代頃は札所巡礼は観光地巡りだったのかもしれない。というわけじゃないが,まずは鶴岡八幡宮に参拝した。
ふたたび金沢街道に戻り,坂東三十三ヶ所観音霊場巡礼の発願の寺,杉本寺に向かう。
杉本寺の山門からは苔むした石段が続くのが垣間見える。何人もの巡礼者に踏まれて,踏面は磨り減っている。現在は通行禁止になっている。
左脇の階段を上がって境内に立つが,参拝者の姿はない。実に森閑として,発願の寺に相応しい雰囲気だ。
写経した心経を納めて納経帳を求めた。いただいたご朱印の中には「発願」の印もあった。入山料を払って内陣まで上がらせてもらう。が,薄暗くてご本尊は拝めない(ご開帳されてなかったのか?)。
杉本寺を先に進み,森の里という住宅団地を通って逗子市に入る。やがて横須賀線に突き当った。ふと脇を見ると,二番札所の岩殿寺(がんでんじ)への道標を見つけた。
岩殿寺も森閑とした中にあった。石段を登っていきながら,後ろを振り返ると彼方に逗子の海が見える。
観音堂は木立の中にあった。誰もいない中であたりをはばかることなく心経を誦した。
堂宇の脇には泉鏡花が寄進したという池がある。彼にとっての駆け込み寺だったようだ。堂宇の裏手には岩をくりぬいて奥の院がある。岩殿寺の謂われがここにあるという。
参拝を終えて戻りかけると,弘法大師が爪で彫ったという地蔵があった。山門脇の庫裏でご朱印をいただいて,山門を出ると90名の団体さんに出くわした。危ういところでセーフ。
岩殿寺から三番の安養院田代寺に向かう道はクルマがビュンビュンと走りまことに煙ったい行程だ。トンネルの中も歩き巡礼にとっては鬼門だ。
安養院田代寺は道路のすぐ脇にあった。山門には拝観料100円を入れてくれ,とある。
境内には天然記念物というマキの大木がある。季節ならばその元にはエビネが咲き誇るそうだ。
観音堂(本堂)は新しいがそれでも80年ほど前である。さきの二番札所でであった参拝者の長い誦経(観音経かその偈だろうか)が終わるのを待って,こちらは心経を誦した。観音堂の脇のガラス窓からは本尊の阿弥陀如来とその脇時が見えるが,千手観音様は拝めない。
裏手に回ると鎌倉最古の宝篋印塔があり,その脇には北条政子の墓といわれている小さな塔がある。
ご朱印をいただき,ふたたび街中にもどり第四番の長谷寺(はせでら)を目指す。
長谷寺の門前には観光客が群れ,観光バスがひっきりなしに出入りする。門前脇でなんともレトロな旅館を見つけた。泊まれはしないようだ。
山門脇の切符売り場で300円を払って入場する。すぐに庭園が広がる。
石段を登っていくとそれは壮大な観音堂に出くわす。脇には阿弥陀堂や大黒堂もある。
中に入ってびっくり。9メートルにも及ぼうとする黄金色に輝く十一面観音様がお立ちになっている。30年以上前にここを尋ねたはずだが,こんな大き かったという記憶は残ってない(写真は同寺院のHPから)。参拝者にもみくちゃにされながら,なんとかお灯明とお線香をあげ,般若心経を誦した。
宝物殿脇 の売店で御朱印を貰おうとしたら,本堂入口にまわれといわれた。本堂入り口でご朱印をいただいたが,宝物殿を拝観するのを失念してしまった。
人いきれから逃れて鎌倉の海を眺めて,あらためて経蔵の輪蔵を回した。これで幾つかの経を読んだことになるそうだが…
経蔵わきにはこ洒落た茶店があったが,街中で昼食をとろうと,ここはパスして弁天窟をみてから高徳院の大仏に向かった。
さすが大仏は鎌倉の観光名所とあって,人通りが多い。高徳院の山門をくぐったはいいが,人波と拝観料のために大仏拝観に興味を失っていた。欄間の隙間からご尊顔を伺っただけにした。
朝早くから巡礼したのでお昼で鎌倉の札所を回り終えることができた。腹ごしらえをしようと鎌倉駅前の井上蒲鉾店の2階の茶寮いの上で特製いの上弁当を食べた(写真は同社のHPから)。そういえば,何年か前に北鎌倉を恩師達と訪ねた時にここでお土産の蒲鉾を買ったっけ。
腹が一杯になったところで,横須賀線で横浜にでて京浜急行に乗り換えて弘明寺駅にむかった。弘明寺(ぐみょうじ)は 第十四番の札所で十三番の浅草寺からが順番だが,鎌倉まで来れば横浜を回らない手はないと考えた。今回の巡礼は順番にこだわらず,また,一筆書き,徒歩巡 礼に拘らず逆打ち,区切り打ちありとすることにしたのでいいだろう。
横浜から京急線の各駅停車で弘明寺に着いた。札所は駅を一歩でるとすぐに屋根が見えるほどの近さにあった。
山門の前はアーケードの商店街が続いている。この山門の仁王像は運慶の作だという。
観音堂は300円の拝観料を払えば内陣にまで上がれてご本尊の十一面観音様を拝めるということであったが止めにした。秩父では午歳に総開帳があり,それ以外は秘仏とされていた(来年に総開帳があるという)。なにか解せない気がしてならない。
無事に参拝を終えたのは 2時半前であった。情けないことに左足首の腱が痛くなってきたので,これにて本日は打ち止めにすることにした。歩いた距離は18.3 km,歩行時間は3時間20分であった。
横浜駅に出て東京方面の電車を待っていたが,どれに乗って良いのやら迷ってしまった。昔は東海道線と横須賀線のどちらかに乗れば良かったのだが,湘 南新宿ラインなんて路線もある。取り敢えずホームに入ってきた電車に乗った。幸いにも(?)東京駅に行き着くことができた。東京駅の八重洲口には何やら大 きなビルができていた。完全に田舎のネズミになっている自分であった。
第2回巡礼(第五番〜八番:2007年11月18日)
小田原から座間へと順打ちをするには時間の都合が悪い。この時期の札所は9時〜4時が納経時間というところが多い。小田原の第五番札所は9時からで 一番電車に乗っても小田原には8時34分か8時52分にしか着かない。座間の第八番札所が8時から納経受付なので,効率的に回るために逆打ちをすることにした。今日の行程は自転車(BD-1)で54キロ程になる予定だ。5時34分の一番電車に乗り,新宿で小田急線に乗り換えて座間に着いた。自転車をセットアップして出発したのは7時45分だった。
第八番札所の星谷寺(しょうこくじ)は座間駅をすこし新宿側に戻った, ちょうど三差路にあった。山門と呼べるものは無く,仁王像が立っている。その脇には,星の谷観音の七不思議の一つの重要文化財の鐘がある。なにが不思議かというと,鐘を突くところが表に一つしかないというものだそうだ(普通の鐘は表裏に2ヶ所ある)。
観音堂の中には千社札が至る所に貼り付けられている。自分の他には参拝者もいない堂宇で滔々と心経を誦して,久しぶりの聖観音さまのご真言を唱えた。
納経書の呼び鈴を押して案内を請い,御朱印をいただいた。まだ他にも七不思議があるそうだがパスした。
クルマも次第に増えてきたR246を走り,かつて相模原に住んだ頃に見慣れた大山を眺めながら相模川を渡った。
緩やかな道を厚木の飯山温泉の看板を見ながら登っていく。穏やかな天候だ。やがて,朱塗りの橋に行き着き,桜とタニシのまちの文言に出合った。
傾斜を増した道路を上り,最後の急なカーブと傾斜のコーナーを過ぎたところが第六番の長谷寺(はせでら)だった。坂東札所には長谷寺が三つある(うち一つは,ちょうこくじ)。花の季節に訪れたいものだが,そのときは観光客で満杯だろう。境内にはイヌマキの巨木が聳え立っている。天然記念物だそうだ。札所の歴史を感じさせる。
観音堂で参拝を済ませ,納経所で御朱印をもらった。上品で美しい若い大黒さんが墨書きしてくれた。写真を請うたが断わられてしまった。観音堂の作りは古建築的に格調高いものだそうだがよく分からない。
一休みしているとカミさんからメールがあった。それなりに心配してくれたのだろうか? 山門前の茶屋には名物料理のタニシの看板が出ている。イナゴやザリガニなら子どもの頃に食べたが,タニシは経験がない。でも,ちょっと引いてしまい,寄らずに先を急ぐことにした。
つぎの平塚に向かう行程は難儀した。向かい風でそれなりのアップダウンがある。それでも,一時間少々で 金目川のほとりの第七番札所の光明寺に到着した。
観音堂前でお参りをしたあと外陣に上がりここでも参拝させていただいた。
堂宇の脇には七福神を祀る歓喜堂や釈迦堂がある。
納経所にまわると,何とも懐かしい小坊主の案内板があった。秩父巡礼では札所毎にお目にかかったが,坂東ではこれが最初だ。
GPSのナビが示すここから小田原に向かうコースは,あらかじめパソコンで調べたコースとは違っていた。まあ,方向は間違ってないのでクルマの少な さそうなナビの示すコースに乗った。少しいくとイタリヤ料理の店があったのでそこでランチにした。ミネラルウォーターのボトルが出て,前菜,パスタ,魚の 半量のディッシュとコーヒーで1100円は安かった。
