秩父三十四札所

 

秩父巡礼1(2007年2月11-12日,埼玉県秩父市周辺,晴)

ふと書店で見かけた「巡礼で知るカミサンとの付き合い方(鹿野島孝二,日本放送出版協会,2006.9)」が妙に心に残っていた。そのうえ,昨年 の10月の四国旅行のときに何人かのお遍路さんに出合ったこと,先週の東京サバイバルウォークの完歩(我孫子〜銀座,45キロ)などなどが後押しをして, ついに念願の秩父三十四札所巡りが実現した。まずは鹿野島さんに倣って一番から十一番を前泊して打つことにした。時はあたかも春のようなポカポカ陽気。巡礼 にうってつけの日和だ。

池袋を10時30分の特急レッドアロー号で発った。

西武秩父駅から道標を頼りに,秩父神社に向かいながら,蕎麦屋を探して歩く。が,人気の蕎麦屋は満員の行列だったので諦めて,露地を入り看板もない民家の まんまの蕎麦屋を探した。出迎えた親爺はいかにもといった風体で,この辺りの昔ながらのキンピラの蕎麦が売り物だという。だが,出てきた蕎麦は量は少ない し,水切りもいい加減なグチャグチャの蕎麦だ。早々に退散して神社に向かう。

秩父神社の扁額には知知夫神社と書いてあった。本殿の回りには見事な彫刻があり,東側には左甚五郎作の縛られた龍がある。なかなかの由緒をもつ神社だ。

神社の前にある秩父まつり会館と少し離れたところにある秩父札所巡礼のやかたを訪ねた。まつり会館の売店で「札所めぐり 秩父巡礼道マップ&ガイド」を見 つけた。副題に迷わず歩けるなんてついていてなるほど詳細だ。しかし地図は北が下になっていて他のガイドブックと比べる時に戸惑ってしまう。

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巡礼のやかたでは六観音,石仏(のレプリカ)やら34ヶ所の写真がある。ここで巡礼を代行できるとでも言いたそうな… あこがれの巡礼装束をまとって 記念写真を撮った。せめて輪袈裟をまとって巡礼してみたいと思った。

時間があったので,芝桜で有名な羊山公園に行ってみた。ここには棟方志功のコレクショ ンで有名な「やまとーあーとみゅーじあむ」がある。ここの学芸員はとても親切丁寧(過ぎるくらい)に解説してくれた。高校時代にこっそり隠れて読んだ谷崎 潤一郎の鍵の挿し絵に使われた版画もあった。二菩薩十大弟子の柵は迫力満点であった。おもわぬ拾い物をした。

秩父鉄道の秩父駅前のビジネスホテルに宿を取った。歩き疲れたせいか,夜は前途を祝っての乾杯が過ぎて8時には寝入ってしまった。

朝食の時間前の6時52分に秩父駅から皆野行きのバスが出るが,食事をとらないわけにはいかないのでタクシーを使って一番の四萬部寺まで行くことにして ゆっくり朝のコーヒーを楽しんだ。四萬部寺では,まずは線香,ローソク,納経帳を求めた。納経帳にはすでにここの朱印が捺されていた。まだ,参拝は終わっ てないんだけど… 炉はきれいに掃き清められていて我々が一番の参拝だということが分かる。「寂聴 般若心経」からコピーした開経偈に続き般若心経を 唱え最後に法華成仏偈で締めくくった。隣のカミさんは神妙に現代語訳の般若心経を見ている。読経なんぞ初めての体験だが幸いにカミさんは何処が間違ってい るのか分からないらしい。

さあ,いよいよ秩父巡礼の始まりだ。泊まって見たかった,旅籠一番を横目に四萬部寺をあとに300年前の道標を頼りに二番へと歩 き出した。

二番へは,なんてまぁ初っぱなから,と言いたくなるような登りが続く。斜度は15%にも及ぼうという登り坂だ。この季節だからからだもポカポカ暖まるが夏 だったら汗びっしょりだね,とカミさんに話しかけるが黙々と歩を進めるばかり。

赤いあぶちゃんをまとったたくさんの地蔵様に迎えられて二番の真福寺の観音 堂に到着。ここは無住の札所だから納経は下山した光明寺でお願いすることになる。

光明寺の仁王像に迎えられ境内脇の納経書で納経朱印をいただく。

三番の常泉寺の観音堂は本堂から離れて左方向にあった。

参拝を済ませて本堂の納経所に行くと,本堂の縁側には子持ち石が置いてあった。二人の息子夫婦たちに健やかな第2子が授かりますようにと撫で撫でする。はてさて,御利益の程はいかに?

四番の金昌寺は秩父札所でも人気のスポットということだ。山門の大きなわらじに出迎えられる。

境内には寄進された石仏が所狭しと安置されている。

中でも有名な石仏が観音堂の縁側に安置されている慈母観音像だ。乳飲み子が観音様の乳首をつまんでいる姿が愛らしい。

観音堂脇にはかつての政治家の荒船清十郎の墓所があった。

五番の語歌堂への道すがら,池袋で買ったパンを食べる。巡礼道では食事処もコンビニもままになりそうもないので,あらかじめカップヌードルやパンなどを準備した。

到着した語歌堂も無住の札所だ。塀も囲いもない開放的な境内には観音堂守りの袢纏を着たおばあさんが女児を遊ばせていた。

納経朱印は近くの長興寺でいただくことになっている。途中,語歌堂で出合った小輪自転車の巡礼に,その自転車で二番の劇坂を登るのか,と聞いて見ると,押 しで行くという。彼は正月に四国遍路を体験し,面白みを覚えたという。道理で般若心経も読めたわけだ。我々も次にはBD-1で巡ってみようか,とカミさん に誘いかけるが聞こえなかった様子だった。

六番への道は正面に武甲山を仰ぎながらである。山の中腹に見える土煙は石灰岩の採掘作業のためだろうか。かつてはなだらかだったであろう山容は中腹がすっぱりとえぐれてピラミッドのようになっている。300年前の巡礼はこのような風景を思いもしなかったであろう。

六番の卜雲寺の山門下には願い地蔵尊が安置されている。本堂の真正面には武甲山が控えている。さすがに6度目となると般若心経の読経も慣れてくるが,ちょ いと気取って読んでみようとするとつっかえてしまう。玄奘がサンスクリット語から漢訳した経を,中国語の発音でもない日本語の発音で読経するわけだ。カミ さんには現代語訳を渡してあるが,この現代語訳を読んだのではラップ調の読経にはならない。なんともおかしな話だがと思いつつ成仏偈を終える。気が付けば 読経の後の礼が腰から折れるかたちとなっていた。境内の脇で湯を沸かしカップヌードルのお昼をとることにした。あたりは静かで,あいかわらずまったくのど かな日和だ。まるで春のようだ。

七番は広い境内をもつ法長寺だ。本堂の向こうには現代の秩父を象徴するセメント工場が見える。ここに入ったのは脇からの山門で,退出したのが正面の山門 だったので地図との照合が分からなくなってしまった。で,クルマが騒がしいR299を少しばかり歩く羽目になった。我々は順打ちに拘ったが,順打ちに拘ら なければ五番から七番にまわってから六番というコースが無駄がない。なんでこんな順番にしているのだろう。これも試練かと,思えば苦労でもないか?

