葛飾坂東三十四カ所

 

第1回巡礼(2009年1月24日)

かねて調べておいた葛飾坂東三十四カ所の巡礼に出かけた。前回の猿島坂東三十三カ所と地域は近く,一部は重なる札所もある。前回の開帳は平成十四年だったそうなので次回は平成二十六年(2014)になるようだ。縁起などの詳細は,木塚治雄「観音霊場巡りー猿島・葛飾坂東観音御開帳記念ー,筑波書林(ふるさと文庫),1989,にある。それによれば,正徳四年(1714)に秀伝大和尚が開いたと言うことだ。これを片手に国土地理院の地図とにらめっこしておおよその見当をつけたが,不明のところも多い。今回は重いニコンのデジタル一眼カメラはおいて,リコーのR8を持って行くことにした。今季一番の寒さの中を,BD-1をクルマに積んでR354の道の駅さしまを目指した。あまりの寒さにここで温かい饂飩をすすって出発した。GPSは利根川,江戸川を渡り国道4号を走れと指示した。見慣れた関宿城を望みながら利根川を渡って千葉県に入った。

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クルマがビュンビュンと走る国道4号には自転車が走れる脇道があったのでそこをえっちらおっちらと一番札所の実相院(N 36°06′38.98″,E 139°44′08.20″)を目指した。実相院は大きなお寺で,さすがに一番札所の貫禄がある。畳一枚にもならんとする大きな扁額が朱塗りの観音堂に掲げられている。そこには葛飾坂東じゃなく,下総坂東第一番とある。あまりの寒さに手袋のままでご本尊の千手観音様に般若心経を唱えた。お参りを終えて次に向かおうとすると自転車に乗った中学生の3人組が境内を抜けようとしていたので,最後の一人に「観音様にお参りしていかないの」と尋ねたら,なんと素直に,お賽銭まで入れてお参りをしてくれた。観音様どうぞこの子をお守り下さい。お布施をしなかった自分がちょっと恥ずかしいね。

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次の二番札所の観音寺を探したが,どうにもそれらしきお寺は見つからない。近くには東昌寺(N 36°06′11.4″,E 139°46′4.9″)という立派なお寺があるのだが,どうもこれではないようだ。参考にした本には観音堂の写真が載っているのだが,あちこちうろうろと探したがとうとう見つからなかった。通りかかった婦人に尋ねても分からなかった。

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次なる三番札所天福寺(N 36°07′12.62″,E 139°45′25.39″)は利根川沿いにあるはずだ。ありました,大福田天満宮の広々とした境内の隅に新しい観音堂が建っていた。気合いが入った葛飾坂東第三番札所の碑がある。中の厨子には十一面面観音様がおわすはずだ。

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地図によるとこの道筋に第四番札所もあるはずだがGPSはわざわざ(?)回り道を示す。ここは地図の卍マークを信じて走ることにしよう。果たせるかな,これも気合いの入った四番札所の碑を建ている正徳寺(N 36°07′26.44″,E 139°45′07.96″)の山門前に出た。境内脇の聖(正)観音様を祀っている観音堂に参拝しようと,ふと足元を見ると,西国・坂東・秩父の百観音霊場と四国八十八カ所の霊場の砂を埋めた仏足石のような物があった。いずれは西国三十三カ所と四国八十八カ所を訪れたいものだ。

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次なる五番札所の勝光院と六番札所の岩屋(浄雲寺)を探しながら利根川に沿って遡っていくが,あらかじめマークしておいたところにはそれらしきものが見あたらない。寒くて手足が凍えて気分もブルーになってきたので,ここはあきらめて埼玉県栗橋市を経て利根川橋を渡り,再び茨城県に戻った。
古河市に入って見つかったのは第七番札所の万福寺(N 36°08′58.55″,E 139°42′54.68″)だ。敷地は広いが正面の本堂は無住のようで,ちょっと寂しい感じだ。しかし,脇に建つ十一面観音様を祀る観音堂は朱塗りの立派な堂宇であった。内部もなかなかの様子だった。

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ここで,持参してきたお昼をとったが,あまりに寒くて水分を補給する気にもなれなかった。エネルギーを補給して第八番札所の東光寺(N 36°08′47.66″,E 139°44′18.34″)を目指した。東光寺には大きな椎の木があった。観音堂は比較的新しく,二十年ほど前に建てられた物らしい。内部のお厨子には千手観音様がまつられているようだ。

