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毎日サンデーの爺さんの自転車,ハイキング,旅行などなどの記録

9月 222023
 

1日目(2023年9月20日,自宅〜新潟県十日町市)

金婚式記念行事の第3弾はJR只見線の旅とした。

上の駅構内の売店でソフトドリンクを買った。THE LATTEの文字を見てミルクティーかと思って買ったのだが,Shine Muscatの文字を読み落とした。車内で飲んでみると,なんとシャインマスカットの葡萄味のミルクティーだった。マズイ,不味いじゃないか。常磐線と上越新幹線のとき313号に乗り継いで越後湯沢に到着した。

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ここからシャトルバスに40分ほど乗ってホテルベルナチオに来た。新潟県十日町市にある当間(あてま)高原リゾート ベルナチオは1996年10月に東電グループが設立(現在は第3セクター)した施設で東京ドーム109個分の広大なリゾート地だ(自分はそもそも東京ドームがどれほどの広さか知らないが)。カミさんは旧友と来たことがあり,食事の美味しさでここを再び選んだという。

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ホテル・ログキャビンなどの宿泊施設のほかに温泉,ゴルフ場,花畑,自然教育施設などを備えている。まずは昼食に,名物の,へぎそばとミニ新潟タレかつ丼でお腹を満たす。記憶では,へぎ蕎麦はもっとヌメヌメした食感だったし色もこんなに緑色がかってなかった。かつ丼の米はコシヒカリだろうか豚肉と共にうまかった。

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腹ごなしに18ホールのパターゴルフでカミさんと対戦した。カミさんは78私は99のスコアで完敗した。パー5の第3ホールではパットが決まらず行ったり来たりのパットの連続で,なんと10も叩いてしまった。ヤケクソにならずに全18ホールを回ったが,ゴルフって精神の健康に良くないネ。

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別館の温泉に行く順路はまるで迷路のようだ。勝手知ったるカミさんは途中で戸惑っている客を案内する。その客と湯船に浸かりながらあれこれと話し,ちょっと茶色の湯で汗を流した。さて、これから豪華な食事が始まるはずだ。

食事が好評のベルナティオのディナ−はさすがだった。バイキング形式だがほとんどの料理がシェフによってその場で直接サ−ブされた。ブッフェレストランというそうだ。まず中華料理が目についた。前菜には真っ黒な餃子をチョイスしてみた。中身は普段と変わりはないようだ。ビールと前菜でお腹がかなり膨れた。歳をとるということはこういうことなんだと実感する。サラダと漬物で口直しをして和食の寿司にチャレンジする。シェフが目の前でお好みを握ってくれた。日本海から運んできた地物を薦められたがこの頃にはギブアップ寸前だった。それでもデザートのプチケーキとコーヒーをいただく。ベルナチオオリジナルコーヒーもしっかりとして美味しかった。カミさんにつられて二つ目のデザートのアイスクリームを全種類盛ってもらう。ここで遂にギブアップした。そうだ,イタリアンを試してみなかったねぇ。

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ゆっくりとディナ−を楽しんだお後はホ−ルでの歌姫のソプラノに酔いしれた。Time to say Good-byeはいつ聴いてもうっとり&緊張する。アンコールに応えて歌ってくれたのはオリジナル版というMy Wayだった。こちらも胸にキュンときたね。この歌姫は前に那須でお目にかかったかもしれない。聴衆の一人が彼女に話しかけるのを小耳に挟んだら,そんなことを話していたから思い出した。

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少しお腹がこなれた頃を見計らって本館の温泉に入りに行った。こちらは素直に迷わずに行き着いた。

酔いも醒めて,お腹も胸もいっぱいになった半日を振り返りながら眠りについた。

2日目(2023年9月21日,新潟県十日町市〜福島県大沼郡三島町)

ゴルフ場を備えているホテルだからか,朝食は6時30分からとることができた。いつも6時には朝食をとっている我らにとってはありがたいことだ。まずは和食から始めた。和食にサラダという取り合わせも似つかわしくないが似つかわしくないが摂っておこう。カミさんは茸出汁と蟹振袖をまとった焼きおにぎりなるものを試した。ついで,パンとコーヒー取ってきた。やはり朝食はこのスタイだな。いずれのメニューもシェフが目の前でサーブしてくれるので美味しくないはずはない。カミさんはデザートの果物もたっぷり取っているが,自分は少量にしておいた。最近,メロンやスイカをはじめとしてみかん,りんごでも耳の中が痒くなるアレルギー症状が出るようになっている。

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朝風呂に浸かってお腹を落ち着かせる。さて,只見線の旅の2日目だ。ベルナティオから再び越後湯沢駅にもどる。駅構内で昼食の駅弁を探すがどうも口に合いそうもない。ドイツ風というベーグルのようなパンに野菜とベーオンを挟んだものとアイスコーヒーを買い求めた。ドイツ風ホットドッグというよりもイタリヤのサンドイッチのパニーニだな。上越線で只見線の始発の小出駅に向かった。50年以上前の学生時代には近くの石打の大学の研修所を宿にして研究室の送別会で教授を交えて飲んだり食べたりそしてスキーをやったりした。しかし沿線の風景は全く記憶に残ってない。あの研修所はまだ残っているだろうか?

