新型コロナ関連の「県民割」に間に合うように,とカミさんが「那須岳をトレッキングして板室温泉に泊まり,翌日はJR東日本大人の休日倶楽部の吉永小百合のCMの雲巌寺を訪ねたい」と言う。那須岳(茶臼岳)は20年前に息子1号夫婦と愛犬らと登頂している。吉永小百合の雲巌寺訪問のCMは,残念ながら,見たことがない。天気予報は良いとは言ってないが,板室温泉の初体験は魅力だ。ここはカミさんの避暑プランに乗ってみよう。
年金生活者の我らには,金はないけど,時間はたっぷりとある。で,高速道路は使わずに一般道を走ることにした。パソコンでマップを調べてみると,高速道路を使っても30分そこそこしか違わないようだ。早朝の5時半過ぎに自宅を出発した。
休息時間を含めて4時間ほどで那須ロープウェイの山麓駅駐車場に着いた。所々に青空は見えるが薄曇りの天気だ。9時半のロープウェイに乗ったら,あっという間に(4分間!)で那須岳山頂駅についてしまった。これで1200円の運賃はちと高くないかい? 雨は降ってはいないがあたり一面のガスで下界の視界は良くない。
駅舎を出るとガスはますます濃くなっていて茶臼岳の山頂は全く見えない。足元も定かには見えないほどだ。風が強くて帽子は飛ばされそうだし,少し肌寒い。ジャケットをリュックから出して羽織る。今回のカミさんは鼻っから茶臼岳の山頂を目指す気はないらしい。「頂上への道はザレ場だから嫌だ」という。この天候では山頂からの展望は全く無いだろうし,昨日の自転車トレーニングで疲れていることもあって,自分もあっさりと茶臼岳の登頂をスルーする案には賛成した。カミさんのルートは茶臼岳山頂を巻く牛ヶ首〜峰の茶屋跡避難小屋〜中の茶屋跡〜峰の茶屋〜ロープウェイ山麓駅の周回コースだ。この計画に,自分の牛ヶ首〜南月山(みなみがっさん)の往復コースの追加希望を叶えてもらった。リンドウに見送られて牛ヶ首に到着する頃には,風は少し収まってジャッケットを脱ぐほど暑くなっていた。
牛ヶ首から南月山をたどるコースは,晴れていれば,尾根歩きで後ろには噴煙をあげる茶臼岳の山頂を望める楽しいコースだという。牛ヶ首から2箇所のロープが備えられた急坂をすぎるとあたり一面のトリカブトの群落に出会った。前方には日の出平らしき山頂(?)が見えているが,後背の茶臼岳はガスの中だ。一瞬見えたものの次の瞬間にはまたガスに隠れてしまう。牛ヶ首から20分ほどで日の出平に到着した。
登山路からはハイマツがなくなり,ザレ場の路に変わるが平坦なので滑ることなくザクザクと歩ける。後ろの茶臼岳はまだガスっている。日の出平から25分で南月山に到着した。ベンチの南側には南月山神社の祠があった。ここでカミさんが出掛けに作ったお握りで昼食を取ることにした。ほとんど平地歩きだったせいかお腹はあまり空いていない。今回のトレッキングにはガスストーブは持参してないので暑いお茶やコーヒーは飲めない。また,いつものビールも持ってきていない。この天候では昼食が済んだらさっさと復路を牛ヶ首まで戻るのが正解だろう。
南月山の広いザレ場を歩くカミさんの向こうに視界が開けてきた。すると茶臼岳がうっすら見えてきた。数分後にはその姿が現われてきた。早速カメラを構える。このコースをとった甲斐があったぞ〜。
日の出平の先のトリカブト群生地でも茶臼岳は見えたが牛ヶ首では再びガスが上がってきてコースの視界は悪くなった。山の天気は猫の眼のようにクルクルと変わる。
無間地獄へのコースはグズグズ状態で周りは硫黄で黄色くなった岩だらけになった。噴火の噴煙なのか雲のガスなのか区別がつかない。無間地獄の先は再びガスが晴れてきて硫黄鉱山跡からは剣ヶ峰,朝日岳の那須連山が見えるようになった。
峰の茶屋跡避難小屋では茶臼岳,剣ヶ峰,三斗小屋温泉への登山路が合流している。2002年の息子1号夫婦&愛犬らとのハイキングでは強風の中で避難小屋のベンチで昼食を取ったことがある。今日はその時に峠の茶屋から登ってきた登山道を下って行くのだ。朝日岳の崩落したような赤い谷を左手に見ながら下っていく。これまで元気にスタスタと歩いてきたカミさんの膝は,下りコースになると,辛そうでともすれば遅れがちになる。