腹を満たしてナビの指示に従って進むが,どうやら東名の秦野中井を目指すようだ。で,ナビをおちょくりながら二宮を目指して南下することにした。やがて東海道線をくぐり国道一号線に出たところで,西湘バイパスの向うに海が見えてきた。風が強くなってきたが我慢して進み,国府津を過ぎて脇道に入った。えらく賑やかな通りだが,巡礼街道なんて道標がある。もちろん近年の新しいものだ。
いい加減イヤになった頃に第五番札所の勝福寺に着いた。ウォーキング大会が終わったのか役員が片付けをしていた。もうすこし早ければ,人波にはいってしまっただろう。よかった,よかった。ここの境内にも天然記念物の大イチョウがある。辺りはギンナンの臭いが立ちこめている。いやはや。
大イチョウの反対側には立派な龍の船形の水鉢と二宮金次郎の像がある。14歳のときに旅の僧の観音経を聞いて大誓願を立てたということだ。
観音堂の前は何やら工事中で ちょっと雰囲気が壊れている。堂宇は300年ほど前に再建されたものだそうだ。参拝を済ませ御朱印をいただいて時計を見れば,はや3時である。
小田原駅に着いたのは3時25分であった。
新宿行きの小田急の急行で座れて幸いであった。今日の行程は56.6km,3時間37分であった。ところがGPSは59.7kmを記録してい た。カミさんがひと足早く帰宅していたので,駅までお迎えを頼んで帰宅できた。距離の割にはかなり疲れた。小さく折り畳めるので輪行が苦にならないように BD-1を選んだが,そうでもなかった。帰りの駅の階段を上るにはBD-1でもずっしりと肩にかかった。
第3回巡礼(第二十五番,二十六番:2007年11月19日)
この週末で神奈川県内の札所はクリヤーしたので,地元茨城の近場の札所を回ることにした。午後からの休暇を取って,筑波山の大御堂とその南裾にある清滝寺を自転車で巡礼した。
筑波山鉄道の廃線跡地がリンリンロードという自転車専用道路になっている。そこを筑波山に向けて走った。トレーニングで走り慣れた道だが,向かい風でのBD-1は辛い。
筑波山の表参道をえっちらおっちらと登り,筑波山神社脇の第二十五番札所の大御堂に汗びっしょりになって到着した。
息を整えて,お灯明,お線香をあげて心経を誦した。御朱印を捺してくれた尼さんと手を合わせながら朱印帳をやり取りした。
なんとものどかな晩秋の日だまりの中を,急傾斜,急カーブの旧参道を下っていった。
第二十六番札所の清滝寺は小町の里の近くにある。この付近も自転車トレーニングのコースで,見知った土地だが清滝寺は今回が初めての参拝である。昭和44年の火災から免れたという立派な山門は天保年間の再建だそうだ。
コンクリートで再建された観音堂で心経とご真言を唱えて,納経所に回ると二人のご老人が居て,墨書きをしてご朱印を捺してくれた。
今日はまだ明るいうちに出発地点に戻ることができた。明日の午後からも第二十四番の雨引観音を訪ねてみるつもりだ。本日の行程は47.4km,2時間44分であった。
第4回巡礼(第二十四番:2007年11月20日)
勢いに任せて今日も午後からBD-1を駆って二十四番札所の楽法寺の雨引観音を訪ねることにした。昨日も走ったリンリンロードを筑波山から更に北上し,加波山を見送る。
雨引の休息所から雨引山を登って行く。一番急な登りがこの碑が建っている辺りだ。その少し先には,かつての真壁城の門であったという薬医門がある。
ようやくのことで雨引センターの駐車場に到着した。今日もヒルクライムで汗びっしょりとなる。山門の脇には立派な石垣が見える。まるで城郭のような中に観音堂がある。
暮れなずむ秋の陽に照らされた観音堂に参拝して,観音堂入り口から外陣に上がろうとすると境内にチョコチョコとクジャクが出てきた。初夏のアジサイの咲き乱れるここの境内で羽を広げたクジャクを見たのは2年前に息子夫婦の安産のお参りに来た時だった。
御朱印をいただいた後は,雨引山を巻く林道を下り夕陽に輝く楽法寺に見送られて家路を急いだ。
自宅までの道のりは遠く,帰り着いた時はとっぷりと日が暮れていた。本日の行程は84.1km,4時間30分であった。やはりBD-1でこの距離は辛い。
第5回巡礼(第二十番,二十三番:2007年12月2日)
今日の巡礼は長丁場になるので,自転車はロードレーサーでペダルはMTB仕様にした。札所は益子,笠間と焼き物の町にある光明寺と観世音寺である。 8時15分に自宅を出発してリンリンロードを北上した。20キロほど走ったらようやくからだが温まってきた,30キロ地点の筑波駅を過ぎると,右手には前 回,前々回の巡礼の時よりも赤く,黄色く色づいた筑波山,加波山が望めた。これほどの筑波山系の紅葉は見たことがない。巡礼の出発としては申し分ない光景 だ。
リンリンロード終点の岩瀬駅から国道50号を横切り,一度走ったことのある道を,益子に向かった。
第二十番札所の光明寺に向かう上り坂は辛い。以前,一度走ったコースのはずだが,こんなにもきつかったか。やっとのことで山門下の駐車場にたどり着 いた。ここまで66キロであった。山門に続く石段の脇には椎の木林でうっそうとしている。それまでの汗もスゥーっと引いていく。その中に,ここでも真っ盛 りの紅葉樹が目立つ。
石段を上り詰めると茅葺きの楼門が出迎えてくれる。その脇にはこれまた優美な三重塔が並び立っている。観音堂から見るといい眺めである。
観音堂に上がる前に,今日は落ち着いて手水所で手洗いと嗽ぎをして,お灯明とお線香を供えた。午後からの法要の準備でバタバタしている中を心経を誦した。ちょっと落ち着かなかったが,この準備のお陰で内陣を覗けたのは幸いであった。
境内には閻魔堂があって内部が拝観できた。ここの閻魔様は笑う閻魔様で有名である。一体,何を笑っていなさるのか?
楼門下のこれもまた重厚な茅葺きの納経所で写経を納めて御朱印をいただいた。次々と札所を回っていくとなると,毎晩の写経でもしないと追いつかないくらいだ。今回は,最低,一國(県)に一つの写経を納めることにしよう。
次なる札所は,再び茨城県に戻って,笠間の第二十三番札所の観世音寺だ。ポカポカ陽気の田園のなかを笠間に向かう。道はホンの少し上りになってき た。おまけに風は向かい風。西明寺から益子の町に出た時に昼飯をとっておけば良かったと後悔しながら,せんべいをかじって水を飲む。
笠間の街に入ったがGPSのナビは,以前にここを尋ねた時とは違った,またもやおかしなコースを示す。GPSが示す先には石段があって三所神社と書 いた碑がある。しかしその先には確かに観世音寺がある。神社に入っていき,砂利道を進むとつつじ公園の案内板が出てきた。更に進むと観世音寺の屋根が見え てきた。どうやら札所の上の脇にたどり着いたようだ。境内は落ち葉がいっぱいで,紅葉も散り始めている。本堂は仮本堂ということで,新たな観音堂を建築す るために勧進中とのことだ。
着いたのが12時50分だったので,納経所はお昼休みの時間であった。1時に戸が開けられて中に入ることができた。すでにストーブがたかれていて,受付の人からお茶が振る舞われた。待つことしばし,その間に前立ちの十一面観音様をじっくりと拝観した。
やがて,ご住職が現われておもむろに墨書き,ご朱印を捺してくれた。朱印帳を渡される時に十句観音経を唱えましょうと言われて慌てた。十句観音経は は偽経といわれ,本来の経ではない。つまり釈迦の教えではない。しかし,短くて簡単なことから観音巡礼では唱えられることが多いようだ。ご住職は漢字の起 源とか,何処から来たかなど話しながら書いてくれた。他の参拝者の朱印帳3冊を几帳面に指さし呼称しながら墨書き,朱印をチェックしてくれた。が,帰宅し て気が付くと,十一月二日と書いてあった。筆をとって棒を一本書き加えて十二月二日とさせていただいた。
笠間稲荷の参拝者でにぎわう街中の食堂でラーメンと稲荷のセットを食べた。 店を出たのは2時過ぎで,ここまでで94キロを走っていた。いつものトレーニングでは,道祖神(どうろくしん)峠,フルーツライン,不動峠のコースだが, 疲れていたのでR355からR6に回るコースを走りだした。よせばよかったのだが,ナビで近道を探そうとしたら脇道を示すのでそっちに行ってみた。ゴルフ 場を迂回して広い道に出て気が付けば,道祖神峠への道であった。戻るのもしゃくなので,時速8キロであえぎながら2つの峠を越して帰宅した。着いたのは日 もとっぷりと暮れた6時で,自宅をでてから10時間を経過していた。次回からは知っている道ならばナビは使わないことを肝に銘じておこう。走行距離は 162.57キロ,実働時間は7時間20分であった。途中の道祖神峠で心拍計がずれてしまって記録がストップしてしまったが,それでも消費カロリーは 3168kcalとなった。夕食前に測った体重は56.8kgといつもよりも3キロ減であった。やれ,やれ,これも観音様の与えた修行だ。