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参拝を済ませて,そろそろ戻ろうと思いPGSで道の駅さしまをセットしようとするも,操作方法を忘れてしまってうまくいかない。次第に暗くなり,寒さも増してきたのでとにかく,たぶんこっちだろうと見当をつけた方角に走り始めた。次からは出発点もポイントに設定しておこう。幸い,少し走るとR354の標識を見つけた。これを進めば道の駅に行き着くはずである。途中の第十二番札所の吉祥寺に立ち寄ろうとしたが,これもマークした地点には見つけることができなかった。諦めてR354に戻ると,果たして,前回の猿島坂東三十三カ所で走った見覚えのあるコースに出て,やがて利根川沿いの道の駅に帰り着いた。走行距離46.3キロ,走行時間4時間12分の第1回の巡礼であった。

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第2回巡礼(2009年2月7日)

第二回の巡礼を計画している最中に寺院検索テラメッケというサイトを見つけた。前回の巡礼で不明であった二番,五番,六番札所を調べてみると果たして,二番と六番の住所と地図が分かった。この情報と九番から十八番までをチェックしてデータをGPSに入れ直した。さて,今回の巡礼は利根川の右岸の五霞町の3札所と左岸の古河市の10札所だ。まず,五霞町役場にクルマをデポしてBD-1で周り,昼からは道の駅さかいにクルマを置いてBD-1で巡礼する計画を立てた。クルマの窓を開けてポカポカ陽気の春の陽射しを浴びながら五霞町役場に到着した。BD-1をセットアップして県道268号を南東に向け,前回訪ねた利根川の下流の江戸川が分岐する辺りの河畔を目指した。

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二番札所の観音寺(N 36°06′04.18″,E 139°46′21.08″)は香取神社と山王集落センターの一角の朱塗りの観音堂であった。この組み合わせは今日の巡礼のあちこちでお目にかかることになるパターンであった。堂宇の四隅はなぜか丸太のつっかい棒がしつらえられていた。今日初めての般若心経を誦して,聖観音のマントラを唱えた。

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県道を戻り役場を通り過ぎて五番札所の勝光院(N 36°07′31.66″,E 139°44′19.95″)のある小手指を目指した。しかし寺院検索テラメッケの情報が示す住所には寺も墓も無い。道に出ていた旦那さんに聞いたところようやくあり場所がわかった。着いたところは小手指農村公園と香取神社と小手指集落センターであった。しかし,まさに建築中の堂宇があるではないか。大工さんに聞いてみたが,葛飾三十四カ所の札所の観音堂を造営しているのかも知らないという。ありゃりゃ。ところが脇の集落センターの壁には第五番勝光院の十一面観音のご詠歌が掲げられている。ということは,建築中の堂宇は新しい観音堂と言うことになる。桜の頃に完成だろうか,信者の方にとってはさぞかしご開帳が楽しみだろう。

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県道に戻り国道4号線の方角に向かってBirdyを走らせ,第六番札所の浄雲寺(N 36°07′42.22″,E 139°43′36.24″)探しをリベンジだ。県道沿いに川妻集落センターと香取神社があったが,ここには観音堂はなかった。そこの県道を南に入り,野良仕事をしていた方に大銀杏のある葛飾坂東札所の浄雲寺を訪ねた。近くの古墳の辺りにあるのがそれかも知れない,とのことだ。そういえば,ここを曲がる手前の県道脇に穴薬師古墳の案内板があったっけ。お礼を言ったところ,偉いですね〜,と観音巡礼を褒められた(?!)。穴薬師古墳のそばには大銀杏があり,そこには浄雲寺があった。境内の石碑には平成二年に穴薬師観音堂が竣工されたとあるからここに間違いない。ここの観音様は如意輪観音である。はて,マントラはなんだっけと心経に貼ったコピーをみる。「オン ハンドメイ シンダマニ ジンバラ ン」と舌を噛みそうになりながら唱えた。