八番はコミデカエデで有名な西善寺だ。今回の季節では緑でも紅でもなく,枝ばかりのカエデだった。しかし,新緑と紅葉の季節は見事らしく,その時は巡礼者 以外は拝観料を取るそうだ。

境内にはほかにおびんずるさまが鎮座している。ここで私はこの巡礼で2度も捻挫した左足首と持病の半月板損傷の右膝を撫でた。 カミさんは頭を撫でた。

九番の明智寺へは西武鉄道に沿って埃っぽい道を歩く。

明智寺は平成二年に再建された観音堂がまぶしかった。

十番の大慈寺への途中には木造の横瀬小学校がある。横断歩道橋の脇には歩道橋商店という面白い屋号の雑貨屋があった。この先の畑の中の巡礼道への入り口を 鹿野島さん達は見失ったそうだが,我々が買った地図では丁寧にしるされていて迷うことはなかった。良く目を凝らせば細い入り口には昔の道標があった。

よう やくたどり着いた大慈寺は改修中であった。ちょっと残念。

十一番への道は大慈寺の裏山の尾根筋を辿る古い巡礼道をとった。道にはセメント工場とを境する柵が設けられている。

下りの途中には稲荷神社があった。この稲荷をさらに降りると今日の最後の十一番の常楽寺があった。

十一番の常楽寺にたどり着いたのは3時45分であった。この季節はあと15分で納経所の閉じる時間であった。

陽が落ちかかる秩父の街を秩父駅に向かう途中に道の駅があった。ここで,湯を沸かしてコーヒーを飲みながら名物の(?)ジャンボコロッケを頬張った。

秩父駅でロッカーに預けた荷物をとり,西武秩父駅の仲見世でビールと焼き鳥とお土産を求めて5時30分の特急に乗った。

かくて,秩父巡礼パート1を無事に終えることができた。歩いた距離は29.0キロであった。この巡礼で忘れたことがある,一つは昨年の六月に亡くなった愛犬ハナの供養,もう一つは参拝を終えて山門を出る時の礼である。次回は余裕が持てるだろうから忘れずに。

 

秩父巡礼2(2007年3月4〜5日,埼玉県秩父市周辺,晴/曇)

パート2は一泊して,十二番から十九番を半日で,二十番から二十五番までを一日かけて巡礼する計画だ。池袋に9時半前に着いたので,前回の特急は 使わずに準急で飯能まで行って各駅に乗り換えることにした。予報では二日目は雨に会いそうだ。でも,雨具はバッチリだ。前回果たせなかった武蔵屋本店の蕎 麦を西武秩父駅店で食べて腹ごしらえをして出発した。

十二番の野坂寺に行く途中の道端で,老婦人が辛そうにしている。声をかけると,気分が悪くなって歩くこともままならない,という。聞けば住まいはすぐそこ とのことなので,逆戻りになるが,肩を貸しながらお送りした。これも観音様のお導きだね〜とカミさんと話しながら改めて十二番に向かった。

十二番の山門は風格があるとのことだが,そうかな〜。

観音堂は,ガイドブックで見たのと違って,ずいぶんと新しそうだ。本日最初のお灯明,お線香をそなえ,般若心経を唱える。今回は忘れずに,亡くなった愛犬のチロ,ハナの菩提も弔った。

再び来た道を引き返し,通い慣れた秩父鉄道の御花畑駅を過ぎて街のど真ん中にある十三番の慈眼寺に向かった。 慈眼寺の山門は工事中で,脇から入る。納経所では目薬の樹皮を煎じたお茶を振る舞われた。

なるほど,境内には目薬の木なるものがあった。「めが出るよう に,めが開くように」と願掛けてお参りするそうだ。で,サイコロの目はどうなの? 境内の左手には大きな幼稚園があり,さらに右手には札所連合会事務所が ある。ここが納経料を取り決めたり巡礼道の案内板を設置しているのだ。

前回の巡礼の前日に訪れた見覚えのある街中を歩いて,十四番の今宮坊に向かう。その途中に今宮神社があった。今宮坊からはここに戻らないので,たち寄って みることにした。境内には立派なケヤキがある。ここは龍神様を祭っていて,ここと今宮坊で二ヶ所巡りを果たせるとの看板がある。参拝しようとしたら社務所 で呼び止められる。縁起やらなにやらの説明を聞かされ,納経帳の最終ページにご朱印とご本尊を墨書きしたお札を貼ってもらった。なにやら訳が分からないま まに 300円を払った。カミさんと,どうも腑に落ちないね,とけげんな面持ちで神社を後にする。

十四番今宮坊は塀もないオープンな札所だ。明治の神仏分離令でさっきの今宮神社から分かれたそうだ。と,なればさきほどの納経(神社だから経じゃいない が)料も納得いくか? 納経所は町内の民家が兼ねているようだった。そこの奥様とおぼしき方の達筆さには舌を巻いた。あまりにの達筆さに,書道に励んでい るカミさんは,達筆というよりも手抜きみたいだね,とのたまう。う〜〜ん,読めないねェ。