第6回巡礼(第二十八番:2007年12月11日)
午前中に千葉県成田市(旧下総町)の第二十八番札所の龍正院の滑河観音を訪ねた。地図や道路標識では滑川とあるがJR駅名や龍正院では滑河と書いて いる。すぐ近くには下総フレンドリーパークがあり,そこの1.5kmサーキットでしばしば開催された自転車ロードレースに参加したり,トレーニングで何度 も訪れているので見知った土地だ。2003年の正月にはハイキングの終点で龍正院を訪ねている。今日は自宅からロードレーサーに跨っての巡礼だ。
利根川のサイクリングロードを走るのも久しぶりだ。利根川は坂東太郎とも呼ばれる。佐賀に住んでいた頃は筑後川を筑紫次郎と呼んでいたのを思い出した。因みに,四国三郎とは吉野川のこと。
山門前にレーサーを置いて茅葺きの荘厳な山門をくぐる。国指定重要文化財の茅葺きの仁王門には大きな注連縄が掛かっている。火除けのシンボルだそうだ。
広々とした境内に入り,手水所で手と口を清めてお灯明とお線香を上げた。観音堂にはさまざまな彫刻が施されている。
般若心経を誦してマントラ(真言)を唱えようと,解説本を見れば,ご本尊は十一面観音様だが「 おん ろけい じんばら きりく そわか」とある。しかし,いつもの「おん まか きゃろにか そわか」と唱えた。
外陣を見渡せば,天井には天女の絵が描かれている。
離れの納経所に御朱印をいただきに回ると,青々としたくりくり坊主の尼さんと老婦人が迎えてくれた。老婆が墨書きをしながら「電車で来たのか」と聞 くので「 自転車で来た」と答える。「寒かったでしょう,そこの飴をしゃぶりなさい」とすすめてくれる。こんな,言葉のやり取りが巡礼の楽しみでもある。
帰宅してこれを見て,どうやら老婦人は前住職の大黒さんで,尼さんはその娘さんの現住職ではなかろうか,と気が付いた。
出掛けた時は晴れていた天気も次第に曇り空になっていく中を帰路についた。今日の行程は69.01kmで,2時間52分かかった。レーサーパンツでなく普通のズボンを穿いていたので,サドルで 擦れてお尻がヒリヒリする。
第7回巡礼(第二十七番:2007年12月25日)
ロードレーサーを駆って銚子の円福寺を訪ねた。前回と同様に自宅から竜ケ崎を経て,長豊橋で利根川サイクリングロードに入った。数年前に銚子まで 行った時 は右岸を走ったが,未舗装サイクリングロードに辟易したので今回は左岸を走ってみることにした。河口から40キロほどのところの横利根閘門まで来たら何 やら信号機の音がする。音の方向を見たら,ちょうど門扉が閉じるところだ。近くに行って見ると,浚渫機材を積んだ艀が反対側の門扉を開いて閘門を通過する ところだった。大正年 間に作られたこの閘門は今も現役だと案内板にあったが,なるほどその通りだ。パナマ運河のミニ版か。
利根川大橋の先はサイクリングロードは途切れているようなのでこの橋を渡った。ここの利根川河口堰のところが右岸の佐原までのサイクリングロードの スタート地点になっているので,右岸もこの先には行けない。R356にでてしばらく東庄町を走ると見覚えのある桜井町公園に行き当たった。前回の銚子ロン グライドのときも休憩をとったところだ。時間もちょうど12時だったのでここで弁当を食べた。20分ほど休んで公園を出発し,一路,銚子に向けて走ること 40分でちょうど1時に円福寺に到着した。
R356の馬場町交差点を挟んですぐ左に観音堂,右折して200mほど先に本堂があるようだ。観音堂あたりは太平洋戦争の空襲で焼失し,昭和46年 に再建されたそうだ。仁王門をくぐると,すでに暮れの注連縄などを売る露店があったり,商店もある境内が広がる。左手には平成20年竣工を目指す五重の塔 が建築中である。
観音堂前の大仏の前でお灯明,お線香を上げる。観音堂に上がって心経を誦した。
外陣には大きな提灯が下がっており,隈にはお賓頭盧様が居られる。最近知ったのだが,このおびんずる様は釈尊の10大弟子の一人とのことだ。 内陣はガラス張りになっており中がよく伺えないが,前立ちの十一面観音様がお立ちになっている。
参拝を済ませて交差点を渡って本堂の納経所に回った。左手には江戸の俳人の古帳庵の「ほととぎす銚子は国のとっぱずれ」の句碑が建っている。受付の 坊さんは「どちらから」と訪ねるので「つくばから自転車で90キロ走ってきました」と答えると「今日はお泊りですか」と問う。そうするのも良いか,と思う が帰らないと昨晩からのケンカが続いているカミさんが何と言うか。身支度を整えて,円福寺を発ったのは1時半を回っていた。
再び,来た道を戻るのだが,帰りは反対側の右岸のサイクリングロードを走った。佐原でいったん終点となり,その先はダートになったのでR356の歩 道を走った。下総の常総大橋から上流の右岸のサイクリングロードは途切れているのを知っているので,橋を渡って茨城県の左岸のサイクリングロードを走っ た。長豊橋で日が暮れてきたのでライトを点け,反射板付きのベストを羽織った。ようやくのことで家に帰り着いたのは6時であった。家を出たのが8時半だっ たのでもっと早く帰り着くかと思ったが,こんなにも長くなるとは想定外だった。そう言えば,前回の銚子ロングライドは夏だったのでまだ明るいうちに帰宅で きたっけ。
走行距離179キロ,走行時間7時間36分のロングランであった。
第8回巡礼(第十二番:2007年12月27日)
今年最後の巡礼の札所は埼玉県に足を踏み入れ,人形で名が知られている岩槻の第十二番慈恩寺を訪ねることにした。8時15分過ぎにロードレーサーに 跨がって寒い朝の中を出発した。途中の道路端の表示板は4℃を示していた。この冬一番の寒さだとか。利根川を渡って千葉県へ入り,R16を春日部に向か う。江戸川を渡って埼玉県に入る。大型トラックを避けるためにここまでの道のほとんど歩道を走ってきた。信号で停まり,またスタート繰り返すので効率が悪 い。あらかじめ調べておいた道筋を,たっぷりと排ガスを吸い込んで,辿って慈恩寺に着いたのは11時前だった。山門は本堂の脇にある。正面からの本堂は開 けっぴろげである。境内にはすでに正月の門松が備えられている。
外陣にはいり般若心経を誦してマントラを唱える段になってはたと「ご本尊は何だっけ」と考えてしまった。まずは基本の正観音様の「オン アロリキャ ソワカ」を唱えて,ついで十一面観音様の「オン マカ キャロニキャ ソワカ」を唱えた。いままではこれが一番多かったからだ。
納経所でご朱印をいただく時に,例によって「どちらから」,「お一人ですか」と問われた。次からは洒落て「観音様と二人旅です」と答えよう。「中も 見ていってください」といわれて,案内書に書かれていた,内陣に入れることを思い出した。 渡された朱印帳には十句観音経のしおりが添えられていた。
内陣に入りご本尊のある厨子の前の前立ち観音様を見て「いけねぇ千手観音様だった」と気が付いた。「オン バザラ タラマ キリク」を唱え直した。観音様 ごめんなさい。
堂内には二十八部衆や不動尊,毘沙門天,閻魔大王なども安置されている。天井にも見事な絵が描かれている。
境内に戻ってみると昼飯時になっていたので弁当を食べた。昼になってようやくポカポカ陽気になってきた。境内の案内板によると近くに玄奘三蔵の分骨 が納められた塔があるというので訪ねてみることにした。第二次大戦中に旧日本軍が南京で偶然に発掘したものだそうだ。旧日本軍もこんな文化的な行為もして いたんだ。ところで,もう一つの北京原人の頭骨はどうなっちゃたのだろうか。玄奘訳の般若心経を唱えながら巡礼していることを改めて認識した。
面白くもない来た道を帰り,大学に着いたのは2時半を回っていた。走行距離99.89キロ,実走時間4時間37分であった。
第9回巡礼(第二十二番:2008年1月18日)
センター入試の準備のため授業が休みになったので有給休暇を取って常陸太田の佐竹寺を回ることにした。天気予報はこの冬一番の寒さという。早朝8時 に自宅を発って,ひたすらに国道6号(水戸街道)を走った。今日は30分走っても汗ばんでこない。防寒対策はばっちりとしているので露出している顔が冷た いほかは問題ない。R6から県道50号に入り,千波湖を目指す。あとひと月もすればこのあたりは偕楽園の観梅でごったがえすだろう。調べていった地図は ちょっと古い内容だったようで,R349が千波湖までトンネルで延びているのが出ていなかった。珍しくGPSが正しい道を教えてくれた。那珂川を渡ってひ たすらR349を北上する。R349から別れるとすぐに久慈川を渡って常陸太田市に入り,田んぼ道を走って佐竹寺に,昼前に到着した。