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これで五霞町の札所は一〜六番まで全部を回ったことになる。ふたたびUターンして五霞町役場にもどった。クルマのナビで調べてみると九番の金蔵院がすぐに検索された。ということは駐車場くらいあるお寺だろうと予想して,道の駅さかいに行くのをやめて直接九番に向かうことにした。利根川を渡り古河市に入って国道354号を陸上自衛隊古河駐屯地に向かった。途中のラーメン屋でお昼を取って,エネルギーを補給した。

第九番札所金蔵院(N 36°10′26.67″,E 139°43′53.45″)はR354北側の住宅街の中にあった。本堂の右手に朱塗りの観音堂がある。立派な賽銭箱に圧倒されて,今までの分をまとめて喜捨せざるをえなかった。厨子には,ここも,如意輪観音様が祀られている。駐車場にクルマをデポして,BD-1を取り出して十番札所を目指して走り出した。

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十番札所金乗院(N 36°09′25.86″,E 139°44′59.26″)は釈迦小学校との前に道を挟んであった。しかし,釈迦小学校とはすごい名前だね〜。広い境内の突き当たりに朱塗りの観音堂があった。堂宇の中の厨子にはビニールがかけられている。そこには聖観音様がおわすはずだ。

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次の十一番の浄林院(N 36°10′13.95″,E 139°45′33.52″)は,「観音霊場巡り」によれば進境著しい工場,住宅街の中にあるという。工場街を抜けるとネーブルパークというアウトドア施設の前に出た。孫と遊ぶにはいいところかも知れないなどと考えながら,近くを探すがいっこうにそれらしきものは無い。辺りは住宅街と言うよりも雑木林や茶畑だ。庭で洗濯物を干している主婦に尋ねてみると,この近所の13軒が順番に開帳の時の札所の面倒を見ているという。今までに6軒が担当したいるという。12年ごとの開帳の話だとすると70年前からの順番と言うことになる。教えられた辺りに行ってみると,ここもまた駒羽根集落センターと香取神社の一角に小さな朱塗りの観音堂があった。神社の裏ではお年寄りがゲートボールに興じている。神社の参道には部活帰りらしい中学生3人が遊んでいる。そのうちの一人が,私が観音堂に参拝したのを見ていたのか,神社にお賽銭を上げてお参りし始めた。彼と坂東三十四カ所の話をしたが,現世利益の観音様よりも神様の方が分かりやすいという顔だった。前回の一番札所での中学生もそうだったが,この辺りの中学生は素朴で純情だ。いつまでもこうあって欲しいのだ。

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十二番の吉祥寺(N 36°08′33.82″,E 139°45′50.28″)は前回の巡礼で立ち寄ろうとしたのだが分からなかった。しかし,今回の巡礼ルートでは難なく地図通りの位置に見つけることが出来た。両脇を2軒のお寺に挟まれた吉祥寺は山門を持ち,本堂もなかなかのものである。朱塗りの観音堂の中に三面六臂の聖観音が開帳されていた。大概の聖観音様はシンプルな形(一面二臂)であるが時々このような変容の姿にもお目にかかることがある。

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地図によれば,ほんのこの先に第十三番札所の観音堂(N 36°08′30.07″,E 139°46′09.12″)があるはずだ。果たせるかな,500メートルも行かないうちに庫裏が一緒に取り付けられている観音堂があった。隣に立つ小屋には前回のご開帳の時の奉加が書かれた板がある。脇の石碑には文政三年(1820)の年号が読める。

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第十四番札所の宝性院(N 36°09′42.72″,E 139°46′32.04″)は葛飾坂東三十四札所の札元である。というのはここに観音霊場を開基した秀伝大和尚の墓があるからだ。広い境内の橋には久能集落センターがあり,反対側には大きな朱塗りの観音堂が建っている。厨子には十一面観音様が祀られている。秀伝大和尚は正徳四年(1714)に葛飾坂東三十三札所(三十四札所ではなく?!)開基したと書いてあるから300年ほど経って自分がそれを巡礼していることになる。あと300年後にもここは在るのだろうか。

