7月 172022
 

新型コロナウィルスの蔓延と東京オリンピック2020(+1)で2018年を最後に開催されていなかったCSCトラック自転車競技大会が再開されることになった。この大会は『幅広い年令層の自転車競技愛好者が日頃の練習の成果を発揮できる場を提供し、トラック競技の楽し さ・ 面白さを体感してもらい、広く一般に自転車競技の普及を図ることを目的とする。また小・中学生の全国大 会としての位置づけを確立し、クラス分けを細かくし、同年代の選手たちと競える場を作ることにより競技力の 向上を図る。』という主旨でMU-13の12歳以下のカテゴリーからMM70-の70歳以上のカテゴリーまでの13のカテゴリーに分けられている。40歳以上は5歳刻みでカテゴリーが構成されているが70歳以上は天井なしのカテゴリーとなっている。

自分としては2017年のドイツ自転車旅(ドナウ川自転車道エルベ川自転車道)や2018年の北海道・東北旅行のお遊びが忙しくてこの大会は参加できなかったので,実に,2016年以来の6年ぶりの参加となった。コロナ禍の最中とはいえ3連休の混雑にあったらひとたまりもないので眠い目を擦りながら3時に起きて4時には自宅を出発した。流石にこの時間帯では常磐道,首都高速,厚木小田原道路・西湘バイパスは空いていた。箱根新道と伊豆スカイラインは深い霧の中を走ることになってしまった。単独での運転なので慎重にハンドルを操作して走行せざるを得なかった。それでも7時過ぎに伊豆市(旧修善寺町)の日本サイクルスポーツセンター(CSC)の伊豆ベロドロームに到着した。オリンピックでどこが変わったのかよくわからないが,とにかく雨が降らないうちに機材を運び込んで居場所を確保しよう。

IMG 1343 IMG 1345

ウォーミングアップの場所を確保して,初心者の練習時間帯に恐る恐るバンクに入ってみた。6年ぶりの45度のカントに入れるかどうか心配だったが,コロナ禍の中を333mのグリーンドーム前橋でのトラックミーティング(練習会・記録会)に参加しておかげで,スプリンターレーンを走行することができた。スピードを上げて「ハンドルは接線方向に」と念じながらブルーのステイヤーラインまで上がることができた。やれやれこれで200mハロンは走れそうだ。練習時間が終わり,第1センタには200m FTTのスタートラインが準備され始めた。45度のカントの上に登るには梯子が必要なようだ。

Csc2022 WU Csc2022 TrackSetting
今回は70歳以上のカテゴリーの200mFTT(フライイングタイムトライアル),500mTT(タイムトライアル)と2日目の2kmIP(個人追い抜き)に登録した。ギアは50 x 15T(ギア比:3.33)で全種目を走ることにした。200mFTTの出場メンバーを見てみるとどうやら2位以内に入って午後のスプリント決勝に出られるかもしれないゾ。200mFTTはバックストレートから発走して3周半を走り,最後の200mを全力で走ってタイムを競う種目だ。333mや400mのバンクで練習をしてばかりいたので,250mバンクでのハロン(200mFTT)は周回数と45度のカントに上がる時のスプリントのタイミングを常に頭に置いていた。