山門は昭和初期の再建だそうだが,この寺の由緒を感じさせる。山号が書かれた扁額の上にある日の丸の扇は佐竹氏の5本骨の軍扇だそうだ。
江戸期の仁王様も,ちょっとユーモラスだが,寺格を表しているようにみえる。
手水舎の水はカチカチに凍っていて口も漱げない。
茅葺きの観音堂は裳階を備えており荘厳ともいえる。外陣いっぱいの納め札はこの寺の人気を表しているようだ。格子戸からカメラを差し入れて真っ暗な堂内を撮ると,お前立ちの十一面観音様が写った。
外陣の両側には花頭窓(円窓)がある珍しい造りだ。象とも龍ともみえる彫刻,組み物も立派だ。
昨年の暮れに書いた般若心経の写経を納めて,般若心経を誦して十一面観音様のご真言を唱えた。
納経所には猫が4,5匹いて,老婦人がご宝印を押しながら「二十一番は三月いっぱいお休みですよ」と教えてくれた。八溝山の日輪寺は案内本では一,二月が休みとあったが,三月もというのだ。心しておこう。
帰り道の久慈川を渡って那珂市に入ったところで「ランチ」の看板が目に付いたので昼食を取ることにした。メニューからステーキランチを選んだが,こ れがまたしょっぱくてかなりレアであった。R6をひたすら戻り,土浦市にはいった三時半ころにようやく薄日が射してきた。帰宅したのは日が落ちる前の四時 半であった。本日の走行距離は159.46キロ,走行時間は6時間17分であった。これだけ走ると消費カロリーも3,564kcalまでいった。ほんとう に寒い一日であった。
第10回巡礼(第九番〜十一番:2008年2月2日)
埼玉県の奥武蔵の丘陵地帯(比企・岩殿・吉見丘陵)に点在する,比企三山と呼ばれる慈光寺,正法寺,安楽寺をまわった。これを巡拝すると埼玉県の札 所を踏破したことになる。朝一番の5時34分の電車に乗って,山手線,東武東上線,東武越生線と乗り継いで8時前に越生駅に降り立った。なぜか,前夜の眠 りが浅くその割には早々と目覚めてしまったので頭はボーっとしている。
越生に来たのは何年ぶりだろうか。大学3年(多分?)の2月の追い出しコンパで,はとバスツァーを利用して越生の梅林を見に来て以来だから40年振りくら いになる。その時は小川町のどこかで忠七飯とうなぎを食べて,酒の蔵元を見学した記憶がある。駅の看板を見れば,あと数日で梅祭りが催されるようだ。
八高線に沿って県道30号線を北上し,田中の交差点で県道172号線に入った。都幾川に沿ったときがわ町は木の村の看板通りにあちこちに製材所や木 工所がある。緩やかな登りは次第に山深い様相を見せていく。やがて慈光寺入り口のバス停に着いた。木の村らしくバス停の案内も木製である。 ちょっと先の信号を右折するといよいよ本格的な登りになった。登り口には女人堂があった。その昔,女子の巡礼はここまでだったのだろう。ここで,陽が射してきたのでダウンジャケットを脱いで上り支度を整えた。計算によれば1.8キロで156mを上ることになる8.7%の勾配だ。 小径のホィールはともかく,寝不足の体調不良もあるだろうが,Birdyでは登りのポジションが取れずヒルクライム時のパワーが発揮できない。
半分も登った辺りだろうか,700年以上の歴史を持つ立派な板碑に出会った。このあたりからの景色は,筑波山系のトレーニングコースの不動峠を思わせる。さらに一踏ん張りした所に開山堂が見えてきて慈光寺が近いことを知らせてくれる。
開山堂のすぐ先に慈光寺の入り口があった。ここで自転車を置き,改めてダウンジャケットを着込んで山内に入っていった。
境内には開祖の慈覚大師が植えたという多羅葉樹がある。この葉に経文などの文字を書いたりしたそうだ。案内板に従って境内を上っていくとそこここに有名な般若心経 の写しがある。そういえば入り口には良寛の書があった。
少し先に般若心経堂があり,内部にはこれまた有名な心経や観音経の写しがある。
さらに歩をすすめて観音堂に着いた。ここで昨晩書いた写経を納め,般若心経を誦してオン バザラ タラマ キリクのマントラを唱えた。ご本尊は十一面千手観音様だが,千手観音様のマントラで良いようだ。外陣の天井には左甚五郎の作だという「夜荒らしの名馬」がある。
本堂に戻って,ご宝印をいただく。対応してくださった住職はなぜか頭に黄色のタオルを載せていた。千手観音様のことをあれこれ話してくれるが,たとえ話がよくよく理解できなかった。要するに私たち衆生は千本もの手でお世話になって生かされている,ということらしかった。
境内には宝物殿があったが,これはパスしてつぎの正法寺に向けてダウンヒルしていった。Birdyは安定性が非常に悪く,40km/hくらいでハン ドルが共振して危なっかしいことこの上ない。十番への道程はあらかじめMapSourceでナビゲーションして更に最短コースを調べて地図を印刷してあっ た。GPSに正法寺をセットして走り出した。道すがら何組ものロードレーサー集団やピスト集団にであった。この辺りはトレーニングコースのメッカになって いるらしい。軽快なレーサーがうらやましい限りだ。そんなことを考えながらペダルをまわすが,GPSはいっこうに曲がり道を指示しない。どうやらPCでの ルートとGPSのルートが違っているらしいと気がついたときはかなり予定路線を外れていた。まあいいか,と走っていくとGPSは山道を指示した。どうやら ここが物見山かと思ったらが,目指す大東文化大の反対側から上っているのでそうではないらしい。道路脇の金網の向こうにはゴルフ場が見える。ずいぶんと険 しいゴルフ場だ。ゼイゼイハアハアと喘ぎながらようやく頂上に着いたらしく道は下り始めた。行き当たったT字路はレンガ様の石を敷き詰めたシャレた道だっ た。右手の突き当たりには山門がみえる。どうやらここが正法寺の表参道のようだ。
山門下に自転車を止めて石段をあがっていく。仁王門は強化ガラスで中の仁王像を守っている。内部の仁王様は真っ赤で威厳に満ちている。
石段を上がりきった境内は広々としている。
手水舎で手を洗い,お灯明を灯して線香をあげる。心経を誦して千手観音様のマントラを唱えた。
周りを見渡すと銀杏の大木,薬師堂と地蔵堂がある。
本堂右手の建物にはいくつかの奉納額が掲げられている。なかでも繭で作ったものは珍しい。薬師堂から本堂の裏手に続く崖に穴を穿ち,そこに四国と百観音の移し本尊が祀られている。
仁王門脇の納経所に降りていく手前には由緒ある梵鐘がある。一通り境内を見終わったので,ベンチに腰掛けてランチのサンドイッチを頬張った。朝が早かったので,かなりの空きっ腹であった。
納経所でご宝印をいただき東松山の町並みを目指して関越自動車道のすぐ脇道を走る。
町中の騒音のなかでGPSのビープ音を聞き逃し道を間違ってし まった。元に戻り進むと東松山ウォーキングセンターなる建物があった。町を外れると吉見町に入り吉見百穴の案内看板が出てきた。思い出したが,何年か前に 埼玉センチュリーランをやったときにこの辺りがスタート・ゴール地点だった。吉見百穴は帰りに立ち寄ることにして先を急いだ。田んぼの中の道を進むと安楽寺の案内板があって,そこを入ると山門に行き当たった。
自転車を担いで石段をあがり,境内にはいった。境内には露座の阿弥陀如来が座している。お灯明と線香をあげて観音堂にのぼった。
心経を誦して,聖観音様のマントラを唱えた。納経所に回る途中に観音堂裏手に上る階段の上に八起地蔵が祀ってあった。
観音堂の真裏には天の岩戸があって観音様が祀られている。二番の岩殿寺にも同じようなものがあったっけ。自分にはどう見ても如意輪観音様のように見えたが。
納経所でご宝印をいただいた後,観音堂右手の三重塔を見に行った。
参拝がすんだので元の道をもどり,来がけに予定していた吉見百穴に立ち寄った。ところが中を見るには入場料を払わなければならないことがわかって,冷めてしまった。外から百穴の一部を眺めるだけにした。
東松山への道を走り始めると,ダンプカーがクラクションを鳴らしながら「どけ,どけ」と迫ってくる。まったくアホなやつだが,喧嘩しても勝ち目は無 いのでやむなく道路脇に停まる。もとに道をまっすぐに進むと大きな鳥居が目についた。そこが東松山駅の東口だった。時計を見れば2時という早い時間だっ た。まだ2時間半かけないと自宅に帰り着かないので,ちょうど良い時刻だろう。Birdyを畳んで階段を上がる足取りは重かった。まったく小さい割には重 い自転車だ。小さく折り畳めるので輪行時に邪魔になりにくいという理由で選んだのだが,どうも好きになれない。