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十五番札所の真如院もまた下調べでは不明である。それと思しき辺りに行くと畑の中に観音堂(N 36°09′57.56″,E 139°46′54.22″)があった。行ってみるとそれは青果供養観音だという立派な石碑が添えられている。近くでハウスの手入れをしている方に伺うと,その方が天地叢生会創始者を名乗る高橋了南さんであった。3千万円かけて建立し,青果供養観音には30万円をかけたという。昔は東京で青果業を営んでいたそうで,そのころから野菜を供養しなければいけないと思っていて,こちらに戻ってきて建立したという。近くにあるはずの真如院を尋ねると,口角泡を飛ばして青果供養観音の方を熱っぽく語る。はては,生命とはなにか,命はどこにあるのかなどと禅問答を吹っかけてくる。早く札所を回りたいのだが,離してくれない。青果供養観音の主旨の印刷物やら写真の他にお札まで持たされてしまった。それはそれは,とってもとってもユニークな83歳の高橋さんであった。南無観世音菩薩,南無観世音,南無観,南無観…。

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十五番札所真如院(N 36°10′02.87″,E 139°47′00.82″)は白壁が印象的な観音堂であった。鰐口の下には先日の節分のなごりだろうか,豆や供え物が残っている。中の厨子は立派で,高橋さんが言うような埃だらけではないようだ。そこには十一面観音がおわすはずだ。場所といい風情といい,いかにも村人がひっそりと守っているというような観音堂だった。

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十六番札所の竜蔵院(N 36°10′08.85″,E 139°47′11.13″)は県道から伸びる長い参道を持つ。中門をくぐると正面には立派な本堂があり,左手には白衣観音様がお立ちになっている。それと向かい合うように,弘法大師と七福神が並んでいる。観音堂はと探せば,何と,納経所を備えた立派な観音堂である。堂の入り口には金字で誇らしげに葛飾札所を謳っている。これまでの札所の中で最も立派な札所といえるだろう。気合いバンバンの札所である。お賽銭をあげて,声高らかに般若心経をあげて聖観音様をマントラで讃えた。何ともすっきりした気分になった札所だった。

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十七番札所華蔵院(けぞういん N 36°10′05.08″,E 139°47′17.95″)を道ばたでキャベツを収穫している夫妻に尋ねた。ちょっと戻った県道沿いに在るというが,小径を間違って入ってしまい,また分からなくなった。そこに耕耘機に乗って来た方に訪ねてようやく辿りつけた。今回の巡礼は,札所探しでいろいろな方にお世話になった。前回の寒さではなかなか人々に出会えなかったが,今日はポカポカ陽気で外に出るのが億劫ではなくなったからだろうか。観音堂の前には前回の御開帳の碑が建っている。暮れかかる光の中にぼんやりと聖観音さまが祀られている厨子が浮かんでいた。時刻はそろそろ4時を回る頃だ。いけねぇ,今日はBD-1のライトを持ってきてない。日が落ちないうちに今日の最後の札所の久昌院を回って,九番の金蔵院に戻らねば。

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十八番札所の久昌院(N 36°09′51.16″,E 139°48′19.47″)は猿島坂東三十三札所巡礼ですでに参拝している。ここは猿島坂東と葛飾坂東の札所を兼ねているのだ。しかし,それぞれの札所に観音堂がある。葛飾坂東三十四カ所の観音堂には十一面観音が祀られている。夕日に映える観音堂で今日の巡礼の無事を感謝しながら心経を唱えた。

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暗くならないうちにと県道を戻り,クルマを置いてある九番札所金蔵院に帰り着いた。本日の走行距離は50.52km,走行時間は5時間57分であった。これくらいの距離は,やはりBirdyでは辛い。次回はロードレーサーにしようか。

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第3回巡礼(2009年3月5日)

立春を過ぎたといえ,菜種梅雨にはちと早いようなすっきりしない天気が続いた。 しかし,天気予報は今日が晴れで暖かいといっているので,休暇を取って葛飾坂東観音巡礼を続行することにした。前回の十八番札所の久昌院から回り始めるのが筋だろうが,そこはパスして十九番札所の万福寺までクルマで行きそこから出来るだけの札所を回るつもりである。

十九番札所の万福寺(N 36°11′28.87″,E 139°50′21.58″)は貫禄たっぷりの大きなお寺だった。境内は広く,鐘撞堂も新しい。さらに,新たな本堂の建築が進行中である。山門からまっすぐのところに丹塗りの立派な観音堂がある。ご本尊は安産,子育てを守る如意輪観音様が祀られている。初春の暖かな陽射しの中で,般若心経を誦した。ついつい忘れてしまうがマントラは舌を噛みそうな「オン ハンドメイ シンダマニ ジンバラ ン」だ。

