水戸三十三観音巡礼

 

第1回巡礼(2009年10月31日)

ネットサーフィンでガイドブック「山椒の会編:水戸三十三観音札所,筑波書林,1994」を探し当てて手に入れたので,旧水戸藩領内の三十三ケ寺を巡る水戸三十三観音札所を巡礼することにした。この時期の土日は茨城県内の鉄道が乗り降り自由な「ときわ路パス」が使えるので,水戸まで輪行することにした。ようやくHammerheadの分解にコツが掴めてきた。前ブレーキワイヤーの長さ調節ネジを緩めたり,後ブレーキワイヤーの分割をあらかじめ実行してブレーキアーチを目一杯に開けば比較的簡単にホィールが外れることが分かった。しかし,Hammerheadを分解,組み立てする手間をなるべく省きたいので,自宅で分解して輪行袋に詰めて車で駅まで送ってもらうというズルしてしまった。

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水戸駅でHammerheadを組み立ててまずは第一番札所を目指した。ガイドブックの道案内は詳しいがいちいちヒップバッグから取り出して眺めるのが面倒なので,今回もバカGPSをハンドルに取り付けて道案内を頼ることにした。

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一番札所の笠原山東光院神崎寺(N 36°22′31.4″,E 140°27′37.0″)は千波湖の高台にあった。一番札所らしく気合いの入った寺院だ。広い境内に本堂,観音堂,多宝塔,鐘つき堂を持つ堂々たる寺だ。観音堂には「常陸三十三観音霊場第一番札所」と看板を掲げている。でも,常陸じゃなくて水戸なのでは? 耳にピアスをして境内を掃除している修行僧(?)に聞くと,毎月第1,3土曜日の午後に十一面観音様と不動尊をご開帳しているそうだ。ポカポカと照りつける陽を背中に浴びながら般若心経を誦した。

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千波湖畔を進み,水戸駅に戻り藩校の弘道館を横目に那珂川にかかる水府橋を渡ってひたちなか市に入る。以前に弘道館を訪ねてからもう15年以上は経っているだろうか。

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第二番札所の龍虎山密蔵院光明寺(N 36°23′21.2″,E 140°30′54.7″)の入り口は狭いが中はこれまた立派だ。十一面観音様を祀る観音堂も大きく,脇には新たな観音様がお立ちあそばす。堂内を透かしてみれば前立ちの観音様の奥に厨子が見える。心経と「オン マカ キャロニカ ソワカ」のマントラを唱えた。

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再び那珂川を渡って水戸市に戻り,第三番札所の正法山観音寺福寿院(N 36°21′57.5″,E 140°30′40.7″)を訪ねる。が,行き過ぎたり戻ったりして探し当てた観音寺は現在は観音堂だけを残しているだけだった。ガイドブックには「本尊も失われている」とあるが,堂内を盲撮影したら千手観音様が映し出された。堂宇の前庭には,近所から集めてきたのか,いくつかの馬頭尊の石碑があった。

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国道51号に出て水戸市内を走り,吉田神社の前を通って旧江戸街道脇の第四番札所の西月山東照院清巌寺(N 36°21′29.1”,E 140°28′50.1″)を訪ねる。本堂の左脇に地蔵堂と並んで観音堂がある。真っ暗な堂宇を盲撮影して見えた厨子にはご本尊が祀られているはずだが,ガイドブックはご本尊は不詳と記している。聖観音様のマントラ「オン キャロニカ ソワカ」を唱えておいた。

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第五番札所の三王山浄光院普岸寺(N 36°18′59.9″,E 140°25′01.6″)への道のりはちょっと遠かった。あまり時間の余裕がないので,途中のコンビニで弁当を買って茨城県医師会やメディカルセンターの一角の芝生の日だまりでお昼をとった。再び走り出すと市内をはずれた辺りに県庁の建物が出てきた。その前を通って茨城町に向かった。あらかじめ調べた地点を通りすぎてしまって戻り,ガイドブックが示す石段をHammerheadを担いで上がった。が,大戸さくら公園の広場を見渡しても辺りに観音堂は見当たらない。道路に戻って行きつ戻りつするが,このあたりに違いないはずだが分からない。もう一度広場にあがり,さっきとは反対側の右手に見つかった小道を進んでみると,畑の脇にようやく堂宇を見つけた。堂内の聖観音様を想像しながら心経を誦した。

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第六番札所の龍谿山西楽院如意輪寺(N 36°17′52.6″,E 140°25′38.9″)も立派な観音堂を備えていた。ご本尊のマントラ「オン ハンドメイ シンダマニ ジンバラ ン」はなかなか覚えられない。

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次なる第七番札所は高岡山千手院正法寺ということだが,現在は寺も観音堂も見当たらない。高岡神社(N 36°17′59.4″,E 140°26′05.6″)を訪ねることにした。明治の排仏毀釈運動はここ水戸ではことのほか激しかったそうだが,そのときに正法寺が無くなったかどうかもわからない。早々に高岡神社を辞して次の札所に向かった。

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次の札所は大洗の近くなので,結構な道のりであった。おまけに向かい風ときたもんだ。50分ほどペダルを踏んで,第八番札所の観音寺(N 36°19′54.0″,E 140°33′13.5″)に着いた。国道51号と国道245号の交差点から入ったところにゲートボール場があり,そこに観音堂が建っていた。真っ暗な堂内を盲撮影したら厨子が映し出された。ご本尊は不詳とのことなのだが,聖観音様のマントラを唱えておいた。

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国道245号を走り,湊大橋が架かる那珂川を三度渡って再びひたちなか市に戻ってきた。見慣れた那珂湊駅の前を通って第九番札所の経田山等覚院光明寺(N 36°20′39.6″,E 140°35′29.1″)に到着した。山門から境内への道の脇には,寺の関係者がすむのだろうか,民家がある。境内には聖観音様の石像がある。観音堂の中にはご本尊の聖観音様がおわすはずだ。堂宇の脇には六地蔵が祀られている。心経とマントラを唱え終わる頃には陽もだいぶ傾いてきた。ここから次の札所にはちょっと時間が遅すぎるので,今回の巡礼はここで打ち止めにした。

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那珂湊駅に向かい,ここから湊鉄道で勝田に出ることにした。電車は10分後に到着するがこれだけの時間ではHammerheadを分解・梱包できないと悟り,30分後の次の電車までにのんびりと畳んだ。この湊鉄道は最近の「チオ」「×タ」のTVコマーシャルに出てくるローカル鉄道だ。初めて乗ってみたがいい体験になった。こんなところでときわ路パスが役に立った。