自宅に帰り着いたのはまだ空に明るさが残っている時分だった。越生から東松山までの走行距離は53.6キロ,実働時間は2時間54分だった。寝不足 でボ〜ッとした感覚はまだ残っていた。おまけにヒルクライムを2つもこなしたので,大殿筋も悲鳴を上げている。ロードレーサーならこんなところが痛くなる ことはないのだが。
第11回巡礼(第二十九番:2008年2月29日)
ポカポカ陽気の朝を迎えてようやく春めいてきたのが実感できる。今日は千葉市内の第二十九番札所の千葉寺を巡礼することにした。MapSource で十分にルートを検討し,いくつかのチェックポイントも登録した。これをGPSmap60CSxJに転送して準備を整えた。今日は交通量の多い方面にいく ので通勤時間帯を外して,9時過ぎに出発した。竜ヶ崎を過ぎて利根川を超えたら計画したルートとは別のコースをナビが指示した。ままよと従っていくと見覚 えのある千葉ニュータウンにでた。どうやら間違ってはいないようだ。ニュータウンをすぎて新しい道路を走るあたりで,例年の花粉症が出てきたらしくクシャ ミがやたらと出ておまけに眼が痒くなる。自転車を降りて目薬をさせばいいのだが,面倒なのでそのまま進む。やがてR16に出るとナビは脇道を示した。予定 したルートとは違うがこちらの方がクルマが少ないようだ。千葉市に入ったらしく,やたらと信号で停められるようになった。この調子では札所に着くのはちょ うどお昼頃になりそうだ。2時間そこそこの予定が3時間はかかるかもしれない。訳の分からない街中をあちこちとGPSに引き回され,札所に着いたのは 54.2kmを2時間50分かけて走ったあとだった。交通量の多い大網街道に面して立派な仁王門があった。
中の仁王様はそれほどお歳を召されていないようだ。
仁王門をくぐって境内に入ると,大きな銀杏が眼につく。その奥に観音堂が,右手には大師堂らしき建物がある。創建時からあるという大銀杏にはりっぱな乳房が垂れ下がっている。
ここの観音堂も,銚子の円福寺と同じく第二次世界大戦の空襲で焼けて,昭和51年にコンクリートで再建されたそうだ。手水舎で手と口を漱ぎ,お灯明とお線香をあげて気持ちを整える。般若心経を誦してマントラを唱える。現世利益のお願いは杉本寺以来のものと同じだ。
連子窓から内部を伺うがもちろんご本尊の十一面観音様はお厨子の中だ。
大方の札所ではこの時間帯は昼休みになっているが,とにかく納経所に回ってみる。案内板には昼休み時間も書いてないので案内の呼び鈴を押すと若い僧 侶が出てきた。朱印を頂いたついでに,ここはセンヨウジとよむのかチバデラと読むのか,と聞いてみる。センヨウジと読むのが正式だがチバデラのほうが通り が良いらしくタクシーなどもチバデラでないと分からない,という。しかし,納経帳の振り仮名はチバデラだ。
境内でお昼を食べて,さて帰ろうとすると何たることだGPSの地図が表示されない。衛星は補足しているのだが,地図が出ない。ほかの画面をセットし て自宅をナビするようにセットして走り出すと,やがて地図の描画が始まった。が,来たときと全く別ルートの東京方面を示す。まあ,ミステリーツァーと思っ てナビに従った。習志野の自衛隊駐屯地を過ぎて,あちこち走りそのうちに見覚えのある白井のJRA競馬学校の前に出た。そのままR16を横切って木下街道 を走り,やがてJR布佐駅にでてようやく地理が理解できた。10キロも遠回りをさせられていたことが分かりあきれかえった。馬鹿ナビというよりもボケナビ である。自宅に帰り着いたのは4時を回っていた。
本日の走行距離は113.35km,実走時間は5時間8分であった。GPSの距離メータは119kmを示していた。
第12回巡礼(第二十一番:2008年3月23日)
茨城県で残った札所となった第二十一番札所の日輪寺を訪ねた。これで「八溝知らずの偽坂東」ではなくなる訳だ。一番電車で水戸まで行き,水郡線に乗 り継いだ。水郡線に乗るのは初めてである。車内にはワンマン運転のための整理券の発行機がある。郡山行きの電車は2時間に1本くらいしかない。
ジーゼル電車は汽笛(警笛)を鳴らしながら久慈川に沿って走る。汽笛を聞くのは久しぶりだ。数ヶ月もすれば鮎釣りの太公望で賑わうようになるだろ う。4両編成だった電車は下車駅の一つ手前の常陸大子で2両に切り離されてワンマン運転になった。運転士が切符を回収するために降車口は先頭のドアだけに なるという車内アナウンスがあったのでBD-1をかついで前の車両に移動する。
1時間40分ほどで下野宮についた。BD-1を組み立てている間に,駅舎に人が集まってきた。改札口を廻ってみれば随分と立派な駅舎だ。ところが駅 名の看板の下には下野宮集会所と書いた看板がある。駅舎と集会所が一緒になっているのだ。そして,今日は大子町の町会議員の選挙のようだ。
まずは自販機でドリンクを買い,クッキーとチョコレートで軽くお腹を満たして出発した。道は緩やかに登っていくがまだまだペダリングは快調だ。下野 宮駅から14km地点で腐沢への分岐を入る本格的な登りが始まる地点に着いた。そこへ上から降りてきた車が止まって,日輪寺への道を尋ねた。どうやらこの 分岐は途中で通行不能になっているようだ。このルートを登る計画だったが,無駄な道草を喰わずにすんだ。これも観音様のお導きか。気温も体温も上がってき たので上着を脱ぎ,ついでにズボンも脱いでスパッツ姿になってヒルクライムに備え,2km先の蛇穴の登山口に向かった。
登山口の看板に、日輪寺には予め連絡してくれ,とある。連練とある誤字が愛嬌だ。昨日電話で確かめたら大丈夫だったので,今日のこの天候でも問題なかろうと,連絡せずに登り始めた。
登りはじめの傾斜はキツく,九十九折の道が続く。ようやく平らになった駐車場に着いた。2005年10月にはここから八溝湧水群を巡りながら八溝山をハイキングで目指したことがある。確か,階段があったりしたので自転車では無理だろうと思い,車道を先に進んだ。
今日のBD-1のギアはちょっと高めにセットしてある。標準は11-30Tの8段だが,平地の通勤用にと12-28Tに付け替えてある。28Tでも 10%ほどの傾斜の登りはこなせるが,BD-1のライディングポジションでは苦しい。22.5kmあたりで八溝山頂上への分岐を分けて下りに入った。日輪 寺の裏口から簡易舗装の急坂を1kmほど下ってようやくのことに日輪寺に到着した。
そこへ寺の管理の方が出てきて自転車での参拝をねぎらってくれ、内陣に入っての参拝を勧めてくれた。汗びっしょりの袖まくりとスパッツ姿であった が,とにかく灯明,線香をあげてご本尊の十一面観音様の前で般若心経を読んだ。写経を納めて朱印をいただきながら管理の方と自転車で巡礼をしていることな どあれこれと話しこんだ。
外に出てみると堂宇の脇には古い堂があり,そこには毘沙門天が祀られているようだ。新しい弁財天の碑や馬の像もある。旧堂には焼失を免れたといわれる鰐口がかかっている。1713年の銘のある由緒あるものだそうだ。
帰りの電車は3時半までないので,のんびりとシャツを乾かしたり昼食をとりながら休憩した。お昼はカミさんが作って冷凍しておいてくれたおはぎである。疲れた体に小豆餡ときな粉の甘さが滲みていくようだ。
再び身支度を整えて八溝山頂上への道を,汗をかかないように,のんびりのんびりと登り返した。八溝山の頂上には日本武尊の創設という八溝嶺神社とお 城のかたちの展望台がある。ここでも展望台の受付の人と自転車登山のことを聞かれた。どうもこの歳でのヒルクライムが珍しいらしい。坂東札所のなかでも最 難関の八溝を自転車で制したことにちょっと誇らしい気持ちになれた。
苦労して登ってきた道も下りとなるとアッという間だ。しかし,BD-1のフレーム構造ではスピードが出過ぎると怖い。といいながらも50km/hが 出た。登山口から一般道に出てからもほとんどペダルを漕がなくても進んでいく。すると,十割そばの幟が目についたので立ち寄ってみた。蕎麦はコシがあり, 添えられたリンゴの白和え,柚子みそをつけた刺身こんにゃく,そしてフキノトウの天ぷらのほのかな苦みは期待した以上に美味であった。これで1000円と は驚きの安さであった。
帰りは常陸大子駅から乗ろうと思い,脇道に入った。ところがすぐに登り始めた。こりゃかなわんと思って下野宮まで降りて久慈川沿いの平地を進むこと にした。久慈川沿いの見覚えのある大子温泉を横目に見ながら常陸大子の駅に着いたのは3時前であった。顔を洗ってさっぱりして,発泡酒で失われた水分補給 をしながら電車を待った。案の定,帰りの電車では小説を開いたもののこっくりこっくりとうたた寝をしながら水戸駅に着いた。常磐線に乗り換え牛久に着く頃 には陽はすっかりと落ちていた。