やがて石畳のような道になり山の神を祀る祠を過ぎると峠の茶屋に到着した。ここまで来ればローブウェイの山麓駅はすぐ鼻の先だ。山麓駅に到着したのは13時40分だった。
8.0kmを3時間33分かけてのトレッキングであった。スタート地点の那須岳山頂駅の標高は1690m,途中の日の出平が1786mで南月山は1775.8mであった。
投宿時刻には十分の余裕があるので下山途中の殺生石に立ち寄ってみる。ここは玉藻の前の化身とかで,芭蕉は奥の細道で「湯をむすぶ誓ひも同じ石清水」と「石の香や夏草赤く露暑し」の2句を詠んでいる。しかし,茶臼岳トレッキングの時よりも酷いガスに巻かれてほとんど周囲は見えない。硫黄臭だけが漂ってくる。ということで早々に退散して今晩の宿に向かう。
宿に入る前に,那珂川を挟んだ対岸の板室自然遊学センターを覗いた。ここで係の人から南月山を「なんげつさん」ではなくて「みなみがっさん」と読むことを知らされた。
宿はモダンな作りの「ONSEN RYOKAN 山喜」だ。ONSEN RYOKANとローマ字で看板を掲げる割にはおしゃれな坪庭が設えてあったり部屋はツィンのベッドルーム(かなり狭いが)であったりと,ちょっと不思議だ。まずは源泉掛け流しの湯に浸かってトレッキングの疲れを癒そう。
夕食は個別のブースで楽しめた。この時期のメニューにあれこれとあるのはほとんが地産,自家製のもののようだ。アペリティフは自家製のゆず酒だ。これで乾杯した後は生ビールで喉を潤す。前菜の焼き八寸を一つ一つ楽しむ。大岩魚の洗いの頃にはカミさんは梅酒,自分はあんず酒をロックで楽しむ。刺身の肉厚の歯応えが堪らない。どれほど大きいイワナだろうか。朝採り野菜の煮物で舌をさっぱりさせて,強肴の和牛デミグラソース煮の段では二人ともにソースを食べ尽くすほどの食欲を見せた。聞けば味噌を隠し味に使っているそうだ。〆のご飯とおしんこは至福の美味さだった。イヤイヤ,満腹満腹と言いながら全てを平らげた。これほどゆっくりとした美味しいディナーを楽しんだことはいつ以来のことだろう。
少しばかり休息して,20時からの家族風呂で改めて板室温泉をゆっくりと味わった。この宿では20時〜24時までは男湯/女湯のいずれかを1時間(正味50分間)貸し切りで利用できるようになっている。もはやカミさんの裸身に胸を躍らせることも無くなってはいるが…
翌朝はいつものように6時前に目覚めたので板室温泉の散策に出かけた。4つ星ホテルの大黒屋の静まり返った庭を観て,那珂川縁に降りてみた。石積みの護岸は苔むして涼しげだ。那珂川の流れは清らかで,つい先日までは夏休みの家族連れで賑わっていただろう。下流には小さな吊り橋が見える。「帰りに寄ってみたいね」とカミさん。
温泉街を奥の方に散策してみると,登録有形文化財旅館の加登屋があった。そういえば投宿した山喜の部屋から見えた道路の向こう側の宿も,店仕舞いしているようだったが,加登屋(別館)だった。さらに進むと板室温泉神社への案内板がある。階段をゆっくり,ゆっくりと登り神社を観に行く。我らにとっては特にどうといった神社ではない。温泉街を戻り返して吊り橋を渡ってみる。一歩歩くたびにゆらゆらと揺れる。対岸に渡り,昨日の投宿前に立ち寄った板室自然遊学センターを見て那珂川を渡り返して山喜に戻った。板室温泉街のいくつかの温泉宿や商店は,コロナ禍のためか,廃業していて寂しかった。しかし,静かな佇まいの板室温泉の風情はたっぷりと味わえた。
さて,お楽しみの朝食だ。いつものバイキング朝食とは違って個室でとる和食だ。自分は出汁で炊いたお粥を頼んだが,お代わりに普通のご飯茶碗も用意してくれた。自家製のがんもどき,那須塩原名物のネギ辛子の薬味で食べる豚の鍋,自家製のふりかけ・漬物でお腹を一杯にした。二人して綺麗に平らげ,昨晩同様に,宿の人のお褒めにあずかった。いやいや,お礼をいうのはこちらの方ですヨ。くちくになったお腹を落ち着かせ,もう一度,温泉に浸かった。