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上越線で小出駅に着いた。ここが只見線の新潟県側の始発駅だ。ディ−ゼルカ−の只見線に乗り換えてパニーニの昼食をとる。只見川に沿っていくつかの橋梁・トンネルを越えてのんびりと走る。

沿線は田圃から川沿いの景色に変わっていく。もう少し経つと紅葉の季節となり綺麗な光景に装いを新たにするだろう。現在の同じような光景の車窓は,正直なところ,面白みがない。退屈な時間が流れていく。

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長〜い六十里越トンネルを抜けると福島県だ。廃止になった田子倉駅跡のすぐ下に田子倉湖の突起部が迫る。水量があまり多くないようだ。駅名には会津の接頭辞が着くようになる。

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六十里越トンネルは出羽三山の旅で歩いた六十里越街道とは全くの別物だがここにも六十里が出てきた。こちらの六十里越は国道国道252号線で新潟県と福島県を分ける六十里峠を越える道だ。実際は六里だが,そこを歩くのが10倍にも長く遠く感じたことからそう呼ばれるようになったと言う。別に中世までの東日本では一里を500mであったことに由来するともいう。只見線の六十里越トンネルは6,359mでJRの非電化路線では最長のトンネルだ。

田子倉駅跡からすぐに,これまた長い,田子倉トンネルやスノーシェッドが続く。賑やかな町が見えてきた。只見駅だ。

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只見駅で多くの人とともに車掌も下車して,ここからワンマンカ−となった。田子倉湖から小さな只見湖を経て流れ出る只見川は幅を広げて鉄橋も長いものとなる。沿線の住民が電車に手を振ってくれる。10月1日には只見線全線再開1周年を迎える。

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山と湖のような川が綺麗にマッチした風景を見ながら会津川口駅に到着すると大勢の観光客が乗車してきた。ここから会津若松までの只見線は本数が増えるのだ。観光客はトラピックスの団体さんだ。静岡からバスで来てここ会津川口から会津宮下まで只見線に乗るというツアーということだ。懐かしい静岡弁が聞かれるかと思ったが標準語で言葉を交わした。やがて只見線のポスターにも出てくる大志集落が見えてきた。日本のスイスというけどね。写真(©風祭哲哉)は上方からの景色だから車窓からのそれとは趣がずいぶんと異なる。やがて我らが下車する会津宮下駅に到着した。3時間弱の列車の旅だった。ここでトラッピックスの団体さんも降りた。この後は第一只見川橋梁ビューポイントをみるバスに乗り換えるそうだ。

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駅を降りると駐車場にカーシェアカーシェア専用スペースがあった。利用する人はどれくらいいるのだろうか。

会津宮下(三島町宮下)の町並みは宿場町の様相を感じさせ,家々の軒先には屋号が掲げられている。レトロな昭和の店も残っていたが営業しているのかな。

会津宮下は1941年当時は会津若松からの只見線(会津線)の終点だった。1971年に小出からの只見線がつながって現在の只見線になった。1977年にはテレサ・テンがレコード「ふるさとはどこですか」のキャンペーンで三島町を訪れているそうな。

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宮下小径の一つのお寺みちの案内柱に導かれて只見線を渡ったところが宮昌寺だ。

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宮昌寺の隣には三島神社があった。ここも只見線を渡る参道のお宮みちが神社に導いている。

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宿にチェックインした。只見川を渡った離れたところの町営温泉に宿の女将に車で送ってもらった。宿には内湯があったがちょっと引いてしまう。帰りは歩きだがそれもいいだろう。夕暮れの只見川には名物の靄(霧)がたちこめていた。

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泊まる宿は,女将一人が切り盛りしているのか,共有スペースは手入れが行き届いてなさすぎる。食堂もちょっとアレだが,夕食は鮎の塩焼きと会津地鶏の陶板焼きというメニューがメインでなかなかのだった。地元のダシという野菜を薄切りにしたものや赤カボチャの煮物も添えられていた。カミさんは熊野三山詣の民宿で出してくれた若鮎の塩焼きが忘れられないという。

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今日の半日は鉄道に乗り詰めの旅だった。只見線のハイライトは明日にお目にかかれるはずだ。夜半に雨の音で目が覚めた。ありゃりゃ,明日は予約しておいたレンタサイクルで只見線が第1橋梁を渡るシーンを見て生活工芸館を見学するバイクツアーを計画しているのだが…。