2周回を過ぎてバックから第2センタに,恐怖を克服して(まさに)駆け上がり,そこからもがいて駆け下ろしてホームストレートを全力でもがく。ジャンジャンと鐘がなっての最後の周回は第1センタが計測開始となるので,ここで既にトップスピードに乗っていなければならない。が,気持ちはトップスピードだが脚は回ってないのが自覚できる。なんとかゴールしたがタイムは14秒725(時速48.9km,0-100mラップタイム:7.259秒,100-200mラップタイム:7.466秒)と芳しくない。顔見知りの役員さんが「T田さんとあんまり変わらないじゃん」と言ってくれる。どうやらスプリント決勝に行けそうだ。午後の500mTTに向けて,カミさんが昨晩のうちに作っておいてくれたお弁当で,腹ごしらえをする。ハンドルをDH(ダウンヒル)バーに交換する。
この大会は日本自転車競技連盟(JCF)の登録が参加条件となっていて,自転車の検車も毎回の招集のたびにJCF規則に則って行われる。自分の機材は事前の計測でBB(クランク軸)位置に対するサドルの位置がどうしても規定から外れてしまうので,,何人もの諭吉さん・一葉さん・英世さんにご出場願って,サドルを新調したのだ。DHバーとBBの位置関係は既に突き出しを短くカットしてあるので大丈夫だろう。自転車機材の検車はパスしたが「背中のゼッケンをもっと中央寄りに付け直せ」と注意された。「ワンピースなので脱がないと付け直しができないので,明日のレースには間に合わせる」と言って勘弁してもらった。いやはや。

CSC2022 200mFTT 1 Csc2022 200mFTT 2 Csc2022 200mFTT 3 Csc2022 BikeCheck
午後の500mTTは悲惨な結果だった。2人の選手がホームとバックからの同時スタートする対戦形式だ。対戦相手はMU-15の中学生だ。スタートしてすぐのコーナーでの立ち漕ぎ(ダンシング)はフラフラしてまともに走れないし,DHバーを握り直してからもスピードは上がらない。いや,バーの引き付けとペダリングが全くチグハグでどうしようもない。で,ゼイゼイハァハァもなく終わってしまった。タイムは,これまで記録したことのない(つまりワーストワンの)47秒270(時速38.1km,0-125mラップタイム:17秒470,125-250mラップタイム:11秒179,250-375mラップタイム:9秒712,375-500mラップタイム:9秒522)であった。いくらなんでも酷すぎる。出場30人中の14位,カテゴリー別では5人中の4位の成績だった。
Csc2022 500mTT 1 Csc2022 500mTT 2
とにかく,気を取り直してスプリント決勝に向けてローラーを漕いでクーリングダウンした。6年前のこの大会では,思いがけなく,3人でのスプリントの3位決定戦に出場できた。しかし,1対1のスプリント決勝は生まれて初めてのことだ。テレビなどでは何回か1対1のスプリントを観ているが,どうやって走るのか作戦・戦術が全くわからない。対戦相手のT田さんはベテランというかこの種目のレジェンドのようだ。顔見知りのN村さんに聞いてみると「相手に先に仕掛けられないように,自分がここぞと思ったところで踏め」と言われた。それはそうなのだが,どこが『ここぞ』なのかが分かれば苦労はしないヨ。
ジャンケンで負けてインからのスタートとなった。スタート前の役員の説明ではインの選手は半周の先行義務があるということだ。バックストレートまではブルーバンドを走行した方が良いとも説明された。6年前のハロンでは第2センターでスプリンターレーンに上がってしまい,スピードが遅かったので,見事に滑って落車したことがある。この大会でも直前の組みが第1センタで落車があって再発走となっている。
笛の合図でスタートしてすぐにブルーバンドに降りる。バックストレートでスピードアップしてスプリンターレーンに乗った。2周目の第1センターでステイヤーラインまで上がって駆け下りながらスピードアップしてみるが相手は後ろにピッタリ着いている。そのままホームストレートを走行して,最後の周回のジャンの鐘を聞く。とにかく,ここからは思い切って踏まなけれならないとスプリンターレーンをひたすら走る。ゴール直前で右後ろからT田さんのハァハァという声が聞こえたがそのまま先着した。何と,勝ってしまった。

Csc2022 sprint 1 Csc2022 sprint 2 Csc2022 sprint 3 Csc2022 sprint 4 Csc2022 sprint 5

仲間のK子さんがスマホで動画を撮ってくれたのを見てもどこの『ここぞ』で踏んだのかがわからない。上がりタイム(最後の200mのタイム)は15秒32というあまり速くないタイムだが,とにかく,勝ってしまった。ところで,スタートがアウトサイドの後行だったらどうだったろうか? 先行ならば「行くしかない」が後行では,ただ着いていくしか能がない走り方しかできず,相手がスパートしても捲る自信も力もなかっただろうから2位に甘んじる他はなかっただろう。まさに棚ぼたの勝ちだった。