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勝田からは水戸行きのJRがあり,水戸からは程なく上野行きに連絡できた。朝と同様にHammerheadを組み立てるのが面倒なので,駅までカミさんに迎えに来てもらった。全行程57.8キロを5時間24分かけての巡礼であった。さて,次回の巡礼はいつになるだろうか。

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第2回巡礼(2009年12月23日)

全国のあちこちで12月の寒さの記録を更新するほど,ここしばらく寒い日が続いた。しかし,今日の日中はポカポカ陽気になるという予報なのでHammerheadを持って水戸三十三観音札所の第2回目の巡礼に出かけることにした。常磐線の佐和まで輪行して,太平洋から多賀山地をまわって再び太平洋に至る第十番〜第十四番札所をまわるコースを計画した。Hammerheadの輪行袋詰めも慣れてきて,今回はHammerheadを上下ひっくり返して分解して,前輪を外してそのまま重ね合わせるとだいぶコンパクトに纏めることが出来るまでになった。しかし組み立て・分解はやっかいなので,前日に分解・梱包してクルマで牛久駅まで運んだ。

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佐和駅に着いたのは8時をまわっていた。閑散とした駅前の,霜が降りているベンチでHammerheadを組み立てた。本当にポカポカ陽気になるのだろうか。ともあれGPSが示すコースに従い踏切を渡り,R254を北上して目指す札所を探し当てた。今日のGPSは頼りになりそうだ。

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第十番札所の法幢山鏡福院如意輪寺(N 36°26’05.8″, E 140°35’39.1″)の境内では樹齢400年という巨木に圧倒された。立派な観音堂があったと思ったがこれは不動堂であった。本堂に向かって今日一番の心経を唱えた。相変わらず誦しにくい如意輪観音様のマントラだが,白い息と共に高々と唱えた。

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R254をさらに北上し,出会った案内板に従って日本三体虚空蔵尊の一つである村松虚空蔵尊に寄り道をした。残る二体は伊勢の朝熊山金剛証寺の徳一満虚空蔵尊と会津の柳津圓蔵寺の福一満虚空蔵尊ということだ。海岸がすぐ近いせいか境内は砂だらけだ。早くも正月の飾り付けが進行中である。虚空蔵堂の隣には茨城のお伊勢さんの村松大神宮がある。そのためか参道には数軒の旅館が建ち並んでいる。大神宮の裏手に回って村松海岸から太平洋を望もうとしたがJ-PARK(大強度陽子加速器施設)に阻まれてしまった。砂まみれになりそうなので彼方の太平洋を見ることで良しとした。

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R254に戻り,1998年1月の東海村新春マラソンでカミさんと走ったことのある原子力研究所前の交差点を曲がり次の札所を目指した。時間があれば原子力銀座とも呼ぶべきこの辺りの原子力施設を覗いてみたいものだ。途中のローソンでお茶とおにぎりを買ったが,これでどこまで保つだろうか。 第十一番札所の妙福山明音院佐竹寺(N 36°31’35.2″, E 140°30’16.7″)は坂東三十三観音の第二十二番札所にもなっているので,2008年の1月に参拝している。今日は山門をくぐったところに納経所がオープンしていて納経を受け付けていた。昨年ほどの寒さではなかったが,手水の水は今日も凍てついていた。般若心経を唱えて堂宇を透かしてみれば微かにお前立の観音様が見えた。

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第十二番札所の長谷寺は廃寺となっており,観音堂も残っていないとガイドブック(山椒の会編:水戸三十三観音札所,筑波書林,1994)は言う。それでも,跡地をおおよそに見当をつけてGPSのナビの示すコースを辿ったら工業団地に導かれた。しかし,予想したところとはかけ離れているようだ。ナビを見ると,何と,目的地まで一直線のコースを示しているではないか! コース上には道は無く,畑地があるばかりだ。どうやら,このGPSは幹線道路が無くなると,目的地までのナビを直線で示すシステムのようだ。ともかくも目的地の方角を目指して雑木林や畑地の間道を進み,小川に掛かった板をHammerheadを担いで渡りなどしながら長谷町の集落に入った。ガイドブックの池を探すも見あたらず,雑木林の中に貯水槽とその近くに馬頭尊の石碑を見つけた。ガイドブックによれば長谷寺の本尊は十一面観音様だというが,この辺りが大平山普門院長谷寺(N 36°33’19.2″, E 140°33’26.6″)と辺りを付けるだけでスルーした。集落の拡声器からお昼のチャイムが流れてきて,気温も上がってダウンジャケットでは暑いくらいだ。

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次の札所へは,長谷寺脇のグランドゴルフコースに迷い込んだりしながら,GPSの地図を見ながら舗装された道を進んだ。ガイドブックによれば,十三番札所の清水寺は天之志良波神社の先の公民館を入ったところにあるはずだ。しかし,辺りを何回も行きつ戻りつしても探す道は見つからない。立派な運動公園はあるものの観音堂は無い。ようやく出会った地元の方に聞いて観音堂が分かった。途中の天之志良波(あまのしらは)神社の鳥居の脇のコンクリート道を左に辿れば良いという。公民館はとうの昔に無くなっているとのことだ。教えられた道を進むと果たして,第十三番札所の松倉山大聖院清水寺(N 36°34’27.6″, E 140°33’10.5″)があった。昭和の初めは現在の観音堂は松倉山頂から麓のここに移されたそうだ。堂宇の扉にはノートが吊されており,参拝者の記帳があった。ハイキングだろうか,ここを訪れる人は少なくないようだ。厨子におわす千手観音様に心経とマントラを誦して札所を後にした。

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清水寺からR349に出た。逆風に悩まされながらもひたすらに北上した。途中の工事区間を歩道に入って避けようとしたら,電源ケーブルを斜めに渡ったためにタイヤが越えられずに身体だけが傾き,見事に落車してしまった。思わず腹を立てたものの,観音様のご加護でこれだけの落車ですんだのだ,と思い直して北上を続けた。やがて旧道に入ると第十四番札所の瀑布山玉簾寺(N 36°37’41.2″, E 140°33’09.2″)に到着した。が,観音堂は心ない観光客にご遠慮願うために拝観は許可制になっていた。道路を挟んだ受付に申し出て線香代50円を納めて大黒さんに案内してもらった。境内には芭蕉の句碑(松風の落葉か水の音涼し)があり,観音堂の裏には芭蕉の言う水の音の源の玉簾の滝が落ちていた。先だっての紅葉の時期には大勢の人出があったそうだ。しかし,観音様に参拝する人は多くはなかったと大黒さんが言っていた。