十五番の少林寺は秩父鉄道のすぐ脇にある。お参りしていても,電車がゴーゴーと通りすぎる。カミさんは疲れたのか,写真を撮る間の時間も階段に腰をおろして休んでいる。

観音堂はまさに土蔵だ。隣の納経所まで白壁が続いている。

境内にはたくさんの石仏が配置されていて,その回りには春を告げる福寿草が植えられている。まさに春の陽気だ。歩いていると暑ささえ感じるほどだ。

踏切を渡り再び街中に戻ってくると,旨そうな和菓子を売っている店に出合った。昨日の雛祭りでカミさんと嫁さんが桜餅を作った残りを持ってきているので, 桜餅はやめにしてうぐいす餅と秩父らしい芋餡の饅頭を店内で食べる。蕎麦屋と和菓子・饅頭屋がやけに目につく秩父の街だ。再び歩き出し,街中をやや外れた 十六番の西光寺に向かう。

十六番の西光寺の山門までの道のりは両側に満開の梅が並んでいる。

ここで,笈摺,輪袈裟で正装した巡礼姿の夫婦に出合った。彼らの読経はぴったり息が合っ ていて,般若心経しか知らない私たちには初耳の経すらも読んでいる。ちょっと気後れしてしまい,終わるまで待ってから読経した。が,カミさん曰く,ここで の読経はつっかえつっかえだったね。そりゃあせりますヨ。

境内の右手には古い札堂がある。柱には昔の木の納め札を釘で打った痕がいっぱい残っている。巡礼を「打つ」という語が理解できる。

左手には大きな酒樽の中に大黒天が鎮座している。ここには納め札でなく,会社関係の名刺が貼ってある。商売繁盛を祈願したんだろうなァ。

観音堂の右手にコの字形の回廊堂があって,お四国さんの本尊のコピーが祀ってある。先ほどの夫婦のあれこれの回想話らしきものが聞こえる。う〜〜むむ,おぬし達はお四国もやったのか。でも,今日の彼らはクルマでの巡礼,こちとらは歩き巡礼だい。

十七番の定林寺でもさっきの夫婦に出合った。歩き巡礼も街中だとクルマに負けないくらいけっこう早いもんだ。

彼らの読経を待つあいだに,梵鐘をついてみる。 カミさんはそっとついたが,私は思いきりついてみた。ところがカミさんの耳元でついてしまったので,カンカンに叱られた。南無観世音,南無観世音,南無観 世音。

十八番の神門寺(ごうどじ)はR140に面してある。クルマの往来の激しい国道を渡るのは至難の業だ。信号付きの横断歩道をつけてもらいたい。納経所には 巡礼用具がそろえてある。ここで,手のひらに入るくらいの般若心経の経書を買った。でも,これまで読んでいた納経帳付属の心経の句読点とは違っていて(ミ スプリントだね),この後の巡礼での読経に苦労した。なんとなく埃っぽい神門寺を後に,本日最後の札所の十九番龍石寺に向かう。

十九番龍石寺は地図では大野原病院の前を左折するはずだが,その病院が見当たらない。ちょっと先をみるとクルマ用の案内板があるのでそれに従う。ここも オープンスペースの寺で,名前のように岩盤の上に立てられている。堂の向こう側には,明日のコースで出合う荒川が見える。少しずつ日は長くなっているが, 時計は4時15分を指していた。

大野原駅から秩父鉄道に乗り,御花畑から西武秩父に向かった。出発前に預けた荷物をコインロッカーから取り出そうとしたら,なんと,キーを回しただけで (料金400円をいれずに)開いた。老婦人を助けた御利益を観音様が授けてくれた,とカミさんと解釈してありがたく荷物をとり出した。本日の行程は 13.9キロだった。

駅から歩こうかとも思ったが,面倒なのでタクシーを拾って本日の宿のナチュラルファームシティー農園ホテルに向かった。ホテルは小高い丘にあり,夕陽に染 まる秩父の街が俯瞰できるつくりだった。

そして,温泉に入った後のディナーはズワイガニと牛肉食べ放題のバイキング。インターネット予約の特典のドリンク サービスでは,なんと地ビールもオーケーだった。食べるほうを優先したため,ビールはこの一杯で打ち止めとした。これでお1人様9850円とは安い。さら に,以前のポイント還元で1700円の割引となった。カミさんも私もバイキングを堪能した。これで明日も元気に付き合って貰えそうだ。南無寿枝子様,南無 寿枝子様,南無寿枝子様。

二日目はどんよりと雲って今にも降り出しそうな天候だった。ホテルから見る秩父の街やその向うのこれからのコースも霞んで見えない。

ともあれ,フレッシュ な野菜,焼き立てのパンなどたっぷりのバイキング朝食をたらふく仕入れた。私は洋食,和食の両方にトライした。牛乳とりんごジュースそして旨いコーヒーを 二杯も堪能したのはいいが,これが今日の札所毎のトイレに繋がってしまった。

タクシーを呼んで,大野原駅に向かった。月曜日とあって近所の高校へ通う生徒達と出合う。どこもかしこも,お決まりの超ミニスカートにおんなじようなアイ ライン(?)を入れた顔つきだ。この子達は歩き巡礼の(とわかる格好ではないが)私たちをどんな風に見ているんだろうか?

荒川を渡る橋は歩行者専用で渡 りきったところのクルマのひっきりなしに通る道路を横断する時は命懸であった。渡ってみれば,歩行者は下の回廊を利用せよ,との看板があった。もっと分か るところに置いてヨ。

少し上ると二十番岩之上堂を示す,観音参り巡礼の幟が見えてきた。この幟は今日のコースのあちこちで見かけ,巡礼の良い指標となってくれた。岩之上堂は秩 父札所で一番古い観音堂ということだ。お寺ではなく,個人が管理しているという珍しい観音堂だ。堂内には厄除けの猿子が万灯のように飾られている(瓔珞− ようらく−と言うそうだ)。観音堂の下には荒川が流れている。明治以前は荒川を船で渡って巡礼したそうだ。そこからは,文字通り,岩の上に観音堂が見えた ことだろう。

堂の裏に回ってみるとそれは立派な庭園とその向こうに秩父の街が望める。なんとも風情のある札所だ。あと二月もしたら新緑に囲まれてもっと素 晴らしいお参りになるに違いない。今日の最初の札所に相応しい感じだ。

二十一番の観音寺は田園風景の中の県道沿いにあった。

境内の右手には地蔵と宝篋印塔がある。ここで頂いた江戸巡礼古道のマップに従って歩くことになる。

県道から左に入る明治巡礼古道の寺尾みちはほっとするような巡礼道だ。踏み固めたわらじの跡が今でも残っているような気がする。野良仕事の男性に,自然 に,おはようございますと挨拶がでる。すると手を休めて我々に,ご苦労様です,と挨拶を返してくれる。

県道から入る二十二番への入り口には立派な道標と地 蔵様がましましている。その向こうにはハープ橋と武甲山が霞んで見える。

二十二番の童子堂はそんなのどかな巡礼道をたどった,これまたのどかな田園風景の中にあった。なんとも愛くるしい仁王様がまします山門をくぐる。

右手に観 音堂がある。休日だったらここは近所の悪ガキたちの遊び場になるのだろうか?