本日の走行距離は55.72km,走行時間は3時間43分であった。あ〜〜,疲れました。
第13回巡礼(第十三番:2008年4月12日)
東京都に一つだけの坂東札所第十三番の浅草寺を訪ねた。ロードレーサーを駆って,自宅から国道6号をひたすら日本橋に向かって下るコースをとった。 小貝川,利根川,江戸川,中川,隅田川を渡って50kmを2時間30分かけて雷門(風雷神門)に着いた。第二次大戦で倒壊したこの門を再興し,大提灯を寄 進したのは松下幸之助だそうだ。最近,浅草がTV番組で紹介され,大提灯の下には龍の彫り物があるそうだから見てきて,とカミさんに頼まれた。なるほど, 言われてみて初めて気がついた。
ほとんどの人は関心がないようだが,門前の左手前に坂東札所第十三番を示す碑がある。これこそが自分の今日の目的なのだ。
雷門をくぐった参道は人並みで溢れんばかりの仲見世だ。人並みの一角となり,いろいろな言語が飛び交う観光客を縫って歩いていく。仲見世が途切れた ところに僧坊の伝法院があった。この中は幼稚園があったり,小堀遠州作の庭園があるそうだが一般には公開されていない。この伝法院も今回初めて気がつい た。
宝蔵門(仁王門)には本堂の落成50周年の掲示がある。この門も同じだろう。宝蔵門の裏には特大の草履が奉納されている。どうやって作ったのかね〜。布草履製作体験者としてはちょいと気にかかる。
まずは手水舎で手を洗い,口を漱ぐ。天井には龍が描かれ,高村光雲作の沙竭羅龍王像が善男,善女を見下ろしている。本堂前で持参したお線香を捧げる。周りでは煙を頭や膝には振りかけている。
本堂の外陣にあがり,お灯明を捧げ,お賽銭をあげる。周りではポンポンと柏手をたたく音があちこちで聞こえる。お寺さんですから柏手はないでしょうが。お賽銭を投げる人ごみの中で,なんとか気分を落ち着かせて般若心経を誦して聖観音様のマントラを唱えた。 ご本尊はお厨子の中だ。本堂の天井にも近代を代表する画家の絵がある。天女は堂本印象で龍は川端竜子の作とある。
お参りが終わって,手水舎の手前の納経所に写経を納めてご朱印をいただいた。 ホッとしてあたりを見渡すと,五重塔と鳩ぽっぽの碑に眼が行った。滝廉太郎を作曲のこの鳩ぽっぽは「ポッポポ,ハトポッポ,豆が欲しいかそらやる ぞ…」ではない文部省唱歌とういことだ。聞いた記憶は無いな〜。
帰りは別の道を行こうとGPSのナビをセットしたが,例によって訳の分からない ルートを示す。やっぱり止めにして国道6号を戻った。柏の手前で旧水戸街道を走ってみた。狭い上に繁華街の近くを通るので走りにくい。我孫子からは利根川 上流の新大利根橋を渡って守谷経由で帰った。往路で大利根橋にさしかかる横断歩道でクルマに後輪を接触させられて危うく転倒するところだったので国道6号 を帰りたくなかった。観音様のご加護をここでもいただいた。南無観世音菩薩。 帰路は10kmほど余分に走ることになった。走行距離110km,実働時間4時間53分であった。今日の札所浅草寺も鎌倉の四番札所長谷寺も大混雑であった。国道6号もクルマが多く走りづらかった。
第14回巡礼(第十三番:2008年5月4日)
宇都宮近郊に住む息子から連休に泊まりがけで遊びに来ないかとの誘いがあった。カミさんはもちろん喜んで申し出に応ずることにした。で,自分は恐 る,恐るカミさんに札所巡礼の計画を持ちかけたところ,ラッキーなことに快諾を得た。ということで息子宅で落ち合うことにして第十七番の満願寺と第十九番 の大谷寺の巡礼に出かけた。満願寺でソバを食べようと計画して昼に着くようなダイヤを選んで牛久,北千住を経由して栃木駅に向かった。しかし,連休中で日 光行きの東武日光線の快速は満員状態であった。やっとの思いでリュックとBD-1を担ぎ出して9時半前に栃木駅に降り立った。ここを訪れるのは2001年 のとちぎ秋まつり以来のことだ。五月晴れの中を県道32号線を北上し,途中の標識に従って旧道に入った。辺りは石灰岩の採掘工場が立ち並んでいて,建物ば かりか道路も真っ白だ。平日に訪れるたら,ダンプカーが巻き上げる砂塵で堪らなかっただろう。
栃木駅からダラダラと標高差206mを1時間10分かけて登ったところで,そば屋の建ち並ぶ集落に着いた。そこを抜けたところが仁王様が出迎えてくれる満願寺の山門であった。
汗を拭ってTシャツになって緑に包まれた境内に入る。ちょっと古くなってはいるが,坂東札所で唯一の宿泊施設の信徒会館がある。ここでのソバは参拝 の後だ。まずは1764年(明和元年)に再建されたという本堂でお参りをした。般若心経を唱えるのだが,内陣で何やら法要があるらしくスピーカーの声が騒 がしくて落ち着かない。
なんとか前立ちの千手観音様にむかって心経を誦し終わって御朱印をいただいたので,奥の院を参拝することにした。
300円を払って15分ほど山道を 進むと岩肌に張り付いている緑に映える鮮やかな朱塗りの奥の院があった。その下には水垢離修業の大悲の滝がある。奥の院には4mを越える鍾乳石があり,十 一面観音様の後ろ姿だと説明されている。この観音様がつくられるにはどれくらいの年月がかかったのだろうか。5万年と書かれている案内本もある。はてさ て,ガンジス河の砂粒の年数にも劣らないかもしれない。
さて,ソバだ。信徒会館の受付で天ざるを注文して座敷で待つことになった。出てきた天ぷらは春の味覚のタラの芽,タケノコ,マイタケなどなどだ。
腹も満たされたところで身支度を整えて次なる札所に向かった。登ってきた道をスイスイと下り,途中から国道293号に入り,鹿沼を経て宇都宮の大谷寺へと走った。2時間ほど走ったところで,大谷石に囲まれるように立っている大谷寺に着いた。山門をくぐると遥拝所はあるが,その向うの本堂のご本尊を拝 むには300円が必要だ。
本堂からは案内の人が付いてあれこれと説明してくれる。本堂内部の正面には千手観音様が岩に刻まれている。すでに金箔ははがれているが,その神々し さはいささかも失われていない。ご本尊の縁起を色々と説明した後は,お守りの説明だ。この間にご本尊を拝みながら,小声で般若心経を誦した。参拝者の半分 はそのお守りを買ったようだ。なにやら商売っ気が巡礼の雰囲気にそぐわない。本堂に続く脇堂の岩肌にも釈迦・薬師・阿弥陀三尊が彫られている。残念ながら 撮影禁止であったので,ご本尊を目に焼き付ける他はない。
納経所に朱印帳を預けて宝物館を見学する。目玉は,脇堂の磨崖仏の調査の折りに発掘された縄文時代の人骨だ。1万1千年前のものだという調査結果を発表したのは,自分の知己であるO大の先生だ。阿弥陀堂前のの庭園は改修中でなんら見るべきものはなかった。
ご朱印をいただいて,隣の平和観音様を見学に行く。
戦後10年をたって開眼した27mの手彫りの観音様である。階段を上がって裏手を見ると岸壁を穿つように立てられている大谷寺の全景が見渡せた。
一休みした後に,宇都宮市内に向かい国道4号を走って息子宅でカミさんと合流した。その晩はBBQとワインが効いて早々に寝てしまった。本日の走行距離は80.1km,走行時間は4時間であった。
第15回巡礼(第十八番:2008年5月5日)
昨日とは変わり,朝から天候は良くない。カミさんと息子一家は笠間の陶器市に行くというが,家族サービスを振り切ってストイックな巡礼の旅を選ん だ。今日の日光の中禅寺をまわれば栃木県を制覇したことになる。BD-1の自走で宇都宮駅に向かう途中で小雨がパラついてきた。宇都宮駅に着いたのがJR 日光線の出発10分前だったので慌ててBD-1を畳んだ。が,これが汗だくでなおかつ時間に追われてで,あせってしまって上手く畳めない。5番線の日光線 と新幹線の入り口を間違えたりしたが,なんとか10時前の電車に乗ることができた。始発電車であるが時間ギリギリだったので,すでに座席は空いていない。 しかし,BD-1が邪魔扱いされるような混雑振りではない。東武日光線のほうに客を取られているのだろう。
40分ほどでレトロな造りのJR日光駅に着いた。雨は本格的になっていた。ザックにカバーをかけたり雨対策をして日光の街並に乗り出した。
道路は東照宮に向かうクルマで大渋滞で,どこの駐車場も満車だ。田母沢旧御用邸あたりでようやく空いた道路となって走り易くなった。10キロほどで 馬返しに着いた。ここから10キロの登りになるいろは坂が始まる。エネルギーの補給をして,雨も上がったので半ズボン姿になった。