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時刻は2時をまわっていたが,ここで今回の巡礼は打ち止めとして日立に向かうことにした。それにはここ常陸太田と日立の間にある多賀山地の高鈴山を迂回しなければならない。そう言えば,高鈴山をハイクしたのは何年前の事だろうか。それほど急峻ではないが,だらだら登りのヒルクライムトレーニングになってしまった。本山トンネルを抜けてからはダウンヒルとなったが,さすがに寒かった。やがて,日立の工場が建ち並ぶ日立の街に降りて,R6を経由して日立駅に着いたのは3時を少し回った時刻だった。今日の第2回巡礼の走行距離は72.0km,経過時間は6時間32分であった。

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第3回巡礼(2010年11月21日)

1年あまり空けてしまっていた水戸三十三観音巡礼を再開した。今回はJR常磐線と陸前浜街道(国道6号線)に沿って日立から磯原までに点在する第十五番〜二十番札所を巡礼する計画だ。50kmほどの行程なので,折りたたみの簡単なDB-1での輪行とすることにした。 出発が遅かったので,電車の中で検討した結果,日立からのスタートを次の小木津駅からに変更した。どうやら小木津からちょっと戻ったほうが第十五番札所は近いようだ。小木津駅西口をスタートしたのは11時を回っていた。気温は20℃ほどの小春日和だ。

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小木津駅を15分ほど南下し常磐線をくぐったところが第十五番札所の清滝山源勝寿院観泉寺(N 36°37’25.31″,E 140°40’34.24″)がかつてあった場所だ。入口には1955年に県指定の史跡となった仏ケ浜の標石がある。仏ケ浜は常陸風土記に出てくる地であるが,小木津浜にある磨崖仏の地が相当するという異説もある。

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かつての境内にはいくつかの仏像が置かれ,その中に鉄格子の扉が目立つ。ここに観泉寺観音堂の本尊である渡志観音が磨崖仏として祀られているらしい。

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格子をのぞいてみると,うっすらと磨崖仏の 渡志観音らしきものが見える。 弘法大師が彫ったと伝えられている。木漏れ日の中で聖観音様に般若心経をあげた。

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国道6号を北上して第十六番札所の宝幢寺を目指した。報徳山長楽院宝幢寺(N 36°39’29.65″,E 140°41’35.10″)の現在は寺も観音堂も無く,その地には日蓮宗・蓮光寺が建っている。蓮光寺の墓所の入口には大きな地蔵尊が立っている。

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蓮光寺境内には「洗い浄行さま」が立っている。自分のからだの悪いところと同じ浄行さまのところを洗うと御利益があるという。浄行さまはちょっと情けないような顔をしていた。住職さんとの立ち話で「水戸藩は廃仏毀釈を真面目にやったので茨城県内には宝幢寺のように廃寺が多いが,静岡・和歌山は廃仏毀釈の被害が少ない」ということを聞いた。たしかにこの水戸三十三観音霊場は,茨城県内の他の霊場(常陸西国,葛飾坂東,猿島坂東)に比べて廃寺が多い。

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再び陸前浜街道を北上する。強い向かい風に悩まされBD-1で来ことをちょっと後悔する。海も荒れ模様だ。

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R6を左に入り高萩市役所前を通って第十七番札所の万徳山遍智院大高寺(N 36°42’55.17″,E 140°42’34.15″)に回った。大高寺の境内には梵鐘,ミニ五重塔,観音像が初冬の陽射しを浴びていた。

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思い立って庫裏を訪ねご本尊を拝観できないかと聞いてみた。今日は日曜日で法事の予定が詰まっていたようであるが,ちょうど空き時間であったので本堂の十一面(千手)観音さまに対面することができた。大黒さんの案内で抹香を焚かせてもらい,般若心経を心静かに唱えた。残念ながら(当然か)写真撮影は断られたので,境内から本堂を覗いてみた。お顔は隠れてしまったが千手の部分はなんとか撮れた。

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R6を避けてGPSを騙してルート再検索を繰り返しながら次の札所に回った。第十八番札所の妙林山尊法院能仁寺(N 36°44’07.44″,E 140°41’43.1586″)は小高い丘の上にあった。春になれば一本の桜の木に映えるだろうが今の季節はちょっと寂しい。ここでも庫裏を訪ねて本堂の十一面観音様を拝ませてもらった。ご本尊の釈迦如来様の隣の間にガラスケースの中にお立ちになっていた。観音様は朽ちかけて,お顔もしかとは拝見できなかった。大黒さんがお灯明を点けて,お線香をあげさせてもらい,心経を誦した。

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能仁寺からの帰り道に,松岡地区のお屋敷通りに立ち寄った。200年前の住宅も保存されており,通りの突き当たりの松岡小学校は松岡城の三の丸跡地に建てられたそうだ。シックなお屋敷通りを通い,白壁で囲まれて落ち着いた学校で学び,遊ぶ子ども達はどんな顔をしているだろうか。

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R6に出て北上し,南中郷を過ぎてところを左折して次の札所に走った。GPSは大きな団地を迂回するコースを示しているが,BD-1を担いで横断歩道橋を渡るなどして団地の中を突っ切ってショートカットコースを探して走った。やがて団地を外れた道端に立派な水戸三十三観音札所を示す石碑が見つかった。民家の庭先を通るようにそこを入ると階段の上に第十九番札所の千手院の観音堂(N 36°46’05.11″,E 140°43’11.29″)が見えた。

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鶏がけたたましく鳴く脇の階段を上ると観音堂だった。裏手には竹林を背にした石仏が並んでいる。堂内を透かしてみると金色に輝く千手観音様がおられた。観音堂を再建し,ご本尊を寄進した信者の気合いに応えるべく蕩々と心経を唱えた。

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少し肌寒くなってきたので時計をみると3時15分前だ。あと一つの札所を残しているが回れるだろうか心配になってきた。急いでGPSの示す方角にむかってペダルを踏んだ。途中で川に出くわしたがこちらの方がショートカットコースと判断して土手のダートコースをえっちらおっちらと進んだ。やがて舗装道路に入りGPSはまっすぐにその道を進めと言う。道はダラダラと登り調子になり,再び汗ばんでくる。西明寺の地名の部落に入ったあたりで道を尋ねると,お寺はないがあの杉林のなかに観音堂がある,と教えてくれた。その方角を見ると山の中腹である。とにかくそっちに行ってみると舗装道路は終わり,石尊山への登山道の標識すら出てきた。再び民家の婦人に尋ねると,確かににその登山道の先に観音堂があるという。そこでBD-1を置かせてもらって徒歩で山道を登っていくことにした。