ここで梅干しをお茶受けに,一服した。まさに一服という言葉がぴったりの ゆっくりとした時間が流れていくのを感じる。

二十三番への巡礼道は明治巡礼古道の中山みちだ。童子堂から永田城の防塁跡を巡って道路を渡り,古道に入っていく。ちょいと険しい坂を息を切らせて登っていく,別荘らしき邸宅を過ぎると茶店の並ぶ音楽寺に到着した。

二十三番音楽寺は本堂の左手の階段を上がったところに観音堂がある。明治初め(1884)の秩父困民党事件の蜂起場所だそうだ。右手の鐘つき堂の鐘を打ち 鳴らして事件が始まったとある。その鐘を,今度はカミさんに叱られないように,静かにならしてみる。120年ほど前には,死ぬかも知れないと思いつつも自 分と仲間を鼓舞するために,力いっぱい打ち鳴らしたのかも知れない。

この寺の名前が呼び寄せるのだろうか,堂内には聞いたこともない歌手のポスターが所狭 しと貼ってある。 ヒットを祈願して奉納したのだろうか。

堂の右脇の小道を上って十三塚の十三地蔵にお参りにいく。これは1234年に秩父霊場を開いた十三権者(閻魔大王や ら白河法皇が入っている!)に因むものだそうだ。後になって知ったが,十三権者は,昨日巡礼してきた十三番慈眼寺が有名だそうな。晴れた日には堂からも十 三塚からも秩父の街が望める絶景の地だそうだ。残念。

音楽寺を下ったすぐのところは秩父ミューズパークの大きな駐車場だ。ここでカップラーメンのランチをとることにした。

一息ついたところで,道を渡り,紅梅,白梅,黄梅が満開の梅園を抜け再び出合った駐車場の脇から江戸巡礼古道の長尾根みちに入る。

民家の庭先や牛小屋の脇を抜ける古道を35分も歩いたところで,沢に出合った。手元の2002年の秩父巡礼道マップ&ガイドには,今は渡れない,とあるが今日は渡ることができた。でも,雨降りで水嵩が増せば歩けないかも知れない。

沢を渡るとすぐに急坂に見舞われた。

二十四番法泉寺に至るには100段あまりの石段を登らなければならない。まあ,まだこの程度ならカミさんも私も問題ない。

お灯明とお線香をあげ,読経を済 ませて納経所で記帳してもらい境内の東屋で休憩をとった。このあたりから心配していた天候が崩れ出し,雨具の世話になったが傘をさすくらいで十分だった。 やがてこの雨は止んだ。観音様はまだお守りくださってるようだ。

再び古道を歩いて荒川に出合う。

高そうな旅館の前を通り過ぎると,絵になるまち・写真になるまち展望広場という武甲山を望める東屋に出合った。

さらに古道をすすみ,道路に出合ったところが酒づくりの森だった。

ここで,日本酒やワインを試飲させてもらい,お返しに酒好きの息子への日本酒とカミさんの手芸仲間へのお茶受けの酒まんじゅうを買った。次の二十五番久昌寺に着くまでには,葷酒山門に至を許さず,も醒めてオーケーだろう。

二十五番久昌寺の山門をくぐり観音堂に参拝する。

右手に見える弁天池を巡って納経所で朱印と本尊を書き入れてもらう。このお寺も春には美しい景色になるそ うだ。

境内を出た駐車場の片隅で一休みする。インスタントの汁粉は意外にも美味かった。時計をみればまだ3時だ。この分なら二十七番までいけそうだ,とカ ミさんに相談すると,行こう行こう,と頼もしい答えが返ってきた。

道端の弁天茶屋という大きな食事処を横目にすすみ,荒川を渡る。そこからトラックの行き交う道をV字に上って行く。なんとも不快な巡礼道だが仕方がない。R140を横切り,右に影森駅を見ながら二十六番円融寺に着いた。 まずは本堂の参拝と納経帳への記帳をすませて,奥の院の岩井堂への道を尋ねた。近くの昭和電工を抜けて300数段の階段を上がれば30分で行ける,と言う。

納経書のすぐ脇から裏に回り昭和電工の正門に出る。守衛さんから,グリーンベルトを歩いて行きなさい,と説明を受けて,工場を抜ける。琴平神社への参 道を左に見送り,やがて300段の石段にたどり着いた。階段中央には手すりが取り付けられているが,踏面は何人もの巡礼者の歩きで磨り減っている。ハアハ アと喘ぎながら登る。

石段が終わり自然石を踏みしめていくとそこには岩肌を穿って立てられた観音堂の岩井堂があった。

参拝を済ませて,次の二十七番へはどうやって行こうか,とカミさんに問う。すると琴平丘陵ハイキングコースで大丈夫,だと言う。時間は4時20分,案内板 には30分とある。急いで歩かないと納経に間に合わない。そこそこの山歩きコースをハイペースで歩いていく。途中の護国観音への鎖場はパスして下りにさし かかると,カタクリ自生地に出た。やがて,観音堂の屋根が見えてきた。

この二十七番大淵寺の観音堂も最近(平成8年)に再建されたものだそうだ。秩父札所の幾つかは秩父大火(明治11年,1878年)で焼けて再建されたもの だが,ここは1919年に焼けたそうだ。中学生がカードゲームで戯れている中で読経を済ませて,下の納経所で朱印をいただく。4時50分だった。

境内の延 名水で喉を潤した。これで33ヶ月長生きするそうだ。少なくとも2009年いっぱいは生き長らえると言うことだ。

影森駅から秩父鉄道の御花畑にもどった。西武秩父の仲見世でわらじカツ丼を食べた。なかなかの美味であった。

一日目の行程(13.9キロ)を赤で,二日目の行程(26.6キロ)を黄で示した足跡だ。二日目の行程はまことに歩き巡礼に相応しい道だった。自転車で巡礼する時にはオンロードを走ったほうが良さそうだ。

