7月 312016
 

3年半ぶりに伊豆ベロドロームでのCSCトラック自転車競技大会に出場した。2013,14年はドイツ自転車旅に出かけ,2015年は団地の自治会の役員の業務が多忙で参加できなかった。以前は海の日あたりに日程が組まれていたが,ここ数年は2週間遅れのスケジュールだ。今年の開催日は7月30,31日となった。そのためか,高速道路も有料道路も混雑はしていなかった。

今年は,新たに「永遠のライバル」となったIさんを誘っての参加だ。Iさんはベロドロームが初体験ということで,実業団登録もしている,Oさんがコーチで付き添いだ。

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練習が始まると,Iさんはは250m板張りバンクが初めてとは思えないほどの走りを見せてくれた。こりゃヤバイかな。コーチ役のOさんも,大会には参加しないが,せっかくここまで来たのだからと試走を始めた。さすがに実業団クラスだね。

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最初の種目は200mFTTだ。バックから発走して250mトラックを3周半回って,最後の200mのタイムを計るという競技だ。自分の順番はIさんの直前だ。一発かまして驚かせてやろうか。スタートしてブルーバンドをゆっくりと走り,第2センターからスプリンターレーンに上がった。と思ったら,ズルッと滑って落車してしまった。

バンク走行練習の時もここ第2センターで後輪がズルッと滑ってヒヤッとしたが,本番ですっ転んでしまったのだ。スタート直後のゆっくりペースだったので大事はなかったが,右肘をしたたかにすりむいてしまった。カミさんカメラウーマンにちゃんとこの場面を記録されてしまった。

2012年秋の大会では仲間のMさん,Tさんが練習中にこの第2センターで滑っているのを思い出す。あの時は「何でまぁ,こんなところで」と思ったが,自分がやってみると「ここには悪魔がいる」としか思えない。実は,この200mFTTの直前に姪から「姉がついさっき転倒したはずみに左肩脱臼,右手首骨折,左下腿の裂傷を負った」と電話があった。これが心理的にスタートに影響したのだろうか? 姉夫婦とは今晩,この近くのホテルに泊まることになっていたのだ。

再発走が認められて一番最後に走ることになった。

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Iさんはというと,順調にスタートして第2センターも最上段まで駆け上がり駆け下りてくるではないか。しかし,計測ライン手前のホームの直線でダンシングしてないゾ。ゴールしたけどタイムはどれくらいだろうか?

走行後にIさんに,審判長まで出頭せよ,とのアナウンスがあった。周回数でも間違えたのかと思ったが,後で聞いたところによると「レーシングウェアは膝上のものでなければいけない,レッッグウォーマーを着けてもいけない」と注意されたそうだ。この大会ではヘルメットの審査,ゼッケン(今はナンバーカードというのか)のチェックを始めとして,バイクのジオメトリーのチェックまで厳格に検査している。2020年の東京オリンピックに向けての方針だろうか。そうそう,2020年の東京オリンピックでは伊豆ベロドロームが会場になるのだ。招致の時は「選手村から会場までは4km以内」何て調子のいいことを吹いたのだが,自転車トラック競技に関しては選手村から150kmだ!?

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待つこと1時間で種目の最後の走者として再発走させてもらった。役員さんのアドバイスに従って,今度は,第4コーナーを過ぎたところでスプリンターレーンに入った。かけ下ろしのためにブルーのステイヤーズラインとフェンスの中間くらいまで上がった。そこから腰をあげたダンシングスタイルで一気に踏んだ。記録は13秒927(100m : 6.908秒,200m : 7.019秒)だった。やっぱり後半の100mはスピードダウンするんだなぁ。この記録は伊豆ベロドロームでのベストタイムであった。まずは200mFTTではIさんに勝つことができた。

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午後のスケジュールは1kmTTだ。Iさんが先にスタートしていくのを見送る。しかし,ピストルが鳴ってレースは中断した。対戦相手がスタートでコケたので再スタートなった。

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自分の順番が来て,場内アナウンスに合わせてガッツポーズを示す。バック側からのスタートであるが,前輪がスプリンターレーンの最内側のブラックラインに乗っているのが気にかかる。これに気を取られてか,スタートして外側にフラついてしまった。顔なじみの審判員の「あ〜,やっちゃった」の声も聞こえたが,Oさんがスタート前にアドバイスしてくれた「たとえ失敗しても,周回の途中でリカバーできますよ」の言葉を思い出し,踏み直す。

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「大丈夫,大丈夫,リカバーできる」と念じながら周回してゴールを迎えた。が,タイムは1分25秒204と不甲斐ないものだった。125mごとのラップは,16秒381(0-125m),9秒853(125-250m),9秒497(250-375m),9秒449(375-500m),9秒704(500-625m),9秒972(625-750m),10秒131(750-875m),10秒217(875-1000m)だった。やはりスタートの失敗が大きく響いてしまった。

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Iさんの再スタートを見守る。後半は,例によって,ゴメンナサイポーズでタレ具合を示したが,前半のスピードが自分より勝っていたのでこの1kmTTはIさんの勝ちとなった。