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10分ほど登ったところで階段のむこうに目指す観音堂が見えてきた。第二十番札所の燈明山西明寺千手院(N 36°47’47.58″,E 140°41’27.61″)だ。堂宇の縁には札所の由来を記したプリントが置いてある。平成4年8月に落慶し,毎年8月15日のお盆に観音様の供養が行われている,と書かれている。堂内を覗き込むのを忘れたので,新たに寄進された千手観音様がおられたかどうかは不明だ。あたりに憚ることなく大きな声で今日最後の般若心経を唱えた。

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暮れ始めた夕日と競走しながらJR磯原への道を下った。下る道は,さきほど走った川沿いの道に平行している。GPSの画面が小さいためにこの道の存在が分からなかったのだ。とんだ徒労のダートコースだったものだ。磯原についたのは出発して5時間経った4時15分であった。

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今日の巡礼は48.7km,5時間15分の行程だった。GPSログを見てみると,国道6号線を走っているときに数回に渡り信号が途絶えていた。衛星からの信号を邪魔するような建物の陰など走ってはいないのだが,なぜだろう。

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今回も利用したJRときわ路パスは来週が利用期限となっている。また来年のお楽しみとなるだろう。次回の巡礼は常磐線から水郡線を結ぶアップダウンのコースだ。

第4回巡礼(2011年9月23日

久しく中断していた水戸三十三観音札所巡りを再開した。一昨日の台風15号の影響で今回の巡礼予定の高萩が影響を被ったらしいが,天気がよさそうなので決行することにした。例によってときわ路パスを使ってのBD-1での輪行巡礼スタイルだ。コースは常磐線で高萩駅まで行き,そこから第二十一番と二十二番札所を自転車で回って水郡線の袋田駅に向かうコースだ。地図で見ると600mほど登る山岳コースだが,軽便なBD-1での輪行を重視して敢えて小径車で出掛けた。登りコース基調なのでペダルはSPDに交換して出掛けた。 高萩駅には10時前に着いたが,なんたることか雨であった。小雨であったので,キオスクで飲み物,弁当を買った後,迷わず決行した。

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県道67号線は常磐高速の高萩ICを越えた辺りから坂道がはっきり意識されるような登りになってきた。路傍の馬頭観音と道祖神に見送られながらセッセとペダルを漕ぐ。この辺りで県道111号と名前が変わった。仙道坂バス停からは登りはきつくなり,その先は11%の坂となった。おまけに雨の降りは大きくなってきた。やがて快適なダウンヒルとなったが安定性の悪いBD-1で40km/hは危険なので慎重に濡れた路面を降った。大塚神社の交差点を左折して県道22号に入る辺りは先の東日本大震災の被害で道路の法面と歩道は崩落していた。ここから再び登りが始まった。

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地図でマークした上君田の地点で階段を見つけて上ってみたが観音堂らしきものは見当たらない。通りかかった婦人に聞いてみると,階段の更に上にもう一つの階段がありその上にお堂があるという。階段脇の石碑を見ながら上ると営林署の建物があった。その脇の家屋は廃止された君田診療所のようだ。営林署の前を見ると草に覆われた階段があり,その上に観音堂があった。

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第二十一番札所の十殿山不動院台仙寺(N 36°47’47.89″,E 140°34’37.81″)の観音堂だ。額には薬師堂とある。ヤブ蚊に刺されながら般若心経を唱えた。

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そぼ降る雨の中を次の札所に向けて出発した。すぐに県道227号と名前が変わった。しばらく行くと県道245号の分岐にさしかかった。ここを右折したが,県道と名乗ってはいるが舗装された林道といった風情だ。台風15号の影響で路面は杉の小枝が散乱していて走りにくいことこの上ない。ダラダラ登りが続くが,渓流のせせらぎの音が静かな山中に響くといった気持ちの良いコースだ。小雨がふって少し肌寒いが,真夏でもこのコースは気持ちの良い走りが出来そうだ。

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やがて高萩と常陸太田の市境に出会いダウンヒルが始まった。BD-1の不安定さと小枝と濡れた路面をおっかなびっくり降っていくと県道はやや広くなってきた。ここを標識に従って左折してさらに降っていった。

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やがて広い国道349号に出会った。このすぐ近くに札所があるはずだが,廃寺となっているので見つけにくそうだ。頼みとする「水戸三十三観音札所」の文献も古いので目当てになる商店が無くなっている。見当をつけた脇道に入ってみると民家で行き止まりだ。草の小道を進むと草刈り機のエンジン音が聞こえてきた。草刈りをしていた人に伺うと,さらに小道を右に進むと突き当たりに自分の家の墓があり,その手前に石が散乱する寺院跡があるという。

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行ってみると路傍に石碑を見つけた。その上の竹藪を分け入ってみるといくつかの石碑を見つけた。ここが第二十二番札所の地蔵院(N 36°46’02.37″,E 140°28’55.86″)だった。ヤブ蚊に刺され痒くて堪らないので早々に地蔵院跡を辞した。

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国道349号を少し走ると猪ノ鼻峠入口の交差点だった。ここから再びヒルクライムの始まりだ。この峠は以前の仲間とのツーリングで登ったことがある。峠の頂上からは快適なダウンヒルだ。

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袋田の滝を傍目にJR袋田駅に到着したのは2時半をまわったところだった。しかし30分前に出た水戸行きの電車の次は1時間後であると嘱託の駅長さんに知らされた。水郡線から水戸で常磐線に乗り換えて牛久から自走して帰り着いたのは6時半をまわったところだった。

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走った距離は52.6km,掛けた時間は4時間43分とたいしたことではなかったが,小径車でのヒルクライムということでかなり疲れた。次の巡礼はもっと大変なコースが控えている。今年中に実現できるだろうか。

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第5回巡礼(2011年10月29日)

水戸三十三観音の第二十三,二十四,二十五番札所を巡礼した。当初は久慈川に沿った国道118号線を走ろうと計画した。しかし,昔の奥久慈ツーリングの記録を掘り起こしてみたら,奥久慈パノラマラインを走っても巡礼出来ることが分かった。距離はさほどではないが,アップダウンの山岳コースになって時間がかかりそうなので朝一の電車に乗ることにした。計画通りなら6時に出て6時に戻ってこれそうだ。 ときわ路パスを前日に買っておき,カミさんの駅までの送りがあって6時01分の一番電車で水戸に向かえた。水戸からは7時22分の水郡線に乗った。水郡線の愛称は奥久慈清流ラインと言うそうな。それにしても本数が少ないヨ。

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文庫本を読みながら,ゆるやかに流れる車窓の景色を眺めつつしているうちに8時22分に山方宿に着いた。自転車を組み立てて,カミさんがつくってくれたお握りを食べて巡礼のライドに出発した。

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久慈川を渡り軽い登りが始まった。向かう先に西金砂神社がある道はいろいろな碑が立っていた。山の神様を祀るもの,そば街道の碑やモニュメントだ。それにしても蕎麦屋が見当たらなかったが。