 

秩父巡礼3(2007年3月10〜11日,埼玉県秩父市・小鹿野町,晴/曇)

パート3は民宿泊まりを計画した。二十八番から三十番を半日で回り,一日かけて三十一番を巡礼する日程とした。このあたりも鹿野島さんの著書の通 りだ。主体性がないが,まぁいいか。前回と同じく準急と各駅を乗り継いで西武秩父駅に着いた。駅前の「そば福」の暖簾の「秩父唯一の手打ち…」に魅か れて昼飯に入った。なるほど,蕎麦は旨い。しかし,うどんはいけない。腰もなくふにゃふにゃである。はやくも失敗してしまった。 御花畑から秩父鉄道に乗ろうとするが,やけに駅が騒がしい。

と思っているうちに蒸気機関車がけたたましい汽笛を鳴らして入って来た。今日が今シーズンのSLの運行初日だったようだ。

今日のスタートは影森駅からだ。

前回の二十七番大淵寺を横目に眺め,歩き始めると浦山民俗資料館があった。今日の予定ではのんびり行けそうなので立寄ってみた。館内は浦山地区の民俗芸能の獅子舞を中心とした展示だ。廃校になった中学校のアルバムなどが置かれている。

二十八番橋立堂は文字通り仰ぎ見る岩壁を背景に観音堂が建っている。

その脇には馬を祭った堂がある。ここのご本尊は秩父三十四霊場でも唯一の馬頭観音とい うことだ。今回は般若心経の写経を4ヶ所分用意した。カミさんが手回し良く下書きをなぞる写経セットを買ってきて,一枚トライしたものだ。私も2枚と半分 を写経した。下書き手本があっても,お世辞にも上手くはないが,観音様笑ってやってください。

納経帳に記帳してもらう時に尋ねれば,奥の院の鍾乳洞は10分ほどで回れるという。 さっそく入ってみると,荷物を預けなさい,という意味がよく分かる。始終腰を曲げないと歩けなかったり,ほぼ垂直の階段を上ったりする鍾乳洞だ。秋芳洞や 阿武隈洞には及ばないが,まさに迷路である。

内部は撮影禁止で写真は撮れなかったが,外から見ても凄いものだ。この穴のいくつかは内部にも貫通していて, 内部からは陽光が射し込むのが見えた。

二十九番への道すがら,今日も老婦人を助けることになった。二人連れの片方が道路に倒れて起き上がれない。なんでも,散歩に出掛けたのだが疲れてしまいつ まずいて倒れたのだが起き上がれない,という。カミさんと二人で助け起こした。カミさんは,秩父は老人ばっかり,とぼやく。さあ,今回はどんな観音様の御 利益があるだろう。さらに進むと正面にダムが見えてきた。この巡礼のどこかで武甲山の脇に見えたのがこの浦山ダムだったのか。橋を渡り,少し登ったところ に枝垂れ桜の樹が見えてきた。

二十九番長泉院に着いたのは2時をまわった頃だった。山門からの参道周りの庭は落ち着いていて,静寂の中に観音堂が建っている。

堂内を覗いてみれば,葛飾 北斎の描いたという桜花の図が掲げられている。北斎は山門の枝垂れ桜を描いたのだろうか? 写経を納め,納経所で記帳してもらう。そもそも朱印はこの写経 を納めることに対する領収印のことだそうだ。

三十番への巡礼道は長い。途中に,札所ではないが,青雲寺という枝垂れ桜で有名なお寺があった。なるほど,あと半月もすればそれは見事な枝垂れ桜だろう。 できればその季節にぜひここを訪ねてみたいね,とカミさんが言う。結願の暁には,お礼参りに二十九番を訪ねながらここに参拝するのも良いかも知れない。だ が,休日はものすごく混みそうだ。

やがて道はR140の歩道を歩くようになった。なんとも風情のない巡礼道だ。いい加減歩き疲れたところに道の駅の案内板が見えてきた。R140から少し外 れて秩父鉄道を渡ったところに,とんがり帽子の時計台の道の駅があった。面白いことに,ここのトイレは男女が別棟になっている。ここで,西武秩父駅の仲見 世で買った甘食を食べた。ヨモギ甘食が美味かった。

元気が出てさらに歩き続けていくと右手にみやこ旅館が見えてきた。地図を見れば,もうすぐ今夜の宿の「しらかわ」があるはずだ。見つかったしらかわを見送 り秩父鉄道を渡ると白久駅前に出た。

もうすぐ三十番だが,歩き疲れた巡礼者に本日の最後の試練が待っていた。駅からはダラダラ坂が延々と続く。やがて谷津 川館という大きな旅館が見えてきて,そこを右に入ったところにようやく山門が見えてきた。二十九番から2時間半掛かっていた。

三十番法雲寺は観音堂のてっぺんの擬宝珠が金ピカに輝いているのが印象的だった。堂の周りはいかにも禅寺と行った雰囲気を醸し出す,池や植え込みが面白 い。納経所の呼び鈴を鳴らすが音沙汰がない。もう一度ならしてしばらくして,赤ちゃんを背負子にいれた若い大黒さんが出てきた。夕餉の仕度でもしていたの だろうか。

納経所の前には藤棚,そして石段には梅の老木がある。若葉のころにはそれは素晴らしい庭が見れるだろう。

ふたたび白久駅にもどり,民宿「しらかわ」にむかう。しらかわの女将に裏手の別棟に案内され,荷物をやれやれとおろす。まずは露天風呂にはいって,埃を落とす ことにした。冬の寒さを防ぐために,農業用のビニールで囲ってある。久しぶりにカミさんと一緒に入った。十善戒の不邪淫を守ったわけでもないが,カミさん の裸を見ても淡々としたものだ。夕食の山菜のてんぷら,刺し身コンニャク,岩魚塩焼きなどなどの山の幸を堪能した。ビール大瓶2本を飲んだにも拘わらず, 二人とも見事に全部平らげた。食えること,眠れることが若さのシンボルだとしたら,我々も大いなる若人だ。本日の行程は17.1キロであった。

翌日の朝食もこれまた見事に平らげた。そこへ女将さんが紙の小袋を持ってきて,三十一番までは何もないからこれを途中で食べていって,と焼きおにぎりのお接待をしてくれた。カップ麺でお昼をとるつもりであるが,ありがたくいただくことにした。