表彰式で真ん中に立ったのは6年前の1kmTT以来のことだ。3位には仲間のK子さんが200mFTTのタイムで入賞した。しかし,次回の機会ではこんな上手くはいかないだろうナ。マグレというかビギナーズラックというか,全くもって,くすぐったい勝利だった。

Csc2022 sprint 6

大会1日目が終わりここから1時間ほどの富士市に住む姉夫婦に電話して一宿一飯の恩義を受けることになった。カーナビで住所を入力したにもかかわらず迷子になってしまった。いつものことながらこの車のナビゲーションシステムの素晴らしには文句のつけどころがない(なんてことは全くの嘘だ)。電話して迎えに来てもらったが,後から振り返ると,迷子から脱出しようとしていた時には姉の家の前を通過していたようだ。6年も来ていないと忘れてしまったのか,はたまた例の,一過性アルツハイマー症なのかはわからない。
Csc2022 SisterFamily
大会2日目は昨日までとは打って変わって晴天となった。7時15分に姉夫婦に一宿一飯のお礼と近々のカミさん同伴の再訪問を約して出発した。1時間ほどで余裕を持ってベロドロームに到着した。練習時間には,DHバーに慣れるように,特にコーナーでの走りに重点を置いて試走した。
2km個人追い抜きもホームとバックから2選手が同時スタートする対戦だ。自分はバックからのスタートで対戦相手は,これもロードレースやケイリンのレジェンドと謳われる,N村さんだ。N村さんは自分よりも3ヶ月早い誕生日ということで,本大会の最高齢の参加者だ。
発送機からのスタートはフラツキもなくコーナーでの走行もあまりブレはない。3周まではちょっと頑張って踏んだが,その後の2周で少し脚を休めて走れた。しかし気分は「えぇ〜,まだ半分かヨ」という具合だ。最後の2周回はゼイゼイハァハァ言いながら頑張ったつもりだ。最後の半周回の第1センターあたりでパアァンとピストルが鳴った。N村さんの方が先着したのだ。
タイムは3分10秒344(時速37.83km,0-250mラップタイム:28秒195,250-500mラップタイム:21秒363,500-750mラップタイム:22秒581,750-10000mラップタイム:23秒782,1000-1250mラップタイム:24秒343,1250-1500mラップタイム:23秒859,1500-1750mラップタイム:23秒675,1750-2000mラップタイム:22秒546,)であった。出場11人中の9位,カテゴリー別では5人中の3位の成績だった。2kmIPのいつもながらの感想は「もうちょっと行けたかなぁ」だ。これくらいの距離となると,潰れずに最後までスピードを保つためのペース配分が難しい。ラップタイムをみると5周目で休みすぎていることがわかる。規則でスピードメーターなどを取り付けて走ることはできないので頭と脚を心肺(心配^_^)しながら走らざるを得ないのだ。しかし,次回の対戦では「行けそうだ」との感触を得た。

Csc2022 2kmIP 1 Csc2022 2kmIP 2 Csc2022 2kmIP 3

2km個人追い抜きで自分が出場する種目は終わったので,表彰式はパスして,帰路の渋滞を避けるべく早々に伊豆ベロドドームを後にした。ちょうど正午に出発したら,なんと,3時間ちょっとで往路と同様に渋滞もなく3時間少々で自宅に帰り着いた。

東京オリンピックとコロナ禍(covid-19)を挟んで6年ぶりに顔を合わせた仲間たちと「おぉ,生きていましたか? 今日は楽しく走りましょう」との挨拶を何回も掛け合った。6年前はお元気だったN山さんは鬼籍に入られたと聞いた。京都から参加していたF島さんの姿は見えなかったが,90歳に手が届きそうなお歳だろうか? 今後のこの大会は文字通りの生き残りゲームとなるだろう。