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西金砂神社への登拝口の脇で菊蓮寺(きくれんじ,N 36°37’45.42″,E 140°25’35.43″)の山門を見つけた。伝えるところによると第二十三番札所の定源寺のご本尊の千手観音様が安置されているという。そこでお参りに立ち寄ることにした。

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本堂の下手に観音堂があった。本堂にお参りしていたら,境内を清掃中の住職が観音堂を見るかと聞いてきた。

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開けてくれた観音堂の千手観音様に般若心経を唱えたら,脇で住職が唱和してくれた。しかしプロだけあって流暢で速い。心経の唱和の後で住職から観音様にまつわる話を聞かせてもらった。おまけに堂内の写真撮影も快くオーケーしてくれた。帰りがけには観音経とその解説のプリントを頂いた。巡礼の初めに幸先の良さを体験した。

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なだらかに登る西金砂神社道の脇にはいくつかのモニュメントが立っていた。途中には元禄13年(1700年)7月の神社参拝に水戸光圀が飲んだという殿井戸がある。静かな時の流れが水音になって聞こえる。

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それほどきつくない4キロほどの神社道は鳥居のある駐車場からは溝付きの荒れたコンクリート道に代わった。今日はロードレーサーで25Tのスプロケットをつけてきたのだが,それでもきついかった。10%ほどの急斜面も何回か出現した。この道を来月20日にはマラソンランナーがイベントで走るそうだ。

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汗だくだくで1.5kmほどの急な登りを終えて西金砂神社(N 36°39’21.62″,E 140°27’05.36″)に着いた。樹齢740年というヒノキに似たサワラの大木が出迎えてくれた。ここからはバイクを置いて徒歩で拝殿に向かった。

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本殿にお参りをしてさらに上の上宮への道を歩んだ。明治の廃仏毀釈運動で西金砂神社とともにあった第二十三番札所の西金砂山観音院定源寺は跡形もなく破壊された。それで現在の水戸三十三観音巡礼のコースに西金砂神社が残された。

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石段をエンヤコラと登り上宮に着いた。回りの景色を眺める間には汗が引いていった。

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社務所に降りてみると御輿が目に付いた。72年に一度,西金砂神社のこの御輿と東金砂神社の御輿を担いで日立市水木浜を往復する渡御行列の金砂神社磯出大祭礼がある。前回の大祭礼は平成15年(2003)で,丁度この行列と田楽舞をみるチャンスに巡り会ったことが思い出された。次のチャンスは無いネ。

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これが2003年3月23日の西金砂神社の磯出大祭礼の行列の写真だ。

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西金砂神社を後にして奥久慈パノラマラインに入るべく三太の湯を目指した。神社道からの側道入口には通行止めの標識があったが菊蓮寺の住職の,歩きなら大丈夫だろう,という話だったので進入した。はたして大震災で崩落した道に出くわしたがどうにも通れそうもない。工事現場の脇の草地の中に板の橋が見えたので渡ろうと草地に入った。冷たいので足下を見れば,あちこちに水が溜まり草地はどろんこだった。仕方なくそのまま進みなんとか工事現場をクリヤーした。サイクリングシューズの中はグジャグジャで靴下は泥で真っ黒になってしまった。

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その後しばらくは順調に走れたが,やがて下調べした道が分からなくなり通りかかった車を止めた。聞けばこの先の三太の湯への道は先だっての大震災で崩落して通行止めで行けないという。別な道を持参したGPSで調べようにも,microSDに入れてきたのは市街図で山岳地図ではないので,居場所の回りの画面には迂回路など表示されてない。近所の家を訪ねて三太の湯方面への道を訪ねた。教えてもらった道は自転車で下っていると見落としてしまいそうな道だった。

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何とか迂回路を走り,ようやくのこと三太の湯の脇に出られた。ここに至ってようやく以前の奥久慈パノラマラインのツーリングで走った道であることが蘇ってきた。この先に奥久慈パノラマラインの入口があるはずだ。ところが以前とは逆のコースを辿っているので,分岐点に来るとまたまた道が分からなくなる。付近の住民に道を尋ね,GPSの方角を便りに進むとようやく奥久慈パノラマラインの入口にたどり着いた。

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パノラマラインをえっちらおっちら登っていくと行く手の道が塞がっていた。脇道が用意されていてここは問題なくパスできた。見上げれば回りに山々が迫っていた。紅葉はまだまだである。

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持ってきた食料も尽きたので蕎麦を食べに大円地山荘に立ち寄ることにした。 ここも以前のツーリングで訪れたところである。裏手には男体山が聳えている。巻繊蕎麦を注文した。突き出しの漬け物のしょっぱさ,酸っぱさが疲れた身体に心地よく滲みわったったが,蕎麦は今ひとつ腰が欲しかった。

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ひとしきりの休息を取って次なる札所の長福山に向かった。長福山は別名を女体山というそうな。パノラマラインに戻るとまたまた工事中の看板だが,大丈夫だろうとたかをくくって突き進んだ。が,ブルドーザーに阻まれた。ここも自転車を担いでクリヤーしたが,すぐ脇にはちゃんとした道が…

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長福の集落からは男体山が眼前に迫ってくるが,よく見れば大震災の影響がここにも及んでいた。土のみえるところが岩が崩落した部分だそうだ。それにしても大円地には大勢の登山者がいたけど。

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集落の観音堂への案内板を頼りに進むとすぐに舗装路は途切れた。自転車を置いて徒歩で小道を進んだ。MTB用の歩きやすいサイクリングシューズで来て正解だ。

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畑で休んでいた住民の言うような石段が出てきた。ここが観音堂への参道だろう。踏面が靴の長さも無い狭い石段をハアハアいいながら登っていくと観音堂に着いた。その脇にも堂宇があった。第二十四番札の長福山三光院の観音堂(N 36°43’25.63″,E 140°24’27.89″)だ。

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心経を誦して堂宇を覗いてみれば厨子の扉は閉まっていてご本尊の十一面観音様は見えないが回りにたくさんの観音像らしきものが見える。隣りの堂宇も覗いてみると倒れかかった千手観音様の脇にここにもたくさんの観音像が見えた。いまだにこの観音堂が信仰を集めていることがわかる。

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参拝を済ませてふたたびパノラマラインに戻り常陸大子を目指した。が,またまた通行止めに出くわしたので今度は素直に迂回路に回った。今度の崩落は完全に道を塞いでいた。しばらく走るとようやくパノラマラインの始点が見えてきた。徒歩での2カ所の参拝,迂回路の走行,昼食などで予想したよりも時間を食ってしまった。ここからの林道を下り国道118号に出て,常陸大子の駅の近くの第二十五番札所の永源寺を目指した。