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二十番札所の観行院(N 36°12′45.88″,E 139°51′40.82″)を探して隣町の八千代町に入った。幸いにも,地図で予想した場所に見つけることが出来た。観音堂に庫裏が併設されている。前回のご開帳のときに設えたのだろうか,寺名が書かれた額が誇らしげに掲げられている。堂内には聖観音が祀られているとのことだ。

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再び古河市(旧三和町)に戻り,第二十一番札所の遍照院(N 36°12′16.12″,E 139°50′06.48″)を探したのだが,どうにも見つからない。ウォーキング中の夫妻に尋ねてようやく探し当てた。ここも小さな堂宇だけが道端に建っていたが,脇の石柱は堂々と馬頭観音が祀ってあることを示している。夫妻は,この近くにも番外の札所がある,という。はて,どこのことだろうか。まあ,番外は始めからパスしようと思って全く調べてないのだから先を急ごう。

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第二十二番札所の宝蔵寺(N 36°11′28.87″,E 139°50′21.58″)は大きなお寺で,幼稚園の経営もしている。飾り付けをした本堂に向かい合って,大きな観音堂があった。間口8m,奥行5mという。扉の緑の文様とその上に掲げられている青地に金文字の扁額が威厳を感じさせる。内部の厨子には聖観音が祀られている。提灯の文字は聖ではなく正観音となっている。

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GPSが指示する次なる札所を目指して宝蔵寺前の道を渡るとGPSは目的地に到着したと報告する。当たりをきょろきょろしてみると民家の路地の隙間から観音堂らしき屋根が見えた。路地を抜けると,果たして,観音堂の境内に出た。扁額には長性寺大慈堂(N 36°12′07.75″,E 139°49′05.49″)とある。綺麗に手入れされた堂内には十一面観音が祀られている。

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そろそろお昼時になったが,つぎの札所は近いのでそこを回ったらにしようと決めて,第二十四番札所の円能寺に向かった。道端の広々とした境内の中に新しい円能寺(N 36°12′29.29″,E 139°48′52.27″)の観音堂が建っていた。壁にはこの付近の女人講が寄進した,安産を祈願してのだろうか,観音堂の絵が掲げられている。ここの十一面観音様も安産の観音様として信仰されているそうだ。暖かな陽射しが降り注ぐ軒下を借りて,お昼のおにぎりを食べた。前日の雨と今日の陽気のために花粉はおおっぴらに舞っているはずだが,意外にも眼が少しショボつくくらいだ。アレルギー性結膜炎治療用の目薬を差して再び巡礼を続けるために北を目指して出立した。

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第二十五番札所の大善寺(N 36°13′28.70″,E 139°48′12.90″)は広大な畑を背にしてポツンと建っていた。抜けるような青空をバックにして,屋根瓦までもが真っ赤な観音堂は絵に描いたようだった。こんないい天気なんだから厨子の聖観音様もお出ましになれば良いものを。

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南下して国道125号線に向かい下方田集落センターの大銀杏の下にある第二十六番札所の一乗院(N 36°12′06.87″,E 139°48′01.80″)観音堂を参拝した。小さなのぞき窓から真っ暗な堂内を覗くと,十一面観音のお前立の写真らしき物がカメラに写った。

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次の第二十七番札所は125号線を西に向かい北に折れた上大野にある真浄院(N 36°12′30.87″,E 139°47′00.72″)だ。道端の古びれた上大野公民館の敷地に2つの観音堂が建っていた。正面に向かって左手の観音堂は小さめで,右手の観音堂の方が大きくて古そうだ。右手の観音堂の中には厨子が安置されている。なぜ2つの観音堂なのだろうか。右の観音堂脇には馬頭尊の石碑が並べられていた。このためについつい馬頭観音のマントラを唱えてしまったが,あとになってみればご本尊は十一面観音様であった。「オン アロリキャ ソワカ」を今ここで…

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125号線を横切り南下して第二十八番札所の福智院(N 36°11′34.52″,E 139°46″55.09)を訪ねた。稲宮集落センターの脇に丹塗りの観音堂が建っている。堂内の厨子には十一面観音様が祀られている。