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今日の最後の種目はスプリントだ。まったく予想していなかったが,競技要項を読むと,確かにカテゴリー別の200mFTTの上位2名での決勝と3〜6番目の選手での順位決定戦を行う,とある。さて,スプリントはこれまで全く未体験なのだがどうしよう。Oさんに背中を押されて,そして即席の戦術を教えてもらって出場することにした。スプリントはトラックを3周して順位を争う競技だというから,前が遅ければ早めにスパートする戦術で行こう。

1週目はおとなしく2位につけて回った。誘導がいないケイリンのような調子で2周目に入った。残すところ1周半のバックでスパートを掛けた。あと1周が保つだろうかと自分でも半信半疑だったが,最後までスピードを保たせることができた。結果はカテゴリー3位を獲得した。のちにリオ オリンピックのスプリントの敗者復活戦や順位決定戦を見ると3人以上のスプリントでも,スタート直後からスピードが上がったレースだった。Oさんに,見事な戦術だった,とお褒めの言葉をいただいた。

上がりタイム(ラストの200m)は14秒33であった。

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ついで,Iさんの順位決定戦の観戦だ。あと2周回というところで,早くも,Iさんが先頭に出た。このまま逃げ切れるだろうか,とハラハラして見守る。

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しかし,最終回のバックで捕まって,そのままズブズブと沈んでしまった。残念だったが,Iさんの果敢な攻めのスタイルは大いに学ぶところがあった。

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大会1日目の競技が終わり表彰式になった。スプリントでは3位になったので表彰を受けるために残っていたら,アナウンスで1kmTTで1位であることを知らされた。表彰台に上ってみると,カテゴリー出場者は2人であったが,なんと,2位はNさんではないか。Nさんは自分と同年齢であるが,200mFTT,2kmTTなど負けっぱなしで勝ったことは一度もなかった。それが,不甲斐ない記録ではあるが,1kmTTで勝ったのである。人生,苦しいトレーニングの成果が現れることもあるものだ。サァ,これからはサバイバルゲームの始まりだな。

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スプリントの銅メダルの表彰も受けた。信じられないことには,ここでも常勝のNさんは2位だった。練習不足だったのかな?

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参加者が揃っての集合写真を撮って大会第1日が終わった。

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さて,姉の怪我の具合はどうかと連絡してみた。幸いにも入院はせずに自宅療養でオーケーということだ。しかし,今晩は大仁のホテルには姉夫婦は泊まれないので2人分をキャンセルしなくてはならない。当日のキャンセルだからキャンセル料は100%だ。あまりも勿体無いので,IさんとOさんを誘ってみた。しかし2人とも翌日の予定を控えていて泊まることはできないという。会場で出会ったサイクル仲間に声をかけてみたのだが,いずれも翌日の予定が詰まっていてかなわないという。

結局,カミさんと二人で泊まることになった。ホテルは中国からの観光客で満員状態だった。夕食の時の食堂から見えた夕焼けの富士山は見事だった。サァ,明日は満を持しての2kmIPだ。

Mt Fuji

大会2日目の参加種目は2kmIP(個人追抜競走)だ。対戦するお相手は14歳の女子中学生だ。名のあるクラブの所属なので,中学生とはいえど侮れない。気分は孫と対戦するようなものだが,ここは厳しい勝負の世界だ。ホーム側から順調にスタートした。

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規則によりメーターを取り付けてないので,どれくらいのペースで回っているのかわからない。何周回かしたところで前方に相手の背中が見えてきた。俄然,元気が湧いてきて追抜きを図るものの,相手も気がついたらしく,なかなか追い抜けない。最後の周回でようやく追い抜くことができた。本来の個人追抜競走は追い抜いたところで試合終了だが,この大会では最後まで走ってタイムで順位を決めるルールになっている。さすがに8周回を終わってみると,久しぶりに,喉がゼイゼイハァハァ状態だった。

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記録は2分55秒909だった。前回の記録を上回る自己ベストタイムだった。250mごとのラップは,26秒455(0-250m),20秒052(250-500m),20秒852(500-750m),21秒560(750-1000m),21秒708(1000-1250m),21秒748(1250-1500m),22秒153(1500-1750m),21秒381(1750-2000m)だった。前半を抑えたことで最後までペースを大きく崩さずに走ることができた。これも好敵手がいたおかげです。しかし,22秒台のラップのところでもう少し我慢できないとダメだな。

後に昔の練習日誌を見返してみたら,なんと,2004年の屋外バンクで2分53秒019を記録していた。今回の記録は自己ベストではなくベスト2であった。次回はこのタイムを目標にしよう。

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カテゴリー出場者は自分一人なので,自動的に金メダル獲得であるが,表彰式は欠席することにした。午前中で会場を後にして富士市に住む姉を訪ねることにした。姉は意外に元気だったので一安心した。これまで膝に障害を持っていてあまり出歩くことがなかったそうだが,この受傷でしばらくは歩行に障害をきたすことになるだろう。達者な口と同様にからだの方も達者でいて欲しいものだ。右手が使えないので,食事の支度もままならないという。近くの娘が面倒を見に立ち寄るというが,旦那を叱咤して包丁の持ち方から指導する羽目になったそうだ。

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