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大子の町並みを抜けて,水郡線と押川を渡って臥雲山永源寺(N 36°46’22.66″,E 140°20’39.53″)を探し当てた。

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境内からの眺めの良さで疲れが少しは和らいだようだ。

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ここはもみじ寺として有名らしいが紅葉はまだまだだ。

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参拝を済ませて常陸大子駅に到着したのは2時40分だった。列車の時間には1時間の余裕があったので,余裕をもって自転車の分解・梱包を済ませた。その後はお約束の缶ビールだ。缶と柿ピーを片手に展示されていたSLを眺めながら列車を待った。

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水郡線,常磐線と乗り換えて6時19分に牛久に帰り着いた。またまたカミさんにお迎えに来てもらえたので自転車を組み立てることなく済んだ。ありがたや,ありがたや。走行距離は47.1km,実走時間は3時間だったがその倍の時間をかけての巡礼となった。奥久慈パノラマラインは巡礼とはいえ,ヒルクライムのコースでもあった。

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さて,次の巡礼は常陸大子から栃木県の烏山までだ。

第6回巡礼(2012年11月3日)

ちょうど一年ぶりの水戸三十三観音巡礼である。今日は常陸大子から二十六番,二十七番,二十八番をまわり,栃木県に入って二十九番,三十番札所を巡礼する予定だ。茨城県のフリーエリアが乗り放題のときわ路パスを買って,一番電車で水戸から常陸大子に向かった。9時前に常陸大子に着いて,自転車を組み立て,アンパンでお腹の虫を黙らせた。秋晴れではあるが風が少しあるのでサイクリングウェアでこまめに体温調節をして走ろう。9時20分に常陸大子駅をスタートし国道461号線に乗り出した。

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15分ほど走ったところで旧上岡(うわおか)小学校に立ち寄った。校門に,NHK朝ドラ「おひさま」のロケ地に使われた,とあったがこの朝ドラは一度も見たことがない。小学校は明治に建てられた木造校舎で,つい一月前に公開されたようだ。

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中に入ると,自分が60年前に通った小学校を思い出させる,それはそれは懐かしい教室,講堂,音楽室が残っていた。教室の一部は期間限定で地元の食材をふんだんに使ったメニューのイタリア風レストランに使われていた。さとやまレストランは12月の期限まで予約で満杯の人気だそうだ。案内をしてくれた係の婦人は親切にもこれから行く場所を町の観光地図を拡げながら教えてくれた。奥久慈の人の優しさに見送られて旧上岡小学校を後にした。

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今日の最初の巡礼地の第二十六番札所の南辺寺は芦野倉集落にあったというが,廃寺になり寺も観音堂も現存していない。跡地を目指して上がって行く小道の途中に墓地があり,路傍の石碑には「右くろはね」と読める文字が刻まれている。やはりこの辺りが巡礼道で水戸三十三観音巡礼の南辺寺が近くにあることを窺わせた。

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集落センターの駐車場で子どもを遊ばせていた親子に聞いてみたら,すぐ近くに昔大きなお寺があったという話を聞いた事があるが現在は墓地しか残っていない,と言う。親切にもそこへの入口まで案内してくれた。道すがら「静かでいいところですねぇ」と話すと「何にも無いところですよ」との答えだった。訪問者と在住者のギャップを感じてなにか申し訳ないような気がした。教えられた場所に行ってみると,そこにはお墓しかなった。礎石も見当たらなかったが,この場を水戸三十三観音霊場第二十六番札所の明照山普賢院南辺寺(N36°47’17.10″,E140°18’53.90″)とした。

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R461に戻り,追い風に乗ってのどかな里山風景の中をペダリングしていった。橋を渡って立ち止まって地図とバス停の名前を比べてみると,お目当ての二十七番札所はとうに通り過ぎて二十八番札所さえも通り過ぎていることが分かった。R461が久保田川を渡ったら二十七番札所が近いと予定していたが,久保田川を渡った記憶がない。このまま栃木県に向かい,通り過ぎた札所は帰路に立ち寄ろうかとあれこれ迷ったが,戻って二十七番札所を探すことにした。

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R461から入っていく辺りで道を尋ねた。二十六番札所の近所にあるらしい。教えてもらった脇道を上っていくと馬頭観音の石碑があった。そこを連れだって散歩してきた老婦人に訊くと,二十七番札所の観音寺はすぐそこにある藤田さんの裏の畑にあった,と教えてくれた。

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藤田さん宅を訪ねて裏の畑にある跡地に案内していただいた。かつてここが二十七番札所の千手院中務山観音寺(N36°47’07.19″,E140°18’41.04″)だったのだ。

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次の二十八番札所の自在院も廃寺となっているのでこれも探すのが難しそうだ。R461に戻って先を進むと常陸国二十八番性徳寺(N36°46’49.63″,E140°17’59.68″)の看板があった。先ほど通り過ぎた時もこの看板の二十八番が気になったいたので立ち寄ってみることにした。常陸西国三十三観音霊場の第二十八番札所は下館市の羽黒神社のはずだがと考えながら急坂を上っていくと性徳寺の山門に至った。

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境内には立派な観音堂が建っていた。案内板の寺誌によれば,自在院は100年ほど前に廃寺になりそのときに准胝観音をこの性徳寺に移したそうだ。

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観音堂は自由に拝観できるので堂内に入ってみた。中央に座すのが准胝観音様だろうか。准胝観音にしては,千手観音のような,たくさんの手が無い。如来像じゃなかろうか。その向かって左脇には弁財天・毘沙門天,右脇には如意輪観音・不動明王の像が祀られている。そして手前には賓頭盧(びんずる)尊者が座していた。

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R461に戻り,本来の二十八番札所の小平山自在院慶福寺を探してみることにした。依上小・中学校前の五百町橋を渡って小道を行くと馬頭観音の石碑が出てきた。跡地と覚しき付近の民家で訪ねてみたがどうにも分からない。向こうに見える杉林の中にあると聞いたことがある,という通行人の話を便りに歩き回ってみたが分からない。杉林とはだいぶ離れた所に開けた場所があり,そこは墓所になっていた。しかしここでもなさそうだ。小一時間ほど自在院跡らしき辺り(N36°46’34.03″,E140°17’26.23″)を歩き回ったがどうにも見つけられなかった。時間切れになりそうなので諦めた。

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ダラダラ登りのR461を栃木県を目指してペダルを回していると境ノ明神峠に着いた。ここが茨城県と栃木県の境だ。ここからはダラダラと下りが続いた。途中でどうにも腹が減ってきたのでバス停で弁当を食べることにした。お握り弁当は水戸駅のコンビニで買ってきたものだ。