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西に向かい,第二十九番札所の千手堂(N 36°11′40.49″,E 139°45′48.66″)を探すも,あらかじめマークした場所には見つからない。ウロウロと走り回ったが埒があかないので道に出ていた老人に尋ねると,指さす中華料理店の向こうに金色の擬宝珠が見えた。中華飯店を回ってみると,道路から細い参道がありその正面に新しい観音堂があった。写真を撮っている間に,さきほどのご老人が自転車でやってきてあれこれと前回の御開帳の話を聞かせてくれた。千手観音様のマントラは,えぇ〜と,「オン バザラ タラマ キリク」だった。

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第三十番札所の普門院(N 36°12′12.95″,E 139°44′13.97″)は国道125号線のすぐ脇の西牛ケ谷集落センターに並んでいた。堂宇の脇には立派な石碑が建ち第三十番札所であることを教えている。内部にはきらびやかな千羽鶴とともに白衣観音様が置かれている。葛飾坂東札所では一番に騒々しい場所にある札所だ。

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次の札所へは常陸の国から下野の国に回る巡礼となる。第三十一番札所の観音寺(N 36°12′12.95″,E 139°44′13.97″)は栃木県野木町にある。一面の畑の中に大きな桜の木と広い境内をもつ朱塗りの観音堂が建っている。山門代わりの幟立てと卍の文様がある参道が新たに設えられている。堂内の厨子には安産観音とか子育観音とか,はたまた,赤観音とかと呼ばれている十一面観世音菩薩が祀られている。心経を誦して,フト,扉の上の扁額をみると,れれれっ,葛飾板東三十三カ所ってなっているぞ。三十四カ所の間違いだろ〜。

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ふたたび東に戻り第三十二番札所の如意輪堂(N 36°12′51.14″,E 139°46′09.53″)へ向かう。観音堂は県道190号線の脇の墓地に建っていた。前回の御開帳の時にでも再建されたのだろうか,比較的新しい。如意輪観音様が祀られている。

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第三十三番札所の円満寺(N 36°12′32.27″,E 139°46′00.11″)に向かうために南下する。国道125号線から延びている参道を入り,鐘楼を備えた山門をくぐる。本堂の左手に,納経所らしきものを併設した,観音堂がある。堂宇の脇にはお灯明を供える台まで用意医されている。大した寺容である。堂内には十一面観音が祀られているという。

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さて,これで三十三札所を巡ったのであるが木塚氏の「観音霊場巡り」に従えば結願の第三十四番札所の養性寺(N 36°09′57.48″,E 139°50′54.42″)に巡礼せねばなるまい。目的地は,今日の出発点の万福寺の南の方角だ。国道125号線をクルマと併走しながら東に向かう。地図での候補地あたりを徘徊するがどうにも見つからない。理髪店に入ろうとする人に聞いても,理髪店の店主に聞いても別の寺しか知らないという。グルグルまわって,畑仕事の男性に尋ねると指さす方角の竹林の向こうにあるのが多分そうだろうという。行ってみると,果たしてそこが葛飾板東三十四カ所の第三十四番札所であった。堂宇の扁額にも,葛飾板東第三十四番札所と書いてある。想像したよりも,簡素な結願札所であった。最後の般若心経を声高らかに誦して,常陸西国三十三カ所,猿島坂東三十三カ所,坂東三十三カ所で唱えた観世音菩薩への願文をこの札所の十一面観音様にも唱えた。なにとぞかなえたまえ。

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これで,葛飾板東三十四カ所の観音巡礼を回り終えたことになる。クルマをデポした万福寺にもどり,無事に結願できたことを十一面観音様に感謝した。走行距離51.55km,実働時間3時間ちょうど,総時間5時間50分であった。それにしても,三十三札所だろうか三十四札所だろうか。札元の第十四番札所の宝性院の創基者の秀伝和尚の墓の説明にも同院の札所の説明にも三十三札所とある。が,第三十四番札所を謳っている養性寺を巡礼したのも確かだ。秩父のように始めは三十三札所だったのを日本百観音霊場とするために後世に三十四札所としたのと,同じ考えなのか?常陸西国三十三札所と猿島坂東三十三札所に葛飾札所を三十四札所にして常陸の国百観音霊場としたのであろうか。

カシミール3Dで葛飾板東三十四カ所の札所を表示させるにはこの地図データ(katsushika34)でどうぞ。

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