9時前にしらかわを出発した。

今日も空はあくまでも晴れ渡っていて気持ちが良いことこのうえない。これが観音様の御利益だね。

小一時間で秩父鉄道の終点の三峰口についた。客待ちのタクシーの運転手さんが両神の福寿草園・節分草園の写真を見せて話しかけてくれる。でも,その写真は前回の巡礼の頃のもので今日が閉園だそうだ。今回の巡礼で初めてのツーショットを運転手さんに撮ってもらう。

駅の向うには秩父鉄道のかつての車両が展示されており,今は使われなくなった機関車のターンテーブルもあと数時間するとSLのために稼働するようだ。

駅の先で道は大きく右に曲がり荒川を渡る。荒川の水は都内では考えられないほど奇麗に,空気と同じくらいに澄んでいる。秩父を巡礼していると何処でも回りに山並みが見える。まさに盆地だということが分かる。出合ったR140の方向指示板には甲府の行き先が書かれていた。

R140を右に見送ると贄川(にえがわ)宿である。町並みも何となく秩父往還の面影を残している。

集落を離れたところに突然トンネルが出てきた。案内図にはそんなの描いてないヨ。クルマ大丈夫かな,とカミさんが言うが出口が見えるくらい短いので,早足で抜けることにする。

歩き始めて1時間20分のところに猪狩神社があったのでそこの境内で一服することにした。カミさんは,イノシシがでてきたらどうする,と言うがいままでにも熊も出てこなかったら大丈夫だろう,と答える。

そういえば,昨日の道端にもそんな注意書きがあったっけ。

しらかわの女将さんがいったように,今日の行程は山道ばっかりだ。神社を後に再び歩き出すと,本数が少ないにも係わらず,小鹿野町営バスが何台か追い越し ていく。それほど長時間歩いているわけだ。バス停の表示は白テープを貼った上に小鹿野町営バスとなっている。2年半前にこのあたりの四阿屋山に来た頃は両 神村だったはずだが,平成の合併で小鹿野町になったらしい。 道の両側にイヌの交配業者の小屋があり,ワンワンと吠え立てられる。亡くなった愛犬のチロ・ハナを思い出しながら黙々と歩を進める。 ところで,前回の巡礼では札所のたびにトイレに寄ったが,今回は歩くたびに「プップップッ」とおならがでる。そのたびにカミさんが「ン,モ〜〜〜ッ」と 怒って,身を引いていく。自分でも面白いほどに「プップップッ」と出てしまう。初回の巡礼の後は痔が出かかったようで,数日の間,不快な思いをした。前 回,今回はこの痔主さんは息を潜めてくれたが,今日はおならである。歳をとって骨盤周りの筋肉が衰えたのか,あまりの好天による脱力のためか?

回りに人家が増えてきた。小森のバス停だ。立派な酒屋の館があった。

その先の道の駅の薬師の湯に着いたところで,ようやく,カミさんはかつてハイキングを ここから出発したことを思い出した。今日の巡礼道は四阿屋山に行った時のスタート地点だよ,と何度も説明したのに…。ここで湯を沸かしてカップ麺をつ くり,白川の女将さんの焼きおにぎりをペロリと平らげた。

薬師堂を過ぎて左に入った行ったところが四阿屋山の入り口の福寿草園だったね,右には何か変な中国の建物(神怡舘)があったね,とカミさんの記憶は鮮明に蘇ったようだ。

しばらく歩くと,旧両神村役場に行き当たった。地図によるとこの脇から,昔の巡礼道に入っていけるようになっている。多分この辺かな,中学校とテニスコー スの間の砂利道を進んでいくと道は下り始めた。ふと顔を上げれば木の枝に巡礼道を示す案内板が揺れていた。やはり,この道で間違いないようだ。十三番慈眼 寺の秩父札所連合会が準備したものだが,この案内板はちょっと意地悪な場所に用意されていることがある。分岐点ではなく,正しい道に入ったところにあった りすることが良くあった気がする。意地悪というよりも,これも観音様の試練かと思えば良いか。

下った道はやがて沈下橋を懸けた薄川に出る(鹿野島さんの本では箒川ってなっているが)。

ここを渡ってすぐ左折して,落ち葉の中をエンヤコラと登って行く。このあたりの巡礼道を辿るには旧両神村の立派な道標が役に立った。見上げれば札所連合会の案内札もぶら下がっている。

上り詰めて民家の庭先を通り,広い道を再び上り詰めたところが権五郎落峠だ。この道は旧両神村役場辺りからサイクリングロードに指定されているようで,ここが最高地点とある。カミさんと,権五郎さんはどっち側に落ちたんだろうね,と話しながら下っていく。

R299にぶつかって右折するが,ここを左に行けば以前に泊まったことのある小鹿荘だ。そこは100年あまり前からの旧家で,囲炉裏端で食べた懐石料理が とても印象に残っている。R299を進んで左に入り,橋を渡ると,四阿屋山の帰りに通ったことのある三十一番への道だ。クルマで来た時は見過ごしていた が,たらちね観音なるものがあった。

さらにダラダラ坂をのぼると,たしかに見覚えのある,お地蔵さんが花畑のようにならんでいる地蔵寺があった。なんか商 業的な感じがするね〜,とカミさんと話しながらも参拝する。

トンネルを抜けたところに,日本一という石像の仁王様を祀った山門が見えてきた。ようやく三十一番にたどり着いたのだ。朝の9時に白久を出てから4時間 50分後だった。さてここからがまたもや最後の試練の階段だ。般若心経となんとかを足した段数だからお経を唱えながら登ると良い,と書いてあるが「観自在 菩薩,行深般若波羅蜜多時…」あれっ,何だっけ,ゼェゼェハァハァ。

ようやく三十一番観音院の観音堂に着いた。

観音堂脇の不動の滝は枯れていてちょっと寂しかった。

写経を納めて,納経帳に記帳してもらう。池の岸壁の弘法大師が爪で彫ったという千体仏やら拝んだ後,奥の院の東屋でコーヒーを淹れて一息ついた。やれやれ,今日の仕事は終わった。

観音堂の前で若い僧侶を先達に10人くらいの団体さんが休んでいた。彼らとともに,観音院を後に,栗尾バス停までポクポクと歩いた。団体さんは通りかかったバスに乗ったが,我々はさらに小鹿野の街まで歩いた。 小鹿野の街のあちこちにはしっとりと落ち着いた商家や旅館が残っている。