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R461と分かれて県道52号を進み,健武山神社を通り過ぎてなお進むと道路右脇にお目当ての石碑が見つかった。

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右の石碑が三界萬霊塔で「左帝釋山」の文字が読める。この林道中津原線を上っていくと岩山を掘り抜いた防空壕のような構造物があった。

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その右手の小松さん宅で観音堂を訪うと,裏にあるので庭を抜けて行ってくれ,という。お言葉に甘えて,庭で飼われている柴犬と戯れながら,進んでいくと小さな観音堂があった。これが第二十九番札所の慈音山帝釈寺東泉院の観音堂(N36°45’39.89″,E140°10’52.31″)であった。小松さんが個人で管理している観音堂と言うことだ。

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県道52号に降りて 進むと,大きな建物が出てきて那珂川町(旧馬頭町)の中心部に近づいたのが分かる。ここで,さっき代えたばかりなのに,GPSの電池が切れた。エネループも寿命が尽きたのか。ちょうどコメリがあったのでアルカリ電池を買って交換した。コメリの先の別雷神社を過ぎると見覚えのある建物があった。かつてクルマで来たことのある馬頭広重美術館だ。

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美術館の先を馬頭院の案内板に従って右折すると第三十番札所の武茂山十輪寺馬頭院(N36°44’20.75″,E140°10’01.67″)への参道があった。境内の奥に観音堂がある。観音堂の名称が書かれた柱には「那須三十三所観音霊場第三十番札所」とあるではないか。先の(新)第二十八番札所の性徳寺には「常陸国」とあったように,ここにも「水戸三十三観音」とは書いてない。両寺とも恣意的に「水戸」を外したのだろうか。

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観音堂の内部には馬頭観音像が祀られている。今日の巡礼で初めてお目にかかる観音さまに大きな声で般若心経と「オン アミリトウ ドハンバ ウンバッタ ソワカ」とマントラを唱えた。

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今日の巡礼はここまでだ。時刻は2時20分を回っている。頑張って走れば15時38分の水戸行きに間に合うかも知れない。帰路は意外と距離がなかったので,15時15分には常陸大子駅に戻ってくることが出来た。本日の走行距離は60.44km,走行時間は3時間20分であった。GPSログを見ると,行きは札所に寄るのに小さいながらたくさんの登りがあったが,帰りは境ノ明神峠の上り下りの単調なアップダウンだった。

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第7回巡礼(2012年11月25日)

今日で3年にわたる水戸三十三観音巡礼が結願を迎えるはずだ。前日にみどりの窓口でときわ路パスを求めておいた。先日,大人の休日倶楽部の会員になったので割引が適用されて1500円だった。今日も一番電車に間に合うようにカミさんに送ってもらった。二番電車に乗ると水戸で水郡線を100分も待たなければならない。今日のバイクはHammerheadを選んだ。

8時22分に山方宿に到着してHammerheadを組み立てた。第2朝食を食べてのんびりと9時にスタートした。

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のっけから第三十一番札所への県道29号線はダラダラ登りが続いた。空は晴れ渡っているが空気は冷たい。木々の紅葉もまだ盛りだ。

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目当ての場所の近くの山王神社には例大祭の幟がはためいている。仏閣巡りなので神社詣は遠慮しておこう。

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予め調べたおいた三叉路で馬頭観音の石碑が見つかった。浄土寺跡の正確な場所を知ろうと近所の住宅を訪うも返事がない。庭のクルマのエンジンはかけっぱなしだったが。畑仕事をしている婦人に聞いた貯水塔の辺りを探したがそれらしき寺跡は見つからない。

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さらに先の三叉路かと予想し,峠を一つ越してみた。下りたところにあった葬儀屋で聞いてみたら,やはり峠の辺りらしい。ふたたび戻って峠の頂上あたりを探してみたがどうにも見つからない。諦めて次の札所に行こうかと戻り始めた。道端の婦人にもう一度尋ねてみたら「直ぐそこの工務店の社長(ご主人)ならわかるだろう」というので社長さんに聞いてみた。これがビンゴだった。昔の寺があったという場所に今は石碑がいくつか残っている,という情報を教えてくれた。そして親切にも案内してやると言う。仕事に出掛ける途中のようだったが奥さんを同伴して先行するクルマに付いていった。すると三叉路の先の峠の登り口の小道を分け入って行くと,杉や竹の荒れた山林の中にいくつかの石碑が見つかった。これでは自分では到底見つからなかっただろう。工務店のご夫妻の親切のお陰で第三十一番札所の芦俣山千手院浄土寺(N36°37’44.86″,E140°20’48.65″)を巡礼することが出来た。南無観世音,南無観世音菩薩。

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県道29号線をもどって県道102号線を南下した。途中の玉川駅に立ち寄ってみるとJRや警備会社の職員が何人かたむろしているので聞いてみたら,14年振りに水郡線をSLが走るのだそうだ。この時間ではすでに下りは行ってしまったが午後の上り列車があるそうだ。

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玉川駅の先で法専寺の案内板があったので立ち寄ってみた。ここは親鸞聖人の二十四輩第十九番ということだ。この寺の裏山に親鸞聖人を殺害しようとして果たせず帰依した明法坊(山伏弁円)の塚(墓)があると案内があった。今回はこの塚はパスした。堂内には阿弥陀様が安置され,庭には日本武尊が飲んだという井戸,玉清井がある。ここから門前を流れる川の玉川,さらには村の名前の玉川村が派生したという。

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如意輪観音の石像に見送られて県道102号を走り国道293号線を越して三美十字路で県道21号線に交わり西に向かう。この近くに第三十二番札所があったはずだ。

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三美集落センター(旧公民館)を曲がるとイチョウの畑に出た。銀杏を採るために栽培しているのだろうか。その脇を通る小道に入ると三界萬霊の石碑があった。実はここまで来る間にも2回も地元の住民に聞いてみた。そしてようやく,寺があったらしいが今は墓地しかないと言うことが分かった。

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小道をさらに進むと入口の両脇に地蔵尊が立つ墓地に至った。墓には随分と古い物もある。ここがかつては第三十二番札所の円通山慈眼寺(N36°32’54.39″,E140°20’49.04″)であったことは確かなようだ。

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県道21号線に戻り那珂川大橋を目指して進むと道端に案内板があった。何かと見れば牛石という石碑だ。昔,庭・家普請が道楽の長者がいた。その石材・木材を運んだ牛が死んだので牛小屋を見に行ったら,あまりの粗末さに驚き,牛の働きのお陰で長者になれたことを反省して牛の供養塔を建てた,ということだ。