チェックアウトでは県民割とクーポン券で13,000円(もう1,000円のクーポンは残して)の補助が受けられた。ありがたいことだが,この補助は栃木県民の税金から出ていることを考えるとちょっと複雑だけど…
宿の人に見送られて板室街道(県道266号,369号)を走り,那珂川支流の木ノ俣川園地・木ノ俣渓谷に立ち寄った。木ノ俣川園地駐車場は(7月1日から)昨日までは500円の有料駐車場であったが,今日(9月1日)からは無料になっていた。園地には賑わいの声はなく静かな散策ができた。しかし,木ノ俣川に降りるところで大きな2頭の犬を連れた夫妻の犬にワンワンと驚かされ飛びかかられるというハプニングがあった。幸い,自分は転倒などしなかったが,犬好きの自分としては自尊心を傷つけられた思いだ。飼い主の躾が十分でないとこういうことが起こる。
木ノ俣川を巨岩吊橋で対岸に渡り,冷たい木ノ俣川の水を確かめて駐車場に戻った。
さぁ,今日の最終目的は吉永小百合のCMの大田原市の雲巌寺だ。その前に,山喜のウェイターが勧めてくれた那須町の珈琲店「Franklin’s Cafe」を訪ねてみよう。教えらた道を進むも目指すカフェは見つからない。辺り一面の田圃の中を走り回り,一時は戻ろうかと考えたが,ようやくのことに見つけた。こんなところにこんなカフェがというような風情だ。バリスタが自分の注文したチーズケーキに合うコーヒー「エチオピア」を勧めてくれた。旨い! ここまで迷いながら走ってきた甲斐性があった。
次に訪ねる先は那須神社だ。国道4号を走り,途中から東の大田原市の方角に向かった。那須与一の銅像が迎える道の駅「那須与市の郷」で手打ち蕎麦の昼食を取った。山喜の朝食で満腹のお腹はこれくらいの蕎麦を治めるスペースしか空いていないのだ。道の駅でお土産やら野菜やらを,残しておいた,県民割クーポンを使って買った。その後,道の駅の後ろにある那須神社を訪ねた。立派な三門の割にはこぢんまりとした本殿だ。最近の自分は神社仏閣での参拝はスルーしているのですぐに踵を返して駐車場に立ち戻った。
カミさんが入れたナビの次の目的地は黒羽藩主大関家の菩提寺の大雄寺だ。鐘撞堂を含めて建物は総茅葺で室町時代の様式の禅寺の侘び寂びが残されている。しかし,最前に降った雨と太陽の陽射しのために湿度が高く蒸し暑い天候が凡人・高齢の我々に取っては辛い。こんな中でとても座禅修行などできない。
あまりの蒸し暑さで次の黒羽芭蕉の館はスルーすることにした。芭蕉は奥の細道の道中でここ黒羽に2週間もの長逗留をしている。陽暦では5月下旬だから今日ほどの蒸し暑さもなかったろう。
さぁ,本日のメーンイベントの雲巌寺にアンディアーモ! 臨済宗妙心寺派の雲巌寺(雲岸寺)は芭蕉の禅修行の師の佛頂和尚の修行の場であった。師の山居跡を探し訪ね「木啄も伊織は破らず夏木立」の句を残している。現代の吉永小百合もそこを訪れたのかどうかは知らない。瓜瓞橋(かてつばし)を渡り山門を潜ると仏殿が待っていた。仏殿には何故かグランドピアノが置いてあった。山門脇からぐるっと周り仏殿の後ろの庫裡,方丈(本堂,獅子王殿)に歩いた。扁額に「人面不知何處去 桃花依舊笑春風」とあるそうだけど,禅宗のいうことはよく分からない。方丈から仏殿へは正面の狭い階段で降りられた。再び山門を潜り瓜瓞橋でカミさんに吉永小百合と競演してもらう。今日の雲巌寺は我らの他に一人の女性だけの訪問だったが,紅葉の時期には大勢の人で埋まるだろう。蒸し暑くさえなければもっと別の雲巌寺を楽しめたろう。
さてと,カミさんの計画は完遂したので自宅へ戻ることにしよう。帰りは国道294をひた走り,見慣れた茂木から益子を通過して帰りついた。
遅まきながらの那須での避暑が堪能できた。