役場を過ぎて,次回のスタート地点ともなる小鹿野警察署のバス停に着いた。う〜〜ん,今日の行程は27.9キロだった。

バスで秩父駅まで行き,そこから羽生行きの秩父鉄道の急行に乗った。急行券200円が必要とは思わなかった。秩父鉄道は荒川に沿って走り,その車窓の景色は西武鉄道とはちがって新鮮なものだった。熊谷で乗り換えて上野に向かった。 さあ,次回はいよいよ結願だ。が,桜の季節を迎え,交通,宿をどう確保しようかと思案中である。 今回のパート3の一日目の行程(17.1キロ)を赤で,二日目の行程(27.9キロ)を黄で示したGPSの軌跡だ。

 

秩父巡礼4(2007年4月1〜2日,埼玉県秩父市・小鹿野町,晴/曇)

パート4は三十二番から三十三番を半日で回って泊まり,翌日は結願となる三十四番を巡礼する日程とした。 前回よりも早めに家を出たおかげで,池袋で秩父鉄道に乗り入れる三峰口行きの電車に飛び乗ることができた。今日の天気は良さそうだが明日は雨らしいので, 予定を変更して今日のうちに青雲寺の枝垂れ桜を見物することにした。電車は西武秩父駅を経由して武州中川に着いた。駅は人盛りで,どうやら皆さん青雲寺の 桜見物のようだ。

青雲寺は,前回の参拝の人気の無さはどこえやら,人人人で一杯だった。そして,枝垂れ桜ももう一息で満開という状態であった。枝垂れ桜の 花は思いの外小さく,しかし可憐に咲いていた。カミさんも念願の枝垂れ桜を見れて満足の様子だった。それにしても見事な枝垂れ桜である。

御花畑駅から西武秩父駅にもどり,小鹿野方面へのバスを待つ間に弁当を買った。ほどなく来たバスの中で腹ごしらえをしているうちに30分程で小鹿野警察署前に着いた。歩き始めるとすぐに見事な欅が出迎えてくれる。

金園橋を渡って巡礼がスタートした。

緩やかに登る道はやがて小判沢の集落に導いてくれた。道の脇には金精宮があり,オチンチンを祀っているのが見える。日光の金精山,金精沢,金精道路もみん なこのオチンチンの意味だったんですね〜。少子化が叫ばれる今日ですが,この部落では人手は切実な問題だったんでしょうね。

金精様を見送り,なおも登って いくと左に大日峠への道を示す案内板があった。ここからアスファルトではない巡礼道が始まった。

何回か沢を渡り歩を進めていく。

25分程で大日如来と地蔵尊を祀る大日峠にたどり着いた。

大日峠から20分も下ったところで,2年半前に訪れて見覚えのある,三十二番札所の法性寺の山門に着いた。

何段か石段を上がり,岩場に穿ったように建てられた観音堂に参拝する。堂の裏手には岩窟に石仏が座している。スリッパに履き替えてお参りしようとすると目 の前の木魚と鉦に気が付いた。前回もあったんだろうか。カミさんに鉦をたたいてくれと言うもあっさりと断られた。で,自分で木魚をたたきながら般若心経を 唱えたが,これがまたリズムがとれて気分良く読経できた。最後にカーンと鉦をならして参拝を済ませた。今までで最高の出来の読経と自画自賛した。

ここから奥の院を訪ねてみようと言うことになった。これが,また,思いの外難渋した。鎖場をよじ登った大きな岩(岩船)の両端には岩船観音と大日如来が座している。ここへのお参りするはヒヤヒヤものだった。カミさんは足がすくんでお参りを中止したくらいだった。

奥の院参拝で1時間を費やして納経所に戻り宝印を頂き,前回と同じように苦を抜くというクヌギの箸を買い求めた。 法性寺から一時間ほど歩いて,立派な宮本荘を過ぎてR299を渡った。ここからは再びしっとりと落ち着いた田園風景の中を歩くことになった。やがて,右手 に小鹿野化石資料館とその背景に陽の崖の意味で1500万年前の海の堆積跡の「ようばけ」が見えてきた。翌日はこのようばけを間近でみる羽目になるとは思 いもよらなかった。

法性寺を発って一時間半ほどの4時半に三十三番菊水寺に到着した。ここの観音堂は土間があり,堂内に納経所がある。その納経所の坊さんの前で読経すること になってしまった。まぁ下手でも良いわい,とばかりに心経を唱える。巡礼もこのあたりになると大分慣れてきて図々しくなったようだ。

さて,今日の泊りは彩の森カントリークラブというゴルフ場のホテルだ。場所はこの菊水寺から一山越した向こう側にあるはずだ。グルッと回って行くのも遠い ので事前に地図で調べたら,菊水寺に縁の深い八人峠を越えれば近いことが分かった。地元のおばあさんに峠への入り口を聞いてみると,峠道は崩落があって通 行不可と言うことだ。さらに,この時間では暗くなり危ないので止めた方が良いという。そこで,やむなく伊古田集落を通ってゴルフ場を一回りする道を歩くこ とにした。ときおりゴルフ場がチラチラ見える道を恨めしく思いながら,次第に暗くなる中をひたすら歩きようやくホテルに着いたのは6時15分をまわってい た。この間のカミさんの駆け出さんばかりのパワーのすごいことにただただ驚くばかりだった。

夕食での生ビールの旨かったこは言うまでない。この日歩いた距離は21.3キロだった。

ゴルフ場の朝食は早いので今日の予定をこなすには好都合だった。

8時20分にはホテルを出発できた。

昨日と同じ道を菊水寺まで戻るのも癪なので,反対側の道をグルッとまわることにした。30分ほど歩いたところで八人峠への入り口が見つかった。予定ならば 昨日はここに下りてくるはずだったところだ。入り口には三十三番への道も示されており,通行不可の注意もない。

昨晩の雨で峠道は濡れているので用意したス パッツを装着して登り始めた。道ははっきりしていて何ら問題なさそうである。

15分登ったところで視界が開けてきた。どうやらここが八人峠らしい。ここから右に分岐する道があり,下には建物が見える。下りていくとそこはゴルフ場管 理の建物だった。作業する人に聞いたところ,建物裏の尾根を回って菊水寺に行く道があるという。分岐に戻って尾根を歩くが,伐採された樹木に行く手を阻ま れて難儀しながら歩を進める。やがて道は踏み跡程度になり分岐らしき地点に来た。GPSでみるとどうやら菊水寺は左方向のようだ。痩せた尾根道を進むが 下っていく気配はない。