登り始めて,フと,ガードレールを見るとニホンザルが鎮座しているではないか。目を合わせないようにして通り過ぎることにした。時速10キロのペー スでエンヤコラ,エンヤコラと登っていくとロードレーサーのカップルが道ばたで休憩しているのに出会った。お互いに挨拶を交わしたが,物好きは自分だけ じゃないか,と向こうも思ったに違いない。明智平の手前の草地では2頭のシカが軽快に飛び跳ねる姿を見た。のんびりと登るといろいろなことに出会うもん だ。明智平のトンネルを過ぎて下り始めると一息がつけた。近道をしてフランス・イタリヤ大使館別荘を過ぎて中禅寺湖畔の中禅寺に到着した。日光駅からひた すら登った高度差は750mで,出発してから1時間48分であった。
2001年にここを尋ねたときは山門の手前にある受付と石碑の位置が今回とは逆になっていた。仁王様も,自転車で登ってきた労をねぎらってくれているようだ。
500円(高過ぎる!)の拝観料を払って境内に入って振り向くと男体山があった。男体山は二荒山(ふたらさん)とも云い観音様がおられる補陀洛山 (ふだらくさん)に通ずる。また,ニコウとよむと日光に通ずるという。そんなことを思い出しているとさっそくに案内人がでてきて参拝者を集め,身代わりの こぶから説明を始めた。この説明に加わらないと本堂のご本尊にお参りも出来ないようだ。やれ,やれ,である。
境内には,映画の愛染桂で有名になった愛染堂,日光開山の勝道上人の男体山登山を励ましたという波之利(はしり)大黒天を祀る堂もある。愛染桂の映画を知っている参拝者は居そうも無かった。もちろん自分も話だけで観てはいない世代だ。
本堂に案内されて,高さ6mの立木観音様に出会った。十一面千手観音様である。残念なことに,ここ中禅寺でもご本尊などの撮影は禁止されている。こ この案内の人も滔々と説明してくれるが,はっきり言って巡礼にきた自分には邪魔である。参拝者の後ろに立ってご本尊に向かって般若心経を小声で誦した。十 一面千手観音様であるからマントラはどちらにしようかと思って,とにかく千手観音様と十一面観音様の両方を唱えておいた。説明の終わりにはここでもお守りの勧めである。またまたの商魂を見せつけられて鼻白む思いである。
本堂上の五大堂では天井画の説明とともに,今度はお線香の勧めである。いい加減にして欲しい。回廊に出てみればいまにも降りそうな中禅寺湖の向こう に男体山がまだ望めた。五大堂から降りてきて再び本堂の前に立って驚いた。なんと,本堂の外で巡礼者は経を唱えてくれ,と貼り紙にある。立木観音様を拝み ながらの誦経はダメということだ。何を考えているのやら…
中禅寺湖を眺めながら嫁が作ってくれたおにぎりで遅い昼食をとった。思い切り塩っぱいウメボシは汗で失われた塩分補給に最適だった。帰り支度をして いるうちに再び雨が降ってきた。いろは坂の下りの寒さに備えてチョッキを着込んだ。数日前にこのいろは坂攻略に備えてBD-1の前後のスプリングを交換し た。前スプリングは2倍の固さに,後ろは1.5倍の固さだ。しかし,下りではやはりBD-1の安定性は良くない。40キロも出すとハンドルがブレてくる。 雨の急カーブの下りを慎重に下った。下りの第2いろは坂が短いこともあって日光駅までは45分もかからなかった。雨の冷たさに震えながらDB-1を折り畳 んで,帰りの電車を待った。宇都宮駅からは再び自走で息子宅に向かった。
宇都宮駅の往復で27キロ(1時間30分),中禅寺往復で37.8キロ(2時間23分)の行程となった。
第16回巡礼(第十五番,十六番:2008年5月17日)
高崎から十五番長谷寺(ちょうこくじ),十六番水澤寺を回って渋川までの上州群馬県の二カ所の巡礼は40キロほどである。高崎までは遠いので輪行で の日帰りは無理かと思っていたのだが,インターネットで電車の接続を調べてみたら意外にも,それほど時間もかからず,接続もうまくいけることが分かった。 常磐線を5時34分の始発で起ち高崎には8時半には着いてしまった。群馬県がこんなにも近いとは,まことに世間知らずであった。お握りを食べ,BD-1を セットアップして,袖捲り・短パンスタイルで高崎の街に乗り出した。
高崎経済大学を過ぎ,榛名白川に沿って走り対岸に渡ってゆるゆるとした登りにかかった。やがて眼下に鳴沢湖が見えてきた。高崎駅から13キロ,45分ほどで長谷寺に着いた。山門の仁王様が真っ赤になって怒っているのをみると身が引き締まる思いである。
明るく,きれいに掃き清められている境内は広々と感ずる 。仁王門を入って左手には不動明王,右手には鐘撞き堂がある。鐘を撞いたら100円のご報謝をとある。
正面には堂々とした観音堂だ。向拝の彩色,彫刻も立派だ。今日一番の灯明と線香を上げて般若心経を快く誦した。
鰐口の向こうには百観音巡拝成就の金文字の奉納額が掲げられ,天からは天人の奏でる楽が聞こえてきそうな天井画だ。堂内に入ってお前立ち観音様を拝むには200円とある。御朱印をいただいている間に,信者の方が読経を上げに堂内に入っていく。自分は入るのを止めにした。
ゆっくりとした休憩をとって,長谷寺を後にして登ってきた時に見えた鳴沢湖に下った。ここからはダラダラ登りの街中の道になり,自衛隊駐屯地を過ぎ てしばらくすると本格的な登りに入った。やがて,水澤うどんの店が軒を連ねるところに差し掛かったところで雨がポツリポツリと降り出してきた。GPSはあ と1キロほどで水澤寺に到着と言っているので,汗だくになりながら登り続けた。
長谷寺から16キロ,1時間5分で水澤寺の山門下の手水舎に着いた。雨と汗で濡れた手と顔を拭いて階段を登っていく。新緑も鮮やかな山門をくぐって境内に入ると大勢の人である。
柏手を打ち,大声で呼び合う参拝者の脇で般若心経を誦したが,なんとも落ち着かない。なんとかマントラまでを唱えて,連休中に用意した写経を納め た。近くの伊香保温泉と共に観光スポットになっていて参拝者が多いためだろうか鐘が6,7個もあり,賽銭箱も大きい。 ここの龍,天人の天井画も見応えがあるが,自分は長谷寺の方に惹かれる。
ご朱印をもらい境内を散策してみると,六地蔵を安置した六角二重塔があった。これを左回りに3回廻して供養を願った。さらに境内には龍王弁財天を祀る池もあり,至る所で水がついてまわっている。
お土産屋の呼び声を聞きながら,脇に納経堂を見ながら歩を進めると広い駐車場に出くわした。参拝者のほとんどは車で来てここから境内に入るので,山 門の存在には気がつかないようだ。駐車場の前には釈迦堂があり,ここに水澤寺の重要な仏像が納められているという。入場料は無料ということなので拝観させ てもらった。仏像の中には円空が彫った阿弥陀如来座像もあった。また堂内には坂東三十三観音が安置され,お砂踏み場も用意されていた。1番の杉本寺から, これまで辿ってきた巡礼を思い出しながら,第三十番札所高蔵寺の聖観音様の前に立った。今日のこの群馬の2霊場で,残るはここからの千葉県の4札所となっ た。
外に出ると雨は本降りになっていて雷もオマケについてきた。予定通りに山門下の水澤うどんの老舗の田丸屋に駆け込んだ。天ぷら付きのうどんを胡麻だ れで食べた。透き通ったシコシコのうどんに胡麻の風味がなんとも言えなかった。しかし,残念なことに,天ぷらは揚げたてにはほど遠くサクサク感はない。
外に出ると雨も上がり始め薄日も射してきた。泥撥ねを浴びながら一気に上越線の八木原駅までの8キロを22分そこそこで下っていった。あいかわらず BD-1でのダウンヒル,40km/hを超すと車体が共振してハンドルがぶれて怖かった。13時28分の高崎行きに間に合い,高崎からもすぐに上野行きに 乗ることができた。
本日の行程は37.0km,実働時間は2時間6分であった。カシミールで見ると水澤寺もなかなかの登りであったことが分かる。
第17回巡礼(第三十番〜三十二番:2008年6月1日)
木更津から房総半島を横断して館山までを一気に巡礼しようと計画した。常磐線の朝一番で柏まで,柏から東武野田線で船橋,船橋から総武線で千葉,千 葉から内房線で木更津まで輪行した。行程は150kmくらいになるのでロードレーサーに決戦輪ッパを履かせる仕様で出かけた。ところが船橋での乗り換え時 間が短かったこともあって千葉行きの快速を逃してしまった。これが第一のつまづきとなるとは…。木更津には予定より20分遅れて到着した。レーサーを 組み立て,水を補給して出発した。まずは三十番札所の高蔵寺だ。
Garmin GPSは,ナビモードを自転車に設定してあるので,幹線道路を外して裏道を指示するのでそれに従った。田圃道を走りやがて登りが始まった。寝不足で陽射し が強い天候にはこの坂は堪えた。堤防のような所には「かずさアカデミアパーク」の看板があった。研究所が集まった団地のようだ。かずさDNA研究所もここにあるようだ。