3日目(2023年9月20日,福島県大沼郡三島町〜会津若松市〜自宅)

只見線の旅の3日目だ。ラッキーなことに雨は止んでいた。宿をチェックアウトして観光交流館でe-bikeを借りる。お目当ては只見線のビュ−ポイントのハイライトの第1橋梁だ。e-bikeでスイスイと坂道を登り道の駅尾瀬街道みしま宿に到着する。

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中国人(台湾人?)の観光客に交じり9時20分の列車を展望所で待つ。秋の紅葉の季節にはこの光景がカレンダ−になるだろう。

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ついで,カミさんが狙っていた三島町生活工芸館にまわる。ここの目玉は奥会津編み組細工だ。樹木の蔓や木肌(山ブドウ,モワダ,マタタビ),や草(ひろろ)で編んだカゴ,バッグ,財布などをカミさんが食い入るようにながめた。おねだんは山ブドウの財布が5〜8万円,カゴ・バッグが十数万円と目玉が飛び出るほどだ。来年6月の「ふるさと会津工人まつり」にはせひとも再訪したいとのたまう。

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交流館にもどる道筋でポツポツと降られたがそれほど濡れずすんだ。只見線第2橋梁と他のアーチが重なった宮下アーチ3兄(橋)弟をながめる。

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バイクを戻してスタンプラリー完成のご褒美をいただく。

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バイクを戻し駅前の双葉食堂で名物の焼きそばラ−メンにトライする。ソ−ス焼きそば風味たっぷり真っ黒い汁のラ−メンだった。珍しいのだろうが,うまいものではなかったな。

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腹を満たして再び只見線に乗り会津若松に向かう。ひとつ手前の七日町(なぬかまち)で降りて七日町通りをぶらつきながら会津松平のお殿様の庭園の御薬園に向かう。ここは2017年に桜見物(咲いてはいなかったが)で鶴ヶ城を訪れたときに散策したとカミさんはいうが,この街並みには記憶がない。その時は会津木綿で網代編みのバッグを作る職人を尋ねたが,そこから先(七日町駅方面)の七日町通りは歩いてないので記憶がないわけだ。

明治初期の建物が並ぶ街並みをのんびりと散策する。

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ちょっと迷子になりながらも,通りの彼方に鶴ヶ城を見ながら,御薬園を探し当てた。1670年に2代藩主が薬草園を設けたことから始まる薬草園の方は省略してお庭を逍遥する。三代藩主の頃にこの庭園がかたちを整えた。あずま屋の欄干には戊辰戦争のときの大きな刀傷が残っていた。

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そこから東山温泉の近くの会津武家屋敷に歩く。7,000坪の敷地に西郷頼母の家老屋敷,旧中畑陣屋などを移築した施設だ。会津戊辰戦争で西郷家一族の自刃の場面が再現されている。

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ここを見学していてもはや時間が足りなくなり,予定していた栄螺堂をパスせざるを得なくなった。徒歩で会津若松駅にもどるのは不可能とみてバスに乗り込んで駅に到着した。七日町駅から会津武家屋敷まで歩いた距離は5.8kmだったが,久々のウォーキングは疲れました。

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会津若松駅でお土産をあれこれと買う。指定券を予約しておいた磐越西線の快速あいづ6号で郡山に向かい東北新幹線の山びこ218号で上野に向かった。

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上野からの常磐線で牛久に着いたのは10時前だった。この只見線の旅の足は,一部で徒歩・バスを使ったが,全てJRを利用した。牛久〜(常磐線)〜上野〜(上越新幹線)〜越後湯沢〜(上越線)〜小出〜(只見線)〜七日町〜(徒歩・バス)〜会津若松〜(磐越西線)〜郡山〜(東北新幹線)〜上野〜(常磐線)〜牛久,とぐるっと周遊する旅だった。これを計画するときにカミさんは区間ごとに運賃を計算した。JRみどりの窓口で新幹線などを予約するときに乗車券は牛久〜牛久の通しで買えるか尋ねてみた。駅員さんは時刻表の路線図を見たりあれこれと端末に入力したり,30分以上もかかって,通しを乗車券を作ってくれた。乗車券は大宮で区切られて2枚となったが,ラッキーなことに,カミさんが区間ごとに計算して運賃よりも一人当たり2千円以上も安く計算された。お昼の弁当代が十分にカバーできる金額だ。遠距離切符を買うとこうなるんだな。自宅でパソコンを使ってチケットを勝ったならばこのように上手くいっただろうか。

ディナ−を楽しんだ越後湯沢,只見線に乗って新潟から福島の奥会津の光景そして会津若松の幕末に思いを馳せた旅が終わった。さて,次はどこですか寿枝子さん?!