右下を見れば遙か下方に河原がのぞまれ,さらに身をのり出せば,なんと今いるところは崖っぷちである。そこで先ほどの分岐まで戻 り,右方向に進んでみた。が,こちらも左手の下方はは河原でここでも崖っぷちを歩いているようである。GPSの地図は市街地図なのでこのあたりの状況は分 からないが,あらかじめ頭に入れておいた状況から判断すると,どうやら昨日遠くにながめた「ようばけ」の真上にいるようである。ちょっと足を踏み外せば下 の河原に真っ逆さまに転落してしまう。1時間ほど迷い歩いていたが,もとの峠入り口に戻ることにした。

再び倒木をまたいでゴルフ場管理棟への分岐に戻る。そこには,倒れてはいるが三十三番への指導標があり,やはりゴルフ場管理棟への方向を示している。諦め 切れず,もう一度管理棟で聞いてみようかと下り始めると,すぐ左手に分岐する小道が目に入った。どうやらこれが八人峠から菊水寺にむかう峠道のようだ。向 こう側の入り口辺りは崩落しているというのが昨日の地元の人の話だったが,すでに半分は来ているので戻ってもなんぼとばかりに進むことにした。果たして菊 水寺への指導標が現われて,それなりの峠道が続いている。

ようやく見覚えのある昨日尋ねた民家が見えてきた。そのあたりで溝を跨いでいる鉄柵が外れているほかは峠道はどこにも崩落の跡はなく,通行には支障はな かった。下りてきて出合った住民と話したところ,獣には出合いませんでしたか,と聞かれて驚いた。このあたりには猪や猿が出るそうだ。また,ようばけから 落ちなくてよかったですね,とも難儀をねぎらわれた。

やれやれ,やっと昨日の打ち止めの菊水寺に戻ってきた。ホテルを出発して2時間半あまりの時間が経っ ていた。

休む暇もなく菊水寺を後にして三十四番へと向かう。やがて橋のたもとに瀟洒なホテル・バイエルが見えてきた。本当はここに泊まりたかったのだが,人気のあるホテルらしく,今回の予定では満室だったのだ。あ〜あ,恨めしい。

巡礼道はやがて旧吉田町に入ってきた。右折する角になにやら立派な建物が見えたので立ち寄ってみた。大正8年に建てられた武毛銀行の本店だった建物だそうだ。

さらに進むと前方に立派な道の駅「龍勢会館」と龍勢茶屋が見えてきた。

ここで一休みすることにして,ロケット花火で有名な吉田の龍勢祭りの展示と映画「草の乱」のロケ地の井上伝蔵邸セットの秩父事件資料館をのんびり見学し た。思えば子どものころ,リュウセイという花火があったが流星ではなくて龍勢だったのかも知れないね,とカミさんに話すが男の子と女の子とでは遊びが違っ たのか,噛み合わない。

1時間ほど見学・休息して龍勢会館を後にして,カタクリの幟に導かれて白砂公園の入り口の諏訪神社にたどり着き,ここで遅めの昼食を取ることにした。今日のメニューは野菜たっぷりラーメンだ。

腹ごしらえも十分となり歩き始めるとすぐに立派な馬頭観音堂に出会い,いよいよ三十四番水潜寺への巡礼道が始まった。

しばらくアスファルト道を上ると,見落としそうな指導標があり右への巡礼道を分ける。ここから札立峠を越える道が始まりまった。と,思ったら再びアスファルト道へ出て下り始めた。地図をみればこのあたりが頼母沢の集落のようだ。

土壁のお堂を見送りながら集落を登って行くと右に南無観世音菩薩の幟が見えて来て,ここからが本格的な札立峠への巡礼道が始まった。秩父は,本当に,いたるところにこのようなお堂や社がある。

急な登りだとか巻き道だとか励ましの道標に導かれて30分も歩いたところで,廃屋となった茶屋が見え札立峠に着いた。

ここには破風山からの関東ふれあいの道が合流して巡礼道とともに水潜寺に下っている。

下り道は岩がゴロゴロのちょっと歩きにくい道だがしっかり整備されている。

25分も下ったところで,ガイドブックにのっていた水潜寺近しのお地蔵さんのお迎えだ。

心配された雨にも降られずに,とうとう結願の三十四番水潜寺に着いた。

観音堂は,2年半前に尋ねた時は修理中だったが,半年ほど前に完成したそうだ。写経 を納経し,最後の読経をあげ,お願い事を心の中で唱えた。納経所には,見覚えのある童顔を残したお坊さんがいて,今回もよくおしゃべりをしてくれた。その 割りには,と言ってはなんだが,印文は下手だ。カミさんと,もっと練習して欲しいね,と話しながらバス停に向かった。

調べていったバス時刻表は昨日の4月1日に改定になったそうで役に立たなかった。ところが,観音様の御利益か,5分後にバスが来るという時刻表であった。

皆野駅でも少しの待ち時間で三峰口行きの電車にのることができた。

御花畑駅に着いたのは4時半前だったので,一番近い十三番慈眼寺にお礼参りに寄ることにした。暮れなずむ観音堂の前で深々と,観音様のお陰で無事に結願を迎えられたことにお礼した。

境内の桜は,前回の参拝で納経所の大黒さんが話してくれたように,見事に満開であった。

今回のパート4の一日目の行程(21.2キロ)を赤で,二日目の行程(20.4キロ)を黄で示したGPSの軌跡だ。地図の右手のグルッとまわっているコー スがホテルへの足取りで,菊水寺に交わる前のY字状の足取りが「ようばけ」の彷徨だ。全行程を示した地図によると,歩いた距離は156.1キロになった。 これでも四国遍路の1/9でしかない。もう一度と言わずにもう二度くらい,通しの順打ちと逆打ちで訪ねてみたい秩父である。

この巡礼を通して何が得られただろうか。鹿野島さんたちのような新たな夫婦の絆だろうか,それとも般若心経を通しての「色と空」への遍歴だろうか。それを確かめるための巡礼をしてみたいものだ。

 Posted by at 6:16 PM

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