角館,弘前と追ってきた桜もあとは津軽海峡を渡るしかない。前日,市立観光館のお姉さんは岩木山の桜を勧めてくれたが,今日の濡降る雨の中ではと断念した。カミさんは近くの五所川原の立佞武多(たちねぷた)に興味があるようだ。ガイドブックによると立佞武多の展示館があるようなので,帰路の前に寄り道することに決定。
街中にやけに背高のっぼの建物があると思ったら,それが立佞武多の館だった。中に入ると,思わずおぉ〜〜と声が出てしまうほどの立佞武多だ。台座をいれた高さは22m,重さは17トンもあるという。これが1996年に有志が復活させたものと聞いてびっくり。3年ごとに新たに1台を追加して順送りし,常時3台の立佞武多が祭りで練り歩くそうだ。弘前,青森,黒石とねぷた(ねぶた)祭りはあるが,これほどの高さをもつねぷた(ねぶた)は五所川原立佞武多を置いて無い。明治以来の文明によって電線が市中に張り巡らせ,どこのねぶたも幅広の拵えに代わってしまった流れを,五所川原の市民は逆らって,すばらしい文化を復活させたのだ。
館の3階の立佞武多製作所の扉をたたいてみた。中に入ると木組みと針金のパーツに和紙を貼る人たちが働いている。制作者のお兄さんは丁寧に我らの質問に答えてくれた。あぁ〜,ぜひぜひ夏にきてこの立佞武多が街を練り歩くのを見たいものだ。
館の隣の鮮魚店でお土産の海産物を漁った。めずらしいトゲクリガニや水草カレイなどを買った。自宅に帰って食べた水草カレイは確かに旨かった。なんと言っても新鮮で安かった。こんなことならもっと買っておくべきだったとカミさんは悔しがった。
時間が余ったので,旧平山家住宅を訪ねた。1830年に建てられた庄屋の館だ。幅は33メートル,奥行きは13メートルと壮大な館だ。半分は牛馬と借子(住み込みの小作人)のスペースだ。だだっぴろい屋内で,冬はさぞ寒かったろう。この住宅にはさらに,大正時代になって贅を尽くした離れを増築している。おもに会議や宴会に使用していたそうだ。内部は鶯張りの廊下が設えられ,室内の柱は取り外して大広間をつくれるようになっているとのこと。案内してくれた職員も暖かく迎えてくれ,なんと言っても親切な説明をいただいた。
こうして桜を追っかけた北東北旅行を終えた。あとになって気がついたが,五所川原の出発を3時間ほど遅らせれば,つくば到着が真夜中頃になり土曜日にかかるので1000円の高速代で済んだのが悔やまれる。それでも30%のETC割引きが受けられた。
解放された時間をカミさんと過ごせたせいか,カミさんの写真顔はとても明るかった。さて,次はいつ,どこに行こうか。