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やがて赤い那珂川大橋を渡って道の駅かつらで,水戸駅で買ってきた,お昼の弁当を食べた。このあたりの那珂川や御前山はサイクリングやハイキングで何回か訪れたことがある。20年以上も前にはこの那珂川でカヤック(カヌー)遊びをしたこともあった。

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自販機で暖かいココアを飲んで出発した。昼過ぎにもなって気温は上がり,ウィンドブレーカーを脱いでも好いくらいになった。結願の仏国寺を目指して,那珂川右岸の県道212号線を進んだ。やがて御前山橋から来る県道39号線に合流し,なかよしキャンプグラウンドのところで左に入った。と,そこには10%の劇坂が待ち構えていた。ここをクリヤーすると道は広くなり右手に御前山ダムが見えてきた。昔,御前山から相川鉱泉へとハイキングしてクルマで県道39号線を笠間まで出たときにはダムがあった記憶はない。どうやら新しく作られたダムのようだ。

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その先の道は快適なサイクルトレーニングコースだった。殆どクルマも通らない軽い登りの道だ。やがて道の駅かつらから伸びてきた関東ふれあいの道と交わると道は細く,荒れたものとなった。そうそう,昔もここをクルマで走った時もこんなだった。車同士では離合もままならないほどの道だ。

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エンヤコラ,エンヤコラとヒルクライムを続けていくとようやく道は下り始め,直ぐに仏国寺の案内板に出会った。とうとう水戸三十三観音第三十三番観音巡礼の結願寺である岩谷山佛國寺清浄院(仏国寺)(N36°30’28.74″,E140°16’38.88″)に到着したのだ。

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見上げるほどの階段の参道が最近になって設えられたようだ。ヨッコラドッコイと階段を上っていくと本堂があった。この巡礼では久しぶりのお賽銭を入れて鰐口を叩き声高らかに般若心経を唱えた。ご本尊は十一面観音(岩谷観音)ということだが寺に人気は無く,拝観は叶わなかった。

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境内を歩いてみると本堂の裏に大谷石で出来た観音堂があった。中を覗いてみたが空っぽだった。十一面観音菩薩がいつかはここに祀られるのだろうか。この観音堂の下には「常陸霊場第三十三番札所」と書かれた石柱が立っている。またもやここも「常陸」であって「水戸」ではない。

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関東ふれあいの道にもなっている県道39号線を南下し県道51号線に出会う三叉路を東にむかって走った。塩子のウィンザーパークゴルフ場に沿って道を分け,山道を登っていった。ほどなく県道112号に出会い,錫高野で県道246号線に入った。この道も快適なトレーニングロードだがこの頃にはかなり疲れが出てきて20インチのHammerheadでは快調の走りは叶わなかった。高久あたりだろうか,ふと道端を見れば新しく彫られたマリア観音風の石仏の前に奇妙な大根が供えられていた。五穀豊穣とともに多産を願う風潮がまだ残っているのだろうか。

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石塚の付近で迷子になり国道123号線を御前山方面に向かってしまった。見覚えのある,日本三大春慶塗の一つである,粟野春慶の看板に出会って道を間違えたことに気づき引き返した。千代橋の道路標識を頼りに走り,県道61号線に出てようやく千代橋で那珂川を渡ることが出来た。橋の上から川を覗くと遡上してきた弱々しく泳ぐ鮭とその死骸が見えた。

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県道61号線も小さなアップダウンがあって疲れた脚には堪えた。ようやく静峰ふるさと公園が見えてきた。その先は沢山の露店が出ていて賑わっている。常陸国二の宮の静神社の例大祭のようだ。立ち寄ってみたかったが水郡線の静駅発の電車が心配であったのでここもパスした。

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静駅に到着したのは15時10分を回っていた。これなら余裕を持ってHammerheadを分解・梱包できる。 静駅はまったくの無人駅で駅前は閑散としていた。

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静駅を15時54分に出た水郡線でウトウトしていたら水戸駅に着いた。水戸での常磐線の乗り継ぎも順調で18時前に帰宅できた。今日の走行距離は66.5km,実走時間は3時間54分であった。

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さて次の巡礼ポタリング/ツーリングはどこにしようか,すでにいくつか回っている下野三十三観音巡礼かな?

 Posted by at 7:37 PM

  3 Responses to “水戸三十三観音巡礼”

  1. 御無沙汰してます。このたび常陸三十三観音霊場の本を2冊発行しました。(茨城新聞に掲載されています。)1冊は札所概略本A5カラー84ページ 600円、もう1冊は私が歩いた詳細な札所案内本A5カラー194ページ2000円です。新聞に載ったことで、かなりの反響があり、注文が殺到しています。ただ、この本は自分で印刷(パソコンで)しているので大変です。歴史本は出版社ではなかなか取り扱ってくれないため。其の中にはこのプログを見て回られた人もいたようです。
    私のプログはまだ開設できないでいます。とりあえず近況まで。
    寺田弘道

  2. 水戸三十三観音巡礼の拙いブログをご覧いただきありがとうございます。徒歩での巡拝でのご苦労,身に滲みて分かります。どうぞ今後もこの巡礼を観音様とともに楽しまれてお続け下さい。私は自転車大好きですので登り坂もトレーニングと思って走れたので今は懐かしい思い出だけが残っています。心残りは十二番札所の長谷寺です。この頃は何とか自力で回ろうと思っていて人(近隣住民)に頼らなかったので所在を見つけることが出来ませんでした。もっともあの当たりには民家はありませんでしたが。しかし,後半は色々と尋ね回ったお陰で廃寺も見つけることが出来ました。
    因みに私は寺田様より2歳年下と言うことになります。今年も(カミさんとともに)自転車ライフを楽しんでいきます。どうぞ寺田様もご自愛ください。観音様が寺田様をお守り下さいますように。

  3. ブログを拝見しました。私は昨年10月から歩いて巡拝をしています。1月24日現在22番小妻の地蔵院まで歩きました。今回で6回目南中郷から小妻まで約30キロメートル7時間かかりました。今までの平均が1日25-30キロの強行軍です。しかも厳冬時期はかなりつらいですが、修行(僧ではありませんが、佛道の修行中です)と思えば、そんなにつらくありません。なにしろこの霊場を歩いて回った人はいないということですので、お寺の方々もビックリしています。ちなみに現在満69歳です。このプログを早く見ていれば、資料集めに苦労しなかったと思います。これから歩くのに参考にさせていただきます。尚、ガイドブックは20年も前のもので時代の変遷とともに様変わりしており、探し当てるのも大変でしたでしょう。ありがとうございました。また、近く歩き始めます。

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