日曜日で人通りの無い台地を登り詰めたところに緑の木々が豊かな高蔵寺の山門があった。木更津から11.2km,40分であった。汗を拭って,山門を抜けると明るい開けた境内にでた。
手水舎で手と口をすすぎ,お線香をあげた。お前立ちの聖観音様の前で般若心経を誦した。朝一番の読経で何ともすっきりした気分になった。
外陣の天井には納札が所狭しと貼られ,奉納額もいくつか見える。300円を払って2.3メートルの高床の下からご本尊を拝観した。床下からは足と蓮 座が見える。真下から見上げるとお顔まで見ることができた。この床下には地獄・極楽巡りと銘打って様々な仏像,仏画などが展示されていたが,自分には有り 難いという感じにはほど遠かった。
高蔵寺を後にして三十一番札所の笠森寺に向かった。道路標識に牛久とあるを見ながら走っていく。上総牛久というのだが,自分の地元にはひたち野牛久 や(ただの)牛久の地名がある。ここ千葉県には上総○○や安房××といった地名が多い。高蔵寺から28km,1時間10分で笠森寺の駐車場に着いた。
ここから緑深い石段の女坂を登ったところに奇勝の笠森寺があるはずだ。坂の途中には3本が合体した三本杉があり,仁王門の手前には穴のあいた楠の木 がある。この穴を抜けると子宝に恵まれるという。アベックの内の男性が苦労してチャレンジしていた。そのうちにメタボ判定の楠なんてことになりゃしない か。子授けの楠の反対側には芭蕉の句碑が建つ。
仁王門をくぐると,さらに,風神・雷神が守る二天門があり,その向こうに観音堂「大悲閣」がみえる。
境内に入り,手水舎で手と口をすすぐ。見上げれば,30mの頭上には岩の上に61本の柱で支えられた四方懸造りの観音堂が聳えている。急な階段を,岩盤に立てた林立する柱を見ながら,登っていく。
回廊に立ってぐるっと歩くと360度の展望が見渡せる。堂の入り口にはお前立ちの十一面観音様の手に結ばれた手綱が回廊まで伸びている。堂内には爽やかな緑の風が入り込んでくる。その風の中で観音様を前に般若心経を誦した。
再び駐車場に戻ると,昼時になっていた。蕎麦でも食べようかと思ったが,まだ2ケ寺を回らなければならないので時間が取れそうもない。それで,持参 したカミさん手作りの舞茸ご飯のおにぎりを食べた。これで保つだろうかと思ったが,次の清水寺で考えることにした。これが第2のつまづきになった。
GPSが示すルートを走るが,あまりにあちこちと連れ回すので自転車のナビモードをやめて自動車モードに切り替えた。そしたら,幹線道路を走れと指 示が替わった。よけいな登りを強いられたので,田圃のなかの平地ではスピードをアップした。はじめは爽やかだった風だったが,この頃から少しばかり向かい 風になったのが堪えるようになっていた。笠森寺から30km,1時間20分で第三十二番札所の清水寺の駐車場に着いた。
ここからは10%もあろうかという劇坂を登らなければならなかった。汗だくになりながら山門に到着した。山門の向こうには花頭窓を持った四天門が控えていた。
いまだ流れる汗を拭いながら観音堂に立つ。外陣に入りお灯明とお線香を上げて息を整え,般若心経を誦した。
境内には百体観音堂があり,その脇の閻魔堂にはどういう関係か疑問だが,赤穂四十七士の彫刻が並ぶ。
ここで時刻は既に1時半を回っていた。ここから数キロのところにJR外房線の長者町駅があり,そこから安房鴨川で内房線に乗り継ぎ館山まで行くと時 間稼ぎになるとあらかじめ下調べで分かっていた。しかし,せっかくの房総半島ツーリングだからという考えが頭にあって,その線で行くことにした。海沿いの R128よりも,内陸のR465, R410が近いのでおよそ80kmを自走することに決めて,出発した。清水寺の周りにはコンビニも無く,長者町駅には行かないのでエネルギー補給も出来な い。この直行計画が決定的な判断ミスになろうとは…。
しばらく平地をルンルン気分で走ったものの,やがて登りに差し掛かった。周りは緑が一杯で,千葉は良いとこ一度はおいで,とトレーニング気分で走っ ていく。しかし,なかなか下りは訪れず,トンネルをいくつも超えるはめになった。腹が減ってきて,ドリンクも底をついてきてハンガーノック間近になってき たが,山の中でコンビニもベンダーマシンも見つからない。ようやく出合った雑貨屋ではパンが無いというので,カロリーメイトとキャラメルとドリンクを補給 した。GPSが示す亀山湖あたりでは道路脇や人家の庭先でニホンザルが我が物顔で歩いているのに出会ったりした。清和の森という辺りで,これは那古寺の5 時の納経時間には間に合わないと判断した。選んだルートがこんなにもアップダウンのコースだとは予想もしなかったので,完全に疲れ果ててしまった。館山ま で残り33キロという地点で一休みして,カミさんに館山泊まりになるかもしれないと,メールした。ようやくコースは下り始めるが,半袖では肌寒くなったの で,長袖シャツを羽織った。ヘロヘロになりながら館山駅に着いたのは清水寺を出て4時間15分たった6時20分であった。
駅前をウロウロして,少し離れたところの新しいビジネスホテルに泊まろうかと考えた。が,ふと道路脇の看板を見ると,2食付きで5000円の旅館の 案内が目に止まった。日曜日ということもありすんなりとチェックインできた。釣り人や工事の人たちが利用するような旅館だが,まあこの料金ではこんなもの だろう。風呂に入り,ビールで乾いた身体に水分を補給した。夕食は金目鯛の兜煮,刺身盛り合わせ,鯵フライ,牛肉野菜の陶板焼きなどであった。洗濯室で ウェアーを洗い,TVで篤姫を見ていてウトウトしてしまった。
走行距離は155km,実働時間は7時間25分であった。コース断面図を見ると,これじゃ疲れ果てるはずだと納得できる。いやはや,房総半島ツーリングを甘く見ていて,完全に失敗した。観音様がくださった試練にしては…
第18回巡礼(第三十三番:2008年6月2日)
昨日のうちに結願が叶わず,図らずも館山に泊まらざるを得なくなってしまい痛恨の朝を迎えた。しかし,朝食のメニューでそんな思いも吹っ飛んでし まった。ハムエッグに鯵の干物,そして食べ・飲み放題の生卵,納豆,ご飯,牛乳,みそ汁,コーヒーである。しっかりと全てのメニューをこなして出発の準備 を終えた。相変わらずお馬鹿さんのGPSに案内されて5.9km離れた,坂東三十三札所の結願寺の那古寺に20分ほどで到着した。
仁王門の仁王様には未だに金箔が残っている。ようやく来たな,待っていたぞ,と言う声が聞こえるようだ。
境内に進み,手水舎で丁寧に手と口を清めて,鐘を撞いた。静かな境内に柔らかい音が響いた。右手には多宝塔があり,本堂への石段を上り左手の方に回っていく。
すると,眼前に房総の海が開けていた。後ろを振り返ると,結願寺の那古寺が聳えている。持っていたありったけのお灯明とお線香を供えて,外陣に進んだ。
写経を納めてお前立ちの千手観音様の前で,声高々に般若心経を誦した。
観音堂の眼前には鉛色の海が広がっている。あの海の向こうに観音様がおわす補陀洛があるのだろうか。昨年の11月に発願した坂東三十三札所巡礼も終わるのだ。結願をしたという安堵感よりも,安らぎよりも,何か茫然とした気分だった。
納経所で最後のご朱印と共に結願の印をいただいた。結願の証があるがどうしますか,と問われたが遠慮した。納経帳の最後には,善光寺と北向観音のページが残っている。そこを訪ねるかどうかに思いを巡らす余裕はまだ無い。いずれゆっくりと考えよう。
ふたたび自転車にまたがって1キロほど離れた那古船形駅に向かった。時刻表をみると9時11分が赤字で書いてある。特急かと思って,のんびりと自転 車を梱包し始めた。切符を求めに窓口に行くと,駅員はいない。ふたたび時刻表をみると,赤字の意味するところは途中までは普通で,どこやらから快速になる 旨が小さく書いてあった。慌てて梱包を急ぐも,無情にも電車が入ってきてしまった。まともや乗り遅れてしまった。次の電車は一時間後である。これも観音様 の思し召しかと,駅舎で本を読んだりしてのんびりと電車を待った。
本日の走行距離7.2km,走行時間は30分であった。
この巡礼では徒歩,電車,自転車を使って18回の区切り打スタイルをとった。自転車で走った距離は,何と,1535kmに達した。これに鎌倉を歩い た距離を足すと,1553kmとなった。坂東札所順打での距離,あるいは四国遍路の距離に匹敵するようだ。南無観世音菩薩,南無観世音菩薩,南無観